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ルール  作者: 丹㑚仁戻
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〈二〉事件のこと

 翌日、六限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、亜美は自分の身体が固まるのを感じた。


(やばいやばいやばい、もう今日が終わっちゃう……!)


 冷房の効いた教室にいるにも拘わらず、亜美の手のひらにはじっとりと汗が滲む。彼女に緊張をもたらしているのは今日の放課後の予定だった。


 怪談好きの中には、その怪談に出てくる場所を見てみたいと思う者がいる。佳織もその口だったようで、昨日の紗季の話を聞いた彼女は近くならその小学校に行ってみようと言い出したのだ。

 勿論、怖いものが苦手な亜美は断ろうとした。だが佳織に乗せられた菜月とたまの勢いもあって、近くまで見に行くだけだと最終的には押し切られてしまったのだ。


 いくら周りの勢いが強かったとはいえ、いつもだったら亜美でももう少し粘れただろう。何しろ怪談を聞くのですらやっとなのだ、曰く付きの現場に行くなど絶対に嫌だった。

 それなのに亜美が断りきれなかったのは、自分のすぐ隣で紗季が困ったような様子を見せていたのも影響している。いつもは冷静に佳織たちを止めてくれるはずの彼女も、今回は案内役として参加必須。紗季本人は乗り気ではなかったようだが、好奇心に囚われた佳織たちを止めることは難しいとこれまでの付き合いで実感していたのだろう。止めて長引かせるよりも、一度見せてしまった方が手っ取り早いと判断したらしく、渋々案内の役目を引き受けていた。

 亜美としては普段自分を助けてくれている紗季が困っているのだから、自分だけが逃げるわけにはいかないと思うのは当然のことだった。だから佳織たちの「近くまで行くだけ」だという言葉を信じて、それくらいならと了承したのだ。


「――心配しなくても大丈夫だよ、見るからにボロいから佳織も入ろうだなんて言わないと思う」


 不意に聞こえてきた声に亜美が顔を上げると、前の座席から上半身を捻って心配そうに自分を見ている紗季と目が合った。はっとして周囲を見渡せば、多くのクラスメイトが既に自席から離れている。それだけ長い時間自分はぼうっとしていたのだと気が付いて、亜美は苦笑いを浮かべた。


(しかも放課後のこと考えてたのバレてるし)


 恐らく紗季は何度も自分に話しかけるか、ずっと様子を見守るかしていたのだ。何を考えていたか悟られるくらい顔に出ていたのかと恥ずかしくなりながら、亜美は紗季の言葉に答えるように口を開いた。


「でも、怪談の舞台になった場所だよ……?」

「そうだけど、事件があったのはもう何十年も前らしいよ。流石にじっくり見ても楽しくないと思うんだけど……」

「佳織たちなら分からないよ。……ていうか、そんな前に使われなくなった建物がまだ残ってるの?」


 亜美が恐る恐る尋ねると、紗季はしまったというような顔をした。そしてゆっくりと亜美に顔を近づけ、「佳織たちが喜びそうだったから言わなかったんだけど……」と声を落とす。


「壊そうとすると、何故か毎回中止になるみたい」

「中止……? 何か起きるとかじゃなくて?」

「うん、何かが起きるって話は聞かない。でもどういうわけか中止になっちゃうんだって」


 どういうことだろう、と亜美は首を傾げた。当の紗季も不思議そうな顔をしていることから、恐らく彼女も本当に知らないのだ。


「もしかして見つかった遺体が関係してるんじゃない? 四人分だっけ。内訳は知らないって言ってたけど……」


 亜美が思いついたように言えば、紗季はああ、と思い出したような表情を浮かべた。


「実はそれ、昨夜中学の時の友達に聞いてみたの。ほら、その小学校から上がってきた子なんだけど」

「……分かったの?」

「うん。――子供と大人、二人ずつだった」

「子供と……大人も……?」


 顔を引き攣らせる亜美に、紗季は「そう」と小さく返す。


「当時はニュースになるくらい大きな事件だったらしくてね。と言っても昔の話だし、私が聞いた子も親からちょっと聞いただけとかなんとかでそんなに詳しいわけじゃないみたいなんだけど……四人のうちの一人――大人の男の人だけが自殺とも取れる状況で見つかってて、その人が犯人だろうって言われてるそうなの」


 つまりその犯人は大人一人と子供二人を殺害して遺体をばらばらにしたのだ――その事実に気付いた亜美は、凄惨な事件が起こっていたことに顔を歪ませた。犯人が既に死亡しているという点は安心できるが、そんな事件の現場となった場所に自分たちは遊び半分で行こうとしているのかと思うと、より行きたくなくなる。

 勿論事件現場だから見に行くのではなく、怪談のモデルとなった場所だからという理由で行くのは分かっている。だがこうして事件の詳細を聞いてしまうと、怪談というフィクションと事件を切り離して考えられなくなるようだった。


(怖いっていうのもそうだけど、なんか不謹慎な気がするし……)


