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魔女の再編  作者: 紗音
第一章
7/16

The most important thing in communication is hearing what isn’t said. ― Peter Ferdinand Drucker

 

 この世で一番煩わしいものは何だろう。

 ドレスのコルセットを絞めることか?礼儀作法などのお勉強?姑にいびられること?

 イーニアならばこう答えるだろう。舞踏会とそれに連なるもの、と。


 忘れそうになるものの、イーニア・アリストリス侯爵令嬢はれっきとした王太子の婚約者である。王家主催の催物に婚約者として招待されるのは当然といえば当然だった。ハイデン領から遠い王都にある別荘で、げんなりとした表情でうなだれているイーニアのことを、誰も責められないに違いない。

 王家直々の招待状ばかりは侯爵も無視できず、仕方なくドレスを用意させ、支度を命じた。そのせいで、いつもはイーニアに会釈すらしない使用人に、親の敵とばかりに無遠慮に髪を引っ張っられながら髪を巻かれ、無駄に重たい髪飾りと首飾りを付けられる。

 馬鹿にしているのか、と叫びたくなるような純金の装飾を、使用人がぞろぞろと集団で退出していったところでどんどん外していく。無造作にベッドに投げ捨てられた装飾品がカチャリと悲し気に擦れて音を立てた。これでもかと高く上げられた髪も解き、きつく巻いた形を崩す。デビュタントもまだだというのに、こんな夜会向けの装飾をされるとは嫌味以外の何物でもない。しかも、今回は昼に催されるお茶会だということは、使用人らも知っているはずなのに、だ。恥をかけばいいという魂胆が見え見えである。


 とは言え、今日は衣装と装飾品を合わせただけで、本番は明日だ。考えなしの使用人は、イーニアがお茶会での適した格好がなにかわからないと思っている。あれだけしっかりと淑女の礼を見せたというのに、だ。だから衣装合わせでも嫌がらせに使う装飾品を何も考えずにつけたに違いない。明日はどれだけ迅速に髪をほどき、装飾品を外すかが勝負どころである。


 そもそもなぜこのような催しがなされ、そしてデビュー前のイーニアが招待されたのにはわけがある。ほとんどのものが知らないことだが、このお茶会の主催者はこの国の王妃、つまり王太子の母親である。この時点で既になぜ催しが開かれるかは想像できよう。もっと言えば、今回開催されるお茶会に招かれたのは身分のしっかりとしたご息女、ご子息ばかり。年齢層は八歳から十三歳。ここまでくれば、もう正解は目の前だ。

 王太子の友人に相応しい人物がいるかを見極め、また王太子にとっても国王となった際の臣下を見極める場でもある。そしてなぜご息女まで招かれたかといえば、ここにはイーニアが招待されたわけが大きく絡んでくる。簡単に言えば、王太子の婚約者となるに本当に相応しい人間なのか、王妃直々の見極めにより王太子妃にふさわしい人物なのか。また他にふさわしい人間はいないのか探すため、である。

 イーニアにとってはいい迷惑以外の何物でもない。そもそも、イーニアは王太子妃になどなりたくはないし、ましてや王妃になど頭を下げられてもなりたくなどない。


 そして、イーニアはこの時期にこの王都には絶対に近寄りたくなかった。できることなら仮病を使ってでも、失踪してでも避けたかったのだ。この時ばかりは、運命という首輪に引っ張られた気がしてならない。イーニアは死ぬほどまずい薬草茶を飲み干した時のような気分だった。


 夜中、月明かりを頼りに本を読んでいると、風もないのにカーテンがはためく。

「あら、窓開けておいてくれるなんて優しいわね、お嬢さん?不用心ではあるけれど」


 妖艶に微笑んだ女はバルコニーの手すりに体を預けると、値踏みするようにイーニアを眺め始める。女は体にぴったりとそったデザインのドレスを着ていた。紫紺のドレスは女の豊満な女性の象徴を申し訳程度に隠すだけ。羽織ったケープのおかげでようやく下品から妖艶に格上げできる程度の布面積の無さ。ハイヒールに彩られた足は女の脚線美を助長するに違いない。そして何より、女は先端が緩やかにとがった大きなつばあり帽子をかぶっていた。それは昔ながらに、魔女と噂されるものの恰好であった。


 イーニアは昔から、この女のお頭のありかを疑っている。そう、前回もこうして女は接触してきたのだ。手に入れたいものはないか。心の底から渇望するものはないか、と。そして未熟な子供であったイーニアは答えてしまった。「決して崩れない居場所が欲しい」それを聞いた女はさも面白そうに笑った。イーニアに淑女の作法を教えたのはこの女だ。とても厳しかったが、後にそこそこためになったのでそれは感謝している。しかし、結果脆くも居場所を保つどころかバラバラに砕け散ったのだが。


 イーニアは気にせずに本のページをめくった。薬草大図鑑は、イーニアの愛読書である。無視されていることにめげもせずに、女は続けた。「ねえお嬢さん。あなた何か心底ほしいものはない?自分の身を捧げてまで得たいものはない?」イーニアは無反応にページをめくり続ける。この女は飽き性だ。イーニアが反応しなければ、さっさとあきらめて帰るに違いない。しかしこの女は案外粘り強かった。聞いているの、お嬢さんと飽きもせずに話しかけてくる。女の粘り強さに結局イーニアは折れてしまった。

 イーニアは女の目をまっすぐに覗き込んだ。女が息をのむのが分かる。発した言葉は短く、そして端的だった。

「ないわ」


 女はぽかんと口を開けたまま呆然としていた。あまりの間抜けづらに、イーニアは鼻で笑ってしまう。笑われたことにより顔を引き締めた女は、またじろじろとイーニアの体の隅から隅まで見回した。不快だ。そう訴えようと口を開いた途端、にたりと女が笑った。途端、背筋がぞわりと粟立つ。見たこともない表情にイーニアが押し黙れば、女は歌うように言葉を紡いだ。

「思ったとおり、お前には資格がある。本物になる資格がある。けれどお前は見えていない、そんなに好かれているのに見えていない。さぞ生きにくかろう、さぞ苦しかろう」


 ぞっとするような、得体のしれない感覚が背筋をはいあがった。強い風がイーニアの周りを取り囲む。頬を切るような鋭い風に思わず目を瞑れば、額に暖かな感触が触れる。

「夜、窓辺に温めたミルクを置いてごらん。子どもだましでも、立派な挨拶だよ」


 次に目を開けた時には、何もかも嘘だったかのような静寂があたりを包んでいた。狐につままれたような感覚を味わいながらも、イーニアは備え付けの厨房でミルクを温める。そのままバルコニーにことりと置けば、奇妙な感覚のまま眠りについた。

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