After:第10話
「ほう、夜になると星が見えるとは言ってたがこれほどとは……」
日中と違い、洗濯物が無くなり視界の開けた部屋の中で、星空を見ながらレオンが感嘆の声を漏らしていた。
それもそのはずで窓の外は雲の上にあるので、遮るものがなにもない。月明かりと星の光が幻想的に部屋の中を照らしている。普通に生活していたら、こんな光景は見る機会などないだろう。
「こんな部屋を洗濯物干すだけに使ってちゃもったいないだろ?たまには有効活用しないと」
レオンに続いて部屋に入ってきたアッシュは果実酒のビンとグラスを持っていた。彼が星見酒をしようとレオンを誘ったのだ。
「でも、俺でよかったのか?姫様はともかく、アリシアさんも誘ってあげた方が……」
「いや、アリシアは酒癖悪いから誘わなかったんだよ。それに、……兄上なら断らないだろうと思ったし」
北の王国で酒を飲んでいいのは祝い事の席か戦の前と後の宴でだけだ。ヴァルトシュタイン家は代々酒飲みの家系であったし、酒を飲む場を作ればレオンは乗ってくるとアッシュは考えた。
別にアッシュは酒が好きなわけではなかった。それなのに彼がレオンを誘ったのには理由があった、……わけではない。ただ、今後訪れることのないだろう。血のつながった家族を酒を飲むという経験をしたかっただけである。
「じゃあ」
「「乾杯!」」
チンとグラスをぶつける音が響いた。
「なんというか、ミハエルもいろいろ変わったな」
「そうかぁ?そんな変わってないと思うけどな」
グラスを傾けながら、レオンがぽつりとつぶやいた。彼の中にあるまだ少年だったころのミハエルと今のアッシュは全然違うように見えた、それがこの約二日間で彼が感じた感想だった。言われた本人であるアッシュは全くピンと来ていなかったが。
「本人はそうだろうな。変わったよ、お前は。こんな屋敷の家事を全部やってるなんて驚いたし、料理があんなにうまいなんてことも知らなかった。昔からは考えられないよ」
「家事は必要だからやってるだけだし、料理も騎士学校で暇だったから覚えただけだよ。……そんなことより、兄上はいつ留学から戻ったんだ?」
むりやりな話題転換だったが、酒が入っているおかげか、レオンは特に気にする様子もなく、上機嫌に自身のことを話し始めた。
「留学から戻ったのは、お前が家出してすこし経った頃かな。お前が居なくなって、焦った父上に呼び戻されたんだ。あの時は今までにないくらいに父上の機嫌が悪くって、めちゃめちゃめんどくさかった」
「……そっか」
父がそうなったのは、自分が原因だという自覚があったため、レオンに攻める気持ちがないのはわかっていたが、アッシュはそれ以上何も言えなかった。
「王国に帰ってからは外国で学んだ政治の知識を生かして……って言いたいが、ヴァルトシュタイン家の人間だといっても、まだまだ若造の俺のいうことなんて何の力もないことを実感させられる毎日だったよ。そのくせ王女の婚約者になった瞬間にそれが改善されるんだから、ほんと嫌な世の中だ」
レオンは嘆きながらグラスをあおった。とはいっても、半分笑いながら言っている辺り、酒が入ると自嘲的になるタイプなのだろう。嘆きながらもグラスが空いたのがわかると、自分で注いでまた飲み始めていた。
「そういえば、ミハエル、父上から伝言がある。————帰って来いってさ。……伝えるだけ伝えておく。伝えたから、そんな戯言はもう忘れていい。さあ飲むぞ!」
なんだかいろいろ聞きたいことはあったが、もうすでに酒が回り切ったレオンは聞く耳持たないだろう。だから、アッシュはあきらめて注がれた酒を飲むことにした。
「そういえば、母上は元気か?……俺のこと心配してないか?」
「元気だよ。父上がお前のことばっかり言うから、うざったいんだと。お前のこともあんまり心配してない。というか、家出するぐらいのが健全でちょうどいいって喜んでたくらいだ」
母の心配をしたアッシュだったが、レオンの返答を聞いて、妙に、というかかなり腑に落ちてしまった。彼らの母は、騎士団長である夫を尻に敷くような強い女であった。だから、彼女ならそう言うかもしれないと、そう思ってしまった。
「まあ、口ではそうでも、内心どう思ってるかわかんないからな。母上の方はなにかフォローしておいたほうがいいかもな。父上はどうでもいいけど」
「同感。父上は放っておいていいけど、……母上にはなにか考えておくよ。」
そう言いながら、アッシュは空を見上げていた。
父はともかく、母に対しては勝手に家出をしたことの負い目があった。あの国に帰らないとしても、なんらかの連絡くらいはしておかないといけないな。
アッシュはグラスに入った酒を一息にあおった。




