1-6
大学近くの築40年の安アパート。
ここが貧乏学生である俺の住処だ。本来なら就職に伴って新生活を始めた彼女の築浅マンションにお邪魔したいところだったが、事前に夜は友達と飲むと聞いていたので仕方がない。
一階の角部屋の扉前でカギをごそごそとカバンの中を捜索していると、
「わっ」
「わああああ!?」
耳元からの思いがけない声に驚く。バクバク脈打つ旨に手を当てながら振り向くと、例のゲーセンで出会った少女がいた。
「こんばんわ」
「え? こんばんわ……いや……は? なんでここに?」
「ずっと後をつけさせてもらいました。彼女とのデートは嘘じゃなかったんですね」
なにこの娘。ストーカー?
「改めて、師匠になってください」
「いや……何の?」
「格闘ゲームに決まってるじゃないですか」
こいつ、どこまで本気なのだろうか。少なくともここまで追ってくるなんて正気の沙汰じゃない。
とんでもない状況だが、どうにか心を落ち着けて改めて聞く。
「……なんで?」
「もちろん、格闘ゲームで勝てるようになりたいからです」
余程今日の負けが悔しかったのか。
「友達を……」
「え?」
「親友を、助けたいんです!」
「……」
一体何があったのか。とりあえず只事ではないことは、少女の真剣な双眸から汲み取れた。
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俺の部屋に女子高生がいる。
デリバリーで制服を着ているだけではない、本物の女子高生だ。(コスプレとかでなければ)
とりあえず上げてしまったが、これは犯罪にならないだろうか。
ハタチになってしまったし、何か罪に問われたら少年院ではなく普通の刑務所に行くのだろうか。
そんなことを考えながら緑茶のティーバッグを入れたマグカップにお湯を注ぐ。
こちらが立ち話もなんだからと提案したとはいえ、知らない男の家に普通上がるかね。
むしろ只のスケベな娘なのではないだろうか。そう考えると例のチャラ男の件とか邪魔をしてしまったのだろうか。
悶々とするが、少しだけ見えた真剣な表情の少女を思い出すとそんな想像が霧散する。
「お待たせ」
「どうも」
少女が座っている目の前にあるテーブルにお茶を置くと、会釈を返してくれた。
向かいに腰掛けながら俺はお茶を一口啜ると、なにより確認するべきことを切り出した。
「とりあえず自己紹介から。俺は京田大斗、ハタチです」
「あ、はじめまして。阿波茉莉です。16歳です」
よし、自然に名前と年齢を聞き出せた。だが16だと合意でも逮捕だったような……。
そんなことをする気は全くないが、大声で叫ばれたりでもしたら一発アウトだな。
一応リスクを頭の中で確認しながら俺は続ける。
「早速だけど、聞かせて。親友がどうとか言ってたけど」
「はい……」
茉莉はお茶を唇で僅かに触れると、口内にいれるのは不可能な熱さだと感じたか、すぐにマグカップを置いて話し始める。
「中学校からずっと仲良しの友達がいるんですけど、その娘の彼氏が酷いんです。彼女をほったらかして四六時中、格闘ゲーム三昧なんです。」
「はぁ……」
ゲーム三昧は俺も同じ感じだったけどな。お茶をフーフーしながら、心の中でそう返答した。
「それに、格闘ゲームをやっているとモテるらしく、ゲーセンで逆ナンをされることも多いみたいなので……親友が可愛そうです」
「なるほどね」
覚えがあった。実際ゲーム好き女子となると、ゲームの上手い彼氏兼師匠が欲しいらしく、対戦で連勝を重ねてる奴が女性に声をかけられるのを何度か見たことがあるし、俺自身も二度経験がある。
「プロゲーマーを目指しているとかで、勉強も全くしていないんでしょう。成績も酷くて……将来が不安なんです」
「……え?」
「ゲームばっかりやってて、勉学を疎かにすると良い大学にもいけません。良い企業への就職もできず、なれる見込みの低いプロゲーマーをずっと夢見て万年フリーターとかだったら、友達が結婚した時に苦労しそうなので可愛そうです」
ずいぶん将来の想像が逞しいな。学生の恋愛なんて別れることも多いだろうに。
「だから、私が友達の彼氏をゲームで倒し、目を覚ましてあげたいんです!」
右の拳をぐっと握り、キラキラとした瞳をこちらに向ける。
あぁ、嫌な目だだ。私は正しいことをしていると言わんばかりの風紀委員を彷彿させる。
