異世界から帰ったら恋人には新しい恋人がいた。
モヤモヤする作品を書きたかった
——俺は異世界で五年間勇者をやっていて、地球に帰って来たのだ。
そう言ったら信じてくれる人が何人いるだろうか。
きっと、誰も信じてはくれないだろう。例えそれが親友であっても、恋人であっても、家族であっても。
仮にそんなことを言ったならば、まず失笑し、場合によっては精神科にかかることを勧められるかもしれない。
無理もない。異世界に行って来た当の本人である俺でさえ、自らの身体に宿る残り僅かな魔力がなかったなら夢だったのかと疑うかもしれない。
だが、俺は確かに異世界に行き、五年をそこで過ごし、帰って来たのだ。
これは、そんな俺のちょっとした話である。
◇◆◇◆
俺には彼女がいた。幼稚園から中学まで同じで、高校も同じところに通う予定であった。
物静かな性格で、美人で、幼馴染でなかったら高嶺の花だったことは確かだろう。自慢の幼馴染で、恋人だった。
五年間、一目見るどころか声を聞くことすらなかったけれど、彼女に対する愛情は日に日に増して行くばかりだったのだ。
異世界では勇者というネームに縋り付こうとするハイエナばかりだ。ハニートラップ、暗殺、政略……何が本当で何が嘘かもわからなくなった時、何者でもない俺という存在を愛してくれた彼女がどれほど心の支えになったか、言葉では言い尽くせない。
元の世界に帰ろうとする俺を引き留めようとする王国の追っ手から逃げ、この世界へと続く扉を開いてようやく帰って来たと実感した時、家族を差し置いて彼女に会いに行ったのだ。
それが間違いだったのかもしれない。
せめて帰って来た高揚感が収まってから会えば傷は小さく済んだのかもしれないし、心の準備が出来たかもしれない。
彼女との思い出の公園で待っていれば、会えるのではないかと予感し……それは的中した。
彼女は確かにいた。俺ではない誰かの腕の中に収まり、その可愛らしい唇を男に押し付けて。
「は……?」
自分の中で何かが崩れる音が聞こえる。口づけを終えた彼女は心から幸せそうに微笑んでいて、嫌なのに目が離せなかった。
風が吹き、冷たさを感じる。ぼろ切れ同然の服に防寒性があるわけもなく、しかしここで初めて自分が寒さを感じたことに気づいた。
舞い上がるような脳の沸騰から、一気に氷まで持っていかれ、ようやく相手の男を見る決心がつく。
そいつは、俺のもう一人の幼馴染で、親友だった。
◇◆◇◆
あの後どうやって実家に帰ったのかはわからず、五年間手がかりすら掴めずに消えたヤツが現れたことで世間は多少沸いた。
警察から事情を聞かれ、まさか異世界のことを話すわけにもいかないので「誘拐されて見知らぬ土地で兵士となることを強いられていた」と言っておく。嘘は吐いていない。ふざけていると思われたか、正気じゃないと思われたかは知らないが、いい感情を持った眼差しはしていなかったことだけは分かった。
二人と直接話ができたのはだいぶ後だった。俺が入院させられていたからである。
一刻も早く話を聞きたかった俺は退院日の翌日の朝に五年前にはなかった喫茶店で待ち合わせ、改めて二人を見た。当たり前だが二人は成長していて、彼女は髪を伸ばし、親友は体つきがガッチリしていた。
二人とも、俺が生きていたことを大いに喜んでくれた。それはありがたかったし、二人の顔を見て涙を流すほどには俺も嬉しかったが、隣に座る二人を見て、心が痛む自分もいた。
「……それで、二人はその……付き合ってるん、だろ?」
我ながら酷い声だった。五年も経っているのだから気にするなと言外に伝えたかったのに、酷く涙ぐんだかすれ声になってしまった。それが無性に恥ずかしかった。
俺の問いかけに二人は頷く。やはり、というか決定的な瞬間を見てしまっているので、嘘をつかれなかったことに溜め息をつく。
五年だ。
俺は五年も行方不明で、亡き者と思われていたらしい。無理もない、俺だってそんな人が生きているとは思うまい。
五年あれば、将来を誓い合った配偶者を失った人だって再婚してもなんらおかしくもないし、責める人もいまい。
キッカケは俺の失踪。
俺が死んだ可能性が高くなるにつれて陰りを見せる彼女を放って置けなかった、と。そのおかげもあり、以前のようにとはいかずともある程度明るさを取り戻した彼女に親友は告白したのが二年前。
断られてもめげず、何回もしてようやく付き合いだしたのが一年前。
「彼女を責めないでくれ。悪いのは全部俺なんだ」
そう言って頭を下げる親友に俺はなんと声をかければいいのだろうか。ありがとう? ふざけるな? 許す?
