第65話 大勇者の怒り
ラストはレミニアパートです。
「すまぬ」
レクセニル王国ムラド王は頭を垂れた。
目の前には、赤髪の少女が立っている。
その顔には悲しみ、怒りもない。
呆然としているようにみえるが、とにかく判然としなかった。
レミニア・ミッドレスがレクセニル王国に帰ってきたのは、つい先ほどだった。
王との謁見は明日にし、とにかくパパのエキスを注入しよう――つまりは存分に甘えようとしていた矢先、ムラド王に呼び出された。
直々の呼び出しである。
如何な【大勇者】とて、無下には出来ない。
謁見の間ではなく、執務室へと向かうと、王の口から直接こんこんと留守中の出来事とその顛末を聞かされた。
そして、今に至るというわけである。
王が家臣に頭を下げた姿を見るのは、これで2度目だ。
1度目は父ヴォルフ・ミッドレスの謁見式の時だった。
あの時も、思わず腰を上げるほど驚いたものだが、まさか自分もまたその当事者になろうとは思わなかった。
齢62の王だが、相変わらず執務を精力的にこなしているらしい。
部屋に堆く積み上げられた書類が何よりの証拠だ。
いよいよ置くところに困り果てている様子で、窓の1つが書類に埋まっている。
今日も王都周辺の空は、快晴が広がっているというのに、部屋はどことなく薄暗い。
牢獄を想起させた。
当然だが、王は初めてレミニアに父のことを話した。
本来なら家臣に任せていい報告だ。
それでも、ムラドは自らの口で語ることにこだわった。
よほどヴォルフの件を悔いているのだろう。
それは落ちくぼんだ瞳からもわかる。
寝ていないのだろう。
頬も、レミニアの出立する前と比べても、随分痩けているように思えた。
ハシリーはちらりと上司を見つめる。
王が謝罪をして、すでに10拍を打とうとしていた。
なのに、レミニアが口を開くことはない。
紫水晶の瞳は、ひたすら王の白髪へと向けられていた。
秘書官として彼女と関わるようになってから、100日を超える。
それでも、このミステリアスな15歳の少女の思考が読めないことがある。
大人の対応を見せるかと思えば、とんでもなく子供っぽいことをいうことがあるからだ。
妙な緊張感が執務室に漂う。
後ろに控える衛兵たちも、思わず短槍を強く握った。
「陛下……。どうぞお顔をお上げください」
ムラドは大人しくしたがった。
レミニアは手をかざす。
呪文を唱えた。
「レミ――」
ハシリーは止めたが、遅かった。
ムラド王の体勢が崩れる。
低いテーブルに手を突こうとすると、そのまま横に滑った。
載っていた茶器が払われ、琥珀色の茶が広がっていく。
王はそのままテーブルに突っ伏した。
「王!」
慌てて衛兵が駆け寄ってくる。
倒れた王を見た後、レミニアを睨んだ。
「乱心されたか、レミニア主任!!」
国のために、父を追放した老王。
対し娘はその復讐を果たそうとした。
傍目からはそう見える。
実際、ハシリーの目にすらそう映った。
しかし、当人は事も無げに言い放つ。
「心配しないで。眠らせただけよ」
すると、寝息が聞こえてくる。
かと思えば、豪快な鼾へと変わっていった。
よっぽど疲れていたのだろう。
「60の老王をここまで疲弊させる方がよっぽどいたたまれないわ。……虐待よ。虐待。それに良い仕事ってのは、睡眠が必要なのよ」
レミニアは背を向けた。
「ムラド王が起きたら言づけておいて。わたしは何も怒っていない。そもそも王の命令ならまだしも、パパが決めたのなら、娘はただ従うだけよってね」
そういって、執務室を後にした。
ハシリーは慌てて追いかける。
王宮の廊下を歩きながら、溜飲が下がった。
「心臓が止まるかと思いましたよ、レミニア」
「わたしが王を殺すとか思ってた?」
ハシリーはギョッと目を剥く。
廊下ですれ違った給仕が思わず足を止めていた。
こちらに振り返り、小さな【大勇者】を見送る。
「こんなところで、不穏なことを口走らないでくださいよ」
たしなめる。
レミニアは背中を向けたままだ。
秘書官に顔を向けようともしない。
大きく股を開け、歩いている。
「やっぱり怒ってるんですね」
「当たり前よ。パパったらわたしに何の相談もなく、出て行くんだもの。帰ったら、一杯いぃぃぃっっっっぱい!! 甘えるつもりだったのにぃ!」
「(そっちですか……)」
「何かいった、ハシリー」
「別に……。ですが、安心しました。あなたのことですから、『パパが追い出した国なんて出てってやるぅ』とかいうのかなって思ってたので」
「なによ、それ。わたしはそこまで子供じゃないわ。……それにこの国にも、ムラド王にももうちょっと頑張ってもらわないと。前にもいったけど、レクセニルほど優秀なパトロンはいないんだから」
ハシリーは肩をすくめる。
相変わらず、国庫を自分の財布としか思っていないらしい。
レミニアはずんずんと歩いて行く。
研究室に戻るのかと思いきや、その足は正門付近へと向けられていた。
まさか――。
ハシリーの額に汗が浮かぶ。
