It is in your moments of decision that your destiny is shaped.―Anthony “Tony” Robbins
私は間違っていたのだろう。けれど、何を間違っていたのかさえ分からない。この生は処刑という形で幕を閉じる。一番最初に間違えてしまった理由を、知らぬまま。
その広場では、今まさに魔女と呼ばれた一人の女が火炙りの刑に処される直前であった。
魔女はかつて、どこかの貴族令嬢であったと、処刑場に集まった人は噂する。妹の婚約者に懸想して、妹を呪い殺そうとしたそうな。魔女は火炙り、それが魔女狩りのしきたり。ああ、恐ろしや、恐ろしやと、どこか楽しそうに囁き会う。
魔女と呼ばれた女は、ただ静かにそこにいた。手首を縛られ、体を棒にくくりつけられても、その顔は恐怖に歪まない。王都の一番広い広場でたくさんの民衆に晒されても、彼女はただ一人を見ていた。
「お姉様…」
魔女のそばに、一人の可憐な少女が近づいた。女になる一歩手前の、栗毛色の髪の乙女。少女は魔女の妹。彼女もまた、貴族であった。何故か、姉妹の親は見当たらない。
魔女は少女を眺める。傍から見れば、少女を呪い殺そうとした姉と、その妹だ。なのに何故か、二人の間にそのような気配はない。少女は魔女を心底心配気に、そして悲しげに見つめていた。
魔女もまた、噂通りならば、憎悪に目をくらませていても良いものを。魔女の目にそのような色はない。
魔女はしかし、唐突に口を開いた。
「一つ、質問してもいいかしら」
それは、今日初めて聞いた魔女の声だった。ざわりとどよめいた民衆の中、少女を庇うかのように立った人物がいた。まるで姫を守る騎士のように、強い警戒を目に滲ませて。彼の人は、『今は』、少女の婚約者である。魔女はその姿も黙って眺めた。勿論、情愛の欠片もこもっていない、淡々とした表情で。
その場にいる処刑見届け人をちらりとみやり、魔女は少女に向き直る。少女も、小さく頷いた。質問が、自分に当てたものであることを分かっていた。
「愛されるってどういうことかしら」
少女は目を見開く。少女を庇うように立つ青年は、魔女の意図が分からず警戒し、少女を後ろに下がらせようとする。しかし少女は逆に魔女に近づいた。魔女は少女の目と鼻の先。青年は慌てたが、少女は魔女の目を見つめる。
「自分以上に、誰かを愛することですわ」
少女は、魔女に言葉を返した。
魔女がどのように返すのか、誰もが魔女を見上げた。当の本人は、変わらず静かな表情で目を閉じる。その目が開いた時、誰もが息を飲んだ。魔女は笑っていたのだ。酷く穏やかに。
「そう…」
魔女の次の言葉に、誰もが耳を傾ける。微笑む魔女に、誰もが見入った。その美しさに、しばし魔女が罪人だということを忘れさせた。
「ならば、こうなるのも道理ね」
そう、魔女が呟いた時、刑の執行を告げる笛がなる。青年は急いで少女を下がらせた。もう、少女は抵抗しない。
火炙りにされようとしている魔女は目を閉じたまま、微動だにしなかった。
魔女は静かにその時を待っていた。可燃物に点火された火が燃え上がり、じわじわと魔女の足を炙っていく。煙が立ち上がり、魔女の中を蹂躙する。目を閉じた瞼の裏で、誰かの啜り泣きが聞こえた気がした。
突然、魔女はなにかに引っ張られるような感覚に目を開けた。
続いて感じた衝撃は、例えば水の中に落ちた時とよく似ている。けれどそこは水の中ではない。闇だった。前も後ろも、右も左も、上も下もない。広がる闇の中、魔女は初めて動揺した表情を見せた。
また、誰かの啜り泣く姿が脳裏に映る。そして闇に、光が灯りはじめた。それはどんどん集まり、様々なところに広がる。それは絵のように四角く形取り、色を持っていた。
その一枚一枚が映像のように動いている。魔女はそれを見て、自らの記憶だと悟る。懐かしいものを見るように、魔女が光に触れようとした時。魔女はまたも、なにかに引っ張られる。魔女はただ通り過ぎていく映像を見ていることしかできなかった。映像は最近のものから、どんどん過去に遡っていく。まるで走馬灯のようだ。魔女は心臓部分に手を当てる。それはまだ、生きていると証明するかのように鼓動を繰り返す。魔女は焦ったように顔を顰めた。理由は分からない。ただ、引かれる流れに抗うように叫んだ。
「止まって!」
魔女の声に、ピタリと全てが止まった。動いていた映像も、写真のように止まっている。
「私はそんなことを望んでいないわ」
魔女の言葉に、闇が歪んだ。そして空間に、文字が浮かび上がる。
『そなたは許された。もう一度、やり直す機会を与えられた。そなたが初めに『間違えた』時間に戻ることを許された』
魔女は顔を歪めた。拳に力が入る。握られた手はより白く色をなくす。
魔女は引っ張られる中、予想を立てていた。この空間がなんなのか。夢なのか、はたまた冥界への通路か。それが違うと気づいたのは、たった一つの事実があったからだ。それは、映像を見てもなんの感慨もわかないこと。走馬灯は一つの防衛本能であり、とてつもなく多幸感を伴うものである。それがないのは、おかしいではないか。
魔女が止まってから、啜り泣きはどんどん大きく聞こえてくる。鼓膜に直接響いてくるようにすら感じられた。
けれど、これに耳を傾けてはいけないことを、魔女は知っていた。
この現象は、なにかに関与されて起きたものだ。目の前に現れた文字が、それを証明している。そしてそれは、魔女の望んだものでは決してないものだということも。
「許しなど、必要ない。私は私として生を終える。もし再び輪廻の輪の循環に至るとしても、私は全てを忘れ去り、別の人間として生きていくだろう。それが生と死の理のはず。理を定めた存在が、理を無視しようというのか」
文字が再び浮かぶのに、少し時間がかかった。まるで躊躇っているかのよう。
『もう、戻れぬ』
その言葉が消える瞬間、先程よりも早く魔女は引っ張られる。そして、一際大きな映像の元へ、強引にも導かれた。
その映像は、初めて魔女が『間違えた』日の記憶だった。