プロポーズ
ドレシア帝国の魔塔を攻略して2日目の午後、ハンスは恋人のニーナと連れ立って、ルベントの中央通りを歩いていた。
屋台も出て、すっかりお祭り騒ぎた。国内で唯一の魔塔が崩壊し、現在、国土には何の不安もなくなった、と誰もが思っている。故に平和で幸せな明日からの生活を思い、お祭り騒ぎをしたくもなるのだ。
「ハンス、大丈夫?」
栗色の髪をした小柄な恋人が心配そうに尋ねる。
ハンスがどうしても表情を曇らせてしまうからだ。
「まだシェルダン隊長さんが心配?」
見事に言い当てられてしまった。世間には多分、ニーナよりも見た目が可愛らしい女性も多いだろう。ただ、ここまで相手を思いやれる人間性の女の子は、もっと遥かに少ない、とハンスは思っていた。
「同僚のペイドランってやつのこともな。魔塔から放り出されてからこっち。町でも見かけないんだよ」
ハンスはこぼした。隊長のシェルダンに、腕利きのペイドランが抜けてしまい、大変は大変だったのだが。
いざ自分が無事に生還してしまうと、特命とやらで姿が見えなくなってしまった2人のことが心配になってくるのであった。
「特命ねぇ、無事だと良いけど」
本当に心配してくれている優しい恋人の肩をハンスはそっと抱き寄せる。
「私はとりあえずハンスが無事に帰ってきてくれて、嬉しいよ。今はまだそれ以上のこと、考えらんないの」
嬉しいことを、背伸びして耳元で囁くニーナ。
「それに、シェルダン隊長さんなら、ものすごくしぶとそうだし。きっと大丈夫って、信じようね」
まるで年上かのように言い聞かせてくるニーナにハンスは苦笑した。
(俺を心配してくれたニーナに言う事じゃなかったな)
ハンスはは反省する。
そして、たとえシェルダンがどうなったのだとしても、ニーナの前では明るく振る舞い続けようとハンスは決意した。
結局、シェルダンもペイドランもそれぞれ別々ではあるが、無事に生還していたのだと、数日後には判明したのだが。
ペイドランとは、人事異動で残念ながら別れることとなった。
ただ、ハンスにとってもっと堪えたのは、カディスの方である。自分を軍に誘い、副官となって面倒も見てくれた男もまた人事異動で皇都グルーン勤務となった。
ロウエンと3人で急遽、送別会を開く。場所は新兵時代から何度も飲んだり食べたりした店、トサンヌである。
「寂しくなるなぁ」
ハンスは麦酒の入ったコップを手にぼやく。
「あぁ、でも、皇都に遊びに来ることがあれば、絶対に寄ってくれ。ハンスはニーナさんも連れて、だ」
カディスが笑って言う。
「そうだな、新婚旅行は皇都見学にする」
ハンスは本気でそう言った。
「それじゃ、いつになるか分からないじゃないか」
酔っているのか珍しく失礼なことを口走るカディス。
カディスなりにしっかりニーナとのけじめをつけろ、とでも言いたいのかもしれない、と酔った頭でハンスは思う。
「俺も、行きますよ」
ロウエンも勢い込んで頷く。
今生の別れにはならないし、させるつもりもない。
「しかし、カディス、カティアさんと隊長のこと、うまくやったよな」
酒もだいぶ回って、ついハンスはこほしてしまう。
「上手くなんかやってない。とんでもなく苦労したんだ。あの、姉に隊長たぞ?」
ムッとした顔でカディスもムキになっている。
「そんなわけあるか。カティアさんはえらい美人だし、少し背中押せば隊長なんか初心だしイチコロだろ」
ハンスもハンスで自分の見解を曲げる気にはなれなかった。
「だから、隊長は逃げ回るし。姉は横暴だし。あのときの苦労は思い出したくないな」
心底嫌そうにカディスが告げる。
確かに姉のためとはいえ、シェルダンにつき纏うのは度胸がいるだろう。ハンスなどがやれば、すぐにでも蹴り飛ばされている。
「まぁ、私の姉と未来の義兄を宜しく頼む」
冗談めかしてカディスがさらに言う。