「……そういうことがあったから、今日あんな事をしたのか?」
ゲーセンでチャラ男に絡んでいた茉莉を思い出しながら言う。
「そうです。あの人が、友達の彼氏と重なって、許せなかったんです」
真面目に働いてください。その言葉は友達の未来の彼氏に向けた言葉だったのかもしれない。
「だからと言って、お金も勝算もないのに勝負を受けるのは無謀だ。現に俺が割って入らなきゃとんでもないことになっていただろ」
「……それでも良かったです」
「はぁ!?」
茉莉の言葉を受け、頭に血が上るのを感じる。自分がやったことは無駄だったのではないか。
それと同時に劣情から、思わず言葉を続ける。
「えー……っと。……ヤ〇マン?」
言葉を選んだ末、口から出たのは割とストレートだった。
「なっ! ち、違いますよ! セクハラですよ!」
茉莉が否定する。
「いや、でもそういう意味じゃないのか?」
「違います! そもそも私はそういう経験はないです!」
「え?」
「ああもう……。余計なことを言っちゃった……」
顔を赤らめながら言葉が小さくなっていく茉莉。
「じゃあ、どういう意味だよ?」
「それは……」
茉莉は乱れた心を整えるように、軽く咳ばらいをし、俺の疑問に回答する。
「最悪、私が格闘ゲーマーにやられたことを友達に話せば、彼氏と別れてくれるかなって……」
「……」
なんという馬鹿な娘だろうか。友達のために自分を犠牲にするなんて。
「馬鹿だな」
言葉に出ていた。茉莉は疑問で聞き返す。
「え?」
「そんなことをになったら、友達との関係も壊れるぞ」
「……」
俺は押し黙る茉莉を確認すると、説教を始める。
「お前の友達は、その事実を知った時、自分を責めるかもしれない。あるいはそんなことをする馬鹿な女だと引かれる可能性だってある。どのみち、今までの関係ではいられないのは確かだと思う」
若さゆえの過ち。そう切り捨てることもできるだろう。
だが、一生傷や後悔が残る可能性も高い。茉莉、友人双方にとってだ。
「……反省してます」
茉莉は小さな言葉で続ける。
「体で払えって言われた時、これで私が酷い目に遭えば友達を改心させられるかもしれない。……そう思っていました。でも、あの人に肩を掴まれて……その感触が凄く怖くて……」
俺は目を合わせて真剣に話を聞いていた。視線の先である茉莉の目に薄っすら涙が見えた。
言葉を詰まらせながらも茉莉は続ける。
「凄く、リアルで……。ああ、これから私、知らない男の人にやられちゃうんだって……」
「もういいよ」
見てられない俺は話を切り上げた。
肩を震わせ、今にも涙を零しそうな茉莉から視線を外し、何か拭く物はないかと思考を巡らせる。
ハンカチなんて基本持ち歩かないため、すぐには出てこない。次にタオルを想像するが、違う気がする。とりあえず目の前のテーブルに置いてあるティッシュペーパーで手を打つことにする。
二枚ほど取り出して渡すと、小さくお礼の後に乱暴に涙を拭く茉莉。その後、茉莉は「失礼します」と言って更に三枚ほど取り出すと、鼻を豪快にかんだ。
ティッシュを丸め、近くのごみ箱に投げ込んだ茉莉から泣き顔は消えてきた。目元と鼻が少し赤みがかったその表情は凛としていた。
「今日は、ありがとうございました」
そう言って深々とお辞儀する茉莉。改めて感謝の念が湧いてきたのか、ゲーセンで言われたよりも言葉に重みがあった。
「……もうこんなバカな真似はするんじゃないよ。お茶飲んだら帰りなさい」
「はい」
意図せずスナックのママみたいな口調になってしまった俺の言葉に、茉莉は素直に頷いた。
茉莉は良い具合にぬるくなったお茶を飲むと、ホッと一息。
「いや、そうじゃないんですって」
残念、茉莉は正常な判断能力を取り戻してしまったようだ。
お茶ではなく、さっさと帰ることを促していたら追い出せてたかもしれない。
「今日みたいなことは二度としないと誓います。でも友達のことは別です」
しおらしい感じからすっかり戻ってしまったように見える茉莉は続ける。
「私が格闘ゲーム強くなって、友達の彼氏に勝てば別れるのを促させると思うんです。私ごときに負けるなんてゲームなんてもう辞めてやるー、みたいな」
むしろ悔しくてリベンジしてくる可能性も高いような。
