040・トールバキン伯爵
第40話になります。
よろしくお願いします。
「あの、アナリス……この人は?」
何も知らない姉さんが、僕に顔を寄せて小声で聞いてきた。
あ、そうか。
姉さんは初対面だっけ。
僕は、前にも話した領都への道中で出会った1人であることを伝えた。
姉さんは、
「トールバキン家の騎士様……?」
と、目を丸くして赤毛の女騎士さんを見つめた。
ライシャさんは「その節は、弟様にお世話になりまして」と頭を下げる。
姉さんは「あ、いえいえ」と慌てて両手を振った。
そういえば、
「ライシャさん、もう身体は大丈夫なんですか?」
思い出した僕は聞いた。
出会った時、火炎蜥蜴にやられて怪我をしてたんだよね。
ライシャさんは微笑んだ。
「はい。あの時、アナリス様に頂いた薬草が効いたようで、医師にも適切な処方がされていたと感心されました。今はもう普通に動けます」
そっか、それはよかった。
僕も笑ってしまった。
もちろん彼女も騎士なので、一般人より体力があったのも要因だろう。
何にしても元気なら何よりだ。
姉さんは、そんな僕らを見つめる。
それから、
「あ、あの、今日はアナリスに何の御用でしょうか?」
と問いかけた。
ライシャさんはハッとする。
頷いて、
「はい。本日は、我が主クリスティーナ様からの言伝を伝えに参りました」
と言った。
…………。
クリスティーナ様の……?
「端的に申し上げれば、アナリス様に会いたい、早く家に来て欲しい、とのことです」
ライシャさんは、そう言った。
僕は目を丸くする。
えっと、
「つまり……催促ですか?」
「はい」
赤毛の騎士様は、苦笑しながら頷いた。
確かに約束していたし、2~3日後には会いに行く予定だったけど……ちょっとびっくりだ。
ライシャさんは、詳しい話をしてくれた。
それによると、実はクリスティーナ様たちは、昨日、領都へと帰還したそうだ。
ご実家に戻られたお嬢様は、すぐに僕の訪問がなかったか確認したけれど、まだだと知って大層がっかりされてしまった。
そして、ライシャさんに催促の言伝を頼んだそうな。
…………。
でも、どうやって僕の所在を?
そう聞くと、
「冒険者ギルドで教えてもらいました」
だって。
僕が『冒険者の姉』に会いに領都に向かっているのは、道中、話していた。
そこで冒険者ギルドで、『アナリスという名前』で『9歳の男の子』で『ダークウルフの従魔』を連れている子を知らないか、確認したというんだ。
そうしたら、聞いた全員が『知っている』と答えたんだって。
…………。
……え、何で?
姉さんは苦笑して、
「だって最近、アナリス、ずっとギルドに通ってたもの。それにたくさん稼いでたし、ミカヅキも凄く目立ってたと思うよ?」
なんて、おっしゃる。
……僕は返す言葉もない……。
結果、僕の姉のことも判明し、その宿泊先も把握できてしまったとのことだ。
…………。
個人情報、駄々洩れだね?
さすが異世界だ……。
放心してしまう僕に、ライシャさんは困ったように笑った。
それから、
「勝手な真似をお許しください。ですが、お嬢様にとってアナリス様は、命の恩人であり、竜を倒した勇者なのです」
と言った。
…………。
そんな大層な人間じゃないのだけれど……でも、あの幼い女の子に憧れてもらえていることはわかった。
少しくすぐったい気持ち。
(はぁ)
僕は息を吐く。
顔をあげて、
「わかりました。それでは明日の午前中にお伺いすると、クリスティーナ様に伝えてください」
と、返事をした。
ライシャさんは嬉しそうに「はい」と頷く。
そうして用事を終えた彼女は、僕らに一礼すると、主人に報告するために宿屋を去っていった。
姉さんとそれを見送る。
すると、姉さんはこちらを見て、
「明日は、私も一緒に行っていい?」
と聞いてきた。
え?
