90 あなたを待っていました①
アンドレが部屋から立ち去り五分程経過すると、行儀見習いをしているクリスタが部屋を訪ねてきた。
「お帰りなさいませジュディット様。使用人一同お戻りを喜んでおりますよ」
「急にいなくなって心配をかけたわね」
わたしの言葉に安心した様子のクリスタは、抱えるドレスの重さを感じさせない、爽やかな笑顔を溢れさせた。
彼女は以前から、わたし付きの従者の一人だ。
気遣いのできるクリスタが一番安心できる存在で、その彼女をピンポイントで当ててくるあたり、アンドレらしい。
先程から、わたしのことを随分と調べているなと感心する。
元々王宮には頻繁に出入りしていた自分だ。王太子の婚約者として部屋も賜っている。
急遽参加するお茶会用に、ドレスも部屋に何着か用意されていた。
まあ突如呼び出すのは、国王夫妻だけだけど。
せっかく用意してくれたドレスは、肩が出るからほとんど着られず新品が多い。
公爵家にはパーティもお茶会の案内も、どういうわけか届いた試しがなく、フィリベールからパーティーのパートナーに誘われた事もなかったし。
ジュディットに用意されていたドレスの中から、ネイビーのワンショルダーを選んできたのか……。
デザインが洗練されていてとても美しいけれど、右肩を隠すものが一切ないドレスで、流し目で見ていた一着だ。
どうしようかと悩んでしまったが、もうフィリベールのことを気にする必要はないんだし、見えている魔法陣を気にするのはやめてもいいわよねと開き直る。
嬉しそうなクリスタに着替えるのをひとしきり手伝ってもらい、久々のドレスに着替え終えた。
だけど長い髪で肩を隠すため、髪を結うのは断り、下したままにしてもらう。
胸元が寂しいと言うクリスタに、真珠のネックレスを着けてもらい支度は完成した。
「本当にお綺麗ですわ。これはアンフレッド殿下も喜びますね」
「べ、別に彼を喜ばせるなんて、どうでもいいのよ」
「これは、アンフレッド殿下のリクエストなんですよ」
あれ? それは相当意外なチョイスだなと、きょとんとする。
「彼が何か言っていたのかしら?」
「はい。今までお召しになったことのないドレスを見せて欲しいと仰って、その中からこれを選んでおりましたよ」
「アンドレが?」
「ええ。ジュディット様のものはご自分で選びたいと仰って、指示されていますので」
「あれ? 彼はそんなことに興味があったかしら?」
「ふふっ、ジュディット様のお召しになるものは、大変気にされておりますよ。他のことで声を荒げる姿を見ておりませんが、白いネグリジェをお持ちした時は、二度と持ってこないように叱られましたし」
「白いネグリジェって……何かあったかしら?」
アンドレのかつての恋人と何かあったのかしらと考えてみたが、それなら分かるはずもなく、ぽかんとしてしまう。
「ふふっ、喧嘩をなさった日に着ていたんですかね」
「変な想像はやめてよ。そんな記憶はないから」
「きっとそうですわ。だって──」
と、言いかけたところでアンドレが戻ってきたため、クリスタは閉口する。
◇◇◇
アンドレの部屋なのだから、招き入れるというのもおかしいが、遠慮がちに入ってきた彼を迎える。
すると、感動した様子のアンドレが、食い入るように見つめてくる。
「そのドレス、すごく似合っていますね」
「アンドレがわたしの服装を褒めてくれるのは、初めてな気がするわ」
「僕以外の男性の前で無防備な恰好をするからですよ。あなたを狙っていた男の存在に、ジュディは少しも気づいていないんですから」
「ふふっ、狙うなんて随分と大袈裟な言い方ね。そんな兵士は一人もいなかったでしょう」
激マズスープでさえ、おかわりしてくれた心根の優しい兵士揃いでしょうにと、首を傾げる。
「ジュディがそんな調子だから、男に勘違いされるんですよ。今思えば、隊長が柄にもなくお茶で釣っていたのでよかったですが、彼の行きつけの店に誘われていたら、ジュディのことですからホイホイついて行ってたんでしょうね。そうなれば、危なく笑えない事態になっていましたよ」
「ごめん。よく分からないんだけど」
「ふふっ。まあ、右肩の魔法契約を見たら、娼婦と思われてもおかしくないですからね。男ばかりの場所で見せるわけにはいかなかったので」
「それでアンドレは、わたしにあなたの服を着せていたのかしら」
「もちろんそれもありますが、僕の服を喜んでいたジュディが可愛く見えていたのもありますね」
そう言ってくすくすと笑っている。
言われ慣れない可愛いという言葉が妙に照れくさくなり、バッと目を逸らす。
ち、違うわよ別にアンドレを意識しているわけじゃないわ。以前のわたしとは違うのよ。この手のことでドギマギして、騙されないんだから。
だって、彼には好きな人がいるんだしと、少し前の衝撃を思い浮かべる。
カステン辺境伯とアンドレの話が食い違い、おかしいなとは感じていた。だけど、わたしを蔑むように向けられた、カステン辺境伯の方が正しかったのだ。
カステン辺境伯が言っていた、アンドレに好きな人がいるという話は間違いなかった。アンドレの方が嘘をついていたのだ。
ガラス玉はどこかしらと探った彼の上着から、彼が隠していたものを発見してしまったんだから。
彼を連想する美しいルビーが埋め込まれた、少し年季の入ったお揃いの指輪が入っていた……。
その女性との間に何があったのか考えるのが怖くなり、すぐにポケットへ戻したけど、あれは間違いなく恋人とのペアリングだわ。
ざわざわとそんなことを考えている私の気持ちとは裏腹に、まっすぐ見つめるアンドレは、優しい口調で発した。
「すっかり長話になってしまって、朝食の時間は過ぎてしまいましたね」
「そうね。でも……お腹が空いたわ」
「ふふっ、ジュディのお腹の音が聞こえていたので、分かっていましたけどね。それでは食堂へ向かいましょうか」
「ええ」
と返せば、彼が当たり前のようにすっと手を出すため、大人しく従う。
そうすれば、幸せそうな彼が目を細め、ドキッとする。
陛下の手前、わたしと仲の良い振りをしているアンドレが、本当に嬉しそうにするから惑わされてしまいそうだ。
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