どれもしっくり来なかった。頭を悩ませている間、彼は顔を上げることをしない。
「……ごめんな」
具体的に何に対して謝ったのか、自分でもわからない。
でも、わかったこともある。
五年という期間は長くて重いのだ。
二人が語った五年間には、俺はいなかった。
入学式、校外学習、定期テスト、部活動、修学旅行、大学受験、卒業式……そして彼らが歩んでいる大学生活にも、どこにも、俺という人間はいなかった。
いや、誰のところにも俺はいないのだ、という空洞が心に空く。
二人が俺に声をかければかけるほど、自分が惨めな人間のような気がしてならなかった。
◇◆◇◆
通信制高校というのを勧められたのでやってみる。将来何がしたいとか、具体的なビジョンは思い浮かばなかったが、何かをしていたかった。
「ただいまー!」
昼過ぎにも関わらず、妹が帰宅の声をあげた。日付を気にしていなかったが、中学校は学期末の時期だった。
「あ……」
「おかえり」
「あ、うん、ただいま……」
リビングに入ってダイニングテーブルでパソコンを弄る俺を視界に収め、怪訝な声を出すと何をするでもなく二階の自室に向かっていった。
「……そうか、一昨日までは俺がいないのが当たり前だったんだもんな」
大事をとって入院させられていた俺が退院したのは昨日だ。妹にとっては俺がいない日常が当たり前で。しかも思春期にいきなりいなくなった兄が帰ってきたなど受け入れがたいだろう。
今の俺は妹にとってテリトリーに入ってきた異物にも等しい。妹と共に歩んだ過去の十年間は、空白の五年間に塗りつぶされてしまっていた。
「……俺、なんのために帰ってきたんだろ……」
この世界に帰ってきたら全てがやり直せると思っていた。恋人との美しい思い出、親友との楽しい思い出、家族との温かい思い出がまた新たに作れると信じて疑わなかったのに。
世界は俺がいなくても回っていた。
【恋人】も【親友】も【兄】も【息子】もいなくても、みんな生きていた。みんな前に進んで、取り残されたのは俺だけだ。それどころか、急にキャラを付け足した舞台のような歪ささえあったのだ。
◇◆◇◆
そこからの俺の生活は荒んでいた。
通信制高校の授業以外では部屋に籠り、ひたすらゲームをしていた。五年前に自分がハマっていたものを手当たり次第に初めからやる俺に対し、家族は何か言いたげな顔をしながらも何も言わなかった。俺を慮ったのか、かける言葉が見当たらなかったのかはわからない。
「……あ、そういえばこんなストーリーだったなぁ」
ゲームだけは以前と変わらずに俺を迎えてくれた。忘却の彼方へと飛んで行ったかつての記憶が蘇ってくる。やがてラスボスを倒し、ストーリが終わったので違うソフトを手に取る。オーソドックスなファンタジーものだ。
「お、そういえばこんな感じの魔物がいたなぁ。食べると案外美味かったんだよなぁ」
「このキャラ、ドラゴンを一緒に倒した時のあのエルフの剣士さんに似てるな。元気にしてるのかね……」
「矢が飛んでくるだけとか優しいトラップだな。もっと即死性があるやつじゃないと実力者には通じないよ」
「宝箱のお金を全部持って行ったら邪魔になるだろ! 帰りに持ってけよ!」
自分の経験との差異を一人でぶつぶつと呟く。なまじリアルを知っている分、作り込みが甘いところが気になってしまい素直に楽しめない。
「……はぁ」
結局、セーブすることすらなく本体から電源を切る。それと同時に体が空腹を訴えて来た。すっかり鈍くなった体を動かし、階下にあるキッチンから何か食べ物を漁ろうと部屋を出る。
「あ……」
古びた扉の先には妹がいた。まるで見つかってしまったと顔に書いてあるかのように気まずげな顔をしている。
「えっと……ご飯、作り置きしてあるって! それだけ!」
言うなり、自分の部屋にドタバタと引っ込んでいく。
「聞かれてたのか」
ゲームに対して、さも自分が経験したかのように妄言を吐く兄の姿に何を思ったのか。きっと、事情聴取の時の警官とそう変わりないことを思っただろう。
でも。それでも。確かに俺は勇者として異世界にいたのだ。この世の誰もが知らなくても、俺だけは知っている。
そうでなければ、俺はきっと生きて来た意味を見失ってしまうだろう。