「そんなとこに……本当に行くの……?」


 亜美がおずおずと尋ねると、紗季は困ったように溜息を吐いた。


「行かないと佳織たちの気が済まないでしょ。たまに肝試しに行く人もいるみたいだし、外からちょっと見るくらいなら……ね? でも今話したことは佳織たちには言わないでね。怖がってくれればいいけど、むしろ余計中に入りたがっちゃうかもしれないから」


(確かに……)


 紗季の言葉を聞きながら、亜美の脳裏には嬉々として旧校舎に入ろうとする佳織たちの姿が浮かんだ。

 取り壊しが毎回中止になるという話をしなかったのもきっとこのためだろう。事件という現実にはっきりと起こったことならともかく、()()()中止になるだなんて曖昧なことを言ってしまったら、佳織たちが好き勝手に妄想して楽しみそうだということは容易に分かる。

 亜美が怖いもの好きの友人たちの反応を考えてうっと顔を歪ませていると、紗季が「それにね」と付け足すように口を開いた。


「私は小学校の途中に県外から転校してきたから知らなかったんだけど、昨夜教えてくれた子が言うには、あそこには一人で行っちゃいけないらしいの」

「……どういうこと?」

「今回の怪談と関係してるかは分からないんだけどね、あの辺りの子供たちは『旧校舎に一人で隠れちゃいけません』って教えられてるんだって。まあ、隠れるっていうのはおかしいから『一人で行くな』ってことなんだと思うんだけど」


 『一人で隠れるな』というよく分からない教えに、亜美はううんと首を捻った。だが紗季の言うとおり『一人で旧校舎に行くな』ということなら、単純に放置された建物に子供一人で行くのは危ないからという理由になるだろう。

 それなら理解できると思いながら、「でも、それとこれとどんな関係が?」と紗季に尋ねた。


「佳織たち、もうあの旧校舎が実在するって知ってるんだよ。私が案内を断っちゃったら、自分で調べて一人で行くだなんてこともあるかもしれないでしょ? 子供たちに言い聞かせるくらい危ない場所なんだから、私たちくらいの年でも十分危険かもしれないじゃん」

「ああ、なるほど」


 だから紗季は案内役を引き受けたのか、と亜美は納得した。


「それに今の時期なら雑草も凄いだろうし、どうせ少し離れたところから見るくらいしかできないと思うよ」

「……だといいけどなぁ」


 紗季の言葉に少しだけ亜美の緊張はほぐれたものの、不安は拭えない。それでも彼女の言ったとおりになることを信じながら、亜美たちは放課後になると件の小学校へと向かった。



 § § §



「――なかなか雰囲気あるね……」


 目の前に聳える古い建物を見ながら、亜美は小さく呟いた。木造二階建ての横に長い建物で、壁から二メートル程度の幅を取って四方がぐるりとフェンスで囲われている。このフェンスはよくある緑色のもので、校舎の古さに比べると少し新しい印象を亜美に与えた。

 校庭も含めた学校の敷地を外と区切るためならまだしも、本来校舎の周りにはこんなものは必要ないことから恐らく後から設置されたのだろう。紗季の話では肝試しをする若者がいるらしいのだ、彼らの侵入を防ぐために用意されたのかもしれない。そうでなくてもすぐ隣の土地には現在も小学校があることから、子供が迷い込むのを防止する意味もあるだろう。

 奥のフェンスのさらに向こう側に見える建物は、体育館にしては小さいため物置のようなものだろうか。あの建物の反対側に今の小学校があるのであれば、うまい具合にこの旧校舎の目隠しになっているなと亜美が考えていると、近くから「あれ?」と声が上がった。


「ここ入れないの?」


 怪訝そうな声が聞こえてきた方を見てみれば、佳織が顰めっ面をしているのが亜美の目に入った。菜月とたまも心なしか落胆しているように見える。


(いやいや、近くで見るだけって言ったじゃん)


 亜美が内心で呆れていると、紗季が諌めるように口を開いた。


「入れないよ、誰も手入れしてない建物なんだから危ないでしょ?」

「そうだけど……」

「大体、佳織言ったよね? 『近くまで案内して欲しい』って。私はそれを了承しただけで、中に入れるだなんて一言も言ってないよ」

「うぅ……」


 冷静に指摘された佳織が縮こまるのを見ると、紗季は亜美の方を向いて肩を竦めてみせた。きっと自分のことを心配してくれているのだろうと気付いた亜美は、ばっさりと佳織の思惑を両断してくれたことに感謝しつつ、「私も近くで見るだけって言うから来たんだよ」と佳織に念を押す。


「でもさぁ、折角ここまで来たんだから入りたくない?」

「ないない。ただの古い建物だとしても、これだけ放置されてる感出てるんだから絶対中は虫だらけだよ」

「うわ、私もそれはやだなぁ」


 めげない佳織の言葉を否定すると、たまも亜美の言葉に賛同を示した。たまは怪談好きではあるが、それ以前に大の虫嫌いなのだ。虫がたくさんいると言われればその場所を避けたくなるのは当然だった。


