第60.5話 虚神を斬る狼牙(後編)
お待たせしてすいません。
60話の後編になります。
「パパ……。いくらわたしが美少女天才魔導士でも強化には限界があるわ」
レミニアは自分の部屋に父を招き、強化の魔法を施しながらいった。
娘の意見に、ヴォルフは深く頷く。
強化の基本が魔法である限り、魔力が切れれば、いくら【大勇者】といえど限界はやってくる。
そのおかげで、ヴォルフは悔しい1敗を期すことになった。
事故とも捉える事が出来るだろうが、負けは負けだ。
「そのことについて、パパから提案があるんだが」
前置きした後、ヴォルフは説明した。
レミニアは真剣に耳を傾ける。
父の命がかかっていた。
娘が真剣になるのも無理はない。
すべてを聞き終えたレミニアは、大きく育った胸を乗せるように腕を組む。
そして首を傾げた。
「出来ないことはないわ。でも、危険じゃないかしら、それって?」
眉をひそめる。
不安を口にする娘の髪を、ヴォルフは撫でた。
くすぐったそうにレミニアは、目を細める。
「大丈夫だよ。レミニア……。パパはもう弱いままのパパじゃない」
それでもレミニアは納得しなかったが、最後には折れてくれた。
そして、ヴォルフの秘策は実行された。
◇◇◇◇◇
「【強化解放】……」
ヴォルフは口にする。
誰よりも先に反応したのは、マノルフだった。
張り付けた笑みが凍る。
真顔になると、よく目をこらした。
「なんだ。何が……?」
一見、何の変哲もない。
構えも、腰に差した武器も。
間抜けな田舎面も。
しかし、何かが違う。
数拍前の【剣狼】とは、纏う圧力そのものが変化していた。
いや、大きく変わったのはマノルフの方だろう。
もはや肉体は消滅したが、背中に汗が浮かぶ感覚が、魂単位で感じる。
心臓があれば、早鐘のように胸を叩いていたはずだ。
(馬鹿な……。私が恐怖しているだと!!)
気がつけば、不自然なぐらいに唇が震えていた。
「ほう……。違いに気づくのか。さすがは自称神だな」
「抜かせ。お前が何をしようが、私には勝てぬ」
マノルフはさらに周囲の物を飲み込んだ。
枝を伸ばし、1匹の不届き者を囲う。
やがて矢を生成した。
その数――およそ10万。
「善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行善行……」
ヴォルフの視界が矢で真っ暗になる。
上下左右前後――逃げ道はない。
袋の鼠ならぬ、袋の狼だった。
殺った!
マノルフが勝利を確信した瞬間、それは起こった。
矢が次々とヴォルフの手前で弾かれていく。
死角なく放たれた高速の刃は、何か見えない壁に当たったかのように砕かれ、あるいは地面に叩きつけられた。
「な、なにぃ……」
それだけではない。
ヴォルフはゆっくりとマノルフの方に向かって歩き出した。
顔は真剣そのもの。
口を開き、何かぶつぶつと呟いている。
「まだ……。引っ張られる感じだな」
その言葉を聞いて、マノルフは頭の片隅にあった可能性を想起する。
ヴォルフは魔法を使っているわけではない。
防御スキルを使用しているということでもない。
単純に刀を抜き、飛来する黒い矢を撃ち落としていた。
ただ――速すぎて、愚者の石のエネルギーの恩恵を受けたマノルフですら、捉えられていないだけなのだ。
「(こいつ……。化け物か)」
マノルフは息を呑む。
ヴォルフがやったことは至極単純なことだった。
レミニアの強化魔法の恩恵。
それを解放しただけ。
【物理攻撃増加】
【敏捷性上昇】
特に筋肉を増強させる強化魔法を、今使用したのだ。
強化魔法には効果時間の制限が付きまとう。
だから、レミニアは普段使わない強化魔法を一時的に封印し、ヴォルフがここぞという時に使えるようにしたのだ。
結果、効果時間は以前の10倍以上も伸びている。
つまり、ヴォルフは……。
「本気を出していなかったというのか」
「その通りだ、マノルフ」
ニヤリと笑う。
すでにヴォルフの身体能力は、Sクラスに相当する。
そこからの増幅。
【剣狼】の肉体は、神域に踏み込んでさえいた。
ヴォルフはわずかに表情を歪める。
レミニアが手塩にかけた強化だ。
それは生半可なものではなく、以前とは比べものにならないほど、力が増幅されていた。
暴れ馬に乗っているようなものだ。
だが、今はそれでいい。
そして心地よい。
今ほしいのは、単純な力……。
目の前にいる凶神を殺すだけの膂力だ。
やがて10万本の矢が打ち止む。
静かな時が流れ、砂利を踏む音だけが、戦場に響いた。
「どうした、自称神よ。矢の備蓄が足りなかったんじゃないのか?」
「ふざけるなあ!! 私は神だ! 矮小な人間ごときにぃぃぃいい!!」
「お前は神なんかじゃない。偽りの神! 虚神だ!!」
ヴォルフの身体が足跡だけを残して消える。
気がついた時には、頭上にいた。
月を背に、大柄な冒険者の影が大きく映し出される。
マノルフも黙ってはいない。
なけなしの素材を使い、矢を生成する。
だが、10万本にはほど遠い。
いや100万本の矢を束ねたところで、この狼は仕留められない。
ヴォルフ・ミッドレスは止められない!
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
月夜に咆吼が響き渡る。
反りがついた刃が、狼の歯牙のように光った。
荒い気勢とともに、【剣狼】の顎門が深々と神の肉体に突き刺さる。
神域に達した主の力。
【カムイ】もまた応える。
大上段から振り下ろされた一刀は、虚神の身体を真っ二つに切り裂いた。
虚神を斬る狼牙篇、明日がラストになります。
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