四月某日
四月某日。
俺は今、校門へと繋がる緩やかな上り坂を歩いている。今日は入学式だ。
この坂道には道の左右に桜の木、ソメイヨシノが植えられており、その数は約三十本といったところか。この時期は、薄い桃色の無数の花が、ありきたりなこの坂道を鮮やかに彩る。季節限定のトンネルと化したこの桜並木は、高校生になったばかりの俺でも、風情を感じる事ができた。
このまま普通に歩いて通り過ぎるのは、なんだかもったいない気がしたので、俺は少しスピードを落としながら歩く。
しばらく眺めた後に、買ったばかりの携帯電話を取り出し、時間を確認した。入学式の一週間前に、入学祝いということで購入していたのだ。今の高校生の必須アイテムだしな。時間を確認すると、途端に俺は走り出した。
いかん、のんびりしすぎた。
そして入学式。時間ギリギリに校門をくぐり抜けた俺は体育館の一番左側、列の中央あたりに設置されたパイプ椅子に座っている。壇上には校長が立っており、新入生の座席のさらに後方に来賓用の席が置かれ、体育館の左右に教師たちの席があり、それぞれ座っている。
今は校長の話を聞いているのだが、俺は若干顔をしかめている。俺だけじゃない、周りにいる奴らも苦虫を噛み潰したような顔だ。これは今さら言うことでもないが……
『――であるから、これからの教育過程の中では……』
中学の時もそうだったし、周りの学校も他県の学校も、いや、めんどいな、全国に存在教育機関で決定的に言えることがある。それは……
『――君たちも我が桜野高校の生徒であることを……』
長いんだ。話。校長の。テンション下がる程に。いつも思うんだが、あれなんで長いんだ? 教育委員会とかで話す時間のノルマとか課せられてんの校長? 今回は三十分以上でお願いします。みたいな。それだと校長も大変だな。その分話す内容も考えないといけねぇし。いや、それすらも教育委員会とかが配布してんのか? まあ俺が校長なら五分、いや二分で終わらすけどな。と心の中で呟きながら、ヒンヤリと冷たいパイプ椅子に座ったまま窓の外を眺める。ひらひらと桜の花びらが舞っているところを見ると、どうやら学校の中にも桜の木は存在するようだな。そうこうしているうちに校長の話しはヒートアップしていく。
『――これで私の挨拶とさせて頂きます』
長い校長の話が終わり、新入生のほとんどが安堵の表情を見せる。計四十分の拷問だった。目立たないように延びをする生徒もちらほら。
校長の話の後は在校生代表の挨拶がある。
また話か、とテンションがさらに下がりながらも、でも校長の話よりは短いだろうと思い直し、在校生代表が壇上に上がるのを待った。
入学式に出てくる在校生代表というのは、そのほとんどが、凛とした姿をした生徒会長と相場は決まっている。この学校もその例に漏れず、生徒会長が挨拶をするみたいだ。
壇上に向かって歩いているその生徒会長は、相場の通りだった。歩く後ろ姿からでもその気品は窺える。
階段を上り、壇上に立つ。
腰まで伸びた、大和撫子と表現ができる艶やかな黒髪をシャンプーのCMのようにひるがえす。キリッと細く整った眉毛に、一本筋がビッと通った鼻は、いかにも成績優秀そうだ。まあ生徒会長だしな。と納得するが、一つだけ気になることがある。
目だ。目がよくいる生徒会長のイメージと違う。いや、俺の勝手なイメージだが、生徒会長というのはもっとこう、澄んだ目をしており、やる気がその目の中に詰まっている様な感じと思ったんだが、この生徒会長の目は鋭い。獲物を捕らえた鷹のように鋭かった。遠くから見ても得体の知れない眼力を秘めている事がわかる。
そんな生徒会長が壇上に立ち、左手でポリポリと頭を掻きながら、気だるそうに一つ息をついて言葉を発する。
『……おい、貴様ら、校長の話が長くてつらいのはお前らだけじゃないぞ! お前たちの気持ちもわかるが、私も、周りにいる教師も辛いんだ。座ってるだけならまだいいぞ? 教師や私は辛くてもポーカーフェイス気取らないといけないんだからな。まあ私は面倒だからしないが……』
……………………
時間が止まったように感じた。
沈黙。壇上に立つ生徒会長を、少し見上げる形で俺たち新入生は固まった。目が点になるという表現が綺麗にジャストフィットする光景だ。
これは新入生に送る言葉ではないのか? これが「在校生代表の言葉」ですか? いやいや、違うじゃん。てかもうこれただの愚痴じゃね?
