番外編③ ボブライムの逆襲!
何を考えているかさっぱりわからないくりくりの目。
常に半開きになっている口元。
ベトベトの体躯。
一見何もないように見えて、ボブライムの胸中はおそらく復讐に燃えていた。
己の好物を餌にした卑劣な罠。
度重なる砲撃で飛び散る身体。
開発によって木は伐採され、美味しい樹液を啜る場所すら奪われた。
過度な森林破壊。昇りにくく無駄に高い建物。etc……etc……。
すべては邪悪な心を持つ冒険者によるものである。
なんとか一泡吹かせたい。
魔獣でありながら、無害と認定された自分たちの地位を改善したい。
そもそも樹液を舐めたい!
自分でもよくわからないまま笑っている顔を整形したい!!
様々な思惑が交錯する中、ボブライムは1つの決断を下す。
この手で憎き冒険者を根絶やしにする、と。
◇◇◇◇◇
再び往来のど真ん中には、籠罠が設置されていた。
時間は昼下がり。
空には入道雲が浮かび、東に向かって流れていく。
初夏の陽光が燦々と降り注ぎ、テリネスの街路を焼いていた。
籠の下にはいつも通り樹液が光っている。
一体こんな単純な罠、誰が引っかかるのだと思ったが、1匹のボブライムが擦り寄ってきた。
もう何度目かというのに、スライムの一種は無警戒に近付いていく。
影の下にある樹液を啜った瞬間、目の前が真っ暗になった。
あ、と思った時は遅い。
出ようにも籠の上から踏んづけられ、脱出できない状態だった。
最中、猫の鳴き声が聞こえる。
「学習能力がにゃいのか、ボブライムは」
辟易した様子で、ミケは首を振った。
籠に足を乗せ、ご主人であるヴォルフは周囲を警戒している。
再び見事ボブライムを捕まえたにも関わらず、功を誇ることはない。
周囲を睨め付けるような眼光は、狼というよりは、虎に似ていた。
「なあ、とっととしょっぴいちまおうぜ」
「しぃ!」
ヴォルフはミケの忠告を手で遮る。
そしてその口笛は聞こえてきた。
「ピューピュッピュ――――♪ ピューピュピュッピュピュピュ――♪」
調子っぱずれなのに、どこか哀愁が漂う口笛。
さらに馬の蹄の音が重なる。
往来の向こうから人をかき分け、そいつは現れた。
「ジャン! ジャンだ!!」
「にげろぉぉぉおおお!」
「また吹き飛ばされるぞ」
「巻き込まれたくなかったら逃げるんだ!」
皆は一斉に逃げ始める。
露店を開いていた店主は慌てて店を畳み、あちこちの窓が下ろされると、たちまち街はひっそりと息を殺した。
睨み合う2人の父親の間に、砂塵が舞う。
首に巻いた赤いスカーフが緩やかに翻っていた。
先に口火を切ったのは、馬に乗ったジャンだ。
「勝負に逃げなかったことだけは褒めてやるぞ、冒険者」
「ようやく俺のことを覚えてくれたらしいな」
「全く……。いつもいつも邪魔ばかりしおって!!」
「邪魔してんのはお前だろ!」
ヴォルフは思わず頭に血を上らせたが、すぐに冷静になった。
自分の足の裏にある籠を蹴る。
すると、中にいるボブライムが激しく暴れた。
「それも今日で終わりだ。ほら、この通り。ボブライムは俺が捕まえた。勝負は俺の勝ちだな」
「何をいう! 勝負は私の勝ちだ」
すると、ジャンは馬の腹に下がっていた網を掲げる。
そこには活きのいいボブライムが、ぶるぶると飛び跳ねていた。
「は? ちょっと待て! なんでボブライムが2匹も?」
「貴様のボブライムは偽物じゃないのか? 真のボブライムは私が捕まえたボブライムだ」
「真のボブライムってなんだよ!! お前の方が偽物じゃないのか?」
再びいがみ合い始めた2人の聴覚は、奇妙な異音を捉えた。
轟音が遠くから聞こえる。
すると、わずかに地面が震え始めた。
地響きは、2人の冒険者の方へと近付いてくる。
「なんだ、あれは!?」
ヴォルフは思わず唸った。
紺碧の瞳に映ったのは、鈍色の津波。
よく見るとそれは、ボブライムの大軍勢だった。
「オーマイゴッド!! なんだ、あれは!」
1、2、3……。
数えるのも馬鹿らしいほどの無数のボブライムが襲いかかってくる。
ヴォルフは【カムイ】に手を伸ばした。
臆病なボブライムが自ら襲いかかってくるのは珍しい。
だが、裏を返せば、討伐のチャンスだ。
これほどの数を駆逐できれば、一生遊んで暮らすことも夢ではない。
ヴォルフは腰を沈める。
柄に手を置くと、呼吸とともに抜きはなった。
【居合い】――――ッ!!
災害級魔獣アダマンロールすら斬った剣技を放つ。
津波のように襲ってきたボブライムの群を一文字に切り裂いた。
だが、次の瞬間――。
じゅっっぉぉぉぉおおおおおおおお!!
