幼馴染
次の日。
今日は昨日よか幾分暖かい。
東から昇った朝日から、心地のいい光と温かさを感じながら、校門をくぐる。ここまで物凄くいい気分で登校していたのだが、昇降口に着くまでにその気分は害されてしまった。
校門から昇降口までの道の途中に、白のセダン車が止まっているのを見つけたのだ。登校している生徒はそれを避けるように昇降口に向かっている。はっきり言えば、置物のように動かないその車は邪魔だった。
「ったく誰だよ、こんなとこに止めてる先生は。油性ペンで落書きでもしてやろうか」
と独り言を言いながら、俺も車を避けるように通り過ぎた。
教室の扉を開けて自分の席に鞄を置く。来るのが少し早かったのか、まだ半分くらいしか生徒は来ていなかった。
そんなスカスカの教室の奥から、
「大地!」
と俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。だれだ? 声のする方に目をやる。
…………
声の主を確認した。思わず目をそらす。見てはいけないものを見てしまったが、見なかったことにしよう。
「無視すんじゃないわよ!」
そのセリフと共にゴバンッ! と俺の後頭部に衝撃が走る。
綺麗に入っちまった。
その場でよたよたとうずくまりながら、どうやらフライングクロスチョップを喰らったのだと理解した。
「……何すんだ、夏樹」
頭を抑えながらそいつを睨みつける。いかん、まだすこしフラフラする。
「あんたが無視するからでしょーが」
悪びれる様子は全くなく、さも当然のよう言い返してくる。
こいつは小学校の時からの知り合いで、名前は藤野夏樹。運動神経が抜群で成績の方も容姿的にも申し分ない。動きやすいからとの理由で髪はショートボブと短く、トレードマークである白のヘアバンドをしている。小学生の頃から女の子のくせに、よく俺にちょっかいを出して困らしくれたが、結局なんだかんだで付き合いが長い。そんな奴。
それと……そうそう。俺の名前が出たね。そうです。大地です。ちなみに苗字は月島。
しかし皆に聞きたい。クロスチョップを喰らって、うずくまりながらの自己紹介ってアリですか?
どうにか立ち上がった俺は夏樹に反論する。
「……それでも、人間の急所と言われる後頭部に、勢い任せにフライングクロスチョップを放ってくる奴はお前とあとタイガーマスクくらいしかいない。いや、でもタイガーマスクは後ろからなんて卑怯な真似はしないか。やっぱり夏樹、お前だけだ」
「なに? もう一発いっとく?」
「すんません、間違えました。きっとサンダーライガーもするとおもいたい痛い! ちょ、ま、あアアアあアああ!」
言葉は選ぶべきでした。
完璧なまでのコブラクラッチを決められた後に、俺はあることに気付いた。
「イテテッ。っつーか、夏樹もこの学校。しかも同じクラスだったんだな」
「あんたやっぱり昨日気付いてなかったわね! いつ気付くかと思ったら一日過ぎたじゃない!」
「てっきりクラスに知り合いがいないって思っていたからな。周りなんて気にしてなかった」
「ふん、しょうがないわね。そういうことだから、これからもヨロシクね、大地」
夏樹は右手を差し出してきた。どうしよう、ここでよろしくなんて言ったら、今後おれの体が持たないかも知れない。どうしよう。よろしくしたくな……
「よろしくね☆」
「お、おう、よろしくな、夏樹」
