〈四〉五人のかくれんぼ
じゃんけんは自分が弱いから嫌だというたまの提案で、スマートフォンのルーレットアプリを使って鬼を決めることになった。
「――じゃあ止めるよぉ」
ルーレットを回し始めて十分な時間が経ってから、たまがストップボタンを押した。しかしその瞬間には止まらず、ルーレットは速度を落としながら勿体振るように何回か止まりかける。たま、菜月、佳織、紗季、そして亜美――スマートフォンの画面を見守りながら、自分と佳織の名前が表示されるたびに亜美の心臓はどきりと跳ねた。この二つの名前には当たって欲しくないのだ。
僅かに緊張しながらそのまま待っていると、やがて当たりを示す装飾と共にルーレットが止まった。表示されていた名前は、菜月。
(菜月でよかった……)
ふう、と亜美は胸を撫で下ろした。自分が鬼になるのは怖いし、佳織の場合は見つけた時にわざわざ驚かせようとしてくるのは確実なのだ。菜月もやりかねないと思ったが、彼女の場合は少し抜けているため、かくれんぼに集中した結果脅かし忘れる可能性が大きく佳織ほどの心配はいらない。
亜美があれこれと考えていると、紗季が佳織に話しかける声が聞こえてきた。
「ねえ佳織、最後のあれだけ話しておいた方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だって! どうせ作り話なんだから」
「でも……」
(何の話……?)
心配そうな紗季の様子に、亜美までも不安を抱く。紗季が食い下がるだなんてよっぽどだと思いながら二人を見守っていると、佳織が「気にし過ぎだよ」と笑った。
「普通に考えたら絶対に有り得ないんだし、大事な要素なんだから言わないでおいて」
その言葉に、亜美の脳裏には先程紗季たちが話していた怪談の続きのことが浮かんだ。紗季が知っていて、佳織が彼女に話さないでと言うのはそれくらいしかない。
確かにただの怪談なら平気なのかもしれないが、佳織本人が〝大事な要素〟と言っているのが気にかかった。大事な理由が怪談話の質に関わるのならまだ分からなくもないが、それ以外の――紗季が心配するような内容だというのがどうにも気になってしまう。
「大体、紗季だって信じてるわけじゃないでしょ? じゃなきゃかくれんぼ自体やらないだろうし」
「そうだけど……」
「大丈夫だよ。それよりも今は普通にこの建物の安全性の方を気にした方がいいと思うけどな」
そう言いながら、佳織は周囲を確認していた菜月に視線を移した。
「どうですか、安全確保担当。ルールの変更は必要そうですか?」
「いえ、さっき決めたもので問題ないと思います! やりながら新しく気付いたところがあったら相談しましょう」
演技がかった口調で菜月が言うと、佳織は「りょーかい!」と額に手を当てた。危険の多い廃墟でのかくれんぼということで、安全のためいくつかルールが設定されているのだ。
改めてそれらを確認すると、菜月の「じゃあ、スタート!」という掛け声で散り散りになった。
「亜美、頑張ってね」
「心細い……」
励ましてくれた紗季を見送り、亜美は一人になった。限られた空間でのかくれんぼのため、複数人で行動すると見つかりやすくなってしまうからだ。
特別なルールが設定された今回のかくれんぼだが、一番影響が出ているのは行動範囲だろう。
まず、隠れられるのは一階のみ。さらに先程五人で歩いてきた廊下の一番奥をスタート地点として、昇降口までの廊下とそれに面する教室やトイレ等の空間に限定されている。
また、扉のある場所に入った場合はその扉を閉めてはいけない。これは閉じ込められるのを防ぐためだが、隠れている場所が一目瞭然となってしまうため関係のない扉を開けるのは問題ないということになった。
そして、通り道の床が朽ちている場合はその先には進まないこと。
これらのルールを守ろうとすると、隠れられる場所はかなり限られる。
(まあ佳織とかはそれでも新たな場所を開拓するだろうけど、私は怖いから無理だしな……)
亜美は物音を立てないようにスタート位置から一番近い教室に入って、乱雑に置かれた机の影に身を隠した。教室の入り口からは亜美の姿は見えないだろうが、ひと目見ただけでここに誰か隠れていそうだと思えるような、意外性も何もない場所だ。
そんなところに隠れるだなんてやる気はあるのかと文句を言われそうなのは分かったが、亜美は気付かなかったことにした。この旧校舎に一人でいるのが怖いからかくれんぼをすることにしたのだ。一応かくれんぼには真剣に取り組むが、鬼である菜月には極力早めに見つけてほしい。
(そろそろかな)
