10 あなたは誰②
しばらくすると、扉の外から「着替えましたか?」と聞こえてきた。
「まだよ」と答えると、「そうですか」と、静かに返ってくる。
何だこの会話は⁉ と恥ずかしく思うが、魔道具を使えず、何をするか分からないわたしを、アンドレなりに心配して傍にいてくれたみたいだ。それはそれでありがたいのだが。
迷惑そうにしているけど、なんだかんだと優しいんだから。アンドレってば。
な~んて馬鹿! 呑気に、ほっこりしている場合じゃないでしょうに。一応、男と女だし。
先ほどの一件。この後どういう顔をすべきなのよと、モヤモヤしてしまう。
それにわたしだけじゃない。彼の方も相当動揺していたのだろう。出してくれたシャワーのお湯がぬるかった。
もう少し熱くしたいと思い、お湯の温度を変えたかったが、やはりできなかった……何故に。
まあ、多少ぬるくても頭を冷やすには丁度いいやと、シャワーを浴び続けた。綺麗になったし、取りあえずなんとかなった。
彼を待たせている手前、シャワーを手短に済ませると、これまで着ていたワンピースとは違うものに着替える。
けれど都合よく女性用の服があるわけない。そりゃぁそうだろう。寄宿舎の事務所を管理する男性の一人暮らしだ。
あらかじめ、何か着られるものがないかと探し、彼が子どもの頃に着ていたという服を貸してもらったのだ。
彼の部屋にあるクローゼットの奥を漁り、見つけたシャツの大きさは丁度いいが、ズボンが長い。そのため裾をくるくると捲り足首を出す。
……よし、これでいいだろう。
うんと頷くわたしは、一通りの準備を終えて彼の待つ廊下へ出た。
わたしの顔を見て、ちょっとだけ顔を赤くするアンドレを見た瞬間、少し前の出来事を思い出す。
彼を責めるのは無駄に意識しているみたいだし、お湯を出してくれてありがとうも、違う気がする。
とにかくだ。
何かを言われると恥ずかしいから、浴室での「見られたかも事件」には、これ以上に触れない!
お互いに何も見ていないし、見られていないスタンスを貫く。これが一番平和的解決で、争いにならない気がする。
再び、うんと頷き彼と向き合う。
「お待たせ~。なかなか動きやすくて気に入ったわ」
「そんなのしか無くて、申し訳ないですね」
「ううん。全然問題ないわよ、本当に助かったわ」
「ま、まあ……それも似合ってますよ」
彼は照れくさそうに気遣ってくれた。
「でしょう。それにしても働くのが楽しみだわ」
「そんなに?」
「だって、栄誉があるじゃない」
「ん? そうですか?」
「兵士たちの傍で役に立てるなんて、嬉しいもの」
それを聞いたアンドレが、落ち着いた口調で諭す。
「ジュディ。兵士たちの前でその言葉を軽々しく口にするのは控えてくださいね。気性の荒い者が多いから、あなたに何をするか保証できませんよ。本当は他を当たれば、もっと真面な仕事があるんですが」
「いいのよ。勝手を知らない場所に一人で放り込まれる方が怖いもの。仕事の内容なんて関係ないわ」
ウキウキと歩き出そうとすれば、アンドレが「ちょっと待て」と、わたしの両肩に手を置いた。
そうすると、ふわりと温かい風が下から舞い上がり、徐々に濡れた髪が乾いていく。
強すぎず弱すぎない、絶妙な魔法のコントロール。そのうえ温風とは珍しい。
だけど、どこか懐かしくて覚えのあるわたしは、「風魔法ね、懐かしい」と、ぽつりと言葉が漏れる。
「懐かしい⁉ 風属性の魔法は火や水魔法に比べて実用性が乏しいから、習得する人物は多くないはずですが」
「なんだろう……。どこかで風魔法の得意な人を見ていた気がする」
「得意⁉ この魔法を極めるのは、相当なもの好きだと思いますよ」
「そう? それならアンドレも、その、もの好きの一人ってことよね」
「ははっ、否定はしません」
「そうだ! さっきの魔力計測器で、アンドレの魔力は一番上まで跳ね上がっていたわよね。それなら、地・水・風・火属性の魔法以外にも、使えるんじゃない。例えば……偽装魔法とか。常人の何倍も魔力があれば、魔力を浪費しても惜しくないもの」
浴室で一瞬だけ髪が赤くなったのを思い出し、変装を使ったのかと疑い、訊ねてみた。
けれど表情を変えない彼がすかさず否定する。
「僕が幻影を見せて、なんの得になるんですか? それにしても偽装魔法なんてものをよく知っていますね」
「う~ん、なんでだろう。魔力もないくせに……誰かに教わった気もするけど、誰から習ったのか、ちっとも覚えていないわ」
「そうですか──……。ここで働く魔力なしの人物が、『知識だけは聖女並みだ』っていう冗談を、いつも言っていますけどね」
「へぇ~、どうしてかしら? 魔力がなければ、魔法だって使えないのに」
「周りの人間が魔法を使えるのが羨ましくて、知識だけ付けたと、笑い話にしていますよ」
「あはは。じゃあわたしもそれかなぁ……」
「おそらく、その人物と気が合うでしょう。あとから紹介するので楽しみにしていてください」
「うん! だけどわたしって、自分に関する記憶も魔力もないくせに、無駄な知識だけあるってことかしら。なんだか残念な人物じゃない⁉」
「言えていますね」
うむと、アンドレが大きく頷いた。
「ちょっと、そこはやんわりと慰めるところでしょう! 間違っているわよ」
「そう怒らなくても……事実でしょう。くくっ」
ぷりぷりするわたしとは裏腹に、くつくつとアンドレが笑う。
笑われているのは釈然としない。だからといって、どうして自分が偽装魔法を知っていたのか──分からない。
何かにつけてまだらな記憶だ。それが気持ち悪くて仕方ない。
以前のわたしが誰かから偽装魔法の存在を聞いたのか、はたまた本を読んだのか……。
この辺りの記憶を探ると、すっぽりと抜け落ちている。
その記憶が、あまりに空虚な感じがする。
──無理に思い出そうと足掻いても無駄な気がしてならない。
偽装魔法は、まあいいかと受け流し。彼の邸宅を出発しようと、エントランスへ向かう。
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