055・ヒュドラ
第55話になります。
よろしくお願いします。
森の大地には、たまに洞窟がある。
それは珍しいことじゃない。
ないんだけど、
『グルル……』
ミカヅキは、その大地の亀裂を睨んで低く唸っていた。
…………。
この中に、何かあるのかな?
姉さんも、
「ミカヅキが反応してるね? どうしたんだろう?」
と、ポニーテールの金髪を揺らして首を傾けた。
僕は少し考える。
そして、頷いた。
「僕、中に入ってみるよ」
「え?」
姉さんたちは驚いた顔だ。
ミカヅキは、僕ら人間と暮らしているからか、普通のダークウルフよりもずっと賢かった。
そんなミカヅキが、ここまで反応する。
きっと、何か理由があるんだ。
でも、洞窟の入り口は狭いので、中にはミカヅキ抜きで僕1人で入るしかない。
ガサゴソ
僕は、リュックからランタンを取り出す。
それを見て、姉さんは、レイさん、アリアさんを振り返った。
レイさんは頷いた。
「わかった。私たちも行こう」
え?
アリアさんは腰に手を当て、
「仕方ないわね。コイツ1人で行かせて、何かあったら目覚めも悪いし……」
と、ため息をこぼす。
姉さんは「ありがとう、2人とも」と微笑んだ。
いいの?
だって、姉さんたちは昇印試験中なのに……。
姉さんは笑って、
「試験よりアナリスが大事だもの。それに、もしこの洞窟の中に魔物がいたら、それを駆除するのも試験の内でしょ?」
なんて言ってくれた。
姉さん……。
僕は、3人の監督役の熊さんを見た。
熊さんは頷いた。
「試験内容は『ルード村近郊の魔物の駆除』だからな。洞窟の調査も問題ないだろう」
そう許可してくれた。
…………。
姉さんたちの言葉に、なんだか胸が熱くなる。
そうして僕ら5人は、急遽、洞窟の調査も行うことになったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
ミカヅキを入り口に残して、洞窟へと入った。
外と比べて、中の空気は少し冷たい。
手にしたランタンの灯りを頼りにして、真っ暗な洞窟内を進んでいった。
コツ コツ
足音が反響する。
入り口は狭かったけど、内部は広かった。
2~3人、並んで歩ける幅がある。
しばらく進むと、奥からバサバサと羽音がして、大きな蝙蝠が3匹、現れた。
体長1メードほど。
魔物ではなく、野生動物かな?
こちらへと迫ってくるので、
ズパン
弓矢で射貫いた。
ズパン ズパン
更に2射して、3匹の蝙蝠たちは地面に落ちた。
レイさんは、
「本当にいい腕だな」
と笑った。
さりげなく片手剣を用意していたのは、僕が外した時の備えだったのだろう。
僕も笑った。
弟が褒められて、姉さんも嬉しそうだ。
熊さんは渋い顔で、アリアさんはもう驚いてもいなかった。
そのまま、奥へ。
10分ほどすると、広い空間へと出た。
体育館みたいな広さ。
みんなで周囲を見回してしまう。
すると、
「あら、あれは何かしら?」
と、アリアさんの声がした。
彼女の白い指が示す先を見ると、まるで台座みたいな岩の上に『金属の壺』が置かれていた。
何だろう?
近づこうとして、
グッ
その肩を、毛皮に覆われた手に押さえられた。
熊さん?
熊さんは険しい表情だった。
「あれは『魔物集めの香炉』だ。……人にはわからない香りで、魔物を引き寄せる力がある。だが、なんだって、そんな魔道具がここにある?」
そう唸るように言った。
…………。
僕は思い出した。
去年、多発した魔物災害が、実は人為的に起こされた可能性があったことを。
ルード村の魔物災害、この窪地に集まっていた赤角の猪たち……もしかしたら、全てはこの香炉が原因……?
姉さんたちも驚いた顔だ。
もしそうなら、
(この香炉は大事な証拠だ)
そう思った。
回収して、トールバキン伯爵家にでも届けよう。
その時だった。
パキッ
僕の足が、何かを踏んだ。
ランタンを向けると、それは……白い骨だった。
「…………」
よく見たら、香炉の周りには、たくさんの生き物の骨が散乱していた。
「……何これ?」
姉さんも唖然だ。
と、アリアさんの手にした杖の魔法石が明滅して、彼女はハッとした。
「探知魔法に反応! 奥に何かいるわ!」
そう警告した。
僕らは奥に向かって、すぐに武器を構えた。
…………。
最初に感じたのは、生臭さだ。
やがて、ズル……ズル……と重い何かを引き摺るような音が聞こえてきた。
闇の奥から、何かが近づいている。
そして、ランタンの灯りの中に、それは姿を現した。
(……う……わ)
僕は呆けた。
そこにいたのは、体長20メードもある3つ首の大蛇だった。
灯りを反射して、青い鱗が濡れたように輝いている。
熊さんが呻くように、
「……ヒュドラ?」
と、大蛇の魔物の名前を口にした。
姉さんたちは息を飲む。
その巨大な魔物の迫力は、あの夜のミノタウロスに優るとも劣らない。
ガシャッ
熊さんが戦斧を構え、前に出た。
切迫した声で、
「試験は中止だ! 全滅する前に、全員、洞窟の外に逃げろ!」
と叫んだ。
◇◇◇◇◇◇◇
試験官として見守るだけの彼が動いた。
それだけの事態。
ヒュドラという魔物は、それだけ恐ろしい存在なんだ。
「があっ!」
獣のように叫んで、熊さんが走った。
速い。
人間とは比べ物にならない獣人ならではの身体能力で、疾風のようにヒュドラへと襲いかかった。
戦斧が振り下ろされ、
ガィン
火花と共に鱗に弾かれた。
とてつもない速さからの鋭い攻撃だったのに、ヒュドラは全くの無傷だ。
その3つの頭部が素早く動く。
ゴガァン
その噛みつきを熊さんは必死に回避して、代わりに直撃した地面が吹き飛んだ。
巨大な鉄球みたいな威力だ。
グッ
見ている僕の手が引かれる。
「アナリス、逃げよう!」
姉さんだ。
「ロブリスさんが時間を稼いでいる間に、急いで! 外まで出れば、あの狭い出入り口をヒュドラは出てこれないから!」
そう後ろへと引っ張られた。
レイさん、アリアさんも逃げる態勢だ。
僕は言う。
「でも、香炉を回収しないと」
あれは証拠だ。
魔物災害を起こして、多くの人を苦しめた犯人を捕まえられるかもしれない。
裏にいた貴族を追い詰められるかもしれない。
姉さんは辛そうに、
「諦めて」
「…………」
「そのためにアナリスが死んじゃうのは、私、耐えられない……」
ギュッ
僕の身体が抱きしめられた。
姉さん……。
…………。
僕は目を閉じて、心を落ち着けた。
「わかった」
目を開ける。
姉さんを青い瞳で見つめて、
「でも、1回だけ、あのヒュドラに攻撃させて。……それで駄目なら、諦めて逃げるから」
そう訴えた。
姉さんは驚いた顔で、僕を見つめ返した。
目は逸らさない。
姉さんは困ったように微笑んで、「1回だけだよ?」と確認してきた。
僕は頷いた。
話が聞こえていたのか、アリアさんは「ちょ……嘘でしょっ?」と唖然としていた。
レイさんは、
「アナリス君のことだ。何か考えがあるんだね?」
と聞かれた。
うん、もちろんだ。
僕は「はい」と頷いて、すぐに『狩猟弓』の用意を始めた。
ご覧いただき、ありがとうございました。




