ウラギリスキル発動
ヴェインは、ギルドのクエストボードに掲載されていたヤマタノオロチに関する基礎情報を、頭の中で復習する。
ポンネア村より西へ7ミレルの距離に棲息。過去の犠牲者・推定200~400余名。(強酸性の沼に引きずり込まれると骨の髄まで消滅し、殺された証拠が残らないため正確な人数は不詳)
種族はサーペンス型。但し8つ首のキングサイズ。
尻尾まで含めた全長は大木並みの6メルトルだが、ゴツゴツした鱗の一枚一枚まで観察できる至近距離で実際に見上げると、文章で表記された以上のリアルな圧力が伝わってくる。
パイソン柄のドス黒い深緑はトレードマークの毒属性も納得の禍々しい外見で、ヌメった肌質には地面の泥がたくさん付着していた。
「汚ねぇなー。馬車に魔物の体液や匂いが付くと、サーシャが文句言うんだよなぁ」
対面して早々、清潔感のカケラもない野生モンスターにケチをつけると、威嚇音を発して様子見中のオロチと視線が合う。
8本ある太い首がそれぞれ別の生き物のようにうねるも、その内3つは先端頭部が欠品中。修行中の見習い料理人が失敗したような粗雑でギザギザした首の切り口は、見ているヴェインも同情したくなる痛々しさだ。
「帝都で最も勇猛果敢な冒険者パーティーを名乗るなら、もっとスパッと斬れってんだ。まっ、レベル10の技量ならこんなもんか」
ヴェインは、背後でスヤスヤと眠りこける筋肉質な村の救世主をチラ見する。
「仕事中に、呑気なもんだ」
そんな余所見をした刹那――
オロチの左端の頭部が硬直し獲物をロックオンすると、頭ごと地面に突き刺す勢いで一直線にヴェイン目掛けて攻撃を開始。
バックステップで回避すると、直前まで立っていた足下の大地に大穴が穿たれた。
「なるほど、なるほど。イイ奇襲だ」
ヴェインは頷きつつ、戦闘情報をリアルタイム更新。
挙動スピード、攻撃パターン、破壊力の数値は、だいたい想定範囲に収まるか。
――ギルド公式発表による攻略推奨ランクは、レベル10程度が2~3名。
「それって、ソロプレイヤーがレベル14で挑んでも足りる計算でイイのか?」
深く考えるヒマもなく敵の次弾に襲い掛かられ、戦術思案が強制遮断される。
オロチは特性を存分に活かし、長いリーチの首をハンマーのように乱暴に叩きつけてきた。ヴェインが紙一重で右に飛ぶと、爆散した土で衣服の裾が泥にまみれる。
この単発攻撃だけなら、対処はチョロい。インパクトのタイミングさえ注意すれば、傷を負う可能性はゼロに等しい。
「でもよ、現実は甘くない――なッ!……と」
「シャーーーーッ!」
短く叫んだ森のヌシは丸々と肥えた図体から生える5本の首を器用に操り、緩急自在に四方八方からヴェインへと迫る。
これが非常に厄介な代物だ。敵の明確な利点であるリーチの長さと不規則な角度から伸びる首は、まともに喰らえば一撃一撃がそれぞれ即死級の力を秘めている。
「チッ!」
ヴェインは堪らず腰に手をやり、馬用の鞭を装備。
「うォ、オオぉりゃアアアッ!」
迫り来る蛇の横っ面を、おもいっきりハタいてやった。鞭のしなりで加速した薙ぎが空気を切り裂いて唸り、相手の目玉にヒットする。激痛に怯んだオロチは、たまらず一旦距離をとった。
「ハハっ、ちゃんと戦えるじゃん、俺」
ヴェインに笑みが毀れる。交戦開始直後で視界をひとつ潰せるとは幸運だ。
しかも硬い鱗の外皮でなく、鍛えようもない柔い眼球の急所を狙ったピンポイント打鞭に成功。
「コントロールもバッチリ。天才か、俺! ……俺の力じゃないけどな」
ウラギリスキルでレベルアップした戦闘力はモンスターとの実戦でも有効で、敵の攻撃軌道予測も的確に判断できていた。
肉体の反応速度も、馬車でくつろいでいた時とは雲泥の差がある。身体も数倍は軽く感じ、頭もクリアに回転。燃え滾るような熱量が内奥から溢れ、全能感に似た高揚感を味わっていた。
