第69話 狼は再び立ち上がる
昨日たくさんの感想いただきありがとうございます!
そしてみんな「おっさん汁」に反応しすぎ!!
魔力とはいわゆる精神を可視化したものの総称である。
人間の中で血のように流れており、魔導士などは、これをコントロールし、精霊や神、または魔神などに捧げることによって、魔法を行使している。
高い集中力が必要なのも、精神を落ち着けるために必要なことなのだ。
人間の精神ゆえに、時に魔力は使用者の感情に左右されることがある。
善意であれば、魔力の流れは穏やかになり、悪意があれば、澱む。
むろん人間ゆえ、すべて善意で染めることは難しい。
しかし、前者と後者の性質はまるで違う。
仮に限りなく善意が込められた魔力であれば、それは真の魔力であろう。
反対に限りなく――いや、悪意に染められたもの。
人はそれを“呪い”と呼ぶ。
つまり、呪いとは魔力の塊なのだ。
だが、決して忌避され続けるものではない。
呪いは、時として膨大な魔力の発生源として使われる。
要は使用を誤らなければ、毒も良薬になるというわけである。
「痛ッ!」
王立魔導研究所の一室に軽い悲鳴が上がる。
ハシリーは顔を歪めた。
その手の先には、黒い霧のようなものが立ちのぼっている。
強力な呪いに、右手は冒されていた。
ハシリーは現在、賢者の石の開発実験中だった。
呪具による増幅を経て、人工的に作った魔鉱に魔力を込める作業をしていた。
だが、実験の最中に呪文の一節を間違え、反発した呪具の魔力が逆流。
ハシリーの手を呪いで犯したのである。
傍目から見れば、大事のように思えるかもしれない。
が、魔導実験ではよくあることだ。
呪いの痛みは強烈だが、ハシリーも魔導士の端くれ。
しかも、Aクラス相当の実力者である。
慌てることなく、淡々としていた。
「レミニア、すいません。聖水をとっていただけないですか?」
ハシリーに背を向けて、彼女と同じく人工魔鉱に魔力を込める作業をしていたレミニアは振り返る。
そこでようやく秘書の事態を知った上司は、聖水が入っている引き出しを開けた。
ところが、聖水は1本も入っていない。
どうやら使い切ってしまったようだ。
「ハシリー、聖水切れてるわよ」
「あれ? 発注をかけて……ああ、そうだ」
逆の手で頭を掻き、己の失敗を嘆く。
最近、メンフィスの川が呪いで汚染されていて、聖水の流通が滞っていた。
別ルートを介して購入するので、2、3日遅れるとお達しがあったばかりだ。
その際、呪具による魔力増幅は控えるよう警告もされていたことも思い出す。
「弱りましたね」
ハシリーは自分の右手を見る。
すでに肌が変色を始めていた。
1日ぐらいなら保つだろうが、それ以降となれば壊死するかもしれない。
「仕方ないわねぇ。これを使いなさい」
レミニアは1本の瓶を差し出す。
聖水かと思いきや、若干濁っていた。
軟木の栓を抜き、いわれるまま右手に振りかける。
すると、みるみる呪いが引いていった。
肌の変色もなくなり、元の自分の手に戻る。
ただ若干、粘ついていた。
「凄いですね、これ? 聖水ではないようですが……」
「パパノアセヨ」
「え? すいません。うまく聞き取れなかったので、もう1度いってもらえますか?」
「だから、パパの汗だってば!」
ッ!!!!!!!
「ちょ!! 部下に何かけさせてるんですか、あなたは!」
思わず叫んだ。
確かに右手からはハシリーの体臭とは違う臭いがする。
そう――なんというか中年の――加齢臭というか、そんな臭いだ。
何故、父親の汗が入った瓶なんて渡した!?
