猫も食わない
教室で「イベリス」と呼びかけられる。この教室内で、侯爵令嬢である私を呼び捨てにできるのは、クレイト王太子殿下だけだ。プロポーズを承諾したあと「これからはイベリスと呼ばせてもらうよ」と言われたのだ。
「クレイト様、何かご用でしょうか」
「用はないよ。呼んでみただけ」
屈託なく笑うクレイト様に、こちらが照れてしまう。ふと周りを見ると、クラスメイトたちは孫を見守る祖父母のような穏やかさで私たちを見て微笑んでいる。その笑顔に、「私たちが、この二人の背中を押して婚約させてあげた」という保護者意識のようなものが透けてみえる。
「あ、そうだ。今日の放課後は猫カフェを貸し切りにしているからね」
「はい、楽しみにしております」
「私もだよ」
放課後、久々に猫カフェで寛ぎながらお喋りをする。猫好きの護衛であるリロイ様は、今日も特別にクレイト様の許可を得て猫と戯れている。
「公務が忙しくなってしまってね。プロポーズして以降、なかなかイベリスと過ごす時間がとれなくてすまなかった」
「いいえ。今日このようにお忙しい中お時間をとっていただいたのですし、クレイト様に気にかけていただいているだけでも私は十分です」
「そう言ってもらえると安心するよ。何しろ今までの相手は、私が忙しくなると文句ばかり…」
そこまで言って、クレイト様がはっと言葉を止めた。「今までの相手」とは、王太子妃候補としてデートしてきたご令嬢のことだろう。そういう相手がいただろうと思ってはいたが、実際に聞くと心にさざ波が立つ。どのような方だったのだろう…
私の顔を見て、クレイト様が気まずそうな顔をされたので、笑顔を作る。
「お気になさることはございません。クレイト様の立場を考えれば、今までそういったお相手がいなかったというほうがおかしいのですから」
「ありがとう…ところで好奇心から聞くんだけど、イベリスは今まで恋をしたことはあるの?私以外の相手に」
急な質問に、即座には答えが出ない。詰まりながら「い、いいえ。ございません」と答えると、クレイト様は笑って「じゃあ私がイベリスの初恋だね?」とおっしゃる。こんな恥ずかしい質問に答えなくてはいけないなんて。ソファで隣に座っているので、覗き込んでくるクレイト様の顔が近い。
「さようでございます」
「それは嬉しいな。では、イベリスは私のどこを好きになったのかな?」
さらに上をいく恥ずかしい質問をされて、「気さくで、誰にでも公平で敬意を払い、笑顔が素敵なところです」と真っ赤になりながら答える。「真っ赤になったイベリスが可愛い」と言うと、クレイト様は私の顎を少し上げてキスをした。
「!!」
真っ赤な頬にさらに血が集まってきて、痛いくらいに熱い。クレイト様の手が触れている部分がジンジンする。
「ようやくキスできた」
「クレイト様、護衛の方もいらっしゃるのですし…」
「さっき下がらせたから誰もいないよ。見て」
店内には本当に誰もいない。「少しの間だけ、外から警護させているんだよ」とクレイト様。「だから思う存分、イベリスにキスできる」と微笑む。
「さっきのがイベリスのファーストキスだよね?」
「さ、さようでございます」
答えると、クレイト様はまた私にキスをくれる。優しく、何度も。頭がふわふわしてしまい、このまま鳥のようにどこかに飛んでいけそうだ。
「私のイベリス、とてもきれいだ。そんな顔をされたら、やめられなくなるよ」
「じっ、自分では、どのような顔をしているのか…」
「私を刺激する顔だよ。護衛を下がらせておいてよかった。他の男には見せられない」
ふとクレイト様がキスを止めた。何だかそれだけで寂しくなってしまい、左の頬に添えられたクレイト様の手に、自分の手を重ね、目を閉じて顔を傾ける。本当の本当は自分からキスしたいけれど、今はこれが私からのスキンシップの精一杯だ。
「…!」
クレイト様が息を呑むのが伝わったので、気に入らないことをしてしまったかと思って目を開ける。と、すぐ目の前に紫の瞳。思わず後退りしそうになるのを防がれ、またキスされる。
「本当に、他の男には見せられない。箱に入れて隠しておきたいくらいだ」
猫カフェにいるのに猫を愛でることを忘れている私たちの横で、猫たちは大きなあくびをした。
「目指せ婚約」編は終了です!
次回からはビオネッタやアイリシアの恋愛模様を描いています。トバイアスも再登場します^^
よろしければぜひお付き合いください。




