〈三〉四人目
「――窮屈すぎる」
そう顔を顰めた蓮に、タケルは「まあまあ」と笑みを向けた。
三人がいるのは一階の昇降口から一番近い教室だ。その教室の引き戸の陰に、男三人で肩をぶつけ合いながら無理矢理隠れている。
(もっと他に隠れようはあっただろ……)
傍から見た自分たちの姿を想像して、蓮は遠くを見つめた。
こうしているのが小学生だったらまだ微笑ましくもあっただろう。だが自分たちは高校生だ。身体はもうほとんど大人と同じで、特にヒロに至ってはそこらへんの大人よりもよっぽど大きい。しかもそのヒロは蓮たちが何か言う前に自分が真ん中に入ってしまったため、彼の左右に押しやられた蓮たちとしては余計に狭く感じるのだ。
「これで隠れられてるのか?」
不安げな声でヒロが言う。
「お前がいなかったら完璧だな」
「そういうこと言うなよ、タケル! 俺一人で隠れろってか!?」
「とりあえず大声出してたら隠れてるとは言わないだろ」
蓮の指摘に、ヒロがうっと顔を歪ませる。だが黙っているのが怖いのか、先程よりも声を落として「いつまでこうしてればいいんだよ」と口を開いた。
「つーかかくれんぼじゃねェの? これ違うだろ絶対」
「ああ、かくれんぼ中に話しかけられるっていうのは俺の創作。だからこれでいいんだけど、どのくらい時間かかるかはよく分からん」
「分からんって……ヨウ君に聞いてないのか?」
「聞くの忘れた。でもま、五分くらい隠れて何もなかったら普通に肝試しして帰ろうぜ」
「なんで五分?」
「それ以上お前にひっついてたってなー……」
「ッおい!」
(うるさ……)
隠れているとは言えない友人二人のやり取りに、蓮は呆れたように溜息を吐いた。
確かに声を潜めてはいるが、それでも十分に聞こえてしまう。これが本当のかくれんぼなら一番に見つかるだろうなと思いながら、舌でピアスを弄んだ。
四ヶ月前に開けた唇のピアスは、右側のリップを言われる位置に付いている。従姉妹はこれを見て痛そうだと嫌そうな顔をしていたが、だんだんと慣れてきたのか、最近では芸能人が唇にピアスを着用している写真を自分に送ってきては、「これ格好良いよ」と薦めるまでになっていた。
(肝っ玉が座ってるっつーか、怖いもの知らずっつーか……)
蓮が今回従姉妹を連れてこなかったのは、ヒロがパニックになった時に怪我をする恐れがあるからだけではない。心霊現象というものを信じているわけではないが、もし不思議なことが起こった時、あの従姉妹の性格ではもっともっととその先――タケルから聞いたこと以外にも何かあるのではないかと旧校舎中を調べ回ってしまうかもしれないと思ったからだ。
だから蓮としてはそこまでしても問題なさそうだと思えなければ、従姉妹をここに連れてきたくはなかった。
「――蓮、どうした?」
「ん? ああ、ぼーっとしてただけ」
黙りこくった蓮に不安を感じたのか、ヒロが心配そうな目で蓮を見る。だがかくれんぼとは全く関係ないことを考えていただけの蓮は、そんなに怯えることないのにと思いながら彼の問いに返した。――その時だった。
「もういいかい?」
不意に聞こえてきた声に、蓮は誰かが何かを言ったのかと首を傾げて友人たちを見た。その視線の先ではヒロは表情を固め、タケルは興味深そうな顔をしている。
「何か――」
「もういいよ」
「何か言ったか?」――そう尋ねようとした蓮を遮り、タケルが答える。その瞬間、びくりと身体を震わせたヒロが自分に抱きついてきて蓮は顔を顰めたが、直後に見えたものにそんなことはどうでもよくなった。
(は? この子、どこから……)
ぞわり、蓮の背中が静かに粟立つ。腹の底から冷たいものが全身に広がったが、それが恐怖だと蓮が自覚するまで少し時間がかかった。
あまりにも自然だったのだ、自分たちの目の前に現れたそれは。自然すぎて驚くことさえできず、だが本能が〝これは自分たちとは違う〟とじわじわと警鐘を鳴らしている。
