ロリコンと日本人の心象風景
「刹那くん、せーつーなーくーん!」
もはや恒例となった桃香の「刹那くん攻撃」である。特に、昼休みの攻勢は熾烈を極める。通常の休み時間は、刹那は速攻で読書モードに入る。刹那は読書中、人の声がほとんど聞こえなくなるため、時間が短いこともあって桃香の攻撃も成功率が低いのだ。そこで、休み時間よりは昼寝に充てられる昼休みを狙う方がいいと、桃香は学習したようだ。
「いい加減にしてもらえないかな、霞さん。俺は、寝たいんだけど」
そうは言うものの、刹那の声には不快感よりも諦めの色が強い。
「昨日は、何があったんですか?」
刹那の懇願を軽やかに無視して、桃香が尋ねる。
「……特に、何も」
少し考え込んで、刹那は言葉を濁した。実は男の娘だった響先輩に、ハニートラップを仕掛けられた、などとはとても言えない。明らかに何か隠している風の刹那に、桃香は不満の表情を見せたが、それ以上問い質しはしなかった。
「まあ、いいです。刹那君、今日の放課後は空いてますよね? 花の金曜日ですし、栄えある文学研究会一年生の親睦会をしましょう!」
「親睦会!? な、なんでそんなことしなきゃならないんだ? そもそも、部員四名の零細クラブに栄えなんてないだろ」
刹那の抗議に、桃香が堂々とその豊かな胸を張った。
「それは、私がもっと刹那君と親睦したいからです。テーマは『ロリコンと文学』、とかどうですか?」
「それは、まぁ、興味深いテーマだが……」
「興味深い? どこがよ。どうせ、源氏物語でも持ち出して、平安時代から大和男子はロリコンだったとか言い出すんでしょ」
凛子が馬鹿にしたように言う。むっ、としたらしく、刹那が恫喝でもするかのような視線を凛子に投げた。
「日本を滅ぼす会に洗脳されているだけあって、ロリコンを論破するためにわざわざ論理武装してるんだな。ご苦労なこった」
「せ、洗脳なんてされてないって言ってるでしょ!?」
鼻で笑う刹那に、凛子がむきになって言い返す。
「まあ、いいさ。しかし、光源氏は別にロリコンじゃないぞ。確かに、光源氏が紫の上を見初めたのは紫が10歳頃の時で、肉体関係を持ったのが14歳辺りだったはずだから、それだけ見ればロリコンに見えなくもない。だが、どちらかと言えば、奴は女なら誰でもいいタイプの色情狂で、特定のカテゴリに属する女性にだけ執着するロリコンとは対極だ。あんなポリシーのない性欲の権化と同じにされるのはロリコンからすれば迷惑だな」
刹那が不機嫌そうに淡々と言う。
「じゃ、じゃあ、昔から日本人はロリコンだったという自己正当化の機会を自ら放棄するわけね?」
刹那の言葉に気圧されながらも、凛子が言い返す。
「別に、平安時代まで遡らなくても、日本男子の心にロリ魂が宿っているという証拠はあるさ」
「どんな証拠よ?」
「例えば、全ての日本人の心象風景として焼き付いている名曲、赤とんぼ」
「う、歌っちゃダメですよ、刹那君。JAS〇ACが来ちゃいます!」
桃香が相変わらずピントのずれた心配をする。
「いや、流石に作詞家の三木露風の死後50年は経過しているから、著作権は切れてるだろ? 二番の歌詞を思い出してみろ」
「お姉さんが嫁に行くのは15歳よ。あんたの定義ではロリコンは14歳まででしょ?」
面白くもなさそうに凛子が指摘する。
「ああ。だが、俺の考えでは、お姉さんが嫁に行ったのは13歳か14歳だ」
「はぁ? 何言ってるのよ? 歌詞ではちゃんと15って……」
「あ、わかりました! 数え年ですね?」
桃香の答えに、刹那が満足げに邪悪な笑みを浮かべる。
「そうだ。当時はまだ数え年を使っていたはずだから、満年齢14歳になる年の1月1日で15になる」
「え、でも、待ってください。ネットの情報によれば、日本が数え年から満年齢に変わったのは、1902年の『年齢計算ニ関スル法律』の施行からですよ? 赤とんぼの発表は1922年です!」
桃香が素早くスマホで検索して指摘する。
