Against all odds.
例えば、ぴんと張った糸を強引に横から伸ばしたとして、結果は切れるかだらんとだらしなく弛むかだ。
イーニアが体験した人生の巻き戻しは、この弛んだ糸と同義であると思う。弛んだ糸は戻ることがない。巻き戻った後の人生において様々な齟齬が見られるのは、主にこれのせいではないかとイーニアは考えていた。
一つは、イーニアのそばに精霊という存在がいること。二つ目は、魔女の態度。三つめは妹の性格。それに伴い変化した妹への王太子の感情。ビャクダンに関しては、巻き戻しの影響というよりも、イーニアの行動に伴う変化であるので、ここでは省く。
イーニアを起点として糸が弛んだ結果、元々の人運命と呼べるものやその人の根幹をなすものが歪んでしまったのならば。イーニアがこの屋敷にいることで、さらにそれが歪になっていくような気がした。
あの日から、王太子によるイーニアへのアプローチが絶えない。毎日のように花や宝石、ドレスや催し物の招待状まで。その結果、無視されていた両親からの体罰と名のついた暴力まで始まってしまった。両親は妹を差し置いて贈り物を送られているイーニアが癪に触って仕方がないのだろう。薬の調合に支障が出る段階にまで到達しつつある暴力に、イーニアは日頃考えていた計画を実行に移すことにした。
「それでいいのか?」精霊がイーニアの目の前で首を傾げた。
精霊が言葉を発するのを初めて聞いたイーニアは数秒手を止めたが、持っていたシーツをまたびりびりと破り始める。双子の精霊は今は眠っている。先程まで二人で走り回って遊んでいたが、疲れたのか飽きたのか、二人寄り添って眠る姿はとても愛らしい。
考えていた計画というのは、この屋敷から出ていくことだ。前ならば屋敷から出ても探されなどしなかっただろうが、今は王太子の付けた護衛がイーニアの部屋の前に陣取っている。とはいえ、形だけの護衛は給金だけむしり取る置物であったが。
気が向いたときに訪れる魔女が、昨日バルコニーに現れた。「手伝ってあげましょうか?」魔女はにやりと厭らしい笑みを浮かべ、イーニアに問いかけた。魔女を信じていいものか不安だったが、結局イーニアは魔女の手を取った。
割いたシーツを結んでつなげていく。そうして出来上がった長いシーツをバルコニーに括りつけ、それを伝って下に降りる。精霊に頼んでシーツを回収してもらい、隠し部屋に放り投げてもらう。ここまでする必要もないのだろうが、念には念をいれよ、とは魔女の助言だ。
そうして屋敷の裏手にある森を抜け、見えてきた人影に向かってイーニアは声をかけた。
「ビャクダン!」
振り向いた人物のそばに駆け寄れば、男は呑気に早いね、と声をかけてくる。
「なぜあなたがここにいるの?」
この計画を知っている人間は、イーニアと魔女だけであったはず。しかし、イーニアの問いにビャクダンは答えなかった。いつもはおしゃべりなはずのビャクダンの精霊も、今は静かに成り行きを見守っているように見えた。
「行こう」
その差し伸べられた手に、何故かイーニアは既視感を覚える。けれど、その感覚を追うことはできなかった。後方から怒号が聞こえる。おそらく、イーニアがいなくなったことに護衛が気づいたのだ。忌々しい置物だ。そう口の中で呟きながら、差し出された手を取り逆に引っ張り走り出した。魔女と待ち合わせている場所までそう離れていない。逸る気持ちを押さえつけ、駆け出した。
行き先は魔女たちはじかれ者たちの住む場所だ。自然が守る、鉄壁の格子部屋。王太子の婚約者であるイーニアは、何処へ行っても探され、見つかり、連れ戻される。それなら、人間には近寄れない場所にこもるしかない。こもりながら、今度こそイーニアがやるべきことを探せばいい。これから行く場所は、時間の観感覚が曖昧なのだという。時間がたくさんある、とは魔女の言葉だ。
何故か、巻き戻される直前の炎の熱さを思い出す。やはりあの時、イーニアは死ぬべきだったのだ。悪逆非道の権化として、理不尽に罰されるべきであった。それでも、後悔はしてはいけない。あの時のイーニアのために。妹を恨み、そして恨み切れずに殺せなかった。哀れなイーニアのために。そして、そんな妹をはじめ多くの人の運命まで捻じ曲げてしまった、今のイーニアの贖罪のために。
中途半端な状態での完結となってい仕舞い、すみません。
もう少ししっかりとした形の、物語の終わりを私も目指しておりましたが、力及ばず。
申し訳ありませんでした。