それは小さなシルエットだった。教室の隅に隠れる自分たちの前に、小さな子供――少女がいる。
「みぃつけた」
高く、あどけない少女の声が響く。ヒロの腕の力が強まり蓮は痛みを感じたが、同時にいつもの思考を取り戻した。
(これがハツネチャン? つーかヒロはよく黙って……ああ、見てないのか)
自分に抱きつくヒロは顔を背もたれにしている扉の方へと向けていて、声しか聞こえていないのだろう。至近距離で悲鳴を上げられなくて助かったと思ったが、彼の体勢に気付くと蓮の中には何とも言えない不快感のようなものが湧き上がり眉間に皺を寄せた。
後ろを向くヒロの顔半分は自分の頭に当たっているのだ。そして背中の扉に反響して彼の怯えた息遣いが蓮の耳元では大きく聞こえる。仕方がないことだとは分かっていたが、あまり居心地の良いものではなかった。
「誰が鬼?」
蓮があれこれ考えていると、タケルが少女に向かってそう尋ねるのが聞こえてきた。
(すげぇなこいつ……)
得体の知れないモノに平然と話しかけるタケルに蓮は目を丸めた。確かに自分もこの少女に対してそこまで危機感は感じていない。自分たちと違う何かだという恐怖はあるが、身の危険は感じていないのだ。
それは恐らく、事前にタケルから聞いていた話の影響だろう。この少女はただかくれんぼをしたいだけで、一緒にかくれんぼをした人間に危害を加えていない。だが、だからと言って話しかけられるかと言われれば話は別だ。自分はヒロの馬鹿力の痛みで冷静さを保っているが、そのヒロの背はタケルの方を向いている。
(ああでも、こいつはヨウ君から直接聞いてるのか……)
実際にこの少女とかくれんぼをして帰ってきた人間から話を聞いているのであれば、自分とはまた違った印象を彼女に抱いているのかもしれない――蓮がどうにかタケルの行動について自分を納得させていると、少女がゆっくりと右手を持ち上げるのが見えた。
「わたしが最初に見つけたのはお兄さんだったよ」
そう言って少女が指差したのはヒロだった。しかし当のヒロ本人は自ら視界を塞いでいるため、自分が指されていると気付いていない。
「じゃあヒロが鬼だな」
確認するようにタケルが言うと、ヒロがまた身体を大きく揺らした。
「見ても大丈夫だ、ヒロ。さっさと見つけて交代すればいい」
蓮の言葉に、ヒロが恐る恐る顔を前へと向ける。
「――ッうわ!?」
「痛ってェ!? おい馬鹿、骨折れる!」
少女を視界に入れた瞬間、ヒロが悲鳴とともに腕に力を込める。と同時にその腕に捕まっていた蓮の身体が思い切り締め付けられ、今度は蓮が悲鳴を上げた。
「あ、わり……」
「蓮かわいそー。ヒロ、怖いの?」
「はァ!? 怖くねェよ!!」
「じゃ、さっさと鬼やってよ」
「ッ!?」
蓮が珍しく悲鳴を上げたことにより、ヒロは多少冷静さを取り戻したらしい。その後に続いたタケルの軽口にいつものように返すと、もうほとんど普段の状態と変わらなくなっていた。
(まあ、怖がってはいるけど)
それを含めいつもどおりだ、と蓮は僅かに痛みの残る自分の身体を擦った。タケルにからかわれ、それに反論し、いくら怖くても後には引けない――ここまでくればヒロもどうにか鬼をやるだろう。自分やタケルの少女への態度も彼の恐怖を軽減させているはずだ。
どうやら無駄に痛い思いをしただけで終わらずに済んだようだ、と蓮は安堵しながらゆっくりと立ち上がった。
「は? 蓮、何いきなり立って……」
「かくれんぼするんだろ? お前が鬼なんだから、お前から離れなきゃ駄目だろ」
「そうそう。俺らは隠れるから、ヒロしばらく数えててよ」
「は!?」
蓮に続きタケルも立ち上がる。何か言いたげなヒロを無視して、「じゃ、隠れるから」と蓮たちはその場を後にした。




