第68話 おっさん、浄水する?
「やあ、ぼくミッ〇ーだよ」的な鼠は出てきません。
針のように長い赤茶色の体毛。
小さくくりくりと動く耳。
黒く丸い鼻に、上唇からは2本の出っ歯が飛び出ている。
体躯は小さい。
子供と同じか少し大きい程度だった。
間違いない。
鼠牙族といわれる亜獣人だ。
亜獣人とは、獣人と違い、人族とは離れて暮らす一族を指す。
獣人とは違って、若干知能が低く、人間の言語も少ししか話すことができないが、独特な文化を持っている。
一般的には獣人の下位互換と考えられているため、古来より差別に悩まされてきた。
そのため、彼らは自分らのよりどころを探し、こうした聖域で暮らしていることが多い。
近年では、自然を破壊しない彼らの文化について着目する機運もあり、レクセニル王国を始め、多くの国に保護される傾向にある。
実はこうした動きも、ラムニラ教の教義にある「人類皆平等」という考え方から来ている。
ヴォルフにとっては、なんとも皮肉な話だ。
「おい。しっかりしろ……」
ペルガ・ゴーストを追い払ったヴォルフは、早速鼠牙族に寄り添う。
魔獣を払った後も、浅い呼吸を繰り返し、しんどそうにしていた。
かなり弱っている。
レミニア特製のソーマもどきを使いたいところだが、あれは劇薬だ。
それにこんな小さな亜獣人に、正しく効くのかどうか怪しい。
処方に慎重を期さなければならない。
ともかく容態を見る。
脈拍・呼吸ともに上昇。若干の筋痙攣も出ていた。
まずいな、とヴォルフはソーマの瓶に手をかけたが、それよりも早く鼠牙族の口が動いた。
「み、みずを……」
ヴォルフは慌てて水筒の蓋を開けた。
鼠牙族の口に垂らすが、うまく飲み込めないようだ。
頭を掻く。
「四の五といってられんか」
ヴォルフは水を自分の口に含む。
すると、亜獣人の口に付けると、水を飲ませた。
幸い短い喉がごくりと動く。
瞬間、鼠牙族のつぶらな瞳が「かっ」と開いた。
ヴォルフの顔を引き寄せる。
ぶちゅうぅぅぅぅぅぅぅぅううう!!
そのまま頭ごと吸い込まれてしまいそうだった。
ヴォルフは慌てて引き剥がす。
「ぶはっ! ちょ! 慌てるな! これを飲め!!」
水筒を差し出す。
滴った綺麗な雫を見て、鼠牙族の目が宝石のように輝いた。
ヴォルフの手から水筒を奪い取る。
その動きは獅子の一撃を思わせた。
若干、【剣狼】の手は痺れている。
鼠牙族は一気に水を流し込む。
最後の1滴まで長い舌の上で転がした後、ごっくりと水を堪能した。
「はああああ……。生き返りました」
本当に生き返ったらしい。
単に喉が乾きすぎて、脱水症状に陥っていたようだ。
「どこのどなたか知りませんが、ありがとうございます」
頭を下げる。
対して、ヴォルフは固まっていた。
声の高さ。物腰の柔らかさ。
どう考えても、目の前の鼠牙族は女のようだった。
「付かぬことを訊くのだが……。あんた、女か?」
「ええ……。それが何か?」
「いや、なんでもない。そっちが気にしなければ、何も問題ないんだ」
獣人とは違って、低知能だからだろうか。
それとも亜獣人は、ファーストキス的なものに対して神聖視していないのか。
ともかく、ヴォルフは自分の胸にしまっておくことにした。
(パパが亜獣人の女とキスしたとかいったら、レミニアどう思うだろうな)
何故か、黙って森を焼き払う娘を想像して、慌てて脳裏から払い去った。
「めずらしい人間の方ですね。私たちの言葉がわかるどころか、話せるなんて」
おそらくレミニアの強化によるところだろう。
耳と脳の学習機能強化だけで、ここまで異文化に対応できるとは思わなかった。
今なら、レミニアの母の遺稿も十分読み解けるかもしれない。
「ところで、あんた……。なんでこんなところで行き倒れていたんだ」
「あ……。そういえば、私……。今から街に行こうと」
「街に?」
「私はコノリといいます。どうか村を助けてください」
ヴォルフの腰布を引っ張ると、コノリはつぶらな瞳で訴えた。
◇◇◇◇◇
ヴォルフたちはさらに川の上流を目指した。
異臭が強くなっていく。