◇◆◇◆
異世界も大概生きづらかったが、ここも俺にとって生きづらい場所になってしまった。……いや正直な話、逃げて来たはずの場所が元の場所より生きづらくなってしまった。
だから俺が再びこう考えるのも自然なことだったのだろう。【戻りたい】と。
あの世界ならば俺は、いや勇者は確かに求められていた。それがただの力としてでも、存在価値はあった。
それに対して今の俺はどうだろうか。価値がないならまだ良かったのかもしれないが、いることが邪魔にしかならないクズだった。俺がいると皆が気を遣う。過去に囚われる。関係を歪なものにしてしまう。
クズにだってプライドはあるのだ。無駄なプライドがあるからこそクズなのだ。俺は何も変わっていないのに変わった奴らが許せなくて、気を遣われる自分も気を遣う奴らも許せなくて、でも誰かが悪いと責める事も出来ない。せめて皆がクズなら、遠慮なく責めれるというのにそれさえ許されなかった。
残されたのは後一回魔法を使えるくらいの魔力だけしかないのに、過去の栄光でしか自分を慰められないのが惨めでしかない。勇者の皮を剥げば、何も出来ない無能の出来上がりだ。
こんなことならハニートラップにも構わず、言い寄って来た美女達を片っ端から抱いておくんだった。
「……我ながらないなー……」
中学生の妄想とそう変わらない内容だ。まぁ、こちらが好きでいるのならば向こうもずっと好きでいてくれるなんて浅はかな考えのせいで今に至るのだから何も言えないが。
「いやでも結構エルフの人とはいい感じだったと思うけどね? 当時の自分に会えるなら全力で落としに行けって言っとくのに……」
どうせ、その時の気持ちを大事にしていても報われないのだから。
◇◆◇◆
……夢を見た。まだ俺が勇者だった頃の夢だったから、すぐに夢だと気づいた。
「いってぇ……。さすがこの域全体のボスなだけはあったなぁ」
「……あなたが最後に油断したからでしょう? 悪い癖ですよ」
口うるさい奴だったと感じるのは当時の俺が反抗期の歳だったというのもあるが、それを差し引いても説教が多い奴だった。
出会った頃は無口だったし、何なら話しかけても返事が返ってこない嫌な奴だったが、同じような仕事をしていた腐れ縁で話すようになると人格が変わったのかと思うくらいに嫌味を言う奴だった。
それでも彼女との付き合いを辞めなかったのは、言い換えれば正直な性格だったからだろう。思ったことは飾らずに言ってきたし、彼女に教えてもらったことは一や二じゃきかない。今思えば師匠と呼べる存在だった。
「いやいや首を切り落としたら普通死ぬじゃん? 今までもそうだったし……」
「今までがこれからに通用するとは思うなと何回も言ってるのですが……物覚えの悪い頭はこれですか?」
割りと本気で頭を小突いてくるのは勘弁して欲しかった反面、こういったことをしてくれる存在はあっちでは彼女だけだった。勇者でなくていい時間があるのは素直にありがたかったし、口に出したことは終ぞなかったが感謝していた。
でも、そのせいで彼女は死んだ。
十代のガキに想像できる社会の闇なんて陳腐なもので、勇者という肩書きにどれほどの力があるのかを一番理解していなかったのは、当の本人である俺だけだった。
万が一にでも、世界を救うほどの強大な力を持つ勇者の第一夫人になられでもしたら困る。
彼女が殺されたのは、そんな下らない理由だった。ただ俺と少し仲良くしていただけで、その若い命を散らされたのだ。
強大な力を持っているのにも関わらず、俺はただ恐怖に震えていた。半ば諦めていた地球への帰還方法を本気で探りだしたのはその後からだ。
勇者が嫌いだ。存在するだけで多数の人間の道を歪めてしまうような影響力がどうしようもなく嫌いだ。
人が嫌いだ。俺が好きになったら皆離れていなくなってしまうから。
自分が嫌いだ。辛いことから逃げたくて、あんなに嫌いな勇者に戻りたいと思うような心の弱い自分が嫌いだ。
でも何より、どっちの世界も大嫌いだ。
◇◆◇◆
生きる意味もなく、ただ惰性で過ごした一ヶ月の中でも今日は格別に寒かった。
時間が俺たちの関係を修復してくれるなんてことはなく、相変わらずお互いに気まずい日々を送っていた。