心・技・体、仁・義・礼・智・信。成長パラメータは極まる。
この力が、単に味方を数発ビンタしただけで得られたのだから、笑いが止まらない。
自信をつけたヴェインはその場で足を踏ん張ったまま、鞭バーサス鞭のタイマン勝負を楽しんでいた。
上空から縦横無尽に波打ってスイングされたオロチの長い5又首を、手持ちの武器1本で迎撃して捌く。
「オラオラオラオラァ! どうしたどうした?」
時間が経つたびに傷つくのは一方だけで、蛇鱗が剥がれて飛び散り、ピシャリと音を立てて炸裂される鞭の傷痕が、オロチの頭部に加速度的に増えていく。
「フン……弱いな。そろそろ決着を、つけようか!」
懲りずに繰り返される我慢比べに飽きたヴェインは、姿勢を低く保ち爆発的なスピードで大地を疾走。魔物に急接近した。
背後の尾を土台にオロチの巨体を3ステップで巧みに駆け登ると、鞭を縄状にして2本の鱗首をまとめて縛る。事前に拝借していた、冒険者が落としたロングソードを掴んで大上段から串刺しに処してやった。
「喰ゥらえェェェっ!」
肉質の硬い脳天さえ穿通すれば、残りは造作もない。オロチの体内をスムーズに移行する剣の感触が、ヴェインの手に伝わる。
金切り音のような甲高いノイズが、山深い森の最奥部一画に響き渡った。
沈黙して活動を止めた2本の隣でなぜか断末魔を叫んだ残りの3又首モンスターは、尻尾をグルリと荒ぶらせてUターンすると、毒沼の中まで大急ぎで這いずって退散し、溺れたような慌ただしい挙動でズブズブと潜っていった。
「あッ……! 逃げた、か。あーあ、武器が全部没収されたじゃん……」
オロチは首に巻きつけた鞭と、貫通し突き刺さった剣ごと、沼底に沈んでしまった。例えヤツが再び浮上しても、既に強酸で溶かされているだろう。
「でもまぁ、なんだ。俺の勝利だよな」
静かになった森の広場に、敵の姿はない。
トドメをさしてはおらず完勝と表現するには早計だが、周囲の村々に災害を撒き散らすヌシとして恐れられた八岐大蛇の一時撃退には成功したといっても過言ではない。あの重症ダメージでは完治の見込みもなく、再び暴れる力はほぼ残ってはいまい。
ヴェインは背筋を伸ばし腕組みをすると、誇らしげに頬を緩める。
「よし」深く頷いた。
「ヨシ、ではありません! ヴェインさん」
「ウォっ!」
緊張の解かれた戦場で突然死角から話しかけられ、竦み上がって驚くヴェイン。
声の主へ振り向くと、眉を吊り上げて両腰に手をあてたサーシャが鬼の形相で立っていた。
ヴェインは、彼女の怒ったような表情の理由がいまいち掴めない。
「お、脅かすなよサーシャ。ココは危ないから、向こうの馬車で待機してたハズじゃなかったか?」
「ええ、その通りです。しかし遠くまで届いた不快なキンキン声で、終わったかと思いまして」
「おお、終わったぞ。多分ヘビの断末魔を聞いたんだな。見ろよ、クエストターゲットの魔物は成敗した。ヤツも人間に敵わないと反省して、金輪際麓の河川を汚さないといいけどな。この結果は全部、俺がもたらしたんだぜ」
「存じています」
「…………なんか、ゴキゲン斜めだな? 声色に棘があるんだが」
サーシャは、吊り上げた眉を崩していない。頬も膨らませ、分かりやすく怒ってますよアピールを維持し続けている。
「ヴェインさん。私の託したお願いごとを、覚えていらっしゃいますか?」
「ん? 冒険者パーティーの援軍だろ? ご要望に沿う形で、キレイに片をつけたぞ」
改めて枯れたフィールドに視線を巡らせても、バトルステージに最後まで立ち続けたのは人類側だ。魔物は文字通り尻尾を巻いて退散した。
「客も、命に別状はないしな。及第点だろ?」
しかしサーシャは不満をアリアリと前面に出し、フラストレーションを爆発させる。