亜美はそっとスマートフォンの時計を確認した。鬼が待つのは五分、子供の頃に比べたら少し長い気もするが、安全を確認しながら隠れなければならないということでこの時間が設定されたのだ。
(まあ、ライトつけなきゃ見えづらいくらいだし……)
自分の今いる教室は他よりも陽の光が差し込むためそこまででもないが、場所によってはもっと見えないところもあるだろう――亜美はつけっぱなしになっていたスマートフォンのライトを消すと、もうじき来る鬼の待機時間終了に備えた。
「――もーういーいかーい?」
それから間もなくして五分経つと、菜月の変に抑揚のついた声が響き渡った。亜美はメッセージアプリを開いて、五人でいつも使っているグループチャットに《もういいよ》と書き込んだ。すると時を同じくして、他の三人からも《もういいよ》というメッセージが来る。これも今回の特別ルールで、すぐに見つけてしまったらつまらないからと、このやりとりはアプリ上でやることになっているのだ。
亜美は自分のメッセージに四件の既読が付いたことを確認すると、スマートフォンの画面を身体に押し当ててふうと息を潜めた。割れた窓からはほんの少しだけ外の音が聞こえてきて、ここが全くの異界ではないと安心できる。だが一方で屋内の菜月の足音にはドキドキとさせられて、亜美は自分が早く見つけて欲しいと思う反面、どこかでかくれんぼには負けたくないと思っていることに気が付いた。
(でももう遅いしなぁ……)
こんな場所に隠れてしまった時点ですぐに見つかるのは確実なのだ。可能性があるとすれば菜月が何かに気を取られてこの場所を無視してしまうことくらいだが、そんなに都合の良いことは起こらないだろう。
ギシ、ギシ、と廊下から菜月の足音が聞こえてくる。もう少し歩いたらこの教室の入り口だろうか。こんなに近い場所に隠れるはずがないと思うのか、亜美だったら怖がって遠くに行けないと思うのか――どちらも菜月なら有り得そうで、亜美は彼女の足音に聞き耳を立てた。
「もういいかい?」
不意にすぐ後ろから聞こえてきた声に、亜美の肩がびくりと揺れた。咄嗟に「もういいよ」と答えようとして、今回は声に出さないルールだったと思い出し口を噤む。
(かくれんぼって何回も聞いていいんだっけ……?)
子供の頃のおぼろげな記憶を辿っても、何回も聞くのが正解なのか、それとも最初の一回しか聞いては駄目なのか亜美には思い出せなかった。
それに菜月とは小学校が違うため、自分の知るルールと違うということもあるかもしれない。それか何回も聞くのは駄目だと分かった上で、彼女は自分を引っ掛けようとしているのかもしれない。
(ちゃんと確認しとけばよかったな)
「もういいかい?」と聞かれたら、「もういいよ」もしくは「まぁだだよ」と答える――あまりにも当たり前すぎて誰も疑問に思わなかったのか、回数に関しては先程のルール確認時に話題にもならなかった。
それでも亜美は唇をきゅっと結び、物音を立てないよう動きを止めた。菜月が近くにいても、自分を見つけられなければセーフなのだ。
ギシ、ギシ、という足音はだんだんと近付いてきて、それにつられて亜美の鼓動も速くなる。菜月が机の裏を覗き込んだ瞬間が、自分の負けを確定させるのだ。
「――亜美、見ーっけ!」
視界の端で何かが動いたと思ったと同時に、菜月の明るい声が頭上から響いた。見上げればにこにこと笑った菜月が机越しに自分を覗き込んでいて、亜美は「あちゃー」と言いながら机の影から這い出した。
「これ隠れる気あった?」
「一応ありましたー」
「だったら反射気にしなよ」
そう言って菜月が示した先は、汚れの目立つ割れた窓ガラス――ではなく、そこに映る二人の姿。
亜美が立ち上がって菜月と同じ目線になると、自分が隠れていたところは反射によって丸見えだった。先程何か動いた気がしたのは、ガラスに映った菜月だったのだろう。昼間だからとあまり反射のことを意識していなかった亜美は、自分のミスに気付いて再び「あちゃー」と声を漏らした。いくら早く見つけて欲しかったのだとしても、これは流石にお粗末すぎる。
「で、亜美どうする? スタート位置で待つ?」
「え、嫌だ」
「じゃあ一緒に行こうか。あ、手繋がないと歩けないんだっけ?」
「歩けるよ!」
少し前の醜態を蒸し返されて、反論した亜美の声は存外大きく校舎に響き渡った。菜月がにししと意地悪く笑いながら「これでみんなに亜美が見つかったのバレたね」と言うと、亜美はいたたまれなさを感じて顔を歪める。
「ごめんごめん。早く行こ?」
「……脅かさないでよ?」
「佳織じゃないんだから」
からかわれたものの、一人ではなくなったことに安心したのは事実だ。
静かに近付いた方が味があるという菜月の言葉により、亜美たちは無駄話を控えながら残る三人を探しに行った。
