いざ出陣
今日はトバイアス様に言われたことを学校でも実践してみよう、と決意してベッドから起きた。やる気に満ちた私に、マルタがすり寄ってくる。マルタ、今日からあなたの主人は一味違うのよ。
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう、タリ。あなた昨日と同じ髪型ね。とても可愛いから、私にもしてくれる?」
「ええ、よろこんで」
「この髪型、流行っているの?」
「いいえ、私のオリジナルです」
「すごいわね!」
「日夜研究に勤しんでおりますので…オリジナルが他にもいくつか…」
休暇を取ったモーディの代わりに、ヘアセットが得意なタリが朝の支度をしてくれる。そういえばモーディとタリにも、これまで大変迷惑と心配をかけている。何しろ、毎度毎度パーティーのたびに渾身のヘアメイクを施して素敵に変身させてくれるのに、肝心の本人が男性と会話もせずにさっさと逃げ帰ってくるのだから。
でもそれは過去のこと。今日から私は変わってみせる。そして婚約者を自力で見つけるのだ。ひとりぼっちの外国で、愛のない結婚なんて、絶対に嫌だ。
モーディ、タリ、見てて!
気合いを入れて力強く頷くと、タリが「?」という顔をした。
学校用に薄めのヘアメイクを施してもらい、朝食を済ませ、馬車に乗る。馬車の中で決意を固める。まずは今日一日、絶対にやりきってみせる。笑顔で挨拶、一言添えて、そして相手が話し始めたら聞き手に回る。きっかけさえつかめば、相槌以外はほぼ自分で喋らなくていいので、クラスメイト相手でも、なんとかできるはず。いや、やってみせる。
今朝タリに教えてもらった通り、口角をぐいと押して、自分の顔に笑顔を記憶させる。「できるできる、私はみんなと笑顔で会話する」と自分に暗示をかけて馬車を降りた。
教室に入ると、既に何人かの生徒が登校していて、教室の真ん中に集まっておしゃべりをしていた。
いざ声をかけるとなると、震える。
考えてみれば、使用人からは好意的な反応が得られて当然だった。だって私は主人なのだから。でもクラスメイトは違う…うまくいかなかったら、きっと立ち直れない…
でもやらなければ。トバイアス様から「クラスメイトの皆様相手に実践してみて、結果を教えてくださいね」と言われて、思わず頷いてしまったし。それに、何とかして自分を変えなければ政略結婚が待っている。今のままで、急に白馬に乗った婚約者が現れるわけがない。
見知らぬ外国の屋敷でひとり部屋に篭る自分のイメージが頭に浮かび、必死でそれを振り払う。
ずっと憧れていた「幸せな結婚」を掴みたいなら、やるの!声を出すのよ私!
「み…皆様、ごご、ご機嫌よう」
なんとか口角をあげて震え声で挨拶をすると、みんな一瞬ビックリした顔になってから、笑顔で「イベリス様、ご機嫌よう」と返してくれる。育ちの良い皆様のことだ。さすがに、目立たなくて全然しゃべらないクラスメイトである私のことも、無視したりはしない。
笑顔で返事があったことに感動を覚え、今日はこれで仕事を終えてもいいような気になるが、ぐっと堪えてもう一押しだ。誰かに声をかけないと。
勇気を振り絞り、今日久々に登校したホークボロー侯爵令嬢アイリシア様に声をかける。彼女は金髪にエメラルドグリーンの目の持ち主で、明るく社交的で皆から好かれている。彼女に声をかけるなら、観察するまでもなく添える一言は決まっている。
「ア…アイリシア様、お久しぶりでございますわね。あの…ええと…お休みの間…体調を崩していらしたの?」
「いいえ。実は、家族でニトレマ王国内にあるホークボロー侯爵領の飛び地に行っておりましたの。父と母が、ぜひニトレマの祝祭を見せたいというものですから」
ニトレマの祝祭は各国から人が集まる一大イベント。誰しも一生に一度は見ておくべき、とさえ言われている。思わず食いついてしまう。
「まあ…わ、私もいつか見てみたいと思っておりますの。あの…よろしければ…ぜひお話をお聞かせくださいな」
「もちろん!それはそれは素晴らしくて…」
アイリシア様が話してくれる、煌びやかな踊り子の衣装、沿道の賑わい、ビーチの様子などは初めて聞くことばかりで、私は「そんな素敵なところが領地内にあるなんて素晴らしい」とか「私も見てみたい」と心からの相槌を打ちながら、ひたすら聞き役に徹する。というか、言葉が出るのが遅い私が相槌以上をはさむ隙間などない。アイシリア様はすごい勢いで喋り続けている。
結局、先生が教室に来て「そろそろ座りましょう」と注意するまでアイリシア様は喋り続け、「イベリス様とは初めてお話ししたと思いますが、とても楽しかったですわ。ぜひまたお喋りいたしましょうね。ニトレマで買った民族衣装も見ていただきたいわ」と名残惜しそうに自分の席に向かった。