蹴球部の醜聞
翌日の学校も、校内新聞の話題で持ちきりだった。ただし、今日の主役は、刹那でも桃香でもなく、サッカー部の斎藤である。
『サッカーは言うまでもなく人気のスポーツであり、サッカー選手もまた女子の憧れの存在と言っていいだろう。しかし、それをいいことに、女子を弄ぶ不届き者がこの嚆矢学園のサッカー部にいるとの情報を掴んだ。取材の結果明らかとなったその人物は、1年6組の斎藤義也、自称、サッカー部のヨシュアである。そのチャラい系の要望を裏切らず、ヨシュア氏は入学以来、数人の女性との交際が目撃されており、同時期に複数人を弄んでいたとの証言もある。ヨシュア氏が、同じクラスのとある女子生徒に振られたことは有名であるが、振られた前後で複数の女性と浮名を流すあたり、その女性に対して純粋な恋愛感情を持っていたとは到底考えられず、体目当ての色欲魔と呼ぶに相応しい所業と言えるだろう。また、ヨシュア氏は、振られた後も、その女子生徒につきまとい、更に手酷く振られた結果、その女子生徒に対して誹謗中傷を行うようになったとの話もある。器の小ささに呆れるばかりだが、本人は自分のことが何より大好きなナルシストであり、毎日手鏡を手にして、人目も気にせず、「俺はヨシュア、嚆矢学園1年6組で一番美しい男だ」と呟いているというから、その精神の図太さには脱帽するより他ない。とまれ、ヨシュア氏をこのまま放置すれば、サッカー部のみならず嚆矢学園の恥部となることは想像に難くない。サッカー部は、このような勘違い野郎を排出しないよう、全員を坊主頭とした上で、部員の恋愛禁止令を徹底すべきである。さもなくば、サッカー部は早晩、球を蹴るというよりは玉を蹴られるべき存在へと成り下がるであろう。』
新聞には、素肌の上に白いスーツを纏い、バラを咥えた斎藤の写真が載っている。刹那が昨日斎藤に話しかけられた際、スマホで撮った写真を加工したものである。
「どうだ、校内新聞デビューを果たした気分は、斎藤、いや、ヨシュアと呼んだ方がいいかな?」
珍しく、自分の席から離れ、刹那が斎藤に話しかけた。
「お前の仕業かよ。ふざけんな!」
斎藤が机を叩いて刹那に怒鳴りつける。
「記事を書いたのは俺じゃないぞ。昨日や一昨日のと同じ、新聞部が書いたれっきとした校内新聞だろ」
「お前が書かせたんだろうが!」
「確かに、ネタは提供したな。それも、昨日一昨日の校内新聞で誰かがネタを提供したのと同じだ。だが、校内新聞に書かれてしまえば、どう喚こうが無駄なんだろ?」
嘲るような笑みを浮かべ、刹那が昨日の斎藤の言葉を引用する。朝から学校中の笑いものにされた斎藤は、刹那の挑発を受け流せなかった。勢いよく立ち上がり、刹那に殴りかかる。サッカー部で活躍する斎藤の体格は、標準体型の刹那より二回り以上大きく、その動きも、野獣を思わせるような獰猛なものだったが……一瞬の後に床をのたうち回ったのは斎藤の方であった。
「いきなり何をするんだ。危ないじゃないか。念のため言っておくが、正当防衛だぞ」
虫けらでも見るような目つきで(少なくとも斎藤にはそう見えるだろう)刹那が斎藤を見下ろしながら言う。
「何が正当防衛よ。よく言うわ。それにしても、えげつない一撃ね。体を捌いての中段突き、とことん基本に忠実だけど」
答えない斎藤に代わって、傍で見ていた凛子が口を開く。
「そりゃ、基本しか習ってないからな」
「刹那は寸止めが出来なくてすぐに空手教室やめたもんね」
「すぐにやめたのに、どうしてそんなに強いんですか?」
桃香が目を輝かせて聞く。
「この顔のせいで、小さい頃はしょっちゅう喧嘩売られたからな。基本に習熟するくらいには場数を踏んでるんだよ」
「むしろ、基本的な技の方が実戦では役に立つしね。変な寸止めの癖もないから、刹那は強さだけなら有段者とも遜色ないでしょ」
凛子が珍しく刹那を褒めたが、これは斎藤や他のクラスメイトたちに刹那に喧嘩を売ることの無謀さを思い知らせるためだろう。黒帯の凛子のお墨付きである、効果はてきめんで、暫くして立ち上がれるようになった斎藤も完全に戦意を失っていた。自分から攻撃して返り討ちにあった屈辱に震えながら、斎藤は何も言わずに席に戻った。
