ロリコン審問
翌朝登校した刹那を迎えたのは軽蔑に満ちた視線とあからさまな陰口だった。
「おい、あいつが来たぜ。ヤバいよな……」
「ロリコンまじでキモい……」
クラスの男女どちらも同じような話をしているが、日頃の妬みからか男子の方がより聞こえよがしだ。普段からキモい奴と思われている筈だが、今まではどちらかというと無視に近い扱いだったため、刹那は戸惑った。こんな時に限って、桃香も凜子も近づいてこない。自分から声をかける気にもなれず、刹那は休み時間を読書で潰した。
そして、昼休み。
「ふひひ、どうー? 一夜にして『時の人』になった気分は」
素早く昼食を済ませ、机に突っ伏して寝ようとした刹那に話し掛けてきたのは、昨日の写真部三年生、田中一美だった。刹那は何も言わずに、ただ真っ直ぐに一美を見る。
「おー、怖い怖い。そんな鬼の形相で睨みつけなくてもいいじゃなーい。そりゃ、あの写真撮ったのは私だけどさー」
「写真?」
意味がわからずに刹那が疑問の声を上げる。
「なーんだ、これだけ騒ぎになってるのに、まだ見てないんだ? これだよ、これー」
言って、一美が机の上に写真を置く。
「これは……」
それは、刹那が不気味な笑いで李香に抱き着いているように見える写真だった。明らかに昨日の部室の出来事を隠し撮りしたものだが、あれだけ嬉々として抱き着いていた李香の顔が、どこか嫌がっているようにも見える。
「なるほど、これだと、俺が襲いかかっているようにしか見えないな」
刹那が納得したように頷いた。二人で過ごした時間の大部分で、戸惑う刹那に李香が嬉しそうにじゃれついていたはずだが、目まぐるしく変わる表情の一部だけを恣意的に切り出せば、まったく逆の情景に見えることに刹那は感心した。
「あれれー? えらく冷静だねー」
少し不満そうに一美が言う。
「色々腑に落ちただけだ。李香ちゃんをけしかけただけでは、俺が喜ぶだけで意味がないもんな」
「ふひひ、そのとおり。この私のベストショットに、新聞部が煽りまくりの記事をつけた校内新聞が、職員室前と各学年の掲示板に貼られてるからねー。君の社会的地位は死んだも同然じゃないかなー。ねぇ、見られてないと思ったー? 見られてないと思ってたよねー?」
恍惚、といった表情で一美が言う。
「なるほど、スコポフィリアか」
刹那が鋭い視線を投げる。一美が目に見えて狼狽した。
「ど、どうしてそれを……」
「そんなに嬉しそうに言われたらそりゃ気付くさ。スコポフィリアは、ペドフィリアと並ぶ典型的な性的倒錯だからな」
スコポフィリア、つまり窃視症は、いわゆる「のぞき」行為に対する性的嗜好だ。一美には通じているが、周りで露骨に聞き耳を立てているクラスメイトには意味がわからないだろう。
「く、ペドと同じにされたくはないよ。スコポフィリアは、写真という芸術に繋がるし、人間にしか持ちえない高度な性的嗜好なんだからね!」
ペドと同列に語られるのは屈辱だったらしく、一美がむきになっていう。
「それを言うなら、小児性愛と密接に絡んだ芸術作品も多いぞ。児童エロチカというジャンルだ。だが確かに、ペドものぞき魔と同じにはして欲しくないかもな。ペドは、一応被害者の同意を観念しうるが、のぞきは、行為の性質上同意があり得ないからな。嗜好それ自体が犯罪という意味ではペド以下だ」
「ぺ、ペドは刑法犯だけど、のぞきは軽犯罪法違反だもん……」
一美が屈辱に声を震わせながら言う。
