20 不思議なあなたは……④
「脈動」
彼が真面目な声で唱えた。
けれどわたしは、それを聞いて、くすりと笑ってしまった。
どうしてってそれは、唱えなくてもいい言葉をアンドレが敢えて口にしたのが、すぐに分かったからだ。
何か意味があるのかもしれないが、わたしとしては滑稽に思えてならないのだから。
「脈動」なんて、魔法詠唱でもなんでもない。
アンドレがただの魔法名を唱えれば、地面がドクドクと脈打つように揺れ始め、驚いたように地面から真っ黒い土蜘蛛が姿を現した。
胴体は大人の熊くらいの大きさだけど、八本ある長い脚のせいで、魔物の強さ以上に迫力がある。
それと同時に兵士の中から「ウッ、うわぁー」と、悲鳴が上がる。なんと情けない。
──だけど……どうしてか、わたしときたら少しも怖く感じないんだもの。
全く記憶はないけれど、こんな経験があるような気がして、それを思い出そうとすればズキズキと頭が痛み、思考を邪魔される。
何なんだろう、この頭痛は……。
あまりにも強い痛みを我慢できず、土蜘蛛の記憶を無理に探るのを止める。
するとピタリと治まった。
頭痛が止まったとはいえ、それはそれで気持ち悪い。
取りあえず今は、過去のことを考えるのは諦めようと、目の前の状況へ向き直る。
この隊員の中には、土蜘蛛を初めて目にする者もいるのだろう。
その魔物の大きさにおののき、その場で腰を抜かす隊員が数人見受けられた。
それでも、アンドレは全く表情を変えずに、土蜘蛛の一点に集中している。
「炎柱」
アンドレが再び魔法名を発した。
そうすれば、無駄に派手な炎の柱が土蜘蛛目がけてアンドレから伸びていく。
その炎の大きさに動揺したのだろう。別の兵士が腰を抜かし、地面にお尻をつけた。
アンドレが放った炎で巨大な土蜘蛛が丸焼けになり力尽きているが、悔しいことに、隊員たちに気を取られたせいで、攻撃の瞬間を見逃した。
まあ「炎柱」と上位の火魔法を口にした時点で、そうなるだろうなと容易に想像できたけど。
アンドレは、しばらくしても動かない土蜘蛛を確認し、わたしへ振り返ると、にまっと笑う。
「ジュディ、僕たちの仕事は終わったからここから立ち去りましょう」
「ええ、そうね。なんだか、あちらの怖い隊長さんが真っ赤になっているものね。余計なことをしたと怒られる前に消えましょう」
「あれ? いいんですか? ジュディは約束を守れと騒ぐのが得意でしょう。僕のときのように念を押してきたらどうですか? 自分を変な目で見るなってね」
「はぁ! 揶揄わないでよ。あんなおっかない口調の人に、偉そうに言えるわけないでしょう!」
彼の胸をポンッとこずくと、アンドレは声に出して笑い始めた。
「ははっ。僕ももっと大きな声で威嚇していたら、ジュディは僕の所に転がり込んで来なかったんですね。失敗しました」
「ど、どうかしら……」
彼の横で目を覚ましたとき、どういうわけか、本能的にアンドレの傍にいなければいけない気がしたんだ。
きっと彼が強面でも、偉そうでも、近くに置いて欲しいと頼んだ気がする。
それは何故だろう──。分からない。
ふと視線を感じて横を見ると、目を点にして二人の会話を聞いている兵士がいたため、その彼に「片付けはよろしくお願いします」とアンドレが告げた。
そうこうしていると、真っ赤な顔の隊長さんがわたしたちの元へ駆け寄ってきた。
「アンドレ殿。先ほどの非礼を許して欲しい」
面目なさげな隊長さんが、頭に手を置きながら告げた。
「別に僕への暴言は怒っていないですよ。でも、魔力が十三級から十六級の精鋭部隊が見抜けなかった土蜘蛛の場所を正しく言い当てたのは、ジュディですから勘違いなさらないでください」
「アンドレ殿から教えてもらっていたんじゃないのか?」
「違いますよ。ジュディから聞かなければ、脈動を広範囲で発動していたでしょうね」
「彼女が……か?」
わたしを見つめる隊長は、首を捻り、全く信じていない顔をしている。
「ジュディは今日からカステン軍の寄宿舎に出入りしますので、彼女への態度を間違えないでくださいね」
まじまじと食い入るように、わたしを見てくる彼に挨拶をしておくかと言葉を発した。
「今日からお世話になります、ジュディです」
名前を名乗ったあとのお辞儀はやめておく。
事務所を出発する直前に、お辞儀のせいでカステン辺境伯とアンドレの間で、変な空気になったのだから。
二度目のトラブルは勘弁願う。
「わたくしは第一部隊長のナグワと申します。ジュディさんが軍で働いてくれるなんて、我々の士気が高まりますなぁ。あははは」
額から汗をだらだらと垂らす隊長から、棒読みのような自己紹介をされた。
なんかよく分からないけれど、わたしが働くことを喜んでくれているみたいだし、よしとするか。
この場から立ち去ろうと、「さあ行きますか」とアンドレが動き出すため、素直に従う。
そんなアンドレに少しだけ気になっていたことを訊ねた。
「アンドレは魔法を使うときは、いつも魔法名を唱えているの?」
「はは、まさか。そんな意味のないことはしません」
「でも、さっきは唱えていたわよ」
「それは……ある方を真似ただけです」
と言ったアンドレは、それ以上打ち明ける気はないみたいだ。
表情が凍りついたため、これ以上聞くのはまずい気がして、話題を変えた。
お読みいただきありがとうございます。
次話は、視点を変える予定です。
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