第75話 おっさん、謝る
聖森の守護者篇、これにて完結です。
ヴォルフがレベートを斬る姿を、ガダルフは遠く離れた山の上から眺めていた。
目深に被った帽子の奥――黄色く濁る瞳の光が消える。
やがて、ふんと鼻を慣らした。
スキル【千里眼】。
遠くを見ることはおろか、相手の戦力や複雑な魔法術式を瞬時に解答することができる技である。
特質スキルであり、レベル7にリストされていた。
「当初の目標を達成することはできなかったが、愚者の石の力が、神話級の存在たる聖樹に効果を示しただけでも、テストは成功だ」
すでにこの時、ガダルフの頭の中にレベートの記憶はなかった。
魔導士にとって、彼はいちパトロンに過ぎない。
ガダルフと親密な関係にあるラーナール教団との関係も、レベートからはたどれないようになっている。
そもそもあの男は、自分が利用されていた自覚すらなかっただろう。
「やはり、愚者の石は相手の魔力が強ければ強いほど威力を発揮するようだな」
被った帽子の奥で、ガダルフは微笑む。
つまりは、英雄ルーハス、大賢者、そして【大勇者】にすら、この力は通じるということだった。
問題はその制御が出来ないことだろう。
それでは兵器としては失格だ。
だが、世界最高戦力たる英雄と【大勇者】を圧倒できる力……。
自然と身が震えた。
魂が暴れ出すのを感じ、ガダルフはそっと己を抱きしめる。
長い襟元の奥では、野獣のような歯がむき出しになり、笑っていた。
つと冷静に立ち返る。
再び【千里眼】を起動し、ブラッセン侯爵から離れていく男を捉えた。
「存外、あの男……。いずれ厄介な存在になるかもしれんな」
ハッと風が巻き起こる。
舞い散る葉がガダルフを隠すと、刹那その姿は消えていた。
◇◇◇◇◇
草原を踏みしめ、前を歩く猫の尻尾をヴォルフは眺めていた。
九尾がリズムよく左右に揺れている。
尻尾が立っているということは、機嫌がいいことなのだろう。
けれど先ほどから契約主は話しかけるタイミングを見事に逸していた。
結局、色々と考えた末にヴォルフは思い切って頭を下げた。
「ミケ、すまない。お前を置いてきてしまって」
「…………」
【雷王】は振り返らない。
夕日の光を背中に浴びながら、黙々と歩いている。
しばし沈黙が流れた。
先にヴォルフが口を開く。
「俺はただ――」
「知ってるよ」
突然、ミケが主の言葉を遮る。
決して歩む速度は緩めず、振り返りもしない。
「どうせあっちを巻き込みたくなかった、とかいう理由だろ。付き合いこそ短いが、ご主人様の単純な考えはすぐにわかったよ」
「怒ってるよな」
「別に……。多少呆れてはいるがな」
「う……」
怒っているといわれるより、ヴォルフの胸に深く突き刺さった。
ミケはつと立ち止まる。
大きな尾を翻し、ようやくヴォルフの方を向いた。
街道のわだちにお尻を付け、首を伸ばす。
異色の瞳が主を突き刺した。
「でも、ご主人様よ。あっちと契約する時にいったよな」
命を共にするとここに誓う……。
「ご主人はそれをすべて飲み込んで、あっちと契約した。あれは嘘だったのかい」
「や……! そういうわけじゃ……」
「あっちはご主人様と死ぬ覚悟は出来てる。ミランダの家にある暖炉の横も捨てがたいけど、あっちはあっちのご主人様の胸で死にたいんだ」
ヴォルフは膝を突き、そっと契約幻獣を抱きしめた。
結局……。
ミケは怒り、そして悲しんでいたのだ。
【雷王】は1度、主人を失っている。
今回のように離れたところでだ。
もしかしたら、忌々しい記憶が小さな頭の中に蘇ったのかもしれない。
「悪かった。……俺も、お前と同じ気持ちだ。俺が死んでも側にいてほしい」
「馬鹿野郎! 誰があんたを死なせるってんだ。あっちは【雷王】だ。絶対、今度こそ……主人を守ってやるよ」
「ああ……。頼むぜ、相棒」
「夏期休暇は、ワヒトから帰ってきてからだな」
「悪い。それまで付き合ってくれ」