「軽犯罪だからといって許されるわけじゃないだろう。まあ、ペドですらない俺には目くそ鼻くそだが」
「それを言うなら、ロリコンだって同じでしょ!?」
「同じにしないでくれ。ロリコンは、『社会通念』とやらに従って恣意的に定められた『性行可能年齢』、つまり、権力者どもが勝手に決めた、性交してもいい年齢に満たないとされる『児童』を保護するという政策目的の犠牲者だ。被害者となる『児童』が心から相手との性行為を望んでいても犯罪者を生んでしまう。確かに、性行為の意味を理解できない幼児に自己の欲望を満たすためだけに性行為を強いるようなペドフィリアは処罰されてしかるべきだがな。その点、覗きは被害者に確実に被害を与える。覗かれたいと思っている露出狂は、お前たちの欲望の対象外だろ?」
刹那が淡々と言葉を紡ぐ。一美は反論できずに唇を噛み締めている。
「学校のような公共の場には、トイレや更衣室といった場所以外にプライベートな空間は存在しないという理屈を盾に、軽犯罪法の『のぞき見』の罪は成立しないと考えているんだろうが、そんな限定的なシチュエーションでしか欲望を満たせないとは、哀れだな」
刹那が一美に向けた哀れみの瞳は、勝ち誇る魔王の邪悪な笑みにしか見えない。
「そ、それは、君みたいなロリコンだって同じでしょ? 好きなように欲望を満たせないんだから」
「勘違いされると困るんだが、ロリコンだからといって、俺は別に実在の幼女なら誰でもいいから欲望を満たしたいなどと考えているわけじゃないし、一方的に犯したいと考えているわけでもない。その意味で、覗きという行為それ自体を嗜好して対象を問わないスコポフィリアとは違う。パラフィリア、つまり、精神病と診断されたり、犯罪行為に走るような異常性愛とは根本的に異なるんだ。俺は、ただ、少女の成長の過程で稀に現れるという、妖精のような美しさと、成熟した大人の女性にも勝る色香を兼ね備えた理想のニンフェットを探しているだけだ」
「な、何よ、そのお伽話みたいな妄想……」
熱く語られてドン引きした体の一美に、刹那が苦笑する。
「確かに、ニンフェットなんて、空想上の生き物に過ぎないのかもな。性的嗜好としても、せいぜい、生々しいポルノ動画よりもヒロインが小中学生のエロマンガを好む程度のもので、人畜無害なものさ」
「なら君は、ロリコンというよりは寧ろ、『ピュグマリオンコンプレックス』なのかも知れないね」
不意に会話に割り込まれて、刹那が驚いて声の方を見る。それは、美術教師の岡崎だった。
「岡崎先生?」
岡崎は、30代半ばの男性教師だ。いつも薄汚れた白衣姿でだらしなく見える独身男性だが、甘いマスクと温和な性格で、一部女子には人気のようだ。
「ああ、ごめんね、なかなか興味深い話だったもので、つい口を挟んでしまったよ。それはそうと、君を呼びに来たんだ。その写真のことで職員会議中でね」
岡崎が、机の上の写真を指差して言う。
「仕方ないですね」
刹那は、溜息をついて立ち上がると、岡崎について教室を出た。岡崎は、別に怒っている風でもなく、写真のことを問いただしたりもしなかった。
「岡崎先生、さっき仰った、ピュグマリオンコンプレックスというのは、彫像に対しての異常性愛という意味ではないんですが?」
「そういう意味もあるね。でも僕は、ピュグマリオンコンプレックスをもう少し広い意味で考えているんだ。今は詳しい話をする時間もないし、興味があるなら放課後、美術室に来るといい。大抵はそこにいるから」
