1.女子修道院に行け?
「おにいさま! 事件、事件ですわ!」
「ん?」
居心地のいい茶色のソファに埋まるようにして、けだるく新聞を眺めていたハーキュリーは、半分眠った頭のまま妹が目の前に突き出した紙を見た。
「ああ、なるほど。
おまえのような傲慢な女を妻に迎えることはできない、婚約破棄だ、尼寺へ行け。か
おまえ、いつの間に婚約者なんかいたんだ? 皇太子は断ったんじゃないのか」
「まあ、おにいさま、これがわかりますの?」
「いや、テキトー」
シャーロットの左手の扇が、兄の頭頂に炸裂した。一発。
二発目は顎を抉るように撃ち上げる。クリーンヒットであった。痛い。
「何をする、愛しの妹よ。私の愛を君の華奢な扇で抉らないでくれたまえ」
「何が愛ですか! まじめに考えてくださいませ!」
「私は常にまじめだ」
「もう一度抉られたいのですね!」
「いやいや、それも悪からぬ」
「おにいさま!!」
シャーロットが持ってきた紙は、学院の靴箱に入っていたそうだ。
「妹よ、学院って? おまえ、ブリッジケントに潜り込んでいたのか、男装して? バレたら破門されるぞ」
「そんなわけありませんわ、マイヤー女史の経営するロッテン女学院で生徒の散策の付き添いをしておりますのよ」
「おまえね、日本の小学校じゃないんだよ、なんで靴箱なんかあるんだ」
「何ですの、それ。靴箱は、雨の日に外で履くブーツを保管しておくためにシューズ・ルームにあるのですわ」
「ほお―、さすが金持ち貴族ご用達の超高級ホテルまがいの全寮制私立女学院」
おにいさま、誰に説明しておいでですの?
「そんなことどうでもよろしいですわ、これこれ、この紙ですの」
「うむ」
紙には
A=2W+1
AXV1 HFXPXOAF 2LZIH
お待ちしております(waiting for you)
とある。
「うむ、明後日だな。キアサルディ植物園、5時だ。
こいつは間抜けだなぁ、植物園は今の時期4時で閉園だ。退出は4時半だろうな」
「ええ~、なんですの~、わかりませんわ~」
「いや、初歩の初歩だろ」
「兄上さま、この愚かなシャーロットめによろしくお手ほどきのほどをお願いいたします」
「よかろう」
シャーロットは、右手に握り替えた扇をぶるぶると震わせながら耐えている。答えを教えられたら、二度目のアッパーを“差し上げる”気満々である。
「まずだな、この文字列には、数字が混ざっている」
「はい」
「1と2だ」
「たしかに」
「そして、上の数式は、答えを出すには、Wを倍にして、1を加えろと書いてある」
「え? そうなのですか? わかりません!」
「あのなぁ、一緒にやっただろうが。 簡単な数字遊びだろ。
“Aイコール”は、“答えを出すには”という意味だと思っていい。Aでなくてもいい。YでもXでも。
で、Wってのが、そこに書いてある数字と文字だな、こっちも何でもいい。読んでいる奴に伝わって、他の奴の手に渡っても落書きに見えればいい。
Waiting for you. ってのはデコード(解読)のヒントだ。いくつかあるコードの内のどれを使ったかわかるようになっている。
送り手と受け手の間には、何らかのつながりがあって、この暗号文もあらかじめ打ち合わせてあって、受け手は解き方も知っている」
「なるほど?」
「答えは、そこに書いてある数字を倍にして、1を足せ、というわけだ、わかりやすいじゃないか」
「そうでしょうか」
「麗しの妹よ、もし書いてあったのが、E=mcスクエアだったら、この兄も紙とペンを所望する。cの処理に分数を使うかもしれない。
「はあ」
「まあ、それはいい。中学校で習う最初の関数だな」
「中学校とはおにいさまの前世の?」
「ああ。俺が習ったのは y=x+1 とかだったがな」
「それはこちらへ置いておいてくださいませ」
シャーロットは、逸れた話をよいしょっと持ち上げて、横に置く手まねをする。兄の前世自慢は一度始まったら終わりが見えない。
「つまり、ここに書いてある1は、2倍にして1を足せばいいのですね」
「うむ、わかってきたじゃないか」
「兄上さまのご教示に感謝いたします」
シャーロットの右手の振幅は奇しくも回答と同じ“3”倍になっている。
「2の方は、2倍にして1を足して、5にございますね」
「よろしい」
右手の振幅の速度は徐々に音速に近づく。
「ですが、おにいさま、植物園とは、どこから?」
「そっちは、推定から始めるんだ。
まず、数字の方は、時間と日にちではないかと字数から仮定する。とすると、最初は日、DAYだろう、となる」
「え? なぜ?」
「お待ちしています、とあるだろう。だから、日にちと時間を指定していると推定する。とすれば、真ん中は場所だろう。
AXVがDAYだとすれば、Aの3つ先でDだな。ほれ、XとVはどうなる」
「ええ?」
ハーキュリーは、もうこの妹は仕方がないな、という気持ちを全身に溢れさせながらため息をついてみせる。
「賢妃と呼ばれるにふさわしき頭脳派のわが妹よ、そこにアルファベットをAから順に書いてみたまえ」
「はあ、これでよろしいでしょうか」
「わかったか」
「帝都一の知者と名も高き兄君、この皇太子などクソくらえと日々呪詛を奉じております愚かな妹にお言葉の意味をお教えくださいませ、伏してお願いいたします」
「よかろう」
この瞬間、振幅は軽く光速をぶっちぎって、扇は天井を突き破り空のかなたに飛んでいった。
ドッカーン!! とな~
「数字に続くAXVをDAYと仮定する、Wのうち数字以外、すなわちアルファベットについては、1と仮定するのだ。
Aの3つ先はD、Xの3つ先はAだ」
「え? あ、ああ、わかりましたわ」
「これで仮定は正しかったことがわかるから、当てはめるだけでいいな」
「はい」
「答えを言ってみろ」
「DAY3 KIASARDI 5OCLK ですわ」
「正解だ、王都一の貴婦人、シャーロット姫よ」
「イヤですわ、おにいさま。そんな本当のこと」
「ああ、まるで嘘というわけでもない」
シャーロットは、さっき扇を空にぶっ飛ばしてしまったことを心から後悔していた。
なんで英語なんだというところの突っ込みはご容赦願います~
日本語では暗号の種類が限られてしまうのです~
そもそも日本語自体がヒエログリフ・クラスの暗号なんです! (表意文字と表音文字の混合体という意味で)
ありがとうございます
参照:西暦では
ヴィクトリア朝:1873-1901 相対性理論発表:1905
ハーキュリーが転生者だからこそ言えることですね