「うん、僕はいいけど」
僕は頷いた。
多分、クリスティーナ様も許してくれると思う。
姉さんは微笑んだ。
僕の頭を軽く撫でて、それから、ふと遠くを見る。
金色の長い前髪の奥にある目を細めて、
「……私はアナリスのお姉さんだから、その女の子がどんな子なのか、この目で見ておきたいの」
そう呟くように言った。
……???
どういう意味?
よくわからないけど、姉さんには不思議な迫力があって、僕は深く聞けなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日、宿屋の前に、トールバキン家から迎えの馬車が来た。
貴族の馬車だ。
道を歩く人たちは『何事か?』とこちらを見ながら通り過ぎていく。
「お待たせしました」
ライシャさんが笑った。
僕と姉さんは、あまりの豪華さにポカンとしてしまう。
そして、ポカンとしている間に馬車に乗せられてしまった。
女将のポーラさんは「生きて帰るんだよ……」と、そんな僕らに手を合わせて見送ってくれた。
え、縁起でもない。
ガラガラ
馬車は通りを移動する。
賑やかな一般区画を抜けて、領都中央の貴族街へとやって来た。
…………。
貴族の作法なんて知らない。
無礼なことをしちゃって、処刑されたりしないよね……?
姉さんも緊張した顔だった。
カタン
やがて、馬車は、貴族街でも1~2を争う大きな屋敷の玄関前で停まった。
(うわぁ……)
メイドさんが並んでいる。
僕と姉さんは、馬車を降りた。
すると、玄関が開いて、
「アナリス様!」
紫色の長い髪をなびかせたお嬢様が僕に飛びついてきた。
わっ?
慌てて受け止める。
9歳なのに、香水の匂いがした。
さすが貴族の子女だ。
僕は「こんにちは、クリスティーナ様」と微笑んだ。
クリスティーナ様は橙色の瞳を細めて、嬉しそうにはにかむ。
それから、唖然としている姉さんに気づいた。
「こちらは?」
「姉です」
僕の答えに、クリスティーナ様はハッとした。
姉さんに向き直ると、
「初めまして、お姉様。わたくし、クリスティーナと申します」
フワッ
幼いながらも綺麗なカーテシーを披露した。
姉さんは反応しない。
ツン
僕は肘で軽く、姉さんのことをつついた。
姉さんはハッとして、
「ご、ご丁寧にどうも、クリスティーナ様。わ、私はアナリスの姉のユーフィリアです」
と、頭を下げ返す。
クリスティーナ様は姉さんをジロジロ見つめて、
「透き通った肌に艶やかな黄金の髪……さすが、アナリス様のお姉様、とてもお美しいですわ」
と、熱い吐息をこぼした。
姉さんは「お、おうつ……っ!?」と息を飲む。
その頬が赤くなる。
それから顔をしかめて、
「うぅ……いい子」
と呟いた。
(???)
昨日の迫力はどこに行ったんだろう?
そんな僕らを、ライシャさんは微笑ましそうに眺めている。
そうこうしている内に、再び玄関が開いた。
そこから出てきたのは、領都への道中で出会った隊長騎士さんともう1人、紫色の髪をした美しい男の人だった。
その佇まいから、気品が漂う。
…………。
この人が、トールバキン伯爵様だ――そう直感した。
僕は頭を下げる。
それを見て、姉さんも慌てて、長い金髪を揺らして頭を下げた。
「楽にしなさい」
柔らかな声。
それに促されて、僕らは顔をあげた。
トールバキン伯爵は、娘と同じ橙色の瞳を細めて、穏やかに微笑んでいた。
「ようこそ、小さな勇者様」
そう僕に語りかける。
威圧的なものは何もなく、とても落ち着いた声だ。
これが貴族様?
もっと怖いものを想像していた僕は、驚いてしまった。
クリスティーナ様は「お父様!」とその腕に抱きついた。
お父様は、優しく笑う。
それから、
「今日はよく来てくれたね。中庭でお茶の用意をしてあるんだ。さぁ、入りなさい」
と、僕らを誘った。
僕は、
「ありがとうございます」
と笑って、お礼を言った。
それにトールバキン伯爵様も微笑んだ。
そうして僕と姉さんは、初めての貴族様とのお茶会に応じることになったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。




