第59話 狼が牙を剥く
夜中まで更新できないので、今日は早めです。
マノルフ・リュンクベリは、農奴の子供だった。
冬になれば一面雪に覆われるような北の大地に生まれた。
土は晩春になっても解けず、作物を植えることが出来るのは、わずかな期間のみ。
しかも、地主から与えられた農地は肥沃とはいいがたく、それでもリュンクベリ家は家畜を育てながら、なんとか生き延びてきた。
そんな最中、流行病がマノルフが住む村を襲った。
冬越しのために用意していた家畜は死に、さらに母と弟が死んだ。
それだけで済めば、まだ良かった。
流行病は他の農奴や自由小作人にまで襲いかかった。
結果、どこも厳しい冬を越すのに、作物も家畜も不足するという事態に陥る。
マノルフたち農奴は、地主に上納金の一時的な停止を求めた。
請願は却下され、それどころか農奴が持っている備蓄を奪って、自分のものにするという暴挙に出た。
さすがに農奴は憤激し、武力で訴えた。
結果、地主は殺される。
納屋にはわずかな食糧しか残されていなかった。
農奴や自由小作人たちは、どうするか話し合った。
結果は目に見えていた。
食糧の奪い合いが起こったのだ。
男は拳を握り、女は身体を使ってでも、危機を乗り切ろうとした。
口減らしも行われた。
マノルフと同い年の子供は、いつの間にかいなくなっていた。
闘争を避け、素足で村から出て行くもの。
飢えで死んでいくもの。
病に倒れるもの。
信じていたものに殺されるもの。
もはや地獄……。
気がつけば、マノルフだけが残った。
彼が何かを仕組んだわけではない。
ただ奇跡的に生き残ったのだ。
しかし、食糧はない。
飢えで死ぬのは目に見えていた。
そんな時、救いの手が差し伸べられる。
ラムニラ教の宣教師がマノルフを拾ったのだ。
まさに神の導きだった。
マノルフはその場で、ラムニラ教に入ることを決めた。
1の善行は、10の善行となって返ってくる。
その教義を訊いたマノルフは、こういった。
「教師様。
僕はお腹が空いても、我慢してきました。
冬が寒くても、文句はいいませんでした。
美味しいものを食べたいと思っても、唾を飲み込むだけにしました。
家族が死んでも、泣きませんでした。
冷たい土の上で、黙々と鍬を振り続けました。
人を殺した人がいれば、正直に告白しました。
これはすべて善行です。きっと僕はいつか100も、1000もの善行が返ってくるのですね」
無邪気に地獄を語る少年に、教師は何もいえなかったという。
◇◇◇◇◇
ウィラスの槍が顎の下へと滑り込む。
兜の隙間を抜け、穂先は聖天騎士の喉を貫いた。
「ぉ……お、と……」
最後の力を振り絞り、騎士長バルディオ・ディケーズは呟く。
重い2挺の戦斧を手から離し、膝をつき倒れ伏した。
じわりと血が広がっていく。
ウィラスは息を切らし、骸となった騎士を見下げた。
「ちっ。なかなか手こずらせる」
頬に引かれた切り傷から垂れる鮮血を拭う。
手の甲にも血がついており、副長の姿をさらに朱に染めた。
鎧の隙間からは血が吹き出ている。
致命の一撃はないが、もしかしたら倒れていたのはウィラスの方だったかもしれない。
それほどの強敵だった。
「違う出会い方をしていれば、良い好敵手になったかもしれねぇな」
感慨深げに呟く。
バルディオの見開かれた目をそっと閉じた。
腰を上げ、周りを見つめる。
「おい! お前ら生きてるか!?」
声をかける。
掲げた手には、指が4本立っていた。
皆、満身創痍であったが、命令通り4×4の方陣を作る。
普段の訓練に比べれば、10倍の時間がかかったが、自分が預かる騎士団のタフネスさが嬉しかった。
だが、無傷というわけではない。
方陣にはいくつか抜けがあった。
「5人ってところか……」
