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ルール  作者: 丹㑚仁戻
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5/28

〈五〉六人目

「あれ? 菜月休み?」


 翌朝、教室で自分を出迎えた佳織とたまに、亜美の口からはあいさつより先に疑問が飛び出していた。

 何故なら菜月は五人の中では必ずと言っていいほど一番早く登校するため、この時点で彼女の姿が見当たらないということは学校を休んでいる可能性が高いのだ。


(昨日はあんなに元気だったのに……)


 帰り際の菜月の様子を思い返しながら亜美は首を傾げた。特に体調が悪そうということもなかったはずだ。


(もしかしたら菜月の使ってる路線遅延してる……? でも今日晴れだしな……)


 菜月は基本的に自転車で通学している。放課後の予定や天候次第では電車を使うこともあるが、昨日一緒に駅へと歩いている時に今日も電車を使うという話はしていなかった。天気にしたって、雲一つない青空が広がっているのだから彼女に自転車通学を躊躇わせる原因とはならないだろう。


「そうなんだよねぇ。メッセ送っても返事ないし」


 普段から一番菜月と連絡を取り合っているたまも事情を把握していないのか、不思議そうに言葉を返した。


「体調崩して病院行ってるのかな?」

「案外寝坊とかじゃない? 私も昨日興奮が収まらなくてなかなか寝付けなかったもん」

「佳織と一緒にしちゃだめだよ」


 たまも佳織も菜月が休みかどうかは知らないようだと分かると、亜美は自分の席へと向かった。いつもであればこの会話にいるはずの紗季が、何故か一人で自分の席にいたからだ。


「紗季、おはよう」


 亜美の座席は紗季の後ろ。教室の前方を通って自席に向かっても目が合わなかったため声をかけてみたが、紗季の方から返事は聞こえない。机の横に荷物をかける間も返事を待ってみたが、結局紗季が言葉を返すことはなく、亜美は改めて彼女を覗き込むようにしながら「おはよう」と挨拶を繰り返した。


「紗季、体調悪い?」


 その声に紗季は緩慢な動きで亜美の方へと顔を向けると、何事もなかったかのように僅かに笑みを浮かべた。


「おはよう。なんでもないよ」


 紗季の返事に、亜美は「本当?」と眉根を寄せた。自分を見て挨拶を返してはくれたが、目が合わなかったのだ。紗季の態度にしては珍しく、彼女の「なんでもない」という言葉を簡単には信じることができない。

 だがそんな亜美の問いに、紗季は何も返さなかった。聞こえなかったのか、意識的にそうしているのか――後者の可能性に不安を感じた亜美は、何か考え事をしているのかもしれない、と言い聞かせながら自分の席に戻った。


「――紗季」

「なあに?」

「……なんでもない」


 念の為もう一度話しかけてみれば、紗季に先程のような違和感はなかった。考え事をしていただけだろう――そう思うものの、それを聞いていいか分からなかった亜美は何も言えなくなって、はぐらかすことしかできなかった。



 § § §



「――菜月、普通に寝坊だって」


 昼休みに入ると、たまが呆れたように笑いながら菜月の状況を報告した。


「ほら、言ったじゃん」


 佳織が得意げに笑顔を浮かべる。


「えー、菜月そこまで怪談バカじゃないよぉ」

「言ったな、たま!? そんな子はこうしてやる!」

「あー! 私の卵焼き!」


 昼食の弁当をこのメンバーで食べるのはいつものことだった。普段であればここに菜月もいるはずだったが、今日は寝坊のため四人での食事だ。ただの寝坊だということが分かったからか、誰も菜月を心配した様子はない。


「でも菜月ズルだよね」


 たまから奪った卵焼きを頬張りながら、不意に佳織がぼやいた。亜美が「寝坊でしょ?」と聞き返せば、佳織は「違う違う」と言いながら口の中身を飲み込む。


「昨日のかくれんぼだよ。確かに『もういいかい?』って聞きながら居場所探せるルールもあるけどさ、昨日はそのやりとりメッセでやるって言ってたじゃん。最初のはいいとして、その後も口で言ってさぁ。危うく私は答えちゃうところだったよ」

「あ、やっぱそういうルールあったんだ」


 佳織の話を聞きながら、亜美は昨日の菜月の行動を思い返した。自分も聞かれたのは、恐らく何度も聞くことで居場所を探すためだったのだろう。


(でもそれを禁止にするって話はしなかったから、ズルは言い過ぎだと思うけど)


 亜美が佳織の発言について考えていると、たまも気付いたように声を上げた。


「あ、佳織にも言ったんだ? 私にも言ってきたよぉ。答えなかったけど、菜月ぼけちゃったのかと思ってた」

「……ん?」


 たまの言葉に、亜美の中で何かが引っかかる。なんだろう、と記憶を辿れば、菜月はよくこんなにもスムーズに隠れている人間を見つけるものだ、と感心したことを思い出した。そう思ったきっかけは、菜月が目についた場所に音も立てず近付くのを見たからだ。多少床板の軋む音はしたが、その時に菜月は何も――


