第79話 おっさん、年上の魔女にからかわれる
皆の視線が集まる。
その先にいたのは、眼帯を付けた隻眼の男。
背負っている荷物から考えて薬師のようではあるのだが、頭の布巻帽子は明らかに巻き慣れていない様子だった。
「薬屋さん?」
声をあげたのはアローラだった。
何故こんなところにいるの、と言いたげな目でヴォルフを見ている。
だが、彼女以上に反応したのが、リックだった。
「お前……」と唸りをあげて、ヴォルフに近付く。
襟元を掴み、捻り上げた。
「何を考えている!」
「いや、おれ――じゃなかった――私はお2人が困っていたようだったので」
「薬屋のお前に何が出来る。邪魔だ!」
「リック……。乱暴はいけませんよ」
アローラが割って入ってくる。
ようやく手を離すと、リックはふんと鼻息を荒くした。
胸を撫で下ろすと、アローラは薬屋に変装したヴォルフに向き直った。
「薬屋さん、お気持ちは嬉しいのですが……」
「足手まといには決してなりません。邪魔だと思うなら、見捨ててくれても結構。私は困っているあなた方のお力になりたいのです。後方支援でも、囮でもいいですから、同行させてください」
「しかし、危険ですよ」
「大丈夫です。これでも逃げ足には自信がありますから」
「その割りに、先ほど暴漢に絡まれていたではないか」
リックはちゃちゃを入れる。
アローラはそれを目で制した。
「では、お願いできますか」
「アローラ様!」
「ただし巣穴までです。それでいいですか」
「構いません。……ですが、炎獣に対応するには優秀な魔導士がいるのではないですか」
アローラとリックの顔が同時に曇る。
若い騎士ならば「それでも俺ならなんとかしてみせる」と息巻いてみせるところなのだが、さすがに状況がわかっているらしい。
炎獣には斬撃が効かない。
魔導士の魔法、援護が必要になる。
すると、人だかりの中にもう1つ手が上がった。
3人は同時に顔を上げる。
細く、褐色の肌はそのまま人を縫うように進み、中心へとやってきた。
現れたのはエルフ。
それも珍しいダークエルフだ。
紫色の長い髪。
薄いビスチェのような上着。
首から巻いた長いショールは、生き物のようにふわふわと浮いていた。
おそらく魔導具の1つだろう。
全体的に軽装で、熟した太股と胸が大きく開き、目のやり場に困る。
浅黄色の瞳は若干垂れ、女性に柔らかな印象を持たせていた。
ハッとするぐらいの美女。
真面目で、如何にも女に対し奥手そうなリックも、唾液を飲み込んだ。
「あたくしはベードキア・キルヘルと申します」
――――ッ!
しんとギルドが静まり返った。
ベードキア・キルヘルといえば、有名な辺境の魔導士だ。
先の魔獣戦線にも参加し、五英傑ほどではないにしろかなりの武功を上げたと聞く。
ローシャン周辺に工房を構え、【闇森の魔女】という異名を誇っていた。
ヴォルフが現役の頃から第一線で活躍する魔導士だ。
先の魔獣戦線の後、噂を聞くことはなかったが、ローシャンに戻っていたのだろう。
「あの……ベードキアなのか」
さすがの若武者も声を震わせている。
柔和な笑みを浮かべ、ベードキアはリックの肩に手を置いた。
若い宣教騎士の身体を弄ぶように触ると、森の魔女は口を開く。
「はい。……なんでしたら、お力をお見せしましょうか」
ベードキアの瞳が蛇のように細くなる。
その必要はない。
周りにいる人間は気付いていた。
彼女から感じる凄味を……。圧力を……。
そしてそれを今の今まで群衆の中に隠していたという事実を。
「あなたほどの英雄が力を貸してくれるのですか?」
「英雄なんて、そんな持ち上げないでください。そういうのは、ちょっと苦手で……。うふふふ」
蠱惑的に微笑む。
見ていた冒険者たちは、はっとする美しさに固まった。
一方、アローラは目を輝かせる。
「では、加勢していただけるのですね」
「炎獣にはあたくしも困っておりまして。……しかし、1人で行くのは少々危険と感じておりました。ちょうど仲間を探していたのです」
「それなら早く名乗り出てくれれば」
リックはヴォルフの方を睨む。
ベードキアが仲間になるとわかっていれば、薬屋など連れていかなくても良かったものの――そういう目をしていた。
だが、ヴォルフは引っ込むつもりはない。
【闇森の魔女】の実力を疑ってはいないが、アローラとリックは何か気になる存在だった。
意見する部下に、アローラはまたたしなめる。
「そんな言い方をしてはいけません、リック」
「申し訳ありません」
「ベードキア様、どうかご助力いただけませんか?」