反射的に握手をしてしまった。しどろもどろになりながらも、どうにか返事をする。いやいやこえーよ。なにあの笑顔。完璧な笑顔なだけに余計に怖いよ。反論できねーじゃん。蛇に睨まれた蛙とはこのことだな。どうも夏樹が相手だと調子が狂うんだよ。とりあえず、この時間を無事に過ごす為に、彼女にはご退場いただこう。
「夏樹、後ろの方、寝グセついてんぞ」
「え? うそ? どこどこ? ちょっとトイレで直して来る!」
そう言いながら教室を出る夏樹。やはりそこら辺は女の子のようだ。俺だってただやられてるワケじゃない。多少は夏樹に対する対処法は心得ているのだ。
「なんとか撒いたな」、と溜息をつく。
夏樹は俺に対する攻撃性がなければ、基本いい奴なのだ。腐れ縁の俺から見ても容姿も顔立ちも悪くない。おまけに明るくからっとした性格の持ち主なので、男女から人気があり、自然とクラスのムードメーカー的存在になる。そういや、中学の時には何回か、告白されているのを俺は見かけたことがあったな。全員断ったらしいが。
ふと教室の中を見渡す。
入学してまだ二日しか経ってないのに皆表情は緩い、まるで夏休み直前のような和気藹々としたよくある教室の風景だった。早くもクラスの特色が出てきたことに気付いた俺は別にすることないので(夏樹もまだ帰ってこないみたいだし)、始業のチャイムが鳴るまで寝てようかなと自分の席に座りかけたその時、
「あの……」
と不意に後ろから声を掛けられた。高い声からして男ではない、女の子の声。夏樹ではなさそうだが。それにあいつの口から「あの……」なんていうかしこまった言葉は出ないはずだ。じゃあ別の誰かだな。と我ながら変な考察をしながら振り向く。でもまて、俺にはこのクラスにはまだ夏樹しか知り合いはいないんだが……
俺が振り向いた先には、やはり女子生徒が立っていた。瞳はパッチリと大きく肌は透き通るように白い。肩まで伸びたやわらかそうなその髪は、若干ウェーブがかかっている。あのう、そのう、と体をモジモジしているその仕草は、これが「女の子」だと勝手に納得させられてしまう。簡単に言ったら可愛いかった。いや、これは一般の男子としての意見だが。
「えっと……」
いまだモジモジしているその娘に、なんて声をかけようか迷う。……てか……だれ?
その時、女の子の胸のポケットに刺さっているシャーペンが目に入った。
あれ? あのシャーペンどっかで見たことあるな……
「あ……あのと……」その子が口を開いた。
「あのと?」
ボッと女の子は急に顔を赤らめ、回れ右をして教室の外に駆けていった。一体なんなんだ?
「大地、あんたの知り合い?」
トイレから戻ってきた夏樹は一部始終を見ていたようで、俺に聞いてきた。どうやら夏樹も誰だかわからないらしい。
「いや、全く……」
正直誰か分からない。俺が忘れているだけか?
「なあ夏樹」
「なに?」
「『あのと』ってなんだ?」
「あのと? ……あのと……あのと……」、うーん、と腕を組みしながら考える。
分かった、と右手の人差し指をたてながら
「『あの時』ってコトじゃないの?」
……あの時?
「あの時ってどの時だ?」
「わたしが知ってるワケないでしょう」
「……それもそうだな」
予鈴が響く。
さすがにこの時には全員席に座っている。夏樹が「それより、寝グセなんてなかったわよ」なんて言ってきたので「気のせいだったかも」と軽くごまかした。この手は一時使えないな。さっきの女の子も、教室に戻っており、自分の席に座っている。一度俺と目が合ったが、すぐにうつむき、顔を赤くしながら自分の席に着いた。俺なんかしたっけか?
あれ?全員じゃないな。俺の斜め前の席が空いてる。遅刻か?