誰よりも好きだった人との関係を始め、そして終わりを見せつけられたあの公園は閑散としていて俺以外に誰も見当たらなかった。今頃二人は一緒にいたりするのだろうか。
吹いた風の冷たさに僅かに身を震わせると肩からいつのまにか積もった雪が落ちる。随分と長く呆然としていたらしい。
今更思い出の場所なんて巡ろうが傷が増えるだけだとわかっているのに何故足は動いてしまうのだろうか。ふらふらと幽鬼のように一人で歩く俺を周りがどんな目で見ているのかを気にする余裕すらなく、記憶の道を辿って行った。
何の変哲も無い道路でさえ、バカやってた中学時代の思い出が落ちていた。
最後にたどり着いた場所は、とある一軒家だった。どこか開いているのか、よほど大きな声で笑っているかは知らないが聞き覚えのある、だが微妙に違う女性の笑い声と、彼女の父のでは無いだろう男の笑い声が聞こえてきた。幸せの笑い声だった。
昔はあんなに簡単に押せたインターホンも、簡単に入れた扉も侵入者を阻む要塞だった。二人は俺があと一センチ指を押し込めば笑顔で迎えてくれるかもしれない。だが、俺のちっぽけなプライドが長い長い一センチも指を動かすことを止めている。
結局、俺がたった一歩踏み込むことすら出来ない腰抜けだと証明されただけだった。
高望みなんてしていない。ただどこか、俺がいてもいい場所が欲しかった。受け入れてくれる居所が欲しいだけなのに、逃げた俺はずっと逃げ続けなくてはいけないらしい。
あてもなく歩いた。目的も意味もなく、ただ何かをしていないともっと悪いことを考えてしまいそうだったから。
より正確に言うならば、死に場所を探していた。ただどこかに居たくて、どこにも居たくないという矛盾した気持ちを抱え、死にたいと思い始めたのは最近ではない。
心の奥底でそんな気持ちを抱えながら歩き、周りをつゆほど気にしていなかったのにその光景に気づいたのは、捻くれた神様が俺の願いを叶えようとしたのだろうか?
親が目を離したのか、赤信号の交差点に幼女が一人取り残されていた。それに気づくことなく、トラックが幼女に迫っている。傍観者たちは目を見開き、これから起こる惨状を思い浮かべたのだろう。俺も、彼らとは別の理由で目を見開いた。
「アリシア……?」
かつて自分が死なせてしまった少女。俺が唯一信頼できた師匠であり、仲間であり、戦友であり、友達。
彼女の生き写しとしか思えない容貌をしていると気づいた瞬間、俺は走り出していた。
間に合うはずがない。無謀だ。二人まとめて挽肉にされて終わりだ。————俺が普通の人間であったならば。
今となっては俺が勇者であったことを証明する唯一の証拠。久方ぶりにソレが身体を駆け巡る感覚は悪くなかった。
未だ立ち尽くしている小さな命に触れると同時に最後の魔力を解き放つ。局地的な突風が彼女を死地から追い出し、人垣の方へと飛んでいく。もしかしたら骨が折れたかもしれないが勘弁して欲しい。
刹那、赤と凄まじい衝撃だけを五感が捉え、泥が混ざった雪ですら白く明滅する。幸い、痛みはなかった。
頭の中に駆け巡る走馬灯は、ついさっきまでの陰鬱とした思考とは真逆の思い出ばかりが浮かんでくる。
大丈夫、覚えている。今はもうなくなってしまった関係も、物語の一節のようだった冒険の日々も、確かに思い起こせた。
『お名前は何ですか?』
————……風助。呼びにくかったらフースケって呼んでくれ。
『いい名前ですね』
————だろ? うちの親が何日も悩んで付けてくれた名前なんだ。妹も琴波ってスゲェ可愛い名前。自慢の可愛い妹だよ。
『……やっぱり、帰りたいですか?』
————おう。家族にも会いたいし、恋人の顔も見たいし、親友とまた下らないことで笑い合いたいしな。
『……勇者としてやってきてどうでしたか?』
————悪くはなかったけど……もう一度やりたいとは思わないな。……ん、なんか眠くなってきたな。そろそろ寝るわ。
『ええ、おやすみなさい。……さようなら』
————……また明日、な。
圧倒的ハッピーエンドでもなければバッドエンドとも言えない感じを目指しました。
皆さんはどう思われたでしょうか?
モヤモヤして頂ければ幸いです