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魔女の再編  作者: 紗音
第一章
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There is always light behind the clouds. ―Louisa May Alcot

 

 部屋に戻ってきたイーニアは深くため息をついた。体がとてつもなく重たく感じる。まるで九十の婆のようだ。とはいえ、イーニアは九十までは生きたことなどない為、想像でしかないが。妹に対してやりすぎただろうかと一瞬頭の端で考える。けれど、どう思い出してもあれは妹の観察眼の無さが原因である。普通の子どもならばあれで心が折れてしまっても仕方がないような仕打ちだ。八歳のイーニアはともかく、十八のイーニアは図太いので、そんなことにはならないが。

 何もする気になれず、ベッドに寝そべる。窓から見える空は晴天で、雲一つない。暖かな日差しに眠気を誘われ、うつらうつらとしていた時、空が突然真っ黒に覆われた。

「烏…?」


 大きな図体の烏が窓枠にどっしりと乗っかっていた。ずいぶん肥えた烏だこと。思わずイーニアはそう思った。


 烏は何を考えているのかまるで読めない瞳で、じっとこちらを見ている。正直、イーニアは烏はさほど好きではない。昔、父親に内緒で飼っていた小鳥を殺されたことがあるからだ。部屋で自由にさせていたのも原因だろう。

 いや、殺すという言葉には語弊がある。イーニアが小鳥を見つけた時は、まだ小鳥は生きていたのだから。何かの拍子に入り込んだ烏に弄ばれ、その小さな体を血に濡らしながら、虫の息で鳴いていた。息の根を止めたのは、イーニアだ。

 羽が変な方向に折れ曲がり、例え傷が塞がっても、もう飛べそうになかった。飛べない鳥は、鳥として既に死んでいる。飛べないまま生きながらえるより、ここで死んでしまった方が幸せだろう。

 イーニアは可愛がっていた小鳥を、手で手折った。…あれは、何歳の頃のことだったろうか。


 烏が直接殺した訳では無い。けれど、あの烏が羽を手折らなければ。そう何度も繰り返し泣き言を漏らした。

 そんな記憶が蘇り、烏から目をそらす。

 しかし逸らした途端、烏は窓枠をつつき始めた。ガンガンと中々に強烈な音をさせる烏に、イーニアは煩さに顔を顰めた。


「お前、この部屋に食べ物はないわよ。さっさとお行き」


 窓を開けてなるべく鋭く睨みつけても、烏は動じない。言葉など理解していないかのごとく首をちょいと傾げて見せた。真っ直ぐに向けられるまん丸の目が、ほんの少し愛嬌を感じさせる。

 そうしてしばらく睨み続け、事実上見つめあっていたが、根負けしたのか烏は小さく一鳴きすると、大きな翼をはためかせ空へ飛んでいった。

 烏が飛んでいった方向をなんとはなしに目で追う。しかし、烏からほんの少し視点が外れた。青い空の下、屋敷を取り囲むように広がる濃淡様々な緑。庭園の先にある木々生い茂る深い森。


 イーニアはふと思った前回も今も、屋敷から遠くへは出たことがない、と。処刑されたのはここから離れた王都の広場だったが、状況が状況であったため周りを見回すことなどできなかった。イーニアはこのハイデン領に住んでいるというのに、ハイデン領のことを何も知らない。ここから一番近い街に降りるには馬か馬車が必要だが、ここから見える森に入るくらいなら、夕方までに入って帰ってこれそうだ。

 イーニアはすぐさま汚れてもいい洋服に着替えた。ズボンは流石にないが、膝丈のワンピースにブーツをはけば問題がないだろう。イーニアの足のサイズにあった靴などありはしないが、靴擦れした時ように当て布と塗り薬を持っていけばさして問題もないだろう。姿見に映るイーニアの表情は、今までにないほど生き生きとしていた。


 ざくり、ざくりと土を踏みしめる音がする。ブーツが大分大きいため、少しずつしか進めないということに気付いたのは歩き始めてからすぐのことだ。しかし、もう屋敷を抜け出してきてしまっていたため、戻る気にはなれなかったイーニアは、構わずそのまま歩き続けた。

 ようやく森に入れた時には、太陽はずいぶん高いところにいた。もしかしたら、屋敷に戻れるのは夕方ではなく夜明けかもしれない。面倒なことにならなければいいが、という心配はあれど屋敷を開けることに関しては全く躊躇など無かった。

 それに、森に入ってからイーニアは別の意味で危惧していることがある。どうもこの森、人が住んでいる。それも、住み着いてから結構たっているだろう。けもの道とはまた別に、踏み鳴らし続けてできた道が細く続いている。イーニアは今その道に沿って歩いていた。いくら森の中とはいえ、ここも立派なアリストリス家の私有地なのだ。あまりよろしくない輩が住み着く事態は避けたい。住んでいる人間がよくないものであった場合、イーニアは腰に下げていたとても臭い粉を相手の顔面にぶちまけてやろうと考えている。それは人間にとってはとても臭いが、獣には魅力的な香りらしく、大型の獣がわんさかよって来ることであろう。途中で食われてくたばるなり、逃げ出すなりすればいい。


 イーニアこそ、とても物騒なことを考えながら、大きいブーツをカポカポさせながら歩いていると、だんだんと視界が晴れてきた。木々に覆われたなかにぽつりと開いた空洞のような空間に、その家は建っていた。レンガ造りのしっかりとした造りのその家は、どこか温かみを感じさせる。

 そして、ふわりとかぎ慣れた匂いが香った。その匂いは、どうやら家の裏から香っているようだった。イーニアがそろそろと家の裏に回り込んでみると、一人の男がしゃがみ込んで何かしていた。

 イーニアはその姿を見て、思わず肩の力を向いてしまった。


 その男は薬草をすり潰していたのだ。それだけで男を信用するわけではないが、この家の雰囲気を見た時既にイーニアは不法侵入者を追い出そうという気はなくなっていた。何せイーニアが感じたこともない程落ち着ける空間だったのだ。いいところを見つけたと、そんなことを思うくらいに。

 イーニアは男の足元に干してある薬草をみる。形もよく似ている物が多いというのに、男は迷いなく正しい順番で煎じていく。そうしてしばらくじっと見ていたが、「あ!」とイーニアは思わず声をあげた。「そっちじゃない、隣の薬草が先」と。薬草に手を伸ばしていた男は、驚いた様子もなくイーニアを振り返った。その眼にはきつく包帯が巻かれており、イーニアは感嘆した。目が見えないのにあそこまで正しく調合できていたのか、と。

 男のそばに近寄り、男が間違えた薬草を見て、イーニアはああ、と納得したように頷いた。男が間違えて取ろうとしたその薬草は、隣の薬草と匂いが似ているのだ。おそらく、それで間違えてしまったのだろう。イーニアは男の手を正しい薬草の上に押しやった。男がどうするのか観察してみたくなったのだ。そうすると、男は何もなかったかのように、また薬草を潰す作業に戻った。イーニアは少しだけ驚いた。肝が据わった男だとも思った。そこにほんの少しの面白さを見出したイーニアは、男の作業が終わるまで、そのまま観察し続けた。


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