その机以外の席は、全部埋まっているので、余計に目立って見えた。
新学期早々に遅刻をするなんて、さては不良だな。と勝手に決めつけながら、担任の佐々木先生を待つ。チャイムが鳴り終わった直後、教室の扉が勢いよく開いた。
それは先生ではなかった。昨日の入学式で、入学式らしからぬ挨拶をしたあいつ。そうか、こいつがいなかったんだ。不良じゃないじゃねえか。
その後、そいつの後ろから佐々木先生が入ってきた。扉に立ったままのそいつを見 て、
「お前、今来たのか?しょうがない奴だな。今日だけは特別だぞ。遅刻はなしにしてやる」
「ありがとうございます」、とそいつは先生に一礼して自分の席に着く。おお、佐々木先生、話が分かる人とみた。
先生は教壇に立ち、朝の挨拶を行う。出欠を取る前に何か言うことがあるようだ。
「今のうちに簡単に今日の予定を言っておくぞ。今日も昼で終了だ。時間は全てHRになる。昨日言った自己紹介と各委員会などの役員を決めるからそのつもりでな」
そういった後、先生は出欠確認を始めた。
次のHRが始まる。
この時間は自己紹介の時間になる。
佐々木先生は教室の端にパイプ椅子を用意して座っている。まあ自己紹介を聞くだけだしな。
流れ作業のように自己紹介が進む中で、俺は気になる奴が二人存在する。一人は……
「次、海原」
「はい」
こいつだ。昨日から気になっていた。学年トップのコイツ。海原と呼ばれた男は席を立ち上がり、
「海原春馬です。「海原」でも「春馬」でも呼び方は何でも構いません。よろしくお願いします」
と最後は笑顔で締めた。
昨日の様子から思うに、どうやらこの海原というメガネ男子は、よくいる「おカタい優等生」ではないようだ。人当たりがよさそうな雰囲気を持っている。
じゃあ次、と先生は続ける。俺はしばし海原春馬の姿を見ていた。
海原ねぇ……昨日のこともう少し詳しく聞いてみるか? けど初対面だしな。でも昨日会ったんだから初対面とは言えないか。
なんて考えていたら、自己紹介はもう一人の俺の気になる奴の番になった。朝、俺に何かを伝えようとした女の子だ。
「えっと……その…真田楓です……あの……よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる。男子二十人中半分くらいはKOされただろう。それぐらい真田楓の、あの顔を赤く染めながらのモジモジした仕草は愛おしく見えた。俺? 俺は何とか踏みとどまったが。
それにしても真田楓……いや、やはり聞いたこと無いな。どんなに記憶を辿ってもその名前は出てこなかった。夏樹とは対極に位置するような女の子なんて、普通は忘れないものだが……もしかしたら、真田さんは誰かと間違えて俺に声をかけたかもな。それだと赤面して教室を出ていったのも頷ける。
自己紹介はさらに進み、俺の番が回ってきた。俺も皆と同じように当たり障りのない自己紹介をした。
昼過ぎ。帰りのHRを終えた俺は昇降口で夏樹と合流する。事務室の前に設置されている定期申請の受付箱に申請の用紙を持って行っていたので、夏樹には待ってもらっていた。
俺は外靴に履き替え、夏樹と一緒に校門を出る。
桜のトンネルの途中で、夏樹とケータイの番号を交換した。夏樹の携帯電話は、今テレビでCMをしている最新機種だった。なんて宣伝してたっけ? 高性能カメラがなんとかって。
「大地、買ったばっかなのに随分と古い機種ね」
「俺は通話とメールが出来ればそれでいいんだよ。ケータイそのものには興味ないし。それに最新の機種は高いだろ」
「ふーん、大地らしいわね」
俺の番号を登録した夏樹は、携帯を制服のポケットに戻す。
左右に聳える桜は今も色鮮やかに花びらを散らしている。持ってあと一週間といったところか。
夏樹は桜並木を見上げながら言った。
「それにしても、大地が同じクラスになるなんて偶然よねー」
「まあ、腐れ縁だよな」
「あはは。そうとも言うわね」
なんというか、屈託のない笑顔だ。夏樹はそんなことより、と、
「こんな風に大地と帰るなんて久しぶりね。いつ以来かな?」
「そうだなー。受験挟んでたしなー……半年ぶりか?」
「そっかー半年かー。結構な時間経ってたのね」
「俺は高校生になっても夏樹とつるむことになるとは思わなかったよ。短いブランクだったな」
「なによ、なんか含んだ言い回しね?」
「そんなことねぇよ。これでも嬉しいんだぜ? お前がいることに」
これは夏樹に殴られそうになったから咄嗟に出たでまかせではなく、本心だった。まだ高校生になって右も左も分からない状態の中で、知り合いがいるのはありがたい話だし。
「え? ……そう?」
「そう。だからその振り上げた拳を下ろしてくれ」
夏樹は何故だか急に顔を赤くしながら、あたふたしながら拳を下げる。どうした? なんだ急に?
