第61話 彼女が帰る場所
長かった『虚神を斬る狼牙篇』、ラストです。
「うぎゃあああああああ!!!!」
断末魔の悲鳴は、悪魔の産声のようだった。
地鳴りが起こる。
黒く光る大樹はミリミリと音を立てて裂けた。
枝は折れ、地面に沈むと煙と盛大な音を立てて弾ける。
虚神の崩落。
それは神の黄昏を想起させた。
マノルフの顔は2つに割れている。
それでもなお、化け物となった司祭は生きていた。
苦痛と憎悪が込められた顔は歪みに歪み、本人の面影はない。
「ヴォ、ヴォルフ・ミッドレスゥゥゥゥウウウ!!」
マノルフの黒大樹の身体は動く。
残る枝を懸命に動かし、残ってる素材を使って、矢を作る。
執念だった。
怨嗟の声に、ヴォルフは一瞬たじろぐ。
だが――――。
矢が枝ごと折れる。
マノルフは懸命に鉱石を生成するも、崩れる速度の方が早かった。
「なぜだぁぁぁあ。なぜ、神である私が屈する。善行を……。あれほどの善行を積み上げたというのにぃぃぃぃぃぃぃい」
「マノルフ、お前の敗因は善行を数えてしまったことだ」
「な、なんだとぉぉぉぉぉ」
「善行に貨幣のような価値などない。だが、物言わぬ価値だからこそ尊い。お前のしてきたことは、善行を汚す行いだ。結果、お前は悪行を犯した。これはその報いだ」
「わ、私がやってきたことが……悪行……。そんな……。そんなばかな!! 私の人生はなんだったんだ。私が我慢してきたことは? 私が、わたしが……」
「マノルフ……。それを考えることが、悔い改めるということなんじゃないのか。もう1度、考え直せ。聖天の御許でな」
「せいてん……? ああ、そうか。わたしはついにせいてんのもとへたびだつのか……。ああ。このしゅんかん……どんなに……まち…………わ……たか」
すると、マノルフは唐突に笑い始めた。
最後の悪あがきか。気が触れたのか。
笑声は地を震わせる。
やがて、狂気に満ちた目でヴォルフを睨んだ。
「これで勝ったと思うなよ、ヴォルフ! 私が死のうとも。聖天のご意志は現世に残り続ける!! やがて後悔するだろう。神を斬った報いを受けるがいい……」
呪詛の言葉を吐く。
その口調には、確かな意志が込められていた。
マノルフの顔が完全に崩れる。
主幹は崩落し、大量の塵となって広がった。
黒塵は砂浜に打ち寄せる波のようにヴォルフの足下まで浸食する。
1個の大きな欠片を見つけ、拾い上げた。
マノルフも最初から悪人というわけではなかったのだろう。
純粋な神への探求。
人をどう救い、どう導くのか。
それは決して悪い疑問ではない。
だが、彼は道を誤った。
それを諭すことが出来ず、放置してしまった周囲もまた罪深いのかもしれない。
「ヴォッさん!」
耳慣れた声を聞いて、ヴォルフは振り返った。
ウィラス、そして騎士団の面々が立っている。
まだ事態を飲み込めず、きょとんとしていた。
「やったのか?」
「まあな……」
ヴォルフは頷く。
すると、歓声が上がった。
騎士だけではない。
騒ぎを聞きつけた民たちもまた、諸手を挙げて喜んでいた。
「やっぱり本気じゃなかったじゃねぇか」
ウィラスはヴォルフの胸を叩く。
「好敵手に奥の手をさらすわけにもいかないだろ?」
「いってくれるぜ! 結構マジで凹んでるのによ」
「ウィラスなら、すぐ追いつけるさ」
「簡単にいうなよ……」
「ヴォルフさん!」
駆け寄ってきたのは、エルナンスとマダローだった。
前者は瞳を輝かせ、マダローは不機嫌そうに顔をそらしている。
「やりましたね!」
「お前たちもよくやった。よく2人だけでセラネを救出した。偉いぞ」
「ヴォルフさんのおかげです。それにマダローも頑張ったんですよ」
「べ、別に……。特別なことはやってねぇ。あれぐらいの任務……。本気を出すまでもねぇよ。だあああああ、てめぇ! なにしやがる!」
ヴォルフはマダローの頭を掴むとくしゃくしゃにした。
横のエルナンスの頭も一緒に撫でる。
「お前たちは、騎士団の誇りだ」
「そんな……」
「けっ。い、言われるまでもねぇ」
エルナンスは真っ赤になる。
一方、マダローはふんぞり返ったが、耳が赤くなっていた。
ヴォルフは目でセラネを探す。
歓喜の輪から離れ、少女は1人堆く積もった黒い塵に目を落としていた。
慎重に掬う。
風が吹くと、青ざめ始めた空へと吹き上がった。
「セラネ……」
ヴォルフは先ほど拾った黒い石を差し出す。
セラネの手に置き、軽く握らせた。
「お前には辛い結果になったかもしれないな。すまん」
「謝らないで下さい。……確かに私はマノルフ様に救われました。恩もあります。でも、マノルフ様が行った悪行は許されるものでありません。だから……」
稜線から朝日が顔を出した。
一筋の光が、夜空を横切る。
気の早い2匹の大鳩が、もつれ合いながら飛んでいくのが見えた。
「だから……。私が救って差し上げたかった」
セラネは立ち上がる。
朝日が少女の黒髪を照らした。
艶やかな髪には、白い光輪が浮かんでいる。
まるで天使のようだった。
しかし、その表情は憂い帯び、寂しげだった。
「これからどうするんだ?」
「罪を償おうと思います」