「ぜんっぜん違いますよ! お忘れですか? 問題の発端はパンと葡萄酒のつまみ食いです。お客さんの荷物を紛失した責任をとるよう依頼したハズですよ。それがどうです? リーダーさんのロングソードを沼に沈めたらしいではありませんか。新たな傷口を広げてますよ」
「あ……」
沼を見る。波紋ひとつない静かな水面だ。オロチの頭を2つまとめて貫通した剣は、影も形もない。断末魔の絶叫音に思わず耳を塞いで距離をとったせいで、鞭と一緒の回収に失敗してしまったのはヴェインの記憶に新しい。
「あ、では済みません! 帝都の鍛冶屋さんで新品を弁償したら、今回の仕事は赤字案件です。つまり破産です」
頭を抱えるサーシャ。ポケットからペチャンコな財布を取り出し、残金を数えて落胆している。
「待て待て、俺の華麗な活躍を忘れてもらっちゃ困る。失くした剣など補って余りある恩義が……、キチンと謝罪すれば彼らだって理解してくれるさ」
「ヴェインさん。果たして、そう都合よく参るでしょうか……。遠目からの感想ですけど、なにか、リーダーさんと大揉めしていた様子は気のせいですか? 殺伐とした斬り捨てゴメン状態で罵倒し合っていた仲なら、きっと修復も簡単なのでしょうね。喧嘩するほど仲が良いとはよくいったものです」
「クっ……。確かに俺がビンタしてちょっと挑発したら、アチラさんが激高して殺しにきたのを、正常な人間関係とは呼ばない……かな」
「あたりまえですよっ!」
一難去ってまた一難。全部あのクソスキルの弊害に他ならない。
レベル上げのために今から殴りますよ、なんて冒険者への説明が億劫なので省略し、いきなりビンタに及んだのが裏目に転がってしまった。
前言通り、登場人物全員が漏れなく不幸になるとの予想がピタリ的中だ。
ヴェインはこれまでの運び屋稼業で、幾度となくウラギリスキルを発動しては、魔物との戦いでピンチに陥った同行仲間を救ってきた。
それこそ老若男女、年齢性別は毎回違う客層。
しかしその結末は、毎回同じパターンを繰り返す惨憺たるモノだった。
苦情に罵声に悪評のオンパレード。感謝の言葉は、生涯たったの一文字すら授与されず……。
理由を客観的に分析すれば当然で、ビンタされて喜ぶ人間はまず居ないからだ。攻撃性の高い冒険者職業なら、その傾向は数倍に跳ね上がる。
毎度毎度こんなバッドエンディングで苦杯をなめていると、助けてやった側のはずなのに罪悪感が募って頭も変になってしまう。
「う、うわああぁあああ!」
奇声をあげたヴェインは、毒沼の淵まで猛ダッシュする。虚ろな瞳で見下ろすは、触れたら一発で病気になりそうな紫色の液体溜まり。
「け、剣を沼から引き揚げようにも、水中へ潜った途端に即死じゃねーか。オロチに占拠される前は、もっと風光明媚な観光スポットだったのに……」
ポンネア村の蔵書庫で調べた過去の文献によれば、かつてココは花咲き小鳥がさえずる美しい泉の畔だったそうな。都会の喧騒から外れた北の僻地は、手つかずの大自然がそのまま守られた知る人ぞ知る神秘なパワースポットだったらしい。
「それならば――、」
錯乱したヴェインは、イチかバチかで閃いた逸話を誰にともなく披露する。
「さ、サーシャさんは、こんな御伽噺の伝説をご存知だろうか。遠い別惑星の異世界の森に、とある泉がありましたとさ。ある日木こりが森で木を伐採し休憩していると、うっかり仕事道具の斧を泉の水底に落としてしまったんだ。すると途方に暮れる木こりの前に泉から聖なる女神が現れ、金の斧と銀の斧と……」
「ドロドロに汚染された不浄の毒沼で何を仰いますか。清らかな女神様も裸足で逃げ出して留守中ですよ、どなたもロングソードを拾って来てはくれません!」
「オチを最後まで喋らせないとは……殺生な」
「童話やファンタジーに頼って現実逃避してはイケません。リアルなお財布事情を考慮すべきです」