『ああ、私の名前は日野涼子だ』、と簡単に自己紹介をした後に話は続く。
『確かに話は長いぞ校長。「ノルマとか課せられている?」とか「俺なら五分、いや二分でおわらせるね」とか下らんことを考えている奴もいると思うが、安心しろ、私の話は五分とは言わないが、校長程ではないぞ。すぐ終わる』
新入生の気持ちを完璧に読んだと言わざるを得ない台詞を吐いた。
てか言われてる校長ってどうよ? 校長の方に目をやると校長はあまり動じていない。いつものことといわんばかりに、無表情に椅子に腰を落としている。
目線を壇上に戻す。
次の言葉から挨拶なのだろう。しかし、言葉を記してある紙やソレらしきものを彼女は持っていない。まさか全部頭の中に記憶しているのか? そうだとしたらこの生徒会長、侮れない――
『お前らは、今日からここで三年間生活するんだ。だから風邪には気をつけろ。以上』
…………。
壇上に上がる時のように、降りる時も、頭を掻きながら気だるそうに歩いていく。その顔はやっと終わったという表情だ。
終了。この後の言葉なんてねえよ。だって以上って言ったものあの人。校長より短いって言ったけど五分も掛かってねーよ、七秒だぜ? 短いってか短すぎるぞ! まて、その前に生徒会長が送る言葉としてあれはありなのか? 風邪に気をつけろって、廊下の壁に張ってある保健便りじゃないんだから。下手したら保健便りの方が良いコメントしてるぞ。
パンチの効いた初登場だ。周りの新入生も思わず面を食らったような顔をしていた。なかなか入学式で見られる光景じゃないぞ、これ。
各クラスの担任紹介が終わり、入学式最後のプログラムとなった。最後はこれまた当たり前というか、新入生代表の挨拶である。
この新入生代表の挨拶を行う生徒というのは、有名アイドルやプロの少年スポーツ選手でも入学しない限り、高校受験の時の成績がトップの者が挨拶を行うものだ。つまり、現段階で学年一位の、頭がいい者が壇上に上がり挨拶をするのだが、そんなに勉強できるんならココよりもっといい進学校にでも行けばいいのにと思ってしまう。ちなみにこの桜野高校も進学校を謳っているが、他の学校と比べるとその地位は低い。
壇上に向かっていく新入生が見えた。髪は男としては少し長く、銀色の眼鏡を掛けている。
そいつは壇上に上がると、新入生に向かって一礼し、「新入生代表の挨拶」を始める。
新入生代表の第一声。
『あ、すいません、カンペ忘れました』
……………………
またも時を止めやがった。
なんだよこの入学式。これはホントに入学式なのか?
構わずにそいつは続ける。
『どうしよう。言葉なんて覚えてないし……え? とりあえず何か喋れ?……えっとじゃあ、僕がこの桜野高校を選んだ理由はですね、進学校と謳っているのに進学校としての地位は低く、それを開き直ったかのように学校行事の数は市内でもトップを争うという、進学校の在り方を完全否定した自由奔放な姿勢に心打たれたからです』
この学校を褒めてんのか貶してんのか分からないコメントをした。
全員が全員普段見せないような表情をしていた。いくらなんでもハチャメチャ過ぎる。
一体何考えてんだ、あいつは。
これが、俺のあいつに対する第一印象だった。
入学式が無事(?)に終わり、新入生は各教室に移動する。移動後は担任の指示に従ってHRとなる。生徒は大人しく席に座っている。
制服のポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。見るとあと三〇分程で昼になろうとしていた。
HRは、担任の自己紹介に始まり、簡単な校舎の説明。後は食堂や売店の使い方、掃除の時間、電車通学に必要な定期購入の申請方法……などなど、結構な量の情報が俺の中に流れてきた。俺は最低限必要な情報、担任の担当教科が数学で名前が佐々木という何の変哲もない名前ということと、この教室から一番近いトイレの位置と、食堂と売店の使い方を理解する。
本日はこれで終了らしい。だいたい入学式の日は午前中で終わるもので、いつもの授業のように夕方まで学校にいることは少ない。
「お前たちの自己紹介は明日のHRでやってもらうことにする」という担任の言葉を最後に、帰りの挨拶が行われた。俺は鞄を手に取り、教室を出る。靴箱で靴に履き替え、朝通ってきた道をもどるように歩いた。
駅に到着した。そこで気付いた。
……携帯がない。
制服の左ポケットに入れたはずなのに、そこにはなかった。今度は右のポケットを探す。しかしそこにもない。
「……やべ、落としたか?」
制服に付いているポケット全部と鞄の中を探し始めた。探しながら今午前中の行動を思い出す。
……HRが始まった時に時間を確認したからその時までは持っていたはずだ。確かにHRが終わった後から、携帯の存在を確認していない。だったら教室に忘れている可能性は高いな。
「一度学校に戻るか」
回れ右をして、今来た道を戻ることに決めた。
入学式の日に二回も学校に来る奴なんて早々いないよな。
本日三回目となる桜のトンネルと対面する。小走りだったので今回は今朝ほど桜を眺めることなく校門に着いた。
昇降口でスニーカーから上履きに履き替える。教室には誰もいないだろうから、先に職員室に行って鍵を取りに向かった。