「……待って、菜月たまには言ってないよ?」

「え?」

「佳織はトイレの中だったから分からないけど、たまの場合は菜月ずっと目の前にいたもん」

「嫌だ、佳織じゃないんだから怖いこと言わないでよぉ」


 冗談っぽく言いながら、たまは佳織の反論を待つように彼女の方へと顔を向けた。だが佳織は表情を強張らせるばかりで何かを言う様子はない。それどころかたまの発言を聞いていたかさえ亜美には分からなかった。


「佳織?」

「……足音より先だったかも」

「え?」

「『もういいかい?』って聞かれたの、菜月の足音より先だったかも。すごく近くから聞こえたのに……!」


 佳織が語気を強めると、その場がしんと静まり返った。怖くなった亜美は咄嗟に紗季に視線を向け、「そ、そんなの有り得ないよね……?」と同意を求める。


「わたしは聞かれてないから何とも……」


 困ったように言う紗季に、亜美はやはり違和感があった。何故ならこういう時の紗季は誰よりも冷静なことを言って、みんなを落ち着かせてくれるはずなのだ。


(ああ、でも……)


 それは私の勝手な願望かもしれない――ふと、亜美の頭の中にそんな考えが浮かんだ。確かに紗季は冷静だが、彼女だって驚くこともあれば分からないことだってある。特に今日の紗季は少し元気がないため、そういった気遣いをする余力がなくてもおかしくはないだろう。

 いつも彼女に心配してもらっているのに、自分は全く彼女のことを考えられていなかったのだと気付いた亜美は、「そっか、ごめんね」と小さく謝りながら佳織たちの方へと向き直った。


「建物が古いから、変に反響したとか……?」

「でも亜美は菜月が言ったの聞いてないんでしょ?」

「そうだけど、聞こえなかっただけかもしれないし……」

「そういう亜美は、声かけられてないの?」


 佳織と話していると、たまが亜美に尋ねた。


「私も聞かれたけど、別に変なところは……」


 変なところはなかった――そう言おうとした亜美の口を、何かが止める。


「佳織も言ってたけど、考えてみたら私の時も足音より先だった気がする」


 亜美が黙っている間に、たまが小さく呟いた。


(そんなの、怖いから自分もそんな気がするようになってるだけじゃ……)


 そう思ったのに、亜美の記憶がそれを否定していた。

 亜美自身、昨日隠れている時に聞いた足音はまだ遠いと思っていたのだ。その足音の遠さから菜月は廊下にいると思っていて、そのまま教室に入ってくるかどうかを探っている時に聞かれたのだ、「もういいかい?」と。


 あれは確かに菜月の声だったはずだ――考えて、「本当にそうだった?」と頭の中で誰かが囁く。

 記憶を辿っても、あの声に対する印象が思い出せない。菜月だと思ったということは少女の声であることは確実だろう。だが、それだけだ。今考えれば他の友人たちと菜月の声の違いは簡単に分かるのに、あの声だけはその違いというのが思い出せなかった。


(驚いたせいで忘れてるだけだよね……?)


 あの時の自分は場所の怖さもあって普段どおりとは言えなかった。だからよく覚えていないだけ――そう言い聞かせようとしたが、一度抱いた疑問は亜美の胸を蝕んでいく。

 あれは本当に菜月の声だったのか。菜月より先に誰かが自分に聞いてきたのではないか。

 それに――亜美の脳裏に隠れていた時の光景が蘇り、全身をぞっと怖気が襲った。


「……何も映ってなかった」

「映る?」

「窓に何も映ってなかった……! 隠れてるところが反射して菜月に見つかったのに……私の位置から見れば映るはずの場所だったのに、声かけられた時に何も動いたように見えなかった!」


 半ば叫ぶようになった亜美の声は震えていた。何も映っていなかったように見えたのは自分の気の所為かもしれない。窓に反射した何かが動くはずだと思ったが、そもそも窓自体が視界に全く入ってすらいなかった可能性もある――冷静に考えればいくらでも否定できたが、今の亜美にはそうすることができなかった。

 否定できるほど、自分の記憶が信じられないのだ。窓に意識を向けていたわけではないから、自分があの時本当に窓を見ていなかったかのかさえ確実なことが言えない。

 だがこれを事実だと受け入れてしまえば、何か恐ろしいことが起きていたのだと断言することになってしまうのは嫌でも分かった。そう思って「でも……全部気の所為かも……」と無理矢理否定するように呟けば、それを聞いたたまが意を決したように口を開いた。


「菜月に聞こう。私たちに聞こえなかっただけで、本当は何回も呼んでたのかもしれないし」


 強い口調とは裏腹に、たまの瞳も不安に揺れていた。当然だ、もしこれで自分は何も言っていないと菜月に否定されてしまえば、自分たちを呼んだのは菜月ではない誰か――いるはずのない六人目ということになってしまうのだから。


「大丈夫だよ、きっと菜月だよ」


 言い聞かせるような佳織の声を最後に、残りの昼休みはずっと、亜美たちの間に会話はなかった。

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