第70話 おっさん、聖樹の頼み事を聞く
そろそろ真面目にお話を書こうと思います。
「ヴォルフ様、私もご一緒してよろしいでしょうか?」
手をあげたのは、コノリだった。
ヴォルフより一回り小さい腕を一生懸命伸ばしている。
幾分震えているようにも見えた。
「危険だぞ、コノリ」
「十分承知しています。でも、私は聖樹様の巫女です。きっとお役に立てるはず」
最初から彼女が持っていた杖を握る。
それは聖樹の枯れ落ちた枝から作った聖杖なのだという。
その杖を持つコノリは、村を代表する聖樹の巫女なのだと、説明した。
「何が出来るかはわかりません。それでも私は聖樹様を助けたいのです」
「私からもお願いしますじゃ」
長老も頭を下げた。
「2人とも頭を上げてくれ。ちょうど案内がほしかったんだ。よろしく頼む」
ヴォルフもまた頭を下げた。
こうしてヴォルフとコノリは、上流にある聖樹を目指し、川沿いに歩き始めた。
村の中でもむせ返るような澱んだ空気だったが、上流にさかのぼるほど呪いはさらに濃くなっていく。
その内、コノリは強い聖属性を持つヴォルフと手を繋がなければ歩けなくなる程だった。
かといって、彼女を置いていくわけにはいかない。
霧が濃く、土地勘がなければとてもじゃないが進むことが出来なかった。
その点、コノリは目をつぶってでも、リヴァラスの下へといけるという。
「ヴォルフ様の故郷はどんなところなのですか?」
「ここと似ているよ。森に囲まれていて、とても静かな場所なんだ」
「そうですか。行ってみたいなあ。私、森から出たことがないから」
「森から出たことがない? 確かコノリは街に救助を要請しようとしていたんじゃないのか?」
「はい。だから、あの時ちょっと嬉しかったんです。森の外に出ることが……」
森の外に出ることが出来るのは、村の中でも男だけと決められている。
鼠牙族はレクセニル王国の法律によって、生きる権利を認められていた。
だが、亜獣人に対する差別は根強い。
雌性が街へ行き、暴行されたり、誘拐されたりすれば、抗う術はない。
彼らは獣人といえど、他の種族と違って、力は人間よりも劣るからだ。
そもそも森を出ることは、その務めを放棄することと、鼠牙族の中でも強い観念として考えられてきた。
森を出ることは、考える事すら忌まわしいことなのだ。
それでも若い鼠牙族の中では、森の外への憧憬が強い。
コノリもその1人だった。
だから、彼女には野望があった。
巫女となり、村の発言権を獲得し、村を変えていきたいと……。
そんな矢先での事件だった。
「意外とコノリは野心家なんだな」
「はい。……でも、ちょっと変なんです。今は、村を守ろうという気持ちが強い。小さい頃はなくなっちゃえって思ったこともあったのに」
「大切な故郷がピンチなんだ。それは当然だよ」
「ヴォルフさんは、何故私たちの村を救ってくださろうとするのですか?」
ヴォルフは鼻の頭を掻いた。
考えてみたが、特に理由は思い当たらない。
「しいていえば、コノリが困っていたからかな」
「それだけ……?」
「うーん。そうだな。あとは娘のためかな」
「ヴォルフ様には娘さんがいらっしゃるのですか?」
「ああ……。目の中に入れても痛くないくらい可愛い娘がいるんだよ」
他愛もない世間話をしながら、進んでいく。
やがて2人の前に現れたのは、ひどく浅い池だった。
大きな水たまりといっても差し支えがない。
足元はよく目を凝らすと、無数の根が絡み合っていた。
そして顔を上げる。
深い霧の中……。
それは小城のようにそびえていた。
「これが聖樹リヴァラスか……」
「はい……。そうです」
空を蝕んばかりに広がった枝葉。
幹は当然太く、大人が20人手を伸ばした所で、1周することは難しいだろう。
何本のもの幹や枝が複雑に絡まり合い、野獣の筋肉を想起させた。
姿こそどこの森にでも1本はありそうな万年樹。
しかし、【剣狼】と呼ばれるヴォルフですら居すくませるほどの迫力があった。
普段であれば、胸が空くような光景だったのだろう。
今、ヴォルフの眼前にあるのは、黒く硬質化した幹と、むせ返るような汚れた空気だけだった。
間違いない。
呪いの元凶は恐らく聖樹リヴァラスだ。
ここまで来ると、ヴォルフの身体にも影響が出ていた。
身体が重い。
まるで泥の中を漂っているかのようだ。
腕や足に、魔力の渦が絡む感覚がある。
すでにコノリは満身創痍で、ヴォルフの背に乗り、息を切らしていた。
ヴォルフはもう一歩近付く。
瞬間、強烈な悪意を感じ、後ろに下がった。