「あそこに行くまでだって、あんな雑草の中通ったら痒くなりそう……――って、菜月は?」


 紗季の言葉に、そういえば菜月の声を聞かないなと亜美も気付く。佳織とたまも一緒になって周りをきょろきょろと見渡したものの、近くに菜月の姿はない。


「一体どこに――」


 亜美が言いかけた時、「ねぇ!」と遠くから声が聞こえてきた。


「――菜月! そんなところで何やってるの!?」


 亜美が声の方を見ると、自分たちのいる場所から校舎を挟んで反対側の方で、菜月が大きく手を振っているのが分かった。


「こっち来て! こっち!」


 大声で手招きする菜月に首を傾げつつ、亜美たちは彼女の方へと向かった。道路から少し入って、校舎の裏側にある山とフェンスの間を進んでいく。


(一体いつの間に菜月はこんなところ通ったんだ)


 フェンスの内側とは違い雑草が生い茂っているわけではないが、学校指定の革靴で歩くには少し歩きにくい。それでもそこまで苦労することなく反対側へと辿り着くと、菜月が「早く早く」と亜美たちを急かした。


「ここ見て、ここ」


 そう言って菜月が指したのはフェンスだった。しかし彼女の指の先を見ていくと、フェンスの網目を縦に、同じ緑色のワイヤーのようなものが巻かれているのが分かった。


「先人は偉大な功績を残してくれていたようだよ」


 菜月がワイヤーを持って引っ張ると、雑草の中から先端が姿を現した。それをぐるぐるとフェンスに巻きつけ――もとい解くと、フェンスの一部が縦にぱっくり開いたのだ。明らかに人が通れるように切り取られていて、先程の菜月の言葉の意味に気付くと同時に亜美の胸は嫌な予感でいっぱいになった。


「これは中に入れってことじゃない?」


 にやりと笑う菜月に、佳織が悪い顔をする。たまは虫が気になるのか少し複雑そうな顔をしていて、紗季は呆れたように大きな溜息を吐いた。


「不法侵入だよ、それ」

「肝試しなんて大体どれも不法侵入じゃない?」

「都市伝説だからでしょ。実際にやってる人は少ないよ」

「でもでも、少なくともここに忍び込んだ人は今までにいるよね?」


 佳織と紗季のやりとりを聞きながら、亜美はどうにか逃げられないかと考えていた。あんな話を聞いた後だから気味が悪いというのも勿論あるし、古い建物は危険だと思う。しかも目の前にあるのは自分の胸辺りまである雑草。夏服で肌の露出が多いのに、こんなところを通りたくはなかった。


「虫嫌だなぁ」


 たまが嫌そうに呟く。すると佳織が待ってましたと言わんばかりにたまの方を向き、「そんなあなたにはこれ!」と鞄から何かを取り出した。


「虫よけスプレー、持ってきました!」

「わぁ、準備良い!」


 演技がかった佳織に、たまも大袈裟なリアクションを返す。けれどたまはすぐに困ったような顔をして、「それで全部の虫は避けれなくない?」と口を尖らせた。


「確かにそうだけど、この雑草はこうして私が踏んでくから大丈夫だよ」


 横から菜月が口を出す。言葉通り雑草を踏みつけると、背の高い草は根本からぽきりと折れて道ができた。


「校舎の中の虫は、そこらへんで木の棒でも拾って追い払えばいいよ」


 菜月が言い終わると、佳織が付け加えるようにして口を開く。


「まだしばらくは明るいから陽の光も十分入るだろうし、懐中電灯も持ってきたし。危ないなら床が抜けるかもしれない二階には上がらないようにすればよくない?」

「うーん……じゃあ、少しくらいならいいかな」

「たまぁ!」


 まんまと佳織たちに説得されてしまったたまに、亜美は思わず悲鳴を上げた。残る反対勢力は紗季のみだと思いながら横目で様子を窺うと、考えるようにしている紗季の姿が目に入った。


「……連れてきちゃったのは私だから、責任取らないといけないか」

「紗季!?」

「だってそうでしょ? 近くから見れば佳織たちの気が済むと思った私も悪いんだから。このまま知らんふりして帰って、もし佳織たちだけ通報されちゃったりしたらなんだか後味悪いし」


 紗季の言葉に佳織が「流石!」と声を上げる。しかしすぐに「言っとくけど、反対ではあるんだからね」と紗季に釘を差されて慌てて目をそらしていた。


「亜美は帰ってもいいよ。怖いでしょ?」

「そうだけど……紗季だって嫌なのに……」

「亜美は騙されて連れてこられたようなものじゃん。知らんふりしていいんだよ」


 紗季の声は本気で自分を思いやっているように聞こえたが、亜美は「じゃあ帰る」と言う気になれなかった。勿論帰りたくて仕方がなかったし、佳織たちが勝手にしていることだとは思っている。だがここで帰ってしまったら、今まで通り一緒にいるのが辛くなるような気がしたのだ。


「……ちょっとだけ行く」


 亜美がそれだけ絞り出すと、佳織たちが嬉しそうにガッツポーズをした。

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