竜忘れの洞窟
「あー! 見えましたよ、センリくん!」
ミコさんが洞窟の入口を指さす。
「あそこの洞窟は商人たちの間で、「竜忘れの洞窟」って呼ばれてます。ちょっと名前負けというか……竜いないし」
「へぇ、そんな名前があるんだ」
初耳だった。センリはあの洞窟について書かれた書物などは一通り読んでいるつもりなのだが、そんな記述はなかったはずである。一通り、といってもやはり注目の低い場所なので調べるのは簡単だった。数も少なく、有益そうな情報はほとんどなかったが。
竜忘れの洞窟——。たしかに低難易度のダンジョンにしては大層な名前である。
「大部屋にあるオブジェは、竜をモチーフにしたものらしいですね」
これは、書物の知識である。遥か昔の竜は人間よりも高い知性を持ち、多くの人々から崇められていたという。
「ええー! じゃあ、そこが由来になってるのかな。竜を信奉する昔の人たちがあそこを作って、忘れられし竜を想った……なんて、ロマンだ……」感慨深そうにミコさんが溜息をつく。
「いいですね。この辺りだと……竜いませんもんね。でも、さらに昔はいたのかもしれない」
「うーん、俄然、わくわくしてきたっ!」
行きましょう! と言って先陣を切るミコさん。そのまま、洞窟へと入って行く。早歩きというほどでもない普通の歩き方なのだが、どんどん距離が離れてゆく。歩幅の差だろう。今までは、僕に合わせてゆっくり歩いてくれていたのだ。センリは慌てて彼女の後を追いかけた。
「く、暗くて先が見えない……お先まっくらだ……」
入って間もないところで、ミコさんが立往生していた。
センリはリュックサックからランタンを取り出して、中のマントルに火をつけた。ぽわっ、と灯りが膨らんでいく。
「いくらモンスターの弱いダンジョンとはいえ、危ないですよ」
「あ、ありがと……あっ、そのランタン、昨日の……」
「今朝買いました」
「昨日センリくん、買い忘れてたよね~」
にやにや、とミコさんが言う。「おっちょこちょいなとこもあるんだあ」
「……まあ、人並には……」
「かわいいなぁー」
なんだか微妙に悔しい。確かに昨日はうっかり忘れて帰宅してしまった。朝起きて、約束した場所がショップの前で良かったと胸を撫でおろしたのも事実である。しかしながら……いや、弁明はもうしない方がいいだろう。自分の中で羞恥心がだんだん積もっていくのを感じる。
「でもミコさんの方がおっちょこちょいだよ……」
「え? なにか言った?」
「何も」
つい口に出てしまったが、聞こえてなくて良かった。もし聞こえていてのこの反応だとすると怖いが。
二人で洞窟をまっすぐに歩いていく。
この洞窟の構造は単純で、まず今歩いている直線の通路を進めば、目的の大部屋に辿り着ける。その途中にはところどころ左右に道がある。その脇道に入れば行き止まりだったり小部屋だったりしてアイテムが落ちていることがあるが、今回は無視だ。
「暗いなー。わたしが初めて来た時は、松明が配置されていてもっと明るかったのに」
「人が来なくなったせいでしょうね。維持は不要だと判断されたんでしょう」
「寂れちゃったねー」
「そういえば、ミコさんは暗くても怯えたり怖がったりしないんですね」
「そうだね。……あっ……しまった……」
「どうしたんですか」
「怖がってるふりをしてか弱い女の子を演出すれば良かった……」
「どうかしたんですか頭」
「ひどい! そこまで言わなくても!」
「ごめん……つい、面白くて……」
「どーいう意味ですかっ」
「そういうことは、黙って実行するものだと思います」
「がーん」
「でも多分、つい口に出てしまうところがミコさんのいいところですから、気にしなくてもいいかと」
「ほんとー?」
そう言いながらミコさんは上機嫌である。この短いやりとりの中で喜怒哀楽をころころと出す表現豊かな人だった。
「それにしても、か弱い女の子って、演出してお得なことがあるんですか」
素朴な疑問である。
「ほら、怖がってる子をみたらさ、『僕が守ってあげなくちゃ』みたいになるでしょ?」
「ああ……まあ、多少はなるかも」
そんなシチュエーションを経験したことがないのでわからなかったが、確かにそういうこともあるかもしれない。
「でしょー。か弱い女の子は可愛いんだよ。古来からそう言われています」
「知らなかった……」
「へへん。可愛い女の子のことなら任せなさい」
「はい、先生」
「……」
「どうしたんですか?」
「こ、興奮で眩暈が」
はあはあ、と肩で息をしている。
「これからわたしが元気ないときは、先生って呼んで……」
「逆に健康に悪そうで心配なんですが……」
この洞窟に出没するモンスターといえばスライムくらいなのだが、それにすら出会うことがなく平和である。もし出会ったとしても、スライムはほぼ無害といっても差し支えないほどに弱いので、問題はないのだが。スライムが身体にまとわりついても、恐らく殺されるまでに寿命がくるだろう。