そもそもどうして呪いが解けるのかがわからない。
頭がごちゃごちゃして、ハシリーはヴォルフの汗が付着したままの右手で、白髪をがりがりと掻いた。
「何よ。呪いに困ってるからあげたんじゃない。わたしのパパの汗なのよ。むしろ有り難く思ってほしいわ。わたしだって、後で楽しもうとしていたのに」
「何を楽しもうとしていたんですか、あなたは!!」
「こうやって……。パパの汗の臭いを嗅ぐと、ぐっすり眠れるのよ」
「変態か!!」
つい怒鳴ってしまった。
いや、普通の精神力の持ち主ならば、怒ってしかるべきだろう。
最近、レミニアの深いヴォルフ愛についていけない。
初めから付いていけてないのだが、最近さらに変態チックになっているような気がするのだった。
◇◇◇◇◇
「ありがとうございました、ヴォルフ様」
鼠牙族一同は頭を下げる。
垂れた頭の先には、半裸のままのヴォルフが立っていた。
その後ろには、鼠牙族で使われる村の30日分の水が備蓄されていた。
ひたすら呪いの水をかけられたヴォルフの努力の結晶だ。
ちなみに今、ヴォルフが着ようとしている乾いた上着も、その水で洗ったものだった。
コノリと一緒に、年老いた鼠牙族が進み出る。
どうやら、村の長老らしい。
「何かお礼が出来ればいいのですが……」
「気にするな。俺は、俺がしたいことをなしただけだ。あ……。でも、出来れば俺に会ったってことは、他の人間には内緒な」
「え? それは構いませぬが……」
おお、鼠牙族の間で声が上がる。
耳を澄ますと「なんと奥ゆかしい人間なんだ」「自分の功を誇らないとは」「こんな人間もいるのだな」と、別の方向で受け止められていた。
ちょっと複雑な顔を浮かべながら、ヴォルフは尋ねる。
「それより、何故こうなったか教えてくれ。街ではあんたたちが、川を汚染したということになっているのだが、どうやら違うようだな」
「それは全く誤解ですじゃ」
長老はゆっくりと首を振る。
そして事情を話し始めた。
「実は、聖樹リヴァラスが呪いを受けたのです」
「聖樹が……。そんなことが可能なのか」
聖樹とは、ストラバールに流れる巨大な魔力の流れの上に繁茂し、魔力を吸って生きる樹木のことだ。
その性質は間違いなく清らかであり、善意の魔力に満ちあふれている。
反対の属性を持つ聖樹が、呪いに飲み込まれた。
一体、どんな呪いを受けたのか、ヴォルフには想像も出来なかった。
むろん鼠牙族にもわからないらしい。
ここは【不可侵領域】。
呪具を持ち込むのも難しい場所のはずだ。
「ただ……。若い者がいうには、聖樹様が呪いを受ける前、人間を見たと」
「人間? どんな?」
「わかりません。帽子と服装で顔を覆っていて」
ヴォルフも首を傾げた。
聖樹リヴァラスに呪いをかけるほどの人物だ。
きっと名のある魔導士か、呪術師なのだろう。
その人物の目的はわからないが、このままではメンフィスはおろか、流域の村の水がすべて呪いに汚染される可能性がある。
鼠牙族だけではなく、多くの民の生活が一変してしまう可能性があった。
「わかった。俺をその聖樹へ案内してくれないか」
「聖樹様のところへ行き、どうされるおつもりか?」
「行ってから考えるよ。……心配するな。あんたたちのご神木なんだろ。悪いようにはしない」
長老はホッと胸を撫で下ろした。
すると、足音が近付いてくる。
繁みを抜け、1匹の若い鼠牙族が転がり込んできた。
「おお。お前は、ブラッセンに向かった」
ブラッセンとは、この辺りでは1番大きな都市だ。
メンフィスを含む河川流域を収めるブラッセン侯爵の屋敷もそこにあると聞く。
おそらく、そこに助けを求めに行った仲間なのだろう。
息を切らし、慌てた様子だった。
まずはヴォルフの身体によって清められた水を一杯飲み干す。
落ち着いたところで、若い鼠牙族は叫んだ。
「大変だ! 侯爵が私設軍を率いて、森を焼き払おうと向かってきている」
「なんじゃと!!」
鼠牙族はどよめく。
ヴォルフもともかく落ち着きを払い、事情を話すように促した。
ブラッセン侯爵は、川を汚染し続ける聖樹に対し、冒険者を雇うなど対策を打ってきた。
だが、どれも思うようにいかず、業を煮やした侯爵は、自ら私設軍を率い、森を焼き払うことに決めたのだという。
「侯爵に思いとどまってくれるよう進言したのか?」
「した! けど、あいつら全く聞いてくれなくて。メンフィスの商工会の連中と一緒に、綺麗な水を取り戻せと息巻いている。……その綺麗な水を作っているのが、聖樹様だというのに」
「お、愚かな……」
長老は頭を抱えた。
ふらりと倒れる。
寸前のところで、ヴォルフは受け止めた。
「大丈夫だ、長老。俺がなんとかするよ」
「ヴォルフ殿……」
「ようは聖樹の呪いを解けばいいんだ。その上で侯爵に安全を確保したことを報告すればいい」
ヴォルフは顔を上げる。
皆に言い放った。
「ともかく、あんたたちは逃げた方がいい。森が焼かれる前に」
「それは出来ませんのじゃ」
長老はヴォルフの袖を引っ張る。
「この森は我らが代々守ってきた聖域……。ここから出ることは我々にはできないのです」
鼠牙族全員が同じ意見らしい。
森が焼かれると聞いて、誰も微動だにしなかった。
「わかった……。絶対、俺が森を守ってやる」
頼もしい言葉と共に、再び狼は立ち上がるのだった。
総PV数が400万件を超えました!
また四半期総合ランキングでも41位まできました
ひとえに読者の皆様のおかげです!
ありがとうございます。
来月以降には、一部書籍化情報を解禁できるかなーという感じです。
お楽しみに!!








