突撃、ゴシップ新聞部
翌日の学校は、昨日よりも更に騒がしかった。しかも最早誰も刹那の陰口など叩いていない。学園中の興味は、刹那ではなく、桃香の一身に集まっていたのだ。
「ねぇねぇ、見た? 今日の校内新聞。かわいい顔して、とんだビッチよね」
「ほんと。ちょっと胸が大きくて男子にチヤホヤされてるからって調子にノってる感じだったけど、あそこまで男に媚びるとかドン引きだわ」
「くそ、相手の男、誰だよ。羨ましいな。俺もあの巨乳に顔を埋めたいよ」
「案外、命令したら簡単にヤらせてくれるんじゃね? 変態ドMみたいだし」
クラスメイトたちの耳を覆いたくなるような下劣な侮辱発言に、刹那は眉を顰めた。当の桃香は、真っ青な顔でじっと俯いている。校内新聞を見ていない刹那には事情がまったくわからない。そうした言葉を耳にする都度、発言者を睨みつけている刹那に、サッカー部の斎藤某がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「残念だったな、ロリコン君。どうだ、かっこつけて邪険に扱っていた女を寝取られた気分は?」
「寝取られた? 何のことだ?」
刹那が怪訝な顔をする。
「何って、この校内新聞だよ。あの女、お前の目の前で、別の男を抱きしめたんだろ?」
刹那は、斎藤が机の上に置いた校内新聞に目を通した。そこには、胸を押し当てるように男の頭を抱く桃香と、それを間抜けな顔で見つめる刹那が写っていた。当然、昨日の職員会議の写真であるが、写真からは、男が木村教諭であることは判別できなかった。写真に写る刹那たちの角度からして、美冬ちゃんが撮ったのだろう。続けて、刹那は記事に目を通した。相変わらず毒々しい字体で書かれた『風紀の乱れを正す! 構内でのいかがわしい行為を許すな!』との見出しの下に、次のような記事があった。
『先日のロリコン騒動に引き続き、構内の風紀の乱れが続いている。今回我々新聞部が掴んだのは、構内での不純異性交遊の現場である。写真からもわかるとおり、女子生徒が自慢の巨乳に男の顔を埋めさせている。女子生徒の招待は嚆矢学園の誇る殺戮の天使、一年ロック味の霞桃香だ。入学数カ月で百人以上からの告白をお断りしたとの伝説を持つ彼女だが、一次は件のロリコン野郎、久遠刹那を体を使って誘惑していたとの情報もある。今回、等の久遠刹那の眼前で他の男に授乳プレイを行っているのは、振られた腹いせかはたまた荒手のプレイか、いずれにせよごく一般的な性的指向と羞恥心を持つ我々には理解しがたい所業である。こうした行為が我らが申請なる学び舎で行われていることは行かんというより他ない。そもそも、女性の価値は胸の大きさでは測れないものであり、旨を使って男を誘惑する行為は、男の動物的本能に訴えかけるだけの極めて動物的かつ下等な静的アピールであるから、それを行う女性も、知性よりも動物的本能、つまりは性欲に支配されて行動していることが容易に想像できるのである。一つ断っておくが、これは決して巨乳に対する妬みや嫉みから来る偏見ではなくごく常識的な考察である。そもそも学園生活における恋愛というものは過度な肉体的接触を目指すものであってはならず、精神的繋がりを重視したプラトニックなものであるべきである。そうでなければ、学園と制服コスプレ風俗店の区別は極めて曖昧なものとなるであろう。』
相変わらず誤字の多い駄文だが、それ故に刹那はその書き手に確信を持った。
(間違いない、橘 文奈だな、これは)
「どうした? ショックで声も出ないか?」
無表情で黙り込んでいる刹那に、斎藤が焦れたように反応を急かす。
「いや。こんな捏造記事で盛り上がれる知性のなさに呆れただけだ」
「な、なんだと!?」
「大体、実際その場に居合わせたんだからショックも何もないだろ。写真から適当にでっち上げた妄想記事を真に受けて騒いでる頭の弱い奴が多いのは驚きだがな」
刹那がクラス中に聞こえるように大きな声で言う。
「こ、校内新聞に書いてあるんだから事実だろうが!」
斎藤も大声で返す。刹那が鼻で笑う。こういう時の刹那の顔は、誰の目から見ても邪悪で小憎たらしく見える。
「実際の新聞でも捏造記事や偏向報道がなされているのに、こんな趣味で作られたような校内ゴシップ新聞が事実なわけないだろ。大半が書いた奴の主観や憶測で、取材した事実に基づいている箇所なんてごくわずか、しかも、その事実すら曲解してる。これを読んで霞さんを変態だの淫乱だのだと信じるのは、心霊写真の載ったオカルト雑誌を読んで幽霊の存在を信じるのと同レベルの幼稚さだな」