セラネには、殺人の容疑がかかっている。
そのどれもが、彼女が望んでいないことだとしても、レクセニル王国の法律では、極刑もしくは20年以上の懲役だ。
だが、犯行の動機から考えれば、情状酌量の余地がある。
また騎士団が正式に嘆願すれば、王の恩赦を受けられる公算も高い。
それでも5年以上の懲役は覚悟しなければならないだろう。
「ヴォルフさん、なんとかなりませんか?」
「そうだぜ。こいつには、飯を作ってもらわなければ、俺たちが身体を張った意味がねぇじゃねぇか!」
エルナンスとマダローは口々に叫ぶ。
確かに【剣狼】が王に口添えすれば、もっと彼女の罪は軽くなるかもしれない。
だがヴォルフにはヴォルフなりのそうはできない理由があった。
セラネは首を振る。
「ヴォルフさんを困らせないで、2人とも。気持ちは嬉しいけど……。私が望んだことだから」
本人にいわれては、エルナンスもマダローも矛を収めるしかなかった。
2人の肩をウィラスが叩く。
「……ところで、セラネ。お前、今何歳だ?」
「えっと……。15歳です」
「え? セラネって僕より2つも年下なの?」
「み、見えねぇ……」
「じゃあ、5年後っていやあ……。20歳だ。さぞかしいい女になっているかもな。……な! マダロー」
「お、俺に振るのかよ!」
若い貴族出身の騎士は反発したが、顔は真っ赤になっていた。
セラネもまたキュンと音を立てて、耳を赤くする。
しなを作り、身体をモジモジさせた。
ウィラスは続ける。
「模範囚になれば、懲役の仕事を選ぶことができる。中には、囚人の飯を作る業務も含まれているそうだ。飯を作る腕を上げるには、もってこいの場所だろ?」
「それって……」
「お前の席は残しておいてやるっていってんだよ。なんせお前は、俺たち騎士の中で1番美味い飯を作れるんだからな。除籍にするなんてもったいないだろ?」
「もう1度、おいしいご飯食べたいよ、セラネ」
「約束は守れよな」
セラネは何が起こったのかわからない表情をしていた。
ヴォルフはそんな少女の背中を叩く。
穏やかな顔で、口元を緩めた。
「お前にはちゃんと帰る場所があるってことだ」
「帰る場所……」
シノビ目が前を向いた。
視界一杯に騎士たちが居並んでいる。
鎧に血や泥を被り、無傷なものは誰もいない。
満身創痍だ。
しかし、副長、エルナンス、マダロー。
他にも多くの騎士が、セラネの方を向いて微笑んでいた。
(ああ……。そうか)
里が壊滅したあの日。
両親や兄妹、親戚や隣人が死んだ。
最低で最悪な日。
犯人を許すことができないと、復讐に燃えたこともあった。
でも、1番の恐怖は後からやってきた。
1人で生きていく。
その事実が何より恐ろしかった。
セラネの人生は、自分の居場所を探すことだったのだ。
ようやく見つけた。
自分の居場所を。
本当の仲間を。
「セラネ、帰ってきてよ」
エルナンスは笑顔で手を差し出す。
何度もいうが、大きな手だ。
雄大でそれでいてたくましい騎士の手だった。
いつの間にか、セラネの目に涙が溢れていた。
何度拭っても、こぼれてくる。
「う…………。う、むぅ……」
うまく言葉にできない。
早く返事をしなきゃならないと思っても、涙が阻む。
嗚咽が漏れる。
そっと布が差し出された。
手の先を見る。
マダローが「けっ」と舌打ちしながら、明後日の方向を向いていた。
「もっとはっきり言えよ。大事なことだろ?」
「ご、ごべん……」
「また俺がいじめているみたいじゃねぇか」
「そ、そんなこと……」
「せめて涙をふけって。ちょっとぐらい笑顔を見せろよ」
相変わらず、マダローは目を合わせようとしない。
その顔はまた赤くなっていた。
セラネは言葉に甘える。
布を受け取り、目元を拭った。
不思議と涙が止まる。
もう恐怖はない。
胸の中でほとばしるのは、歓喜だけだった。
セラネはようやく顔を上げる。
朝日が眩しい。
その下にはレクセニル騎士団が並んでいた。
「セラネ・レヴィタン! 国のため、民のため、そして自分を待ってくれる仲間のため……。きっとまたここに戻ってきます!」
少女の満面の笑みは、天使のように神々しかった。
◇◇◇◇◇
かくしてラムニラ教大司祭マノルフ・リュンクベリの悪行は、白日の下にさらされた。
主役であったヴォルフ・ミッドレスの功績は間違いなく大きい。
再び謁見が許され、大広間に呼び出された。
各諸侯や大臣クラスが居並ぶ中、ヴォルフは玉座の前に傅く。
娘のレミニアはまだ帰還しておらず、一抹の寂しさを感じた。
同時に、この場にいなくて良かったと、ホッと息を吐く。
これから起こることを、娘はきっと黙って見ていることができないからだ
王が玉座に着座する。
ヴォルフはそれを確認すると、こういった。
「陛下……。俺を斬って下さい」
意味深な最後の台詞ですが、これにて章のラストです。
次回は「第三章 伝説騎士道」のエピローグ回になります。
誠に申し訳ないのですが、
書籍の作業の方に集中したいので、次回更新日は3月30日を予定しています。
少しお待たせすることになりますが、よろしくお願いします。