午前中こそ、学園中が斎藤を笑いものにして盛り上がっていたが、昼頃にはそうした動きもかなり沈静化していた。昨日、一昨日と同様、キャッチーなゴシップ記事ではあったが、過去の記事とは大きな違いがあったのだ。それは、記事の中に明らかな嘘が書かれていることである。斎藤は、自分で『ヨシュア』などという名前を自称しているわけではなかったし、手鏡片手に自己陶酔に耽るようなところを目撃されてもいないのだ。このあたりのネタは、刹那が意図的に仕込んだガセネタである。そのため、1年6組の生徒たちを中心に、この記事が面白可笑しく書かれた捏造記事であることが伝わっていったのだ。校内新聞というもののうさん臭さを学園中が知ったわけで、これこそ、刹那の狙っていたことだった。
昼休み、作戦会議と称して刹那たち3人は屋上に集まっていた。
「クラスの何人かが謝ってくれました。校内新聞を信じて、酷いこと言ってごめんなさい、って」
桃香が嬉しそうに言う。刹那も満足げに頷いたが、すぐに顔を引き締めた。
「ここまでは作戦どおりだが、問題は六限だな。休み時間や何もない放課後は美冬ちゃんを捕まえにくいが、さすがに今日の六限は逃げられないだろう」
そう、今日は水曜日、文学研究会の日である。
「美冬ちゃん捕まえてどうするの? そんなことしたって、特に何もできないんじゃない?」
「確かに、捕まえたあとのビジョンはまだ何もないが、それでも何もしなければいいようにやられるだけだぞ」
「でも深山先生も、私たちに嫌がらせしようにも、もうそうそうネタなんてないんじゃないですか」
桃香の楽観に、刹那も頷く。
「そうだな。だからこそ、また何か企んでくる前に何とかしたいんだ。美冬ちゃんだって、思い通りに行かなくて、焦っているはずだからな」
「でも、深山先生、どうして私たちを目の敵にするのかな……」
「それを明らかにするのが、当面の目的だな」
「どうせまた、NHKの陰謀だー、って言う気でしょ?」
凛子が揶揄するように言ったが、刹那はまじめな顔で頷いた。
「美術の岡崎先生にも言われたよ。深山先生には気をつけろ、彼女は俺や、岡崎先生のような男の敵だ、って」
「なに? 岡崎先生もロリコンなの?」
凛子が露骨に軽蔑したような顔で言う。
「いや、岡崎先生は……ピュグマリオンコンプレックスだよ」
桃香と凛子の顔に疑問符が浮かんだが、刹那はそれ以上説明せずに話を戻した。
「ともあれ、もし仮に美冬ちゃんが、俺の考えるようなNHK……『日本を滅ぼす会』の一員なら、人口増加に寄与しない俺や岡崎先生は、寧ろ歓迎すべき存在のはずなんだ。そこが解せない」
刹那の言葉に、桃香が驚きの声を上げた。
「えっ? 刹那君の定義では、ロリコンの対象には二次性徴後の女の子も入りますよね? 幼い内から、その、えっちなことされちゃったら、逆にたくさん子供を産めるんじゃないですか?」
桃香がやはり「えっち」のところで恥ずかしがりながら言う。
「いや、霞さん、俺のことをどういう目で見てるんだ? 俺はロリコンだけど、現実にニンフェットと子供を作るような行為ができるとは思っていないよ。妄想するくらいが関の山で、人口増加に寄与できる可能性は極めて低い。俺は、妄想と現実との区別をつけられる、節度あるロリコンなんだ」
刹那が胸を張って言う。
「いや、そんな威張るようなことでもないでしょ……」
凛子がジト目で突っ込んだが、桃香は閃いたように手を叩いた。
「ひょっとして、深山先生もそこを誤解してるんじゃないですか? ロリコンは小さな女の子に襲い掛かって子供を増やすアブナイ存在だって」
「でもそれだと、ロリコンではない岡崎先生が目の敵にされる理由がわからないんだよな……」
「結局、今日深山先生と直接話をして確かめるしかないですよね」
考え込む刹那に、桃香が言う。刹那と凛子が同意し、これが作戦会議の結論となった。