刹那の言葉に、教室が静まり返る。桃香の陰口を叩いていたクラスメイトは幼稚呼ばわりされて不快な顔をしているが、鬼の形相の刹那に反論できる者はいなかった。
「ふん、こうやって記事が出ているんだ。お前がどう喚こうが無駄なんだよ」
数分の沈黙の後、斎藤はなんとか捨て台詞を吐いたが、その時には刹那は既に斎藤の方を見てすらいなかった。スマホを弄る刹那に盛大に舌打ちして斎藤は自分の席に戻った。
それから暫くして、教室のドアが勢いよく開き、凜子が入ってきた。凛子は、刹那に劣らないほど怒り狂った顔をしていたが、静まり返った教室の様子に、すぐに戸惑い始めた。
「何、これ、なんでこんなに静かなの?」
凛子が刹那に聞く。誰も桃香のことを話していないことが不思議なのだろう。
「みんな、三文記事を真に受けて陰口を叩く自分達の愚かさを悟ったんだろ。それより、どこに行ってたんだ、凛子」
「その三文記事を回収してたのよ。こんな下らない誹謗中傷で桃香を傷つけて、新聞部の奴ら、ただじゃおかないわ」
「そのことなんだが、この記事書いてるの、文奈じゃないか?」
「ええ!? あの橘文奈? あんたのライバルの?」
凛子が驚きの声を上げる。全くそんなことは考えていなかったのだろう。
「いや、別にライバルになったつもりはないんだが」
刹那が少し不満そうに眉を吊り上げる。文奈は、凛子と同じく、刹那の保育園からの幼馴染みだ。しかし、文奈は昔から内向的な少女で、活発な凛子とはあまり交流がなかった。その点、刹那と文奈は陰キャラ同士、少なからぬ因縁があった。
「でも、なんで文奈の文章だってわかるのよ?」
「ま、まさか、愛ですか? 愛なんですか!?」
凛子の問いに食いついてきたのは、桃香だった。
「えっと、霞さん、急に元気になったね」
「はい……刹那君、私のこと庇ってくれてありがとうございました。あのまま辱めを受け続けたら、私、どうなっていたことか……」
桃香が高揚した顔で身悶えする。
「いや、なんかお楽しみを邪魔してしまったみたいなんだが……。ともあれ、昨日は助けて貰ったし、そもそもあんな写真撮られたのもそのせいだから。悪かった」
「はいはい、いい雰囲気になってるとこ悪いけど、話を戻すわよ。なんでこの文章が文奈なのよ」
「ああ。あいつは昔からハイパーグラフィアの気があった」
「ハイパーグラフィア? 何ですか、それは?」
桃香の問いに、凜子も分からないとジェスチャーで答える。
「多筆症とでも言うのかな。とにかく文字を書き続けずにはいられない強迫観念の一種だ」
「そうだったの? 知らなかったわ」
凜子が驚いたように言う。
「小中で何度も同じクラスになってるのになんで気付かないんだよ」
刹那が呆れたように言う。
「あんまり興味なかったからね。あんたとよく言い合いをしてた印象しかないわ」
「まあいい。とにかくだ、昨日の記事も今日の記事も、語彙は豊富で難しい言葉も多く使われているのに簡単な表現に誰にでもわかる誤字が多く見られる。これは文奈の『一発変換ルール』の特徴だ」
「一発変換ルール、ですか?」
「ああ。スマホでも何でも、機器を用いて文章を作成する際、普通はかなを入力したあと、正しい漢字に変換されるまで変換キーを押し続けるだろ。しかし、とにかくたくさん文字を書きたいあいつには、それがもどかしいんだ。だから、一度変換キーを押して変換したら、誤変換でも直さずにそのまま続きを書いてしまう。結果、同音異義語が多い簡単な言葉ほど誤変換が多くなるんだ」
「そんな適当な……」
桃香が呆れたように言う。
「だろ? モノを書く以上、誰にでもしっかり意味が伝わるように、用語用法は正しくあるべきだ。昔からあいつには何度もそう言っていたんだが、『そんな陳腐な説教では私の書きたい情熱は止められないぃぃぃ』とか言ってまったく取り合わなかったな、あいつは」
「そんなくだらないことで言い合いしてたのね。初めて知ったわ」
凛子興味なさそうな口調で言うと、刹那が鼻で笑った。
「確かに、文字をろくに読めないお前には、誤字かどうかも関係ない話だろうな」
「な、私に喧嘩売ってるの!?」
「まあまあ、凛ちゃん落ち着いて。それで、その橘さんが記事を書いているとして、何か事態が変わるんですか?」