目の前にあったのは、根だ。
地面の下から盛り上がり、切っ先が槍のように尖っていた。
ちゃ……。
すると、さらに根が伸びる。
水しぶきをあげながら、ヴォルフの方に迫ってきた。
「コノリ! 俺の背中に強くしがみつけ! 振り落とされるなよ!!」
「は、はい!!」
コノリは言うとおりにする。
広い背中に爪を引っかけた。
ヴォルフは走る。
引き返し、根のない水辺から一旦退却しようとした。
驚くべきは、【剣狼】のスピードを聖樹が捕捉していることだ。
「いや、捕捉じゃないな」
ヴォルフは強化された目で原因を探る。
おそらくだが、捕捉しているというよりは、ヴォルフの魔力に反応しているのだろう。反射的に近づくものを迎撃しているのだ。
水縁まではもうすぐ。
ヴォルフが速度を上げた瞬間、それは現れた。
まるで先読みでもしたかのように、根の壁がそびえ立つ。
ヴォルフの行く手を阻んだ。
「くっ!」
目の前には壁。
背後からは波のように根が襲いかかってくる。
完全に誘い込まれた。
柄に手をかけた。
しかし、一瞬迷う。
聖樹リヴァラスは鼠牙族にとってのご神木。
いや、レクセニル王国にとって、必要不可欠なものだ。
ヴォルフは聖樹を救うと誓った。
それを傷つけていいものか。
ほんの些細で、そして刹那の迷いが、狼の牙を鈍らせる。
「(間に合わ――)」
さしものヴォルフも諦めかけた時、それは起こった。
突如、襲いかかってきた根が止まったのだ。
それどころか背後の壁もスルスルと水の中へと消えていく。
ヴォルフはしばし呆然とした。
「今のうちだ! 急げ!!」
声は背中から聞こえた。
コノリの声だが、雰囲気が違う。
「どうした?」
「あ、ああ……」
ヴォルフは走る。
ようやく水縁へと退避した。
今一度リヴァラスを見上げる。
強烈な殺意が、潮のように引いていくのを感じた。
一体何が……?
ヴォルフは振り返る。
立つことすらままならなかったコノリが突然、広い背中から降りた。
遠くを見つめるような瞳で、リヴァラスを眺めている。
「コノリ、なのか……」
「ほう……。聡いな、ヴォルフ・ミッドレス。それともこういうべきか。【剣狼】」
「俺のことを知って……」
「有名だからな。……アダマンロールを斬った時は、見事だった」
「あんた、コノリじゃないな」
「ああ……。そうだ」
コンと杖の石突きで地面を叩く。
「私は聖樹リヴァラス……。といっても、この杖の中で微かに生き続けていた残り滓だがな」
「り、リヴァラス!」
「なんだ。その目は……。聖樹なのだから、もっと雰囲気がお淑やかではないか――と疑心を含んだ目で、我を見よって」
「あ、いや、そんなことは……。――思ってました。すまん」
「正直で良い。それこそニカラスのヴォルフだ。ゆるりと話をしたいところだが、巫女の身体を使い、こうして出てきたのは、お前に頼みがあるからだ」
「頼み?」
「我を斬れ……」
…………!
ヴォルフは絶句した。
同時に、謁見の間で自分を斬るように告げた時、王にこれ程の衝撃を与えていたのかと身を持って体験した。
それほど、己を殺せというのは、物騒な言葉なのだ。
「しかし――」
「鼠牙族や、今後の我のことなら気にする必要はない。それに我を斬ったところで、聖樹は滅びぬよ。ただし、お主が手順を間違えなければな」
「手順?」
巫女の意識を乗っ取ったリヴァラスは、杖である方向を示した。
それは聖樹が生えている地面より少し下の部分。
大きく腹のように膨らんでいる箇所があった。
目を凝らすと、微かに光っている。
「あそこに我の核がある。あれを樹木から引き離してほしい」
「核?」
「おそらく我はまだ生きている。核で覆うことによって、呪いの進行を妨げているのだろう」
「つまり、その核を奪取しろと」
「そういうことだ」
「でも、結局お前を斬ることになる」
リヴァラスに近付けば、おそらく先ほどの攻撃が襲いかかってくるだろう。
今、目の前にいる聖樹は、自分を残滓といった。
こうして喋ることにすら時間制限がある彼女が、先ほどのように力を行使し、根の動きを止めることは難しい。
だが、巫女の口は事も無げに告げた。
「かまわん。当人がいうのだ。遠慮なく斬れ。それとも至難か?」
ヴォルフの身が総毛立つ。
怖いのではない。
武者震いだ。
腰に提げた鞘をぐっと持ち上げた。
「問題ない。そういうのは得意なんだ」
狼は牙を剥く。
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