「クソ、見とけよ! 夢とロマンを忘れた現代っ子に奇跡を拝ませてやる!」
ヴェインは沼の前で枯れた雑草を蹴り上げると、両手を大きく空に掲げ、切実なる祈りを捧げた。
「いでよ女神。金でも銀でも鉄でもオリハルコン製でもいいから、我が落とした剣を返し給え!」
ヤケクソで念じた直後。
水面に異変が生じる。
沼底よりブクブクと気泡が連続して沸きあがり、水中の様子がいきなり活発化した。
「おいおい、まさか?」
大いなる存在が目覚めたのか? ヴェインは期待せずにはいられない。
「一体……どうしたことでしょう」
サーシャも呆気にとられながらフラフラと近寄ってくる。ファンタジー否定派の彼女にも見えているということは、幻覚の類ではなさそうだ。
狂乱し小躍りするヴェイン。
「女神だ、女神が斧と鞭とロングソードを届けにきたんだよ! 祈りが叶ったんだ!」
「ほ、ほんとうに?」
「贅沢言わないから、ついでにパンと葡萄酒とステーキも追加トッピング付きで頼む!」
「よ、欲張りすぎですよヴェインさんッ。 あぁでも……私、甘くてほんのりビターなチョコケーキが食べたい気分です女神様……ひ、ひと口サイズだけでもッ」
木こりの伝説再臨を目の当たりにした2人は、手を取り合って女神の登場を待つ。
足下では地響きが轟き揺れ、生き物の胎動をハッキリと感じる。もう嘘ではない。次第に盛り上がってくる水面を掻き分けて召喚されたのは――!
オロチだった。
8つある首の半数は頭部を欠いている、痛々しい姿の森のヌシ。
しかし、敗者の雰囲気を湛えてはいなかった。
全てを溶かす毒沼の強酸が傷口を強引に焼いて止血し、度重なる戦闘でズタズタに斬られた蛇鱗の巨体は復活を遂げていた。
「はわわわわっ!」
サーシャは空から降ってきた熱湯の飛沫にアタフタし、一目散に沼から距離をとる。尻尾で激しく水面を打ちつけたオロチが、毒の波を跳ね飛ばしてきたからだ。
「ヴ、ヴェインさ~ん。なんてものを呼び寄せたんですかー! 慈愛に満ちた麗しい女神様とは似ても似つかない、醜悪なフォルムですよぉ」
「……スマンな」
ヴェインはサーシャを酸の雨から覆い隠すようにして抱きかかえると、安全地帯まで走って逃げる。大樹の陰でザッと彼女の全身を眺めて怪我の有無を確かめると、安堵の息をもらす。
「火傷は、大丈夫そうだな」
「は、ハイ。……でも、モンスターも同じく大丈夫そうなのですけど……」
サーシャの懸念に、ヴェインもオロチの健康状態を診察する。パシャパシャと、元気良く泳ぎ回っている様子が見てとれた。
「まるで、活きのイイ魚だな。ヤツにとっては、毒の沼が回復の泉と同義なのか? それとも……」
「そ、それともなんです? 不吉なワードが続きそうで、怖いのですが」
ヴェインのトーンが低くなった声色から、ネガティブ要素を敏感に読み取ったサーシャ。残念ながら、その予感は的中する。
オロチの周囲に、霧状のガスが発生していた。
その緑色がだんだん濃くなるにつれ、全貌が明らかになると、サーシャが身震いする。
「あれは、毒……でしょうか」
「だな。近接戦闘だと俺に勝てないから、戦法を変えたんだ。元々のスタイルは、テリトリーに大量の毒ガスを撒いて獲物を遠巻きに締め上げてから捕食するタイプだ。まず自分に近づけさせないことが、勝利の秘訣だと思い出したんだろ」
お手上げするようなポーズで、肩を竦めるヴェイン。徒手空拳の彼のリーチでは毒ガスの外から届かないし、ロングレンジの武器がそもそもこの場で調達できない。
「まいったな」
ヴェインは頭をガシガシ掻く。
泉の周辺は『瘴気の吐息』が蔓延し、人間が10回死んでもオツリが出る致死量濃度と推測された。
『―厄災の滅光―』の効果で、この地に住むオロチが開眼したスキルがコレだ。元々の揺るぎない強さが、蒼光を浴びてグンと増幅されてしまっていた。