§ § §
「――佳織、見ーっけ」
「嘘だぁ!」
オーバー気味に頭を抱え、佳織が天を仰ぐ。彼女がいたのは女子トイレの個室。汚い上にたびたび怪談の舞台となるそこには確かに誰も隠れたくならないだろうなと思いながら、亜美は先程見つかったたまと一緒に廊下からトイレを覗いていた。
「佳織ってさぁ、よくこんなばっちぃとこに隠れられるよねぇ」
のんびりとした口調でたまが言う。そんな彼女は教室の扉の影という、なるべく汚くないところに隠れていたため簡単に見つかったのだ。
亜美は隣のたまに相槌を打ちながら、グループチャットに《佳織確保》と書き込んだ。最初に見つかった時に菜月から頼まれた共有係の仕事だ。亜美のスマートフォンの画面を覗き込んでいたたまは、「しかも個室とかおばけ出そうなのにねぇ」と会話を続けた。
「奥から二番目だよ、あそこ。花子さんの個室」
「絶対わざと選んでるよね」
(扉を閉めないっていうルールがあるにしても、よくもまあ曰く付きの場所に平気で隠れられるな)
亜美は佳織に感心すら抱いたが、そんな場所を探そうと思った菜月も菜月だ、と思い出した。彼女は自分たちの性格をよく読んでいて、たまの時にしろ佳織の時しろ、隠れていそうな場所を見つけたら僅かな床板の軋む音以外の音を立てずにほぼ無音で近付いていって、そのまま見つけてしまうのだ。その的中率が高いものだから、亜美としては最初から隠れている場所を知っているのではないかと有り得ない疑いを持ってしまうくらいだった。
「佳織のことだから、誰も隠れたがらない場所に隠れると思ったんだ!」
懐中電灯で自分を照らしながら得意げに菜月が胸を張ると、佳織がぐぬぬと奥歯を噛み締める。悔しそうな表情のまま「Gだって追っ払ったのに……」とぼそりと呟くと、それを聞いたたまが「嫌ぁ!」と叫びながら亜美の影に隠れた。
「大丈夫だよ、もうとっくにどっか行ったから」
「どっかってどこ!? そのへんにいるかもしれないでしょ!?」
「ま、一匹いたら三十――」
「それ以上言わないで!」
珍しく早口で言うたまに、佳織は見つかった悔しさが紛らわされたのか嬉しそうに笑う。
「あとは紗季だけ?」
スマートフォンをいじりながら菜月と一緒に廊下に出てきた佳織は、たまと亜美の顔を見た後に確認するように菜月に問いかけた。
「そうだよ。予想通り手強い相手が残ってしまった……」
菜月はむむ、と眉間に手を当てて、ドラマの探偵のような仕草をする。
「うーん、だめだ。どこに隠れそうか全く思いつかない」
「やっぱり安全そうな――」
「待って、佳織! 鬼は私なんだから、ちゃんと一人で考える!」
佳織を手で制し、菜月は考えるように眉根を寄せる。だがやはり思いつかないのか、「一旦手当り次第行くか」と言って、紗季探しを始めた。
§ § §
陽が傾いてくると、旧校舎の中はどんどん暗くなっていった。これまでに何度か菜月は物陰を探しに行ったものの、紗季を見つけることはできなかった。「空耳かぁ……」と落胆しながら帰ってくることもあったことから、本人はかなり本気で探しているようだ。
紗季を見つけられない上に、一気に暗くなっていく旧校舎。亜美が不安を感じ始めたと同時に、菜月のスマートフォンがピピピと大きな音を鳴らした。時間切れの合図だ。
「結局見つけられなかったかぁ」
がくりと項垂れて、菜月はグループチャットに《降参!》と書き込んだ。続けて亜美が《勝者、紗季!》と書き込む。じろりと睨んできた菜月の視線に気付くと、亜美はそっぽを向いて肩を竦めた。
「じゃ、昇降口戻ろうか」
菜月の提案に、誰ともなく「そうだね」と了承を示す。誰も異を唱えなかったのは、これも事前に決めたルールだからだ。制限時間が来たら昇降口に集合する――当然紗季も知っているルールだが、それでも亜美たちは口々に「紗季ー!」と呼びながら昇降口へと向かった。
「――あれ? まだいない?」
亜美たちが昇降口に着いても、紗季の姿はなかった。この中の誰よりもルールを守るタイプなのにどういうことだろう、と四人で首を傾げながら待っていると、数分して廊下の暗がりから紗季が姿を現した。
「おっそいよ、紗季。どこにいたの?」
佳織が少し不満げに紗季に尋ねる。けれど紗季は「内緒」と笑うだけで、どこに隠れていたのかは言わなかった。
「ずるいんだー! そうやって次もそこに隠れるつもりなんだ!」
佳織が大袈裟に泣き真似をすると、「そりゃそうでしょ」と菜月が笑う。
(いや、次とかないんだけど……)
当たり前のように次回のかくれんぼへと思いを馳せる二人を見ながら、亜美はもう誘われてもここには来ないと決意した。