塞いでいないと本当に鼻が曲がりそうだ。
霧も濃い。ほんの数歩先が見えないようになっていた。
そんな場所にコノリの村はあった。
光景を見た時、ヴォルフは愕然とする。
多くの鼠牙族が地面に伏し、のたうち回っていたのだ。
他にもぴくりとも動かないものもいる。
「ひどい」
ヴォルフは目を細めた。
「ネリ……!」
コノリが駆け寄ったのは、小さな鼠牙族の子供だった。
恐らく彼女の兄弟だろう。
出会った時と同じく、筋痙攣を起こしている。呼吸も浅い。
「ともかく、お水が足りないのです。このままでは皆、死んでしまいます」
ヴォルフは腕を組んだ。
この状況だ。
近くの水源の水は呪いを帯びていて、飲めないのだろう。
かといって、ヴォルフが持ってきた水は、全部コノリに飲まれてしまった。
鍛冶場で使っていた【清浄の葉】という呪われたアイテムを浄化するものはもってきているが、目に見えるほどの呪いを払うには数が圧倒的に足りていない。
今から街に戻って、水を持ってくることが出来るが、それまで大人はともかく、小さな子供の体力が持つとは思えなかった。
「ヴォルフ様……。1つ気になっていたのですが」
「なんだ、コノリ?」
「何か非常に強い聖属性のアイテムを身につけていらっしゃいますか?」
「聖属性のアイテム?」
【清浄の葉】のことかと思ったが、コノリは違うという。
「先ほど歩いていた時に気付いたのですが、ヴォルフ様の周りの空気はかなり清浄化されているような気がするのですが」
ヴォルフは自分の周りを見た。
濃い霧が身体に付着すると、次の瞬間透明になっている。
まるでヴォルフ自体が、大きな濾過器のようだ。
ピンと来た。
おそらくヴォルフにかけられた聖属性強化だ。
それが周囲の呪いを、自動的に払っているのだろう。
「(なんと強い聖属性強化なんだ……)」
レミニアの幽霊に対する執念を感じる。
呪いを払う強化を施すなら、一緒にこの腐臭も濾過する強化もしてほしかった。
ともかく、今は娘の執念が有り難い。
「コノリ……。村に水が残っているか? ちょっと試したいことがある」
ヴォルフはコノリに頼んで、水を一杯持ってこさせる。
木の筒に入った水の中に、己の手を突っ込んだ。
すると、呪いが浄化されていく。
筒の中に残ったのは、綺麗な水だった。
試しにヴォルフが飲んでみる。
うまい!
今まで飲んだ水の中で1番美味しいかもしれない。
とても自分の手で濾過したものとは思えなかった。
早速、コノリの弟ネリに飲ませる。
姉と同じく、水に反応すると、夢中で飲み始めた。
すると、顔色がみるみるとよくなっていく。
「すごい! ヴォルフ様! すごい力です!!」
コノリは目を輝かせて喜んだ。
一方、【剣狼】は目を細める。
心の中で安堵した。
「安心するのはまだ早いぞ。もっと汲んできて、俺を通して呪い水を濾過するんだ」
「はい!」
コノリとヴォルフは川の方へと走った。
◇◇◇◇◇
しばらくして、村の真ん中に異様な光景が出来ていた。
大きな木の盥の中には、裸のヴォルフが座っている。
さらに水が腰の辺りまで浸かっていた。
コノリやネリ、他の鼠牙族たちは、次々と水を汲んできては、ヴォルフにかけている。
一方で、ヴォルフの周りにある水をすくい、ごくごくと美味しそうに飲む鼠牙族の姿があった。
「おいしいでちゅ」
「生き返るちゅー」
「おっさんの水、おいしい!」
「おっさん汁、さいこー」
さらに、ヴォルフを神だと崇め、平伏するものまで現れ始める。
当然、本人は複雑な表情で盥の周りに集まってくる鼠牙族を見つめていた。
「すいません、ヴォルフ様。もうちょっと我慢してください」
バシャッ、とヴォルフは頭から水をかけられる。
ちゅーちゅーと水を飲む鼠牙族たちを見下ろしながら、長い息を吐いた。
「なんか……。俺が思っていた助け方と違うんだが……」
遠くの方を見る。
レミニアは今頃、何をやっているのだろうか……。
ヴォルフ・ミッドレスは目を細めるのだった。
レミニア「ちょっと聖樹の森へ行ってくる!」
ハシリー「な、なんで??」