「うふふふ……。様なんて呼び方照れてしまいますわ。どうかあたくしの名前はベート、と」
「では、私はアローラとお呼びください」
「アローラ様を呼び捨て――」
何かにつけて、リックは反応する。
よっぽどアローラのことを気にかけているらしい。
彼女の守護騎士なのだから仕方ないかもしれないが、少々過剰な気がする。
ともかく仲間は揃った。
4人+1匹は、炎獣の源泉がある洞窟へと旅立った。
◇◇◇◇◇
一行はローシャンから北にある岩石地帯に辿り着いた。
見通しが悪く、夜になっても薄く霧のようなものが視界を覆っている。
大小様々な穴があり、地下は迷路のように入り組んでいるようだ。
この中から炎獣の源泉を探すのは難しい。
ベードキアによれば、炎獣は夜に活動し、朝方には源泉へと戻ってくる習性があるという。
だが、まだ陽が沈んで間もない。
そこで近くに野営し、朝まで待つことにした。
火焚きもし、野営の準備を終え、軽く食事を取る。
「まあ、この野菜汁……。おいしいですわ」
ベードキアは舌鼓を打つ。
細い身体の割りに大食らいらしい。
皿を出して、お代わりを要求した。
「お料理上手なんですねぇ。……えっと――そういえば、まだお名前をうかがっておりませんでした」
「薬屋で結構ですよ。ベードキア様に名前を覚えてもらうような大層な人間ではないので」
「うふふふ……。料理だけじゃなくて、お口も達者なんですね、薬屋さん」
「たくさん食べて、英気を養ってください。……ところで、アローラさんとリックさんが見えないのですが」
「アローラでしたら、戦勝祈願といって水垢離をされにいきました。あの可愛い坊やと一緒に……」
「坊やって」
「坊やは坊やですわ。可愛いじゃありませんか。2人とも」
ヴォルフは微苦笑を浮かべた。
意味はわかるのだが、坊やというほどリックは可愛くはない。
長寿のダークエルフだからこその表現なのだろう。
「きっとまだどちらも未通なんでしょうね」
「ぶほっ!!」
ヴォルフは飲みかけていた野菜汁を吹き出す。
お淑やかだと思っていたベードキアから、いきなり下ネタが飛び出したのだ。
これでもヴォルフはいい年したおっさんだ。
下ネタに耐性はもちろんあるのだが、さすがに魔女の口から聞くとは思わなかった。
「可哀想に……。目の前にあんな可愛い上司がいたら、我慢するのも大変でしょうね」
「そ、そうですかね?」
ベードキアはよく喋る魔女だった。
普段は工房に引き籠もっているような魔導士だ。
おそらくその反動で、人といるとお喋りが止まらなくなるのだろう。
「気があるんでしょうか、あの2人」
「それはそうですよ。間違いありません。……少なくともあの坊や」
「そ、そうですか……」
「あら? 薬屋さんもおぼこい娘が好きなんですか?」
「お、おぼこいって」
「やっぱり男の人って若い子好きなんでしょうか……。はあ……。青春時代を魔法の研究に費やしてしまったばっかりに。もったいないことをしました」
「まだまだベードキアさんは美しいじゃないですか」
「本当? 本気でいってますか、薬屋さん」
がっちりヴォルフの手を掴む。
浅黄色の瞳を爛々と輝かせた。
「じゃあ、薬屋さん。あたくしをもらってくれますか?」
「え? ちょ……! くさっ! 酒くさ! ベードキアさん、お酒を飲んでませんか?」
「へぇ? そんなことありません」
「今、腰の後ろに隠した瓶はなんですか!!」
「これは気付け薬ですよ。……そんなことより、どうです? もらってくれます。自分でもいうのもなんですが、なかなかの身体だと思いますよ」
ダークエルフの熱っぽい顔を近付けてくる。
これでもかと素肌をさらし、胸の谷間とむちむちした太股がヴォルフの視界を覆った。
確かに……。とても長寿のエルフの身体とは思えない。
はははは……とヴォルフは誤魔化すように笑うのが精一杯だった。
長居をすれば、本当に一夜の過ちを犯してしまいそうになる。
自然とベードキアのホールドから抜けると、ヴォルフは立ち上がった。
「薪を探してきますね。朝までもたないかもしれないので」
「え~。もうちょっとお話しましょう、薬屋さん。か弱い女の子を1人にするつもりですか」
「ははは……。直に2人も戻ってきますよ」
「もぅ。……薬屋さんのいけず」
頬を膨らませ、恨みがましそうに睨んだ。
ヴォルフはなんとか離脱する。
その背中に向かって、ベードキアは「お気をつけて」と手を振った。
もう酒が回っているのか、呂律があやふやだ。
ヴォルフはほっと息を吐く。
さすがの【剣狼】も、【闇森の魔女】の勢いにたじたじだった。
次回更新は5月15日の予定です。