「ああ。文奈のことは、まあ、分かってるからな。あいつは変人だが、好んで人を誹謗中傷するような奴じゃない」
「心根は優しい人なんですね?」
桃香の言葉に、刹那は首を横に振った。
「いや、そういうことでもない。単に、他人に興味がないんだ。あいつにとって大事なのは、文字を書くことだけだからな」
「なかなか厄介な人ですね」
桃香が苦笑する。
「まあな。だが、相手が文奈ならやりようはある。放課後、新聞部に行ってみるよ」
「あ、私もついていきます!」
桃香が目を輝かせて言う。久しぶりに、笑顔の桃香を見た刹那は、特に何も言わなかった。
放課後、刹那たちは新聞部の部室を訪れた。部室では一人の少女が一心不乱にキーボードを叩いている。部室に備え付けられた古いパソコンではなく、私物の文字入力専用ガジェットのようだ。赤みがかったロングヘアを三つ編みにしたメガネの少女だ。三白眼が知的な印象だが、時折高笑いしながらキーボードを叩く姿はどことなくマッドサイエンティストに見える。刹那の予想通り、橘文奈だった。
「久しぶりだな、文奈」
「ああっ! お前は、活字中毒一号!」
文奈が刹那を見て声を上げたが、キーボードは叩き続けている。
「いや、いい加減、名前で呼んでくれ」
「名前……なんだっけ?」
文奈が首を傾げる。
「あのなぁ、久遠刹那だよ。まったく、文字の書きすぎで固有名詞を判別できなくなってるんだろ。そのうち駄文の海で溺死するぞ」
「溺死なんてできるわけないでしょ。全角文字一文字が2バイトなんだから、小説一冊10万字もせいぜい200キロバイト。ハードディスクの単位がテラバイトの時代に溺れるほど文字書くのは不可能よ」
「別に物理的な話をしてるわけじゃないんだがな」
微妙に噛み合わない会話に刹那が苦笑する。
「そういえば、久遠刹那という文字列、最近見たな」
「いや、自分が書いた昨日の校内新聞の記事くらい覚えておけよ」
「ああ、昨日の記事か。ロリコン撲滅を題材に書くよう依頼があったから書いたんだった」
「依頼主は美冬ちゃん……深山先生か?」
「そうだよ。よく知ってるね」
「今日の記事もだろ?」
「今日の記事……淫乱巨乳の話……ってそこにいるのは当のジェノサイドエンジェル! 何しに来た? 私の貧乳を笑いに来たのか!?」
文奈が桃香を指差して叫ぶ。桃香は驚いて刹那の背中に隠れた。
「いや、落ち着けよ。それよりお前、なんで新聞部なんかに入ってるんだ? 作家志望だっただろ?」
「ふん。書いたもの書いたもの、どこかの活字中毒者に散々ダメ出しされたからね。気付いたんだよ、作家になるにはただ書くだけではダメで、面白くなければならないって。その点、新聞なら、それっぽく書いてさえいれば、別に面白くなくてもいいし」
「いや、その分、取材に基づいて公平な立場で事実を伝えるとか、制約は多いだろ」
「そんな理想論、本物の新聞でも無視されているのに、校内新聞ごときで気にする必要はないわ」
文奈が自信満々な様子で言い切る。
「そこは気にしてくれよ……。それに、物書きを目指すなら少なくともその『一発変換ルール』はやめろよな」
「なんでよ? 私の一発変換ルールは、全ての物書きを救う、画期的な発明だというのに」
「どこがだ!? ただのものぐさだろうが」
刹那のツッコミを文奈はせせら笑った。
「時代が私に追いついていないだけだよ。頭の悪い辞書ソフトのために変換キーを何度も押して正しい漢字を選ぶなど無駄無駄無駄! その無駄な時間のせいで、作家のクリエイティビティがどれだけ削がれていることか! そもそも、正しい漢字は文脈から明らかなんだから、修正は校正の専門家に任せればいいのよ。まぁ、そのうちAIが文脈から自動で正しい漢字に変換してくれるようになるから、そうなったら校正も不要になるでしょうけど」
「待て待て、どんなにAIが発達しようと、作家の思い描く漢字を正確に変換することは不可能だぞ? 例えば、同音異義語をネタにした『イシって言ったって、意思なのか意志なのか医師なのか縊死なのわかんねーよ!』なんていうセリフを考えたとして、どの順番でどのイシが出てくるかは文脈からは判断不可能だ。どの漢字を使うか、使わないかという語彙の選択は、作家の作家性の現れで、それを機械や他の人間に丸投げできるものでも、また、すべきものでもないと思うぞ」