それ以上話は続かず、二人は職員会議室に着いた。岡崎がドアを開け、がんばって、と小声で言って入室を促す。岡崎は参加しないようだ。部屋に入ると、校長、教頭以下、学年主任や担任が揃っている。もちろん、生活主任の美冬ちゃんもいる。
「なぜ君がここに呼ばれたのかはわかっているね」
学年主任、数学教師の木村が厳めしい顔で威圧的に言う。
「あまりよくわかりません」
刹那は委縮するでもなく淡々と答えた。その答えに、教師たちは皆、驚いたような顔をした。
「ふざけているのか? この校内新聞だよ!」
声を荒らげて、木村がA4の紙を机に叩きつけた。先ほど一美が刹那に見せた写真が載っているのがわかる。
「僕はその校内新聞とやらを見ていませんし、写真も隠し撮りされたものです。写真に写っている女の子との関係にも後ろ暗いところはありませんから、こんなところに呼び出される理由もわかりません」
冷静な口調だが、目つきは恫喝的と言っていいほど鋭い。木村が気圧されたように口をパクパクさせた。
「女子小学生と部室でいちゃついて、後ろ暗いところがない、ってことはないんじゃないかしら?」
嘲るように鼻にかかった声で美冬ちゃんが助け舟を出す。
「李香ちゃん――、その女の子が一方的に抱き着いて来ただけで、僕自身は特に何もしていません。強いて言うなら、抱き着かれて狼狽したくらいです」
「君、妄想と現実の区別をつけなさい。君のその怖い顔で、こんな可愛い女の子が君に抱き着くはずがないだろう。やれやれ、これだから、ロリコンは」
美冬ちゃんの援護に元気を取り戻したように、木村も馬鹿にしたような口調でいう。周りの教師からも失笑が起こった。
「なぜ、僕がロリコンだと知っているんですか?」
刹那が少し驚いて聞く。桃香や凛子に対しては公言しているし、美冬ちゃんも知っているだろうが、他の教師まで知っているとは思わなかったのだ。
「そりゃ、知っているさ。校内新聞に詳しく書いているからな」
「拝見しても?」
「いいだろう」
木村が鷹揚に許可する。刹那は、机の上の校内新聞を手にとり、素早く目を通した。ホラー漫画にでも使われそうな字体で大きく『排除せよ! ロリコンに人権はない!』と書かれた見出しの下に本文が続く。曰く――
『我々新聞部は、久遠刹那が、自信がロリコンであることを公言しているという事実を掴んでいる。自らの異常な性癖を、恥ずることなく曝け出すなど、常人の感覚からは理解に苦しむが、それこそが、久遠刹那がその邪悪な容貌だけでなく、正確の上でも、極めて危険な存在であることの証左である。そう、久遠刹那はロリコンである。ロリコンは言うまでもなくおぞましい異常性愛者であり、自動を保護するために徹底して排除すべき、赦すべからざる犯罪者予備軍である。今回は、間一髪のところで少女の貞操は守られたが、このまま彼を野放しにすれば、早晩我らが嚆矢学園が性犯罪者の母校として報道されてしまうことは疑いのないところである。教師諸兄姉におかれては、常の事なかれ主義に安んじることなく、厳然たる態度をもって将来の禍根を立つよう望むこと説である。』
「どうだ、ぐうの音も出んだろう」
木村が勝ち誇ったようにいう。
「校内新聞というものを初めて読みましたが、誤字だらけということは置くとしても、わずかの事実に主観と根拠のない憶測を垂れ流した、新聞と名乗るのもおこがましいレベルの駄文ですね」
刹那は、淡々と校内新聞を評したが、心の中で思ったのは、別のことだった。
(この誤字の偏り、まさか、あいつか?)