「ああ。だが、『年齢計算ニ関スル法律』の後も、満年齢は大して普及しなかったんだ。満年齢が普及したのは、役所関係の届け出で満年齢の利用が義務付けられた1950年の『年齢のとなえ方に関する法律』の後だ。よって、1889年生まれで数え年に慣れ親しんでいた三木露風が、1922年に幼少時代を詠った赤とんぼで、満年齢を使っていたとは考えにくい。つまり、近代の日本人の心の中にもしっかりと、13、4歳の少女を嫁に迎える風景が刻み込まれているのさ」
一息に言って、刹那が勝ち誇った魔王のような笑みを見せた。
「く、詳しいんですね、刹那君!」
小難しい割りにちょっとアレな結論だが、桃香は単純に感心したようだ。桃香の尊敬の眼差しに気を良くして、刹那が続ける。
「そりゃ、三木露風はかのローマ教皇から聖騎士に叙された、オタクの憧れのような存在だからな」
「せ、聖騎士? あのゲームやマンガでお馴染みの、ですか!?」
赤とんぼと聖騎士という言葉のギャップに、桃香が驚きの声を上げる。
「ああ。英語では、Knights of Holy Sepulchre で、直訳すると『聖なる墳墓の騎士』になるけどな。俺もいつか美少女吸血姫と出会ったときのために、そんなカッコいい称号が欲しいもんだ」
しみじみと刹那が言う。
「魔王みたいな邪悪な顔して、何が聖騎士よ。あんたはどちらかと言えば、聖騎士の討伐対象でしょうが」
吐き捨てるように凛子が毒づく。
「人の顔面的な欠陥をあからさまに揶揄するのはいかがなものかと思うぞ」
流石に傷付いた様子で刹那が溜め息混じりに言う。
「それくらい邪悪に見える方が、吸血鬼には似合いますよ! 私も、刹那君に似合うように吸血鬼になって若返ろうかな」
「いや、まったくフォローになっていない上に、発想がなんかエリザベート・バートリーで怖いよ、霞さん……」
刹那が呆れたように言う。
「そんなことより、刹那君、放課後の親睦会ですよ、親睦会! がっつりしっぽり親睦しましょうね!」
刹那のささやかな抗議を華麗にスルーして、桃香が話を戻した。刹那が助けを求めるように凛子を見る。
「諦めなさい。この子が言い出したら、大人しく従うか、罵って悦ばせた挙句従うかの二択しかないわ」
「いやん、凛子ちゃん、そんな褒めないでください」
桃香が顔を赤らめる。
「なんでそんな不自由な二択なんだよ!? しかも、それ絶対褒めてないし」
刹那がジト目で睨むが、桃香は嬉しそうに顔を赤らめて微笑み返すと、
「では、放課後に!」
と言い残して自席へと戻って行った。
そして、放課後。
「では、刹那君、行きましょう。甘いものは好きでしたよね?」
「……嫌いじゃないけど、なんで知ってるの?」
渋々答える刹那に、桃香が微笑む。
「それは勿論、バレンタインに下級生にチョコをねだって回ったと聞いてますから!」
「いや、それは別に甘いものを食べたかったわけではないんだが……」
中学卒業と共に捨ててきたつもりの黒歴史をほじくり返され、刹那は頭を抱えた。情報の出処は明らかだ。刹那が凛子を睨み付けると、凛子はべぇーっと舌を出して応酬した。
「あの、よかったら俺もご一緒していいかな?」
急に三人のやり取りに割って入ってきたのは、クラス一のハンサム男、サッカー部の斎藤某。入学早々、桃香にジェノサイドされた一人だ。
『なんなら代わってくれ!』
と刹那が口にするより早く、
「すみませんが、迷惑なのでご遠慮ください」
すまないと思っているようにはまったく見えない破壊力満点の悩殺スマイルで、桃香が斎藤を切り捨てた。
当然かも知れないが、斎藤を含め、クラスの男子全員の羨望と憎悪の眼差しが刹那に集中している。普段から周りをほとんど気にしない刹那だが、それは彼のこれまでの人生の中で、他人の注目を集めることがなかったからでもある。ここ数日、桃香のせいで悪目立ちしている自覚のある刹那は、桃香に慕われているという優越感よりも、居たたまれなさの方が勝っていた。中途半端に桃香に逆らって教室にとどまり続けるのは得策ではないだろう。桃香に促されるまま、刹那は逃げ出すように教室を出た。
「それで、親睦会って、どこでするつもりなんだよ、霞さん」
黙って歩くのも気まずいため、歩きながら刹那が聞く。
「最近、内装も外観もとても可愛くて、紅茶もお菓子もすごく美味しいと評判の喫茶店を見付けたので、行きたいです!」
「可愛い喫茶店、か。俺には致命的に似合わないぞ」
自分の人相の悪さを自覚している刹那が諦めたように言う。