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「……なんでもない!」
顔が赤いまま、うぅー、とわめく夏樹。なんでかなあ、時々夏樹ってこうなるんだよ な。理由はさっぱりだ。俺が調子を狂わされる原因でもある。
ようやく治まったのか、普段の夏樹に戻っていた。夏樹は俺の二、三歩後ろを歩いている。
「ねえ、大地?」
「ん? なに?」
夏樹が後ろから話しかける。俺は振り返らずに返事をした。
「私たちって、ずっとこのままなのかな……」
やや声のトーンが下がった夏樹の質問の意図はよく分からなかった。
「このままって、なにが?」
「いや……ほら、高校生っていったらもう大人じゃん、そしたら周りの人との付き合い方とか変わるんじゃないのかなぁ? なんて……急に親密になったりとか誰かと誰かがくっついたりとか……こ、これは私の個人的な意見じゃないよ?至極一般の意見としてね……」
顔を少し紅くしながら、妙に饒舌になる。
俺は少し考える。なるほど、一理あるな。高校生なんてもう子供とは言えないし、人との付き合い方も考えなければいけないかもな。なんていったっけ? 社会性適応力だっけか。確かに高校卒業したら社会に出る奴もいるから、あるに越したことはないが、入学したばっかの俺たちがそれを考える必要はないんじゃないのか? そいうのはおいおい学んでいけばいいし。しかし今からそんなこと気にするなんて夏樹も心配性だな。ってか夏樹がそんなこと心配しなくても、もうそのスキルは身に付いていると思うが。と俺は昨日の特番を見た影響もあって、こんな結論に至る。
「ずっとじゃねえよ」
「え?」
続けて答えた。
「俺だってずっとこのままでいいとは思わねえよ。確かに、大人とは言えないまでも、高校生は子供じゃないし。どうにかしないといけないな」
「……それって、大地……」
夏樹の声のトーンがやや上がった。振り向いて確認してはいないからわからないが、その声は何かを期待しているように聞こえた。何を期待しているのかは知らないが。
「でもよー、社会に出るのはどんなに早くても三年後だぜ? 進学するならさらに七年後だ。それを今の時期から考えてどうするんだ? それに、自分で言うのもなんだが、お前までとはいかないまでも、人並み程度のスキルは持っていると思うぜ。だからまだそんなこと考えなくてもいいって」
「…………」
「…………」
「……なに言ってんの?」
「へ? 何って夏樹が聞いてきたんじゃねーか。社会性適応力の話だろ? お前も昨日観てたんだな。『現代社会』って特番。最近の若者はコミュニケーションができてないって」
………………
俺が答えた後、しばしの沈黙が流れる。夏樹、俺の返答に何かリアクションがあってもいいんじゃないか?
「なあ夏樹、なに黙ってん……」
バシッ! と、
振り返ろうとした俺の顔面に何かが衝突する。ドサッと地面に落ちた衝突物の正体は、夏樹の鞄だった。落ちた鞄を確認した後に、先程鞄をぶん投げたモーションから動かない夏樹を見る。
まて、若干肩が震えているぞ。あの、夏樹さん? 顔が真っ赤なんですけど。目がめっちゃ怖いんですけど。
「大地のアホ!」
夏樹は鞄を拾い上げると、スタスタと歩いて行く。
なんら脈絡もなく、怒鳴られた俺は、どうやら夏樹を怒らしてしまったらしいと気付いた。でも一つ言わせてくれ。俺はなにも悪いことなんて言ってないんだが。
「おい、ちょっと待てよ、夏樹」
俺は慌てて夏樹の後を追いかける。いかんな、これは家に着くまでご立腹のパターンだ。しょうがない、刺激するのはよそう。それに夏樹のことだ。明日になれば何事もなかったようにケロッとしてるだろう。
俺は無言で夏樹の後ろを歩いた。