止めようとしたが、気づいた時には正門の脇の通用門をくぐっていた。
正門前には人が詰めかけていた。
教院に強襲をかけ、マノルフ大司祭を亡き者にしたヴォルフ・ミッドレスに対して、声を荒げている。
掲げた木の板には怨嗟の言葉が並んでいた。
王宮がヴォルフを処刑した発表した後も、信者による抗議の声は止んでいない。
その数こそ減ったものの、今度はヴォルフの遺体を出せといってきたのだ。
狂信者たちは、現れた赤毛の少女を見つめる。
最近、この正門を使うものは少ない。
家臣も客人も、裏門を使って、王宮を出入りしていた。
少女の鋭い眼光に、騒いでいた信者たちはやがて口を噤む。
静かになるのを見計らい、レミニアはまた唐突に呪文を唱えた。
「炎天の神ブレアよ。神々の審判者にして、理すら破壊するものよ。右手に持つ裁きの鎚。等しき紅炎の下にさらし、愚者の魂を握れ!!」
【太陽】
「おお!」
人々はどよめいた。
顔を上げる。
突如、王都直上に現れた炎の塊におののく。
ハシリーもまた固まった。
瞳一杯に映った炎玉を文字通りに焼き付ける。
火属性――第10階梯魔法。
神域の扉を開き、炎天の神ブレアの力を解放させた広範囲の殲滅魔法だ。
レミニアは魔法を維持したままで、信者に話しかけた。
「わたしの名前はレミニア・ミッドレス。ヴォルフ・ミッドレスの娘よ」
信者たちは息を呑む。
彼らからすれば、憎き仇敵の娘。
格好の獲物といえる。
誰も一言を発しようとしない。
ヴォルフ・ミッドレスの娘は怒っている。
それは自分たちの頭上で光る炎からも推察できた。
「わたしの父は死んだわ。他でもない。あんたたちの手によってね」
「――――ッ!!」
「それで今度は遺体を出せですって? 死体蹴りも甚だしいわ。それがあなたたちの善行なのかしら。あんたたちがお慕いした大司祭とやらは、そんなことを信者に吹き込んでいたの? それとも、それがラムニラ教の教えなのかしら」
「ふざけるな!」
「マノルフ様を悪くいうな!」
「黙って聞いていれば、調子に乗りやがって!」
「この魔女め!!」
さすがに黙っていることが出来なかったらしい。
信者たちは口々に喚いた。
そして再び騒ぎ出す。
ヴォルフを出せ、と――。
そこに「魔女を裁け!」という言葉も重なった。
瞬間、炎の塊から一条の矢が落ちる。
1人の信者に突き刺さった。
「ぐ……。うわあああああああ!!」
火だるまになり、その場に転がる。
たちまち信者たちは逃げ惑い、距離を取った。
やがて、火に巻かれた信者は物言わぬ骸となる。
「れ、レミニア……」
ハシリーの声が上擦る。
さすがにやり過ぎだ。
信者を殺すなど。
本当に暴動に発展しかねない。
レミニアに反省の色はない。
それどころか、群衆を書き分け、焼死体の側に立った。
死体が握っていたあるものを無理矢理引き抜く。
「それは……」
銅で出来たアクセサリー。
ハシリーには見覚えがあった。
V字に1本の横線が引かれている。
何かの象徴のようだが、ラムニラ教とは違う。
「ラーナール教団の象徴……」
信者の誰かが呟いた。
レミニアは立ち上がり、その象徴を掲げる。
「やっぱりいたわね、煽動者が……」
ハシリーに象徴を投げる。
確認したが、間違いない。
ラーナール教団のものだ。
「なんで、ラムニラ教の信者の中にラーナール教団の教徒が?」
ハシリーは疑問を呈するが、むろんレミニアが知るところではない。
彼女がわかることは、この騒ぎにラーナール教団が1枚噛んでいたということである。
騒ぎを焚きつけて、また内乱でも起こそうとしていたのかもしれない。
レミニアは深くため息を吐いた。
「単純よね。人間って。不確定でも、自分に有益であればあっさりと信じちゃう。魔獣という絶望の中でも、それが神によって等しく平等と知れば、無茶だとわかっていても簡単に受け入れてしまう」
紫水晶の瞳が、鋭く光った。
人の死すら、容易に望んでしまう……。
「違う!」
1人の信者が首を振った。
「俺たちは悪くない。ヴォルフ・ミッドレスはマノルフ様を殺した。教院を破壊した首謀者だ!」
狂ったように叫ぶ。
よほどの敬虔な信者なのだろう。
すでにその目はレミニアを見ていなかった。
【大勇者】は深く息を吐く。
「別に済んだことはどうでもいいわよ。恨み言でもいってやろうかと思ったけど、あんたたちを見てたら、時間の無駄に思えてきたわ」
レミニアはふっと息を吐く。
「だから、一言だけ断っておくわ。わたしはこの国から出て行かないし、縛り首になる気もない。普段通り過ごすことにする。不服があるなら、あんたたちがこの国から出て行きなさい。正直うるさいのよ。城の人間が迷惑しているのがわからないの?」
「なんと横暴な発言だ」
「この国にどれだけの信徒がいるのか知らないのか?」
「レクセニルの人口って、6千万人くらい? その半分って3000万人でしょ? いいわよ。そいつらが喧嘩を売るっていうならそうしてあげる」
な――――ッ!