サーシャは鼻をならすと目を見開き、衣服の袖で口を覆う。
「私……心なしか気分が悪くなってきました」
「まずいぞ、気体を遮蔽する物が何もないから、毒霧が拡散する一方だ。吸い込むな!」
ヴェインは何か打開策がないか辺りを探ると、大樹の陰のセーフゾーンには3名の気絶した大男たちがだらしなく転がっていた。
モンスターを駆逐することこそが至上命題の冒険者が、肝心なときに眠ったままとはイイ身分だ。ヴェインは蔑む視線で彼らを見下ろすと、ある画期的なアイディアが浮かんでしまった。
「さて、どうする。このマッチョマンどもを人間ミサイルにしてオロチに投げつけ、3発以内の投擲で倒すか? それともコイツらが食べられている隙に、俺たちだけ馬車で下山する最初のプランを採用するか。名案ばかりで迷ってしまうな」
「迷いません! ヴェインさん……彼らを見殺しにする選択肢を、まず排除しましょう」
「だな」
真顔のサーシャに叱責されたヴェインは晴れやかな笑顔で頷き、
「おらよ」
冒険者パーティーのリーダーの寝顔に向けて、またビンタをかました。
「ヒエエエエーーーー!」
被害者の代わりに、隣の相棒が悲鳴を上げる。
「な、な、なにしちゃってるんですかヴェインさん! 気絶したお客さんに八つ当たりの追い討ちなど――」
「え? だってムカツくじゃん。レベル10だ、プロフェッショナルなんだと豪語した割りに、結局役立たずだし。腹いせのストレス解消に、ちょっと殴らせてもらった」
「り、理由になってませんッ。完璧ギルティですよ! どんな優秀な弁護団を雇ったとしても、ヴェインさんの有罪判決は免れません。むしろ私も裁判所で積極的に不利な証言しちゃうレベルの卑劣さです」
卑劣。
その言葉に反応したヴェインは、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
――それは……
魔族も羨む、下衆極まる相貌だった。
「それじゃあ、ちょっくら行ってくるか」
「え……ドチラに?」
「美味い空気を吸いに」
相変わらずな軽装のまま、魚釣り遊びに赴くような朗らかさで毒沼へ向かうヴェインを、不思議そうな顔で見送るサーシャ。
しかし不思議と、引き止める気持ちにはならなかった。
フシギと、彼の勝利を確信していた。
ヴェインは、相手の必殺技や得意戦術を真正面から打ち砕くときに、こんな表情をする。
彼とのこの半年近くの短い付き合いで、サーシャはその程度くらいは性格を理解していた。
ヴェインは、根元から腐った枯れ草を踏みしめて歩きながら、『ウラギリスキル』の起動を脳内で確認。
意識の途絶えた無防備な同行者に暴力を加える陰険な悪行は、まさにパーフェクトな裏切り行為だ。
情状酌量の余地なし、甚だしい倫理違反だ。
ならば、非道に相応しい正当な対価を貰わねば、道理に合わない。
「なあ、そうだろ? 何か言え、クソスキルさんよぉ……」
誰にも聞こえない独り言をブツブツ唱えていると、無機質な機械合成音が脳内に話しかけてくる。
『ウラギリポイント増加に伴い、背信者・ヴェイン=マグナスの戦闘レベル上昇を感知、速やかにデータ更新します』
「来たか。いくつに到達した?」
『サーチ、サーチ……レベル20です』
「つまり?」
『基礎ステータス値の標準アップグレードに加え、状態異常に関する効能付与を確認。猛毒耐性(中)を獲得しました』
「ふーん……。つまり?」
『クラスB難易度のモンスターの毒なら、完全無効化できます』
「了解。知ってたけどな」
ゆるりと沼の淵に到着したヴェインは、汚染された霧のど真ん中を平然と突っ切る。ワザと一番濃度の高い毒ガス発生源で立ち止まり深呼吸すると、余裕綽々に呟いた。
「ようオロチ。新鮮な猛毒って、パンを食った後のデザートになるくらい甘美な御馳走だったんだな」