「まったく。そのせいで、俺の恋人の雇い主は失恋で自棄酒したんだからな」
ハンスは浮ついている親友に一言、嫌味を返してやった。
「ああいう人がいるから、俺は必死だったんだよ」
逆に混ぜっ返されてしまう。
コレット・ナイアンのことである。
「まったく、恋敵だらけで、なぜか俺も休みを返上したり、仕事に支障をきたしたり」
ぶつぶつと恨み言を並べ立て始めたカディス。
心地よく酔いながら、ぼんやりとハンスは考えていた。
ずっと一緒に軍人として勤めてきたカディスとも別れることとなる。いずれ、ロウエンとも似たようなことになるだろうか。
(他人なんだからいつかは別れる。当たり前だったわけだけど)
自分もカディスもロウエンも生き延びてきたから、いつしか鈍っていた感覚だ。
カディスと離れても今度はニーナと結婚する。
(ニーナは当たり前だけど、カディスの代わりなんかじゃない。でも、誰かと別れてまた誰かと出会うってことだ)
ハンスは一人納得しつつ、翌日、ロウエンとともにカディスを見送った。
傲慢野郎のメイスンに、ヘタレのガードナーといった新隊員二人を迎え、第7分隊は国境での軍務につく。
徐々に死ぬのが怖くなってきた自分にハンスは気づき始めていた。
仲間と別れた、死に別れることはしたくない、と思ってしまったのだ。
ルベントの宝石店でニーナに渡す銀の指輪を購入すると、頂点に達する。
(これ、ニーナに渡すまで。いや、渡したあとも死にたくねぇな)
実家を出てから自由気ままに生きてきたと思う。身一つだから失うものも知れている、と。だから前に出られたのだ。
「情けねぇな」
勇敢なハンス、と言われた。いつもロウエンよりも前に出て、剣を振るうときには一歩も下がらないと決めていたからだ。
ルベントの街をハンスはぶらつく。居並ぶ露天商や商店街を歩いていると気持ちが落ち着いてくるのだ。商家の血筋のせいだろうか。
(隊長はどうなんだろ。あの人は先祖代々、軍人だって言ってたけど)
思い立ってハンスはシェルダンに相談してみた。
ケツを蹴り飛ばされるかと内心ヒヤヒヤしていたのだが。思いの外、気持ちを楽にしてくれた。
自分やシェルダンに限らず皆、生きることに必死なのだ。死を恐れることはおかしくない。
(で、隊長もカティアさんにプロポーズっすか。上手くいくといいけど)
いかにも曲者のシェルダンがどうプロポーズするのかを想像して、ついハンスは笑みをこぼしてしまう。
シェルダンに相談した翌日、ハンスはニーナとのデートに臨む。美味い肉屋で肉を食い、夜半に神聖教会の前にニーナを誘った。
月のきれいな夜だ。小川から水の流れる音がする。
「ニーナ、俺と結婚してくれ。俺はただの軽装歩兵だけど。絶対に死なない。ちゃんと帰ってきて、幸せにするから」
ハンスは跪いてニーナにケース入りの指輪を差し出した。
返事がない。
不安になって見上げるとニーナが無言でコクコクと頷いていた。間違いなく首は縦に動いている。
「うん」
ようやくニーナが二文字を口から絞り出した。
腹の底から喜びがこみ上げてくる。
自分は特別強い兵士ではない。それでも自分の人生をしっかりと歩いてきた。出会った相手と幸せになりたいのだ。
ハンスは実家を飛び出してから想像もしなかった出会いに感謝しつつ、立ち上がってニーナを抱きしめるのであった。
100話目ぐらいまでの、第7分隊員ハンスの総集編のようなお話でした。いざ始めると手こずってしまい、すいません。
200話までに書ければいいかな、と思いつつ、ほんとに200話見えてきてしまった、まずいと思いつつ。
番外編は書くの本当に難しいのですね。さらりと書ける諸先輩方は大尊敬であります。
どこまで書くのか、書かないのか。説明の過不足は、と難儀して悩みました。至らぬ点、粗い点あるかと思いますが。趣味で楽しく、書かせていただいている、その一環でもありますので、ご容赦頂けると幸いです。