「そうしたら、友達の彼氏も真面目に勉強して、良い定職について私も安心。だから、弟子にしてください!」
何を根拠にそうやって展開する自信があるんだ。
「いや、ぶっちゃけ俺自身そんなに強いわけじゃないぞ? ブランクもあるし」
「でも私が手も足も出なかった人に対して、完璧に圧倒してたじゃないですか。大丈夫です! きっと友達の彼氏よりは強いはずです!」
俺の発言に対し、謎のフォローを茉莉に入れられる。
例の彼氏の実力がどれほどかわからんが、実際に俺はゲームを引退した身。今回だけの限定復帰だったのだ。
引退した選手が後にコーチ等になることもあるが、俺には弟子なんて考えられない。そもそもが格闘ゲームと一口に言っても、どのゲームかによって大きく異なる。
とどのつまり断りたい。
だが、期待に満ちた目を向けてくる茉莉を考えると、諦めてくれなそうなのは容易に想像できる。
俺が助けたシチュエーションが故に救世主とでも思われているのかもしれない。
どうしたものか考えを巡らせていると、カバンが目に入った。それを見て、ふと葛飾に貰った偽百万円を思い出した。
茉莉のことも長期戦になるかもしれないから、整理しながら話そう。
「で、どうなんですか?」
「嫌だけど」
「えー、そんなこと言わないでくださいよー」
「無理だって、そもそも弟子なんて……」
適当に茉莉の言葉に反論していた俺はそこで急に思考が停止する。
きっかけは例の偽百万円だ。
最初の一万円だけ本物で、後は紙切れのはずの偽百万。だが、チラッと目に入った二枚目以降もぱっと見本物に見えた。
一瞬嫌な予感がしたが、すぐに冷静になる。待て待て、確かに只の白紙の紙ではなかったことに動揺したが、きっとフェイクだ。印刷しただけの偽物だろう。より本物に近く見せることで、ハッタリが更に分かりづらくなるのだ。
それでも冷静になった頭は推測と同時に嫌な疑問点を提示する。そもそも偽百万なんてものを何故葛飾は所持していたのだろうかと。
続いて触覚が反応する。この手触りは只のコピーではありません、と。
冷たい汗が噴き出す。
恐る恐る、俺は光源であるシーリングライトに偽(?)百万をかざした。パラパラ漫画のようにザっとではあるが、すかしが確認できてしまった。
余程の犯罪集団が絡んでいない限り、これは本物だ。
「あれ、それなんですか?」
茉莉の言葉にハッとする。
「あーーー……。百万?」
棒読みで答える俺。
「え、そうなんですか? もしかしてあのソフトモヒカンの人に貰ったんですか?」
「うん」
「へー、凄いですね! お金持ちだったんですね」
お金持ちか。プロゲーマーって儲かるんだろうか。確かに葛飾ガブリエルは大会でそこそこ賞金を稼いでいる上、ユニフォームには様々なスポンサーロゴが入っている。
ていうか、こんな大金貰っちゃダメなやつだろ。だけど連絡先は知らないし……いや、SNSのDMで直接連絡すれば。
「じゃあ、そろそろ帰りますね。お邪魔しました」
茉莉はそう言うと、自分のカバンを肩にかけ、玄関へ向かっていった。
何故急に帰る気になったのだろうか疑問に思ったが、百万のせいで思考がまとまらない。だが、諦めてくれたのなら何よりだ。
一応見送るためふらふらと移動すると、茉莉は既に靴を履いて玄関のドアに手をかけているところだった。
「じゃあ、気を付けて」
俺がそう言うと。
「はい、ありがとうございます!」
笑顔で茉莉は答えた。その表情で今までぐちゃぐちゃになっていた思考が落ち着きを取り戻す。この笑顔を守れたことを誇りに思えた。今日は色々あったけど、終わり良ければ総て良し。良い一日だった。
だが、次の茉莉の言葉により、俺は更に混乱することになる。
「では、明日からよろしくお願いしますね!」
「……は?」
俺の疑問の声は、老朽化のために生じる、ドアを閉める際のキーキー音によってかき消された。
バタン、と閉じられる目の前の扉。
「……は?」
今度ははっきりと静寂の中で俺の疑問の声が響くが、それを他に聞く者はいない。
後で知ったことだが、百万円に驚き、思考が停止している中、茉莉の言葉にすべて生返事で肯定していたらしく、気が付くと俺には弟子一号が誕生していたとのことだ。
それを知るのは翌朝、いつの間にかスマホに登録されていた茉莉からの着信を受け取ってからだった。
一話終了となります。