「しょうがねぇ、相棒だな。ところで、いつまで抱きついてんだよ。くせぇぞ、お前。また下着を履き替えてねぇんじゃねぇか?」
「お前にいわれたくない」
ヴォルフはようやく手を離す。
微笑むと、ミケも目を細め笑った。
「ところで、ミケ……。一旦メンフィスに戻りたいんだ」
「ん? ワヒトに行くんじゃないのか?」
「もう1人、謝らなければならない人がいてな」
ヴォルフは西の空に沈む夕日に向かい、目を細めるのだった。
◇◇◇◇◇
レクセニル王国の王都はすっかり夏らしくなっていた。
青い空が広がり、お城のような入道雲が空の高いところまで伸びている。
連日暑い日が続き、涼を求め、中央の噴水広場には人が集まっていた。
日陰ではうちわを片手に真剣な眼差しで賭け札をする男たちの姿がある。
一方で王宮ルドルムは夏期休暇の真っ最中だった。
そのため王宮内は平時よりも閑散としている。
一部の家臣や、王宮に出張している貴族たちが、故郷や領地に帰ったためだ。
手が余った給仕たちも、暇をもらい、帰郷している。
そんな中、休日返上で働く2人の魔導士の姿があった。
【大勇者】レミニア・ミッドレス。
その秘書官であるハシリー・ウォートだ。
先日の解析実験の失敗。
さらにはレミニアのわがままによって、実験器具が届くのが遅れ、当初計画されていた予定の半分も達成できていない有様だった。
いくら【大勇者】といえど、公務である以上、一定の成果を示さなければならない。
当然、研究成果を確認する査定が存在し、クリアしなければ、来期の予算がつかないこともあり得る。
そのため2人は休みを返上し、実験に没頭していた。
ハシリーはレミニアが夏期休暇を主張するかと思っていた。
だが、思いの外そうした抵抗はなく、黙々と仕事を続けている。
おそらく今ニカラスに戻ったところで、ヴォルフがいないからだろう。
実験に没頭する若き魔導士たちに、前触れもなく贈り物が届けられる。
差出人は書かれていない木箱を見て、2人は同時に首を傾げた。
以前、レミニアが脅したラムニラ教信者の仕業かとも考え調べたが、爆発物やトラップがあるようには見受けられない。
思い切って開けてみる。
入っていたのは、小瓶だった。
中にはカットされた林檎が大量に入っている。
どうやら発酵させたジュースのようだった。
レミニアはすぐにピンと来た。
「パパだわ!」
睡眠不足で腫れぼったい瞳がかっと開く。
みるみる生気を取り戻し、小瓶を王冠のように掲げた。
すると、はらりと手紙が落ちる。
そこには娘への謝罪と、今メンフィスにいることが書かれていた。
「そっか……。パパ、メンフィスに行ったんだ」
感慨深そうにレミニアは手紙をめくる。
やがて、小瓶の蓋を開けた。
濃厚な林檎の香りが、無機質な実験室に立ちこめる。
まるで村の農園にいるかのような気分になった。
レミニアも想像する。
パパといたニカラスの風景を。
「この林檎ジュースはね。よくパパが夏に作ってくれたのよ」
林檎の旬は主に秋期だ。
だがニカラス周辺に生えている品種は、夏に実をつける。
その度に、ヴォルフが林檎ジュースをよく作ってくれたのだ。
「パパがいってたわ。このジュースを作る決め手はおいしい水なんだって。だから、いつかメンフィスの川の水で作ってみたいって」
手を振って、幼いレミニアも飲みたいとせがんだ。
いつか飲ませてあげるといった父は、ついに約束を果たしてくれたのだ。
「パパったら……。覚えてくれていたんだ」
レミニアは手紙と小瓶を抱きしめた。
パパの匂いが鼻腔を突く。
すぐ側に、ヴォルフが立っているような気がした。
次回から番外編『おっさんのライバル!?篇』をお送りします。
時系列を少し巻き戻して、章タイトル通りのお話となります。
よろしくお願いします。
ちょっと更新日が空きますが、4月26日に掲載予定です。
今後ともよろしくお願いします。