一同、絶句した。
3500万人の信徒と戦う。
レミニアはそういったのだ。
誰もが冗談だと思った。
単なる啖呵だと。
だが、レミニアは本気だった。
いや、きっと可能なのだ。
【大勇者】がその気になれば、王都などあっさり灰燼にすることが出来る。
信徒たちの頭上で光る炎塊は、その証明なのだ。
レミニアの啖呵は終わらなかった。
続けて、3本の指を立てる。
「わたしに不服があるなら、3日以内に国外へ逃げなさい。それで知るがいいわ。この国があなたたちにしていること。何故、父やたくさんの兵、冒険者が命を賭してこの国を守ったか。その意味を」
「お、横暴だ……」
「横暴結構よ。この国はね。いえ、この世界はね……」
あんたたちのわがままに付き合うほど、ひまじゃないのよ。
ピシャリと言い放つ。
少女の言葉に、誰もが下を向いた。
以後、正門前の抗議活動は止まる。
不思議なことに、この時のレミニアに異論を唱えるものは、城外にも城中にもいなかった。
何故なら、抗議の声を出した途端、【大勇者】の怒りが降り注ぐ。
それは神の怒りよりも恐ろしく、現実的な代物だったからだ。
それほど、レミニア・ミッドレスの存在は鮮烈だった。
ちなみに……。
3日後、王都を出て行く人の姿は確認出来なかったという。
◇◇◇◇◇
レミニアは宮中へと戻っていく。
ちらりと横を歩く秘書を盗み見た。
「何もいわないのね、ハシリー」
「今さら、何をいうんですか?」
「怒ってるのかと思った」
「怒ってますよ。でも――」
「でも?」
「ちょっとだけ胸がスッとしました」
ハシリーの口元にえくぼが浮かぶ。
珍しくレミニアの赤毛が垂れた。
「ごめんね。いつも……」
「謝るぐらいなら、せめて相談してください」
「……うん」
「でも……。若いうちは、あれぐらい勢いがあった方がいいですよ」
ポンポンと上司の頭を撫でる。
レミニアは年上の秘書の腕を掴んだ。
甘えるように寄りかかる。
やっぱりまだ15歳の少女。
やや適齢期は過ぎてはいるが、甘えたい盛りなのだろう。
「もう1度聞きますが、本当にヴォルフさんを追いかけなくてもいいんですね?」
「いいってば。それにわたしはパパが王都から出て行ったことはいいことだと思っているの?」
「え? それは何故ですか?」
「パパは王国の騎士団に収まるような器じゃない。もっと大きな……そう」
いつか伝説に語り継がれるような英雄になるんだから。
「伝説……ときましたか」
ハシリーは一瞬キョトンとしながら、最後は苦笑いで締める。
すると、レミニアは踵を返した。
「さあ……。戻りましょう。これから大変よ」
「何がですか?」
「ご主人様に置いてかれた猫を慰めないとダメでしょ?」
「なるほど。あちらのショックは、レミニア以上かもしれませんね」
2人は親子のようにくっつきながら、自室を目指すのだった。
◇◇◇◇◇
窓際に1匹の大きな白猫が立っていた。
沈む夕日の光を浴びて、精一杯黄昏れている。
やがて大きく息を吸い込んだ。
「ご主人! あっちを置いてくなよ、ばかぁぁぁぁああああ!!」
【雷王】の叫びは、空しく西の空へ響き渡るのだった。
第3章はこれにてラストです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。