寂しそうに呟く。
だが、弔いは勝利した後だ。
その知らせか。
1人奥へと向かったヴォルフの姿を見つけた。
「ヴォッさん!!」
騎士団は歓喜に沸く。
しかし、直後起こった地鳴りにかき消された。
教院が震えている。
震源地は明らかに騎士団の直下だった。
「みんな! 退避だ!! 逃げろぉ!!」
ヴォルフは叫ぶ。
【剣狼】の慌てぶりに、ウィラスは騎士団を反転させた。
「駆け足だ! 急げ!!」
怯える信徒とともに、騎士団は入口へと殺到する。
「ウィラス。エルナンスたちは?」
「すまん。わからねぇ。だが、あいつらなら上手くやるだろう」
「無事だといいがな」
教院から脱出する。
堅牢な作りの壁が崩れ始めた。
同時に、地面が盛り上がってくる。
教院の闇の中から3人の影を見つけた。
「エルナンス! マダロー!!」
「セラネもいるぞ! あの2人やりやがった!」
3人の若い騎士たちを見て、歓声が上がる。
疲労著しい騎士団員たちも、この時ばかりは手を叩いた。
直後、入口を支えていた大きな石柱にヒビが入る。
3つに分裂すると、塊が3人の頭上へと落下した。
「あぶねぇ!」
叫んだのはウィラス。
危機を察して走ったのはヴォルフだった。
鞘から【カムイ】を抜き放つ。
空中で石柱の塊を捉えた。
一瞬――4つの剣線が閃く。
塊がバラバラになり、さらに細かく霧散した。
「ヴォルフさん!」
「礼は後だ、エルナンス! 走れ!」
「は、はい!!」
ヴォルフとともに走り出す。
途中、セラネと目があった。
黒髪の少女は申し訳なさそうに目をそらす。
どんな顔をすればいいのかわからない。
困惑しているように見えた。
すると、ヴォルフは小さな背中を叩く。
「キャッ……」
可愛い悲鳴が聞こえる。
ヴォルフは穏やかに笑った。
「無事で良かった」
「はい……」
涙がにじむ。
セラネは何度も拭いながら、騎士たちが待つ方へと走った。
安全な場所まで退避する。
王宮ルドルムの次に大きな建築物である教院が崩れ去っていった。
落院を見ながら、多くの信者たちは膝をつき、聖天に祈る。
果たして、その祈りは天に届いた。
地鳴りは続く。
近くに転がっていた石の破片が小刻みに揺れた。
教院の後に残った大きな壁の一部が盛り上がる。
爆煙とともに跳ね上がると、それは出現した。
◇◇◇◇◇
「ほう……。凄まじいなあ」
月が浮かぶ夜天の下で、男の声が響いた。
高価な天鵞絨の上着をはためかせ、長く立てた襟と中折れ帽で顔を隠している。 マノルフと会い、愚者の石を渡したガダルフだった。
空気も気圧も薄い高度から、【遠視】の魔法を使い、眼下の状況をつぶさに観察してる。
襟の向こうにある紫の瞳に映っていたのは、巨大な鉱石の塊だった。
1本の主幹が伸び、さらに枝のような鉱石が伸びている。
その先は鋭く、まるで無数の槍が生えているように見えた。
巨大な黒い大樹。
その大きさは隣に立つ王宮ルドルムに迫り、今もなお肥大し続けている。
竜の咆吼のような唸りを上げ、周囲のものをむさぼっていた。
「愚者の石の力か……。想定される原石の1割にも満たないのだが、これほどとはな」
ガダルフは翻る。
「大主教様に良い報告が出来そうだ。あの男は良い礎になってくれた」
襟の奥で一瞬笑った。
すると、空気に溶け込むように姿が消える。
「さらばだ、レクセニルの人間たち。生きていればまた会おう」
人知れず男の声は、宙の上で消滅した。
◇◇◇◇◇
「なんだ! こりゃ!!」
ウィラスは叫んだ。
しかし、説明できるものは誰1人としていない。
事の発端を間近で見ていたヴォルフすら、現状を理解できていなかった。
ただわかるのは、あれがマノルフであるということだ。
「あれが、大司祭?」
「ああ……。魔導具を口に入れた途端ああなった」