「誰も、あんたに似合うと思って店を選んでないわ。そもそも、あんたに似合う店なんて……って、あれ、李香ちゃんじゃない?」
毒づきかけた凛子が、驚いたように桃香を見た。桃香も、校門を出てすぐのところに立っているランドセルを背負った小学生の少女を見て、驚きの声を上げる。
「嘘!? 今日の迎えは、私の番じゃないのに!」
三人が校門を出ると、その少女が笑顔で駆け寄ってきた。小学四、五年生といったところか。可愛らしいピンクのランドセルをしているため小学生にしか見えないが、身長が高めでスタイルもいいため、どこかアンバランスに見える。愛くるしい瞳とあどけない表情の、文句なしの美少女だ。
「やっほ! お姉ちゃん」
「李香、今日の迎えはお兄ちゃんのはずでしょ!? どうしてこんなところまで来ちゃったんですか!」
桃香が少し怒ったように言う。
「霞さんの、妹?」
どことなく雰囲気は似ているし、話の流れからして疑いもないはずだが、刹那が信じられないとでも言うように聞く。目の前にいるのは、刹那の目から見て、まさに理想的な「ニンフェット」だった。手のひらサイズに縮小して羽を付ければそのまま妖精として通用するだろう。刹那は李香から目を離せず、射殺すほど激しさで凝視している。彼女が幻でないことを確認しているかのようだ。
「あんた、よからぬこと考えてるんじゃないでしょうね?」
凛子がドスの効いた声で釘を刺す。
「まさか、そんなことはないはずです。刹那君は12歳未満には興味がないんですよね? 李香はまだ10歳ですし」
桃香が自信有りげに言う。
「あ、ああ、も、勿論だ。俺は、ぺ、ペドフィリアじゃない、からな」
言いながらも、そのしどろもどろな様子は、無理をしているようにしか見えない。
「え? なになに? ひょっとして、その人、あたしのこと、好きなの?」
きらり、と李香の目が輝く。刹那の内心の葛藤を、本能的に読み取ったかのようだ。
「違いますよ、李香。そんな変なこと言って、刹那君を困らせちゃ、ダメです」
桃香が笑顔で言うが、その目は笑っていない。傍から見ても、ぞくっ、と身震いするような昏い目だ。
「ふーん、そか。お姉ちゃんはその人のことが好きだけど、その人はお姉ちゃんよりもあたしの方が好きなんだ」
桃香の様子から、その場の状況を単純化して把握したのだろう。李香が嬉しそうに言う。中々の鋭さ、当たらずも遠からず、といったところか。刹那と桃香が同時に凍りつく。
「ち、違います! 勝手に変な妄想しないでください!」
桃香が慌てて否定するが、李香は聞いていなかった。妖精のような軽やかさで、刹那に近付き、背伸びして刹那の顔を覗き込む。
「あなたが、お姉ちゃんよりもあたしを見てくれるんだったら、あなたと付き合ってあげても、いいよ?」
囁くような甘い声と蠱惑的な表情で、李香が言う。その言葉が、男(特にロリコン)にどんな感情を呼び起こさせるのかを、李香はあまりよく分かっていないのかも知れない。そこには計算され尽くした大人の女性の媚態とは異なる、天真爛漫な危うさがあった。
「う、あ、その……」
刹那は、ニンフェットからの突然の誘惑に、ただ口をパクパクとさせるだけだった。
『俺はペドじゃない』
というお決まりの言葉も出てこない程に、刹那は狼狽していた。
「李香! バカなこと言っていないで、帰りますよ! ごめんなさい、刹那君、今日の親睦会は延期にしてください」
そう言い残して、桃香は無理やり李香の手を引いて帰って行ってしまった。
「ロリコンを改めてペドを名乗った方がいいんじゃない?」
軽蔑の眼差しで冷たくそう言い残して、凛子も刹那を置いて帰っていく。一人取り残された刹那も、溜め息を一つついて歩き出した。先ほどの李香の言葉が、刹那の頭の中で何度も繰り返されていた。
「ふふっ。使えるわね、あの子」
刹那たちの居なくなった校門の裏手で、美冬ちゃんが楽しそうに笑う。
「あなたの出番になりそうよ、『スナイパー』」
「ふひ、ふひひ、このわたくしにお任せください! 必ずや、最高の『ショット』をお見せ致しますよ!」
校門の影から刹那たちを覗き見ていた眼鏡の少女が、怪しげな笑いを響かせながら意気揚々と答えた。