校舎一階の中央に職員室はあった。「失礼します」と扉を開けて中へと入り、軽く見渡す。
しん……、と静まりかえったその空間には、大きく四つに分けられた机の島があり、奥には校長、教頭が座るであろう机が置かれている。ほとんどの机の上には、ざっくばらんにプリントやらファイルやらが置かれていた。どうやら誰もいないみたいだな。
黒板に目をやる。黒板には四月の行事予定表が記されており、本日の欄には、「入学式。三時より職員会議」と書かれていた。なるほど、今は昼休憩ね。
入った扉のすぐ右横に、各教室の鍵が掛けられていた。一年の教室の鍵はっと……あったあった。
「鍵借りまーすー……」
無言で鍵を取るのも何だったので、とりあえず言ってみた。当然返事はない。俺は教室の鍵を手に取り、職員室をでた。
階段を上り自分の教室へと向かう。職員室に鍵があったので当たり前だが、教室の扉には鍵が掛けられていた。
教室にケータイがなかったら次はどこ探そうかと考えながら、鍵を回して扉を開く。太陽の光が机に反射して少し眩しい。
入ってすぐに、自分の机の上に置かれている忘れ物を見つけた。
「やっぱりココにあったなコノヤロー」
ケータイを取ろうとしたその時、俺はグラウンド側の窓が開いていることに気付いた。それと同時に、その開いた窓からグラウンドを眺めている男にも――
………………
「おわあっ!」
ガシャン! と俺はそばにあった机を揺らす。ビックリした。結構な割合で驚いた。だってさっきまで一人だと思ってたんだぜ? そりゃあ誰でもおわあっ! ってなるだろ。しかも独り言でコノヤローとか言ってるし。うわっ、やべ、ちょっと恥ずかしくなってきた。
俺の声に反応して、グラウンドを眺めていた男はこちらに体を向ける。銀色の眼鏡の奥に見えるその目は、若干驚いているようにも見える。ふいに誰かに声を掛けられて振り向いた時のような、そんな目だ。見たことのある顔……あれ? こいつは入学式の時の……
「何をしてんの?」
その声は高くもなく低くもなく、攻撃的な口調でもない。男はその場でできた疑問をそのまま口に出すように聞いてきた。
「え? ……ああ、いやほら、忘れ物しちゃってさ。ほら、これ」
まだ少し動揺したままの俺は、机の上に置いたままにしたケータイを手に取ると、そのまま男に見せるために胸の高さまで持ち上げ、ひらひらと揺らす。
「ケータイ忘れててさ、取りに来たんだ」
「そうなんだ……」
納得したのか、男は再び窓の外を眺める。つられて俺も自分の机の位置から外を見る。窓から見えるだだっ広いグラウンドには、誰もいない。今日は入学式だったからどの部活も休みたいだな。それにしてもこいつは何を眺めているんだ? 俺はそいつに尋ねた。
「お前はなにしてるんだ?」
俺の質問に男は振り返らずに答える。
「いや、まあ確認をしていたかな……」
それ以上はなにも答えなかった。……確認? 何の? そのとき、俺はあることに気付く。
「ってあれ? 鍵は職員室にあったのに何でお前この教室に居るんだ? 元々鍵を閉め忘れていたのか?」
「僕が教室に入る時はちゃんと鍵は閉まっていたよ」
いや、益々分からなくなってしまった。鍵が閉まってんのにどうやってこいつは教室の中に入ったんだ? 超魔術?
しばらく、そいつは外の景色を見ていたが、ふいに眺めるのをやめて振り返り、付近に置いてあったかばんを取って教室の外に向かって歩き出した。
そいつは、俺が開けっぱなしにしていた扉の前で立ち止まり、終始穏やかな口調で、
「鍵、よろしく」
と言って教室から姿を消した。
しばし俺は立ち尽くしていた。
……なんだったんだ? なぜあいつはこの時間に教室にいたんだ? 考えるが、分からない。この教室にいたってことは、同じクラスなのか。
あいつは何を見ていたのかと、俺は先ほどまで男が立っていた場所に立ち、男と同じように窓の外を見る。少し春の日差しが眩しかったが、外の景色は何一つ変わらなかった。
その後、俺も教室を出た。鍵を職員室に返し、昇降口でスニーカーに履き替え校門を出る。
本日四度目となる桜並木のこの道を歩きながら、先程の出来事を思い返す。
……アイツも忘れ物をしたというのが一番妥当な線だな。理由もなく教室に居残るわけないし、と結論付ける。ついでに外の景色でも眺めていたのだろう。景色をぼーっと眺めて先生に注意された事なんて俺はしょっちゅうだしな。閉め切った教室に一人でいれば不意にそんな気分になるのも納得できる。
しかし、気になる事を言っていたな。「確認」とかなんとか。一体何の確認なんだ? それに鍵が無いのにどうやって入ったんだ? 一度開けて職員室に返しに行ったのか? いやいや、どうせ閉めるときにまた鍵が必要なんだ。そんな二度手間しねえだろう。……謎だな。
そんなどうでもいい謎のことを考えていたら、俺はいつの間にか駅の近くまで来ていた。あと三十メートルほどで駅の改札口だ。
改札口の傍らにある券売機へと向かう。
五百円玉を入れて自分が降りる駅までの金額のボタンを押す。切符と一緒におつりが勢いよく飛び出た。その時、俺はあることを忘れていたことに気づく。
「……学校に定期の申請すんの忘れた」