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魔女の再編  作者: 紗音
第一章
11/16

The wisest mind has something yet to learn.―George Santayana .2

今回、少し長くなってしまいました。

 

 イーニアは魔女の言う通り、精霊というものは信じていなかった。誰かがそれを信じるのは自由と思っていたし、精霊について語る人を妄言者だとは思わなかった。けれど、イーニアの()()には存在しなかったのだ。イーニアはふっと目をつむった。頭の奥がツキツキと痛んでいる。けれど、現実逃避をしている時間は許されなかった。せっかちな魔女は、待たされるのも無視されるのも大嫌いなのだ。


 魔女の方を見れば、予想どおり不機嫌そうに唇を突き出し、子どものようにぶすくれている。思わず出そうになった溜息を飲み込んだ。少しでも頭痛を和らげるためにこめかみを押しながら、イーニアは魔女に向き合う。魔女はようやくこちらを見たか、と言いたげに腕を組み、その豊満な膨らみを強調した。

 人が何かを与えるときは、少なからず何かしらの見返りを求めているはずだ。イーニアは魔女が何かを求めて、彼女に関与したことを疑わなかった。魔女の性格は粗方知っていたからだ。これから求められることに一抹の不安を感じながらも、それをおくびにも出さずにイーニアは問う。

「…それで、私に何を求めるのかしら。魔女」


 魔女はにやりと笑った。賢い子は大好きよと耳に絡みつき、捉える声。蠱惑的な赤い唇を舌で湿らせるその姿は、妖しげな魔女そのものだ。

「よくぞ聞いてくれたわ。私、お前を弟子にしようと思うの」


 最初は聞き間違いだと思った。しかしその言葉が嘘でないことは、魔女の目を見ていればわかる。この魔女マダム・ジャレはよく嘘をつく。けれど、その魔女をよく知っていればそうそう嘘には引っかからない。嘘をついているとき、ジャレは完璧に態度を偽る。けれど、よくよく見てみれば、嘘をついている時のジャレは至極愉快そうに目を細めているが、ついていないときはどこまでも澄んだ色をしている。ジャレ自身は気づいてない、嘘発見器というわけだ。そのことから、目で語るという言葉をイーニアはこの魔女から学んだのだ。

 金色の瞳はまっすぐにイーニアを見つめている。けれど、イーニアはなぜこの魔女が弟子云々と言い出したのかまるで理由が掴めなかった。


「理由が分からないって顔をしてる。素直な子よね、お前」


 くすくす小さく笑い声を立てたジャレをイーニアは睨むように見つめた。ジャレはそんなイーニアを見ると、揶揄うような態度から一転、真面目な表情に変わった。静かな声で、理由ならあると話す魔女を、イーニアは少しだけ恐ろしく感じた。

 巻き戻ってから初めて会った時の魔女を思い出す。あんな魔女を、イーニアは知らない。あんな壊れた機械のようなジャレなど。だからこそ、イーニアはもうジャレとは関わりたくなかったのだ。最初から関わる気などなかったが、あれからさらに会いたくないという気持ちが膨らんだというのに。

 ずっと立っているのは疲れるでしょうと、魔女に肩を押されてよろめいたイーニアはそのままベッドに座り込む。魔女自身はふわりと宙に浮かび、手近な椅子を手繰り寄せたかと思うとひょいと宙に浮かんだまま腰掛けた。

 ずっとまわりをうろついていた双子の精霊が、イーニアの両腕にそれぞれぎゅっと腕に抱き着いてきた。そのまま、すりすりと頭を擦りつけてくる二つの存在に気分がいくらか和らぎ、張りつめていた糸が僅かにゆるんだ。魔女の朗々とした声が、室内に響く。月明かりに照らされただけの室内が、さらに声の調子を荘厳に仕立て上げる。


「お前は魔女になる資格を持っている。魔女はこの世にたくさんいるけれど、本物は一握り。多くの偽物は本物のカモフラージュでしかない。だから魔女狩りは、本物を炙り出すために行われ始めたの。偽物たちが焼け死んでいく中、良心の呵責に耐えかね出てきた魔女を、火炙りよりも残酷な方法で殺すために」


 足元を掠め、そして舐めるように立ち上る炎の熱さがイーニアの肌によみがえる。震えたイーニアをどう思ったのか、双子の精霊はイーニアの腕を一層強く抱きしめ、青年の精霊はそっとイーニアの頭を撫でた。それを見た魔女は、ふっと笑った。とても微笑ましいものを見た時のように。母親が、無条件に子どものすることを肯定するかのように。


「精霊とは、自然そのものと言われているわ。無から生じ有を産み出す。精霊について分かっていることはとても少ない。分かっていることといえば…理から外れた存在を、かの存在は許容し、受容し、慈しむということのみ」

「自然は、理を貴ぶものではないの?」


 思わずイーニアは口をはさんだ。それは生まれる子どもが最低でも一度は耳にすることだ。自然は理を何より愛している。そのため、それを脅かす存在を自然は許さない。自然から嫌われたものは、この世界で生きていくことすらままならないのだ、と。


「それは、人間が勝手に言いだしたにすぎないものよ。人が人として生きていくために、人よりもずっと大きな存在に首輪の鎖を託したの。先人の知恵のようなものかしらね。ただ実際、自然は理を外れてしまったものに優しい。だから魔女も、こうして細々と自然に紛れ生きていくことができている」


 信じられない。おそらくイーニアはそんな表情をしていたのだろう。ジャレは不出来な生徒を可愛がるように、口の端で笑った。


「自然は私たち(理から外れた者)に優しいけれど、人間も、運命も、神と呼ばれる存在でさえ私たちには厳しい。だから私たちは小さな集団にまとまって過ごすようになった。これが、魔女が弟子をとる理由。一人じゃ、耐えられないの。自然は私たちを受け止めてくれるけれど、決して強固な盾じゃないのよ。だから、イーニア」


 初めて、まともに名前を呼ばれたと場違いなことが頭をよぎった。魔女はまっすぐにイーニアを見つめ、その視線を外さない。射貫くような真剣さに、息苦しささえ感じるほどだ。


「魔女に、なりなさい」


 イーニアは答えられなかった。

 最初は、巻き戻るだけの変わらない人生だと思った。火炙りになるのはきっと変わらないだろうとさえ思っていたのだ。それなのに、イーニアだけを置いてけぼりにして何もかもが変わっていく。握りしめた手はまだ小さく、柔らかい。この手がなければ、巻き戻ったことなどすぐに忘れてしまいそうだった。まだ火に炙られたまま、最後の夢を見ているのではと考えてしまう。握りしめた手の痛みだけが、イーニアを現実につなぎとめていた。

 握った手の感覚だけに意識を集中していると、そっと何かが額に触れた。柔らかくてほんのりと暖かいそれに顔を上げれば、予想外の近さにジャレの顔がある。額に触れたのは彼女の唇だと、遅れて理解した。その感触に、何かを思い出しかけて、けれど形のないそれはすぐに崩れてなくなってしまう。それは、忘れたくない記憶だったように思うのに。ジャレ、とイーニアは魔女を呼ぶ。けれど、何を伝えたいのかわからずに魚のように口を開けたり閉じたりするしかできない。魔女はバルコニーの手すりに足をかけ、顔だけ振り向いた。

「また来るわ。その時に、返事を聞かせてちょうだい、キティ」


 勝手にやってきて、勝手に帰っていく。イーニアは来なくていいといおうと思った。けれど、額のほのかな温かさが、その邪魔をする。

 姿見に映ったイーニアは、迷子の子どものように泣きそうな表情をしていた。

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