突然、爆発する。
ヴォルフは巻き込まれ、宙を舞った。
一瞬、脳震盪を起こし、意識が混濁したまま地面へと落下する。
「ぐえ!!」
馬車に轢かれた蛙のように倒れた。
幸い怪我は娘の【時限回復】によって回復。
意識もすぐに戻った。
そこに相棒の幻獣がやってくる。
「大丈夫か? ご主人様」
「だ、大丈夫だ……」
「何やってんだよ、全く……。レミニア嬢ちゃんの強化魔法のおかげで、触れもしねぇのに。近接攻撃なんて頭が湧いてるとしか思えねぇぞ」
「う、うるへー」
ヴォルフは地面に突っ伏したまま反省する。
勇んだ結果がこのザマだ。
このまま土に還りたいほど、恥ずかしかった。
そんな中、擬音で空を埋め尽くさんばかりの哄笑が響き渡る。
ジャンだ。
その手には砲牛が握られ、迫り来る魔獣の群をロックオンしている。
「ふはははは……。所詮、お前の愛などその程度なのだよ。見よ! 我が娘シリルに捧げる渾身の一撃! 魔獣どもよ! 正義の鉄槌を受けてみろ!!」
轟音とともに、砲牛の射出口が火を噴く。
拳大ぐらいの砲弾は、真っ直ぐボブライムに向かっていった。
「クリィィィィィィイイイイン! ヒットゥゥゥゥゥウウウ!!」
勝ちを確信したジャンはガッツポーズを取る。
音速で飛び出した砲弾は、ボブライムが自ら開けた穴によって通り抜けていく。
そのまま放物線を描き、街にあるラムニラ教の教院に直撃した。
「そ、そんな馬鹿な!」
「へっ! お前だってかわされてるじゃねぇか!」
「得意がってんじゃねぇよ、ご主人様。逃げるぞ!!」
ミケは先に走り出す。
そうだ。
争い合っている場合ではない。
ボブライムは速度を緩めることなく、ヴォルフに接近しつつあった。
「うわあああああああああ!!」
「あ! ちょ! お前待て!!」
脱兎の如く逃げ始めたのはジャンだ。
その後にヴォルフも続いた。
手を目の辺りまで振り上げ、大きなスタンスで走る。
奇しくも2人の走るフォームは同じだった。
ヴォルフとジャンはテリネスの街を駆け回る。
後ろに迫るボブライムは、冒険者を追跡し続けた。
時々、道ばたに落ちていた魔導具や魔鉱に反応して、爆発が響く。
その度に、人の悲鳴あるいは2人の悲鳴が聞こえた。
「よっと!」
間一髪難を逃れたミケは、屋根の上に降り立った。
少し小高くなった場所に建つ建物からは、テリネスが一望できた。
その横にはいつの間にか、シリルが控えている。
「どうやら、ご主人様の魔力を辿って追跡してるみてぇだな」
「そのようね」
「うちのご主人様はわかるけど、嬢ちゃんのパパはなんで追いかけ回されてんだ?」
「そりゃあ、パパにもシリル特製の強化魔法がかかってるからね」
ニコリと笑う。
ミケはピクピクとこめかみを動かし、苦笑いを浮かべた。
とことんヴォルフとジャンはそっくりらしい。
シリルはおもむろに立ち上がる。
手を口元に当て、声を張り上げた。
「パパ! 街で爆発させちゃ駄目よ! 外に出て、外!!」
ちょうどヴォルフとともに目の前を横切っていったジャンに指示を出す。
すると、「OH! シリル! 愛してるよ」となんとも余裕のある返事が返ってきた。
シリルも手を振り「私も愛しているわ」と応える。
まるで戦場に向かう若い夫婦の別れを見ているかのようだ。
またミケは苦笑いを浮かべる。
一方、ヴォルフはなんとかボブライムを誘導しようとしていた。
ジャンとシリルの会話じゃないが、ボブライムを街の外に出すことには賛成だ。
幸い土地勘はある。
いくら最速の魔獣とはいえ、あれほどの質量で追いかけてくると、どうしても速度が鈍い。
スピードはヴォルフの全力以下になっていた。
誘導はスムーズに進む。
事態を察した衛兵が街の門を開けていた。
そのまま門をくぐり、街の外へと出る。
目の前は見渡す限りの平原が広がっていた。
後は、なるべく街から引き離し、魔力を叩きつけてすべてのボブライムを爆発させるだけだ。
すると――。
「んべ!」
ジャンが足を取られてこけた。
「OH! ちょっと待って、プリーズ!」
「だあああああ! お前、何をやって」
人の良いヴォルフは反射的に引き返した。
手を引っ張り、立ち上がらせようとするが、拍車付きの乗馬靴がちょうど窪みにはまり、抜けない。
その間も、ボブライムは2人に迫った。
大きな影が覆い被さる。
「「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」」
おっさん2人の悲鳴が重なった。
瞬間、巨大なボブライムが落ちてくる。
じゅっっっっっどどどどぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおんんんん!!!!
真っ赤な炎と爆煙が、空へと立ちのぼるのだった。
次回番外編最終回「おっさん、荒野の決闘」です。