ヴォルフが見ていたのは、そこまでだ。
あっという間にマノルフは黒い鉱石に飲まれると、辺りにいたなりそこないや瓶、さらに石床や壁まで飲み込み続けた。
「じゃあ……。王都はあいつに全部食われちまうのかよ」
「あのまま放置していればいずれ、な……」
事実は鉱石は近くに落ちていた建材や石材を浸食し、黒い鉱石に変えていた。
もし、愚者の石と呼ばれるものが、賢者の石と逆の力に作用するものであるなら、軽く街1つぐらいなら平らげるかもしれない。
「とりあえず、手分けしてぶっ壊すしかねぇなあ」
「待て。迂闊に近づくな。取り込まれるぞ」
「けどよ」
黒い鉱石は、なりそこないや教院に隠れた小さな獣。あるいは石や建材。
無機物、有機物関係なく取り込んでいる。
人間だけが例外ということもないだろう。
近づこうものなら、食われるかもしれない。
「ぎゃはははははははは!!」
突然、大笑が王都に轟く。
すると、黒い大樹の主幹部分が蠢いた。
次第に人の顔へと成形されていくと、皆がよく知る男の顔になる。
「満たされた! 満たされたのだ!! 私はとうとう神になった!!」
「マノルフ!!」
声音、そして現れた顔の形。
それはラムニラ教大司祭マノルフで間違いなかった。
一同、息を呑む。
当然だ。
異様な姿にありながらも、マノルフは意志を持ち、自身の欲望を叫んでいる。
身体が完全に人ならざるものになったように、その魂もまた人を越えていた。
「私の苦痛、地獄の日々は過去のものとなり、万の善行は解放された。私は満ちたのだ。聖天は正しかった。聖天は私を見ていた。おお……ラムニラよ。私はこの下賤な世界を浄化し、その御許に参りましょう!」
マノルフの大きな目玉がぎょろりと動く。
ヴォルフと目が合うと、悦に入った表情を浮かべた。
「そんなところにいましたか、【剣狼】。さあ、どうします、英雄よ。神となった私を斬ることができますか?」
「マノルフ様、もうおやめ下さい!!」
叫んだのは、セラネだった。
少女の声に、マノルフは眉をひそめる。
「セラネ。生きていたのですか? しくじったのか、ラーブめ。まあ、いいです。私は気分がいい。今ここで楽にしてやりましょう。これは私の善行です」
「え?」
枝が伸びる。
投擲された槍のようにセラネに迫った。
ギィン!
ヴォルフが間に入り、叩き落とす。
さらにウィラス、エルナンス、そしてマダローが少女の盾となった。
セラネはぺたんと尻餅をつく。
顔面は蒼白となり、目を剥いた。
浅く呼吸を繰り返す。
枝は確実にセラネを狙っていた。
ヴォルフが斬らなければ、絶命していただろう。
恩人の明らかな殺意。
セラネに死以上のショックを与えていた。
「ウィラス、騎士団を退かせろ」
「退かせろって……。でも、この化け物は」
「俺がやる。エルナンス、マダロー。セラネをしっかり守ってやれ」
2人は戸惑いながらも頷く。
納得いっていないのは、ウィラスだった。
「無茶だ、ヴォッさん。いくらあんたでも……」
「無茶かもしれない」
ヴォルフは素直に認めた。
静かに【カムイ】を鞘に沈める。
前を向き、自称“神”となったマノルフを睨めつけた。
「それでも、俺は退くわけにはいかん」
確かな意志を持って、ヴォルフは宣言する。
この王都には15年住んでいた。
たくさんの仲間や知り合いが住んでいる。
何より、ここは娘が住む街。
レミニアが働く王宮がすぐ側にある。
彼女が今いないという事実は僥倖だが、帰ってきて王都が更地になっているのを見れば、悲しむだろう。
娘の泣き顔は2度と見たくない。
そのためにも、ヴォルフは残る。
「いや――神を斬る!!」
【剣狼】は牙を剥いた。
次回「虚神を斬る狼牙」。
決着です! 長かった今章も残り3話となります。