刹那は、この記事の執筆者に心当たりがあったが、とりあえず軽く頭を振って考えるをやめた。
「それで、この妄想記事のどこが理由で、僕は呼び出されたんですか?」
校内新聞を机の上に置き、刹那が木村を見据えて語気を強める。木村は目に見えてたじろいで、刹那から目を逸らした。
「動かぬ証拠の写真があるんだから、新聞部の妄想では済ませられないでしょ?」
再び、美冬ちゃんがフォローを入れる。
「そ、そうだぞ、写真があるだろう!」
「写真については、抱きつかれたと先ほどから言っています。そもそも、呼び出された部室での出来事を写真に撮られているんですから、このような状況には呼び出した人間の作為を感じますが」
「別に作為なんてないわ。あなたを呼び出したのは放送部員のミスだしね。それに、呼び出されて出向いた部屋に女子小学生がいたからといって、襲い掛かっていいわけがないし、襲い掛かるとも思わないでしょ?」
「襲い掛かってないと言っていますが?」
余裕をもって応じる美冬ちゃんに、さすがにいら立ちを隠せず、刹那の声のトーンが上がる。
「だから、写真を見ればお前の嘘は明らかだろうが!」
優位と見たか、木村も負けじと大声を張る。その時、突然、職員会議室のドアが開いた。
「刹那君は嘘なんてついていません!」
颯爽と入って来たのは、桃香だった。
「な、なんだね、君、勝手に入ってくるんじゃない!」
木村が桃香に向かって叫ぶ。
「私は、その写真の女の子の姉ですから、関係者です。そして、私は、妹がいきなり刹那君に抱きついたことを知っています」
「だ、だが、無理やり抱き着かれたとしても、学校でそんなことを……」
「学校で抱きつかれたら、抱きついた方ではなく、抱きつかれた方が悪くなるんですか?」
「い、いや、そもそも学校で抱き合うという行為が不適切なわけで、その……」
桃香は、言いよどむ木村に素早く近づくと、椅子に座る木村に、軽く抱きついた。
「ひぃっ」
木村は悲鳴を上げながらも、どうすることもできない。
「学校で教え子と抱きあいましたね、木村先生。責任をとって、辞職でもされますか?」
桃香が意地悪く笑う。
「こ、これは、君が無理や……」
言おうとして、木村は、はっと口を噤んだ。見事に作戦にはまったことに気付いたようだ。
「無理やり抱きつかれたらどうにもできないことは、理解できましたね?」
桃香が木村から離れてにっこりと笑う。
「し、しかし、写真からは、無理やり抱き着かれたとは見えないわけで……」
ばつが悪そうにきょろきょろしながらも、木村が何とか言い返す。
「では、無理やり抱きつかれたとしても、写真でそのように見えなければ、辞職されるんですね?」
「ま、まさか、写真を撮ったのか?」
木村が露骨に狼狽する。
「辞職されるんですね?」
木村の問いには答えず、桃香が繰り返す。木村が助けを求めて他の教師たちを見る。見かねたように口を開いたのは、校長だった。
「いいでしょう。今回のことは、身内からの証言もあったということで、久遠君の言葉を信じて不問に付しましょう。ただ、君たちも、小学生の妹さんも、まだ自分たちの行為に十分に責任を持てる年齢ではないのだから、性的なことに興味があるからといって、軽率な行為は慎むように、気をつけなさい」
「被害者」の姉の桃香が刹那の側についたことで、校長の事なかれ主義が発動したのだろう。校長の言葉には、更なる発言を認めないような響きがあった。美冬ちゃんが軽く舌打ちする。信じると言っておきながら、まるで刹那が軽率な行為をしたかのような説教である。刹那は呆れたが、議論を続ける気力もなかった。これ以上口を開く労力も惜しいとばかりに、刹那は軽く会釈をして何も言わずに素早く会議室を出た。
「ありがとう、霞さん。お陰で、助かったよ」
刹那と一緒に会議室を出た桃香に、刹那は心から礼を言った。
「いえ、迷惑をかけたのは妹の方ですから」
しかし、体を張って助けてくれた後なのに、桃香の態度も返事も、どこかよそよそしい。もっと恩人アピールをされると覚悟していた刹那は、肩透かしを食らった形だ。
「でも、今回のことで、霞さんには嫌われたと思っていたから、嬉しかったよ」
言いながらも、刹那の口調にはどこか恨みがましい響きがあった。今日、これだけ他の人間から陰口を言われたのに、その状況でいつものように桃香が話かけてくれなかったことが、刹那にとっては少し不満だったのだ。しかし、そんな刹那の甘えに対し、桃香の返答は、手厳しいものだった。
「刹那君は、私に嫌われても別に気にしませんよね?」
桃香が、真っ直ぐに刹那の目を見据える。どう答えるべきなのか、刹那は返答に窮した。数日前に告白されたとき、確かに刹那は桃香に、興味がないと言い切った。しかし、今はどうか。凛子に言われるまでもなく、桃香は掛け値なしの美少女だ。そして、ここ数日の経験で、刹那は「ロリコン」という自分のアイデンティティが揺らいでいることを感じていた。
結局、桃香の問いに、刹那は答えられなかった。二人は無言のまま歩き続け、五時間目の始まりを告げるチャイムと同時に教室にたどり着いた。