「そんな細かなこと、読者は気にしないよ。君の挙げた例にしても、どの順番でどのイシが出てこようと、それでその作品の面白さや価値が劇的に変わるわけでもないでしょ。読者は早く続きが読みたいの。そんなこと、これまで数多の名作が続編を望まれながら未完に留まっていることからも明らかでしょ。誰も、中学生の時に読んでいた小説の完結編を、中年になるまで待たされたくないわ! つまり、作者のクリエイティビティを阻害する要因は徹底的に排除すべきなのよ!」
会話の間も、文奈はすごい勢いでキーボードを叩き続けている。どうやら話している内容をすべてタイプしているらしい。
「あー、もー、いい加減にしなよ。あんたたちが言い合いを始めたら終わらないから」
見兼ねて凛子が間に入る。
「あ、お前は一撃必殺娘! 暗殺拳で私を闇に葬りに来たのね!?」
「誰が一撃必殺娘よ……その、人に変なあだ名付けた上でキャラ付までするの止めてよ」
「いやぁ、そうでもしないと人の顔覚えられなくて」
文奈が、バツが悪そうに笑う。
「一種の記憶術だったんだな……。まあいい、取り敢えず、要件だけ言うと、今後の記事で『久遠刹那』と『霞桃香』と、ついでに『棗凛子』はNGワードだ。禁止文字列を決めて文章作るのは得意だっただろ?」
刹那が、紙に「NGワード」を書いて文奈に示す。「ついでに」、の言葉に、凛子が顔を引きつらせたが、話をややこしくしたくないのだろう、何も言わなかった。
「任せて。問題ないわ」
得意、という言葉に機嫌を良くしたのか、文奈が笑顔で応じる。
「後もう一つ、明日の校内新聞のネタをやるから、書いてくれないか」
「明日はネタがなかったから、大歓迎だよ」
刹那は新聞編集用のボロパソコンにスマホを繋いで、データを転送すると、文奈にいくつか要望を伝えた。
「じゃあな、明日の新聞、楽しみにしてるぞ」
「うん、任せて。今度こそ面白かったと言わせてあげるから」
言いながら、文奈はパソコンに向かって記事を書き始めた。モニターに集中し、既に刹那たちは見えていないようだ。三人は何も言わずに新聞部の部室を出た。
「物分りのいい人でしたね。刹那君の天敵と聞いていたのに、寧ろ仲良しに見えました」
桃香が感想を述べる。
「言っただろ、文字さえ書ければなんでもいいんだ、あいつは。善悪に頓着もないしね。推敲もせずに思いついた文章を垂れ流してくるだけのくせに、自分の文章を、或いは自分の文章で、認められたいと考えてるから、文章を批判されると怒るが、そうでなければ割と友好的に交流が可能なんだ」
「つまり、あんたがケチをつけたから喧嘩になってたわけね」
凛子が茶化して言う。
「仕方ないだろ。自分の文章を読み返さないから、あいつの書く話は、話の前後が矛盾するし、同じようなネタが繰り返し出てくるしで、作品として破綻してるんだよ」
「それでも、小中学生の書く話なんだからそんな細かいこと言わなくていいじゃない。大人げない」
「同い年だっての。でもまぁ、確かに今思うと、出来はともかく、自分自身で話を書けるのが羨ましくて、辛口になっていた部分もあったかもな」
「刹那君は、読む専門なんですか?」
「世の中には既に大量に本が溢れているからな。読みたい本はいくらでもあるし、なかなか自分で書くところまで回らないよ。そりゃ、自分の生きた証に、いつか何か一冊くらい本が残せたら、とは思うけどね」
桃香の問いに、刹那は少し恥ずかしそうに笑った……つもりだったが、どちらかと言えば村人を虐めて楽しむ魔王の笑みのように見える。桃香は自分がいじめられているような気分になって顔を赤らめた。
「それはさておき、打てる手は打った。校内新聞はこれでいいとして、後は美冬ちゃんをどうするか、だな。俺はともかく、霞さんまで目の敵にされているのは、何とかしないと」
「そこは、桃香をいぢめていいのは俺だけだ! って、かっこよく言い切ってくれてもいいんですよ!?」
抱き着かんばかりに刹那に接近した桃香を、凛子が引きはがした。
「はいはい、私の目の黒い内はイチャラブなんて認めないからね。それより、桃香、今日は李香ちゃんのお迎えじゃないの?」
凛子の指摘に、桃香が、あっと声を上げた。
「そうでした。もう行かないと……。ごめんなさい、刹那君。今日は、帰りますね」
「ああ、また明日……」
李香ちゃんによろしく、という何気ない一言を、何故か刹那はすんでのところで飲み込んだ。