013・雪の捜索
第13話になります。
よろしくお願いします。
『魔爪の白熊』というのは、真っ白な体毛をした熊みたいな魔物なんだ。
体長は7~8メード。
前腕部が発達していて、魔力を宿した長い爪を生やしている。
赤ん坊の時、母さんに抱かれながら、村の狩人がしとめたその死体を見たことがあったけど、あまりの大きさに怪獣かと思った。
その魔物が、村近くの森に出たらしい。
…………。
これ、かなり大事だ。
冬眠に失敗したなら、その魔物はかなりの空腹だ。
村の周囲は、木製の防護柵に覆われている。
でも、魔爪の白熊なら、それを破壊して村人たちを襲ってもおかしくない。
ぶっちゃけ、村の危機だ。
最初は、父さんの知り合いの狩人が、森で食い散らかされた鹿の死骸を見つけたのが始まりだ。
残された歯形、爪痕。
そして、雪に残された巨大な足跡。
そこから冬眠していない『魔爪の白熊』の可能性が浮上したんだって。
父さんたち村の狩人は、総出で森を捜索した。
結果、多くの痕跡が見つかり、1体の『魔爪の白熊』がハイド村周辺の森でうろついているとわかったんだ。
ちなみに、痕跡の1つ。
それは、僕らが『薬草摘み』でよく歩くルート上で発見されたって。
(…………)
聞いた時は、正直、背筋が震えた。
雪で森への立ち入りが禁止されていなかったら、もしかしたら、僕らは今頃……だったのかな?
僕の横で、姉さんも青ざめていた。
「用がない時は、絶対に家から出るな」
父さんは、僕らに厳命した。
僕らは頷くしかない。
村長さんの指示で、父さんたち村の狩人は全員、魔物討伐に当たることになった。
(……大丈夫かな?)
本来なら、町の冒険者に依頼するような事案だ。
でも、今は冬。
積雪でここまで来るのも大変だ。
いつ引き受けてくれる冒険者が現れるか、わからない。
それなら、危険でも村の狩人だけで対処した方がいい、となったのだ。
「気をつけてね、あなた」
「あぁ」
心配そうな母さん。
父さんは短く答えて、家を出ていった。
僕は、その背中を見送るしかない。
そんな僕の手を、
ギュッ
姉さんは強く握ってくれた。
ミカヅキだけは、いつものように暖炉の前で丸くなっていた。
…………。
それからしばらく、僕と姉さんは、不安を和らげるためミカヅキを撫で回す日々を送った。
◇◇◇◇◇◇◇
魔物の報せから、3日目だった。
村の狩人の1人が負傷して、村に運び込まれてきた。
どうやら『魔爪の白熊』が突然、木々の陰から飛び出して、襲われてしまったそうなのだ。
「雪のせいだ」
父さんは、そう呟いた。
森は、木々のせいで視界が悪い。
そんな中、獲物を探すのには、耳と鼻――つまり、音と臭いが重要になる。
でも、雪は音を消してしまう。
頼れるのは、臭いだけ。
だけど、人間と熊ならどちらが優れた嗅覚を持っているか、明白である。
つまり、人間は一方的に狩られる側になってしまうのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
難しい顔の父さんに、僕らは何も言えなかった。
翌日のことだ。
突然、朝早くから、僕らの家に村長さんが訪ねてきた。
村長さんは、50歳ぐらいの男の人。
小柄だけどがっしりした体格で、昔は、村の狩人だったんだって。父さんが新人だった頃の大先輩だそうだ。
顔は厳つくて、正直、ちょっと怖い……。
そんな村長さんは、
「どうか、協力して欲しい」
ミカヅキを見て、そう言った。
(……え?)
ダークウルフは狼系の魔物だ。
当然、その嗅覚は鋭く、人間の比ではないだろう。
つまりミカヅキの鼻を頼りにして、森に潜む『魔爪の白熊』を見つけ出したいというのだ。
…………。
ミカヅキは、まだ子供だ。
そんな危険なこと、させたくない。
でも、そうしないと、魔物に村の人たちが殺されてしまう可能性もあるんだ。
「アナリス」
決断を迫るように、父さんが僕の名を呼んだ。
僕はミカヅキを見る。
「…………」
『…………』
ミカヅキの金色の瞳も、僕を見返していた。
僕は……頷いた。
「わかりました。――でも、僕もミカヅキと一緒に森に入らせてください」
そう答えた。
ミカヅキは、僕の妹分。
僕は、兄貴分だ。
妹分だけを危険に晒して、自分だけ安全な場所にいる訳にはいかない。
父さん、母さんは反対した。
村長さんも難しい顔だ。
(でも、これだけは譲れない)
僕はミカヅキの首にしがみついて、大人たちの説得に耳を塞ぐ。
ミカヅキは、なんだか嬉しそうだ。
尻尾が左右に揺れている。
そして、
「アナリスは、私が守ります。だから、私も一緒に行かせてください」
今度は姉さんが、そんなことを言いだした。
(姉さん?)
驚く僕に、姉さんは優しく笑う。
そして、
ギュウッ
僕とミカヅキを抱きしめる。
そんな僕ら姉弟とミカヅキの姿に、やがて大人たちはため息をこぼした。
「わかった」
父さんは頷いた。
「ただし、森の中では俺の指示に絶対に従うんだ。いいな?」
「うん」
「はい」
僕と姉さんは頷いた。
ミカヅキはわかっているのか、いないのか、そんな僕と姉さんの頬を、ペロンペロンとその舌で舐めたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
毛皮でできた防寒用の外套をまとって、僕らは森に入った。
森の中は真っ白だ。
他の季節とは、景色がまるで違って見える。
ザッ ザッ
父さんたち狩人は、5人。
僕と姉さんは、ミカヅキを先頭にして前を歩き、その7人と1匹で列を作って歩いていた。
(……雪が深いや)
小さな僕は歩くたび、膝上まで埋まってしまう。
すると、
「…………」
さりげなく姉さんが前に出て、先に雪を踏んで歩き易くしてくれた。
姉さん……優しい。
それからも、雪の森を歩く。
いつもに比べて、静かだ。
音が雪に吸収されて、自分たちの歩く足音しかしない。
…………。
吐く息が白い。
前を歩く姉さんの手には、いつもの槍が握られていた。
僕も山刀と弓、矢を3本、持って来ている。
……使う機会がないといいけど。
そんなことを思っていた時だ。
ヒュオッ
冷たい風が吹いた。
細かい雪が舞い上がり、白く流れていく。
ピクッ
同時に、ミカヅキが反応した。
顔を持ち上げ、ヒクヒクと鼻を動かしている。
僕と姉さんは気づいた。
「父さん」
後ろの父さんたちに呼びかける。
父さんたちは、無言で頷いた。
いつでも弓を射れるように、用意し始める。
ギュッ
姉さんも槍を強く握った。
僕は、ミカヅキの灰色の背中に触れる。
ミカヅキは、しばらく鼻を鳴らして、
『ウォン!』
右手の木々の茂みを睨みながら、強く吠えた。
(そっちだね?)
僕の青い瞳も、そちらを向く。
…………。
…………。
…………。
30秒ほどしただろうか?
そちらから、かすかに木々の枝が折れるような音がした。
かすか、だ。
だから、遠く感じる。
でも、それは雪に音を吸収されていたからで、次の瞬間、目の前の木の1本がメキメキと音を立ててへし折られた。
「!」
僕は息を飲む。
5人の狩人は弓を、姉さんは槍を構えた。
その眼前で、
『グルルル……ッ』
白い毛皮の巨大な怪物が、強烈な威圧感と共にそびえ立っていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。