第58話 おっさん、強さ極まる
ここからがヴォルフのターン。
レクセニル騎士団が、ラムニラ教教院を強行捜査する中、【大勇者】の姿はまだ北の地にあった。
ルーハスとミケが揃って、撃退したなりそこない。
その身体構造をレミニアは、分析したいと言い始めたのだ。
誰もいない野営地に戻る。
兵士たちの遺品を小さくまとめ、奇跡的に無事だった馬車の中に詰め込んだ。
一晩不気味に静まり帰った野営地で宿泊し、レミニアは朝からなりそこないのサンプルの分析を始める。
まだ魔力が戻っていないのだろう。
その気になれば、1週間でもかけ続けることが出来るレベル8の観測魔法も、時折休みを取りながら、実行を続けた。
気づけば、陽が西に傾きかけている。
「間違いないわ。これは人と魔獣をかけ合わせた合成生物よ」
衝撃の告白に、ハシリーとミケは言葉を失う。
表情を変えなかったのは、ルーハスただ1人だった。
「勇者様には心当たりがあるようね」
ルーハスは革命の折、教院にも襲撃をかけた。
ツェヘス将軍から聞いた教院の地下で、違法な人体実験を行っていることを、確認するためだ。
「では、ラムニラ教がなりそこないを作ったんですか?」
「教院に魔獣の一部や、そのものが運び込まれたという未確認情報もある」
『なら、あっちらを狙ったのは、そのラムニラ教なのか?』
「可能性としてはあり得なくもない。だが、あれほど複数のなりそこないをレクセニルからここまで運ぶのは、現実的ではない」
「ラムニラ教が関与していようといまいと、これが人の手によって作られたことは間違いないわ。そして、わたしが知る限りにおいて、それは不可能……」
人と魔獣の身体構造はよく似ている。
エネルギーを取り込み、それを内臓で消化し、不要物を排泄する。
その循環は全く一緒だ。
当たり前に聞こえるかもしれないが、全く違う環境下にある生物が、同じ構造に至るのは極めて異例といえる。
だが、人間の体細胞は、魔獣とは大きく異なる。
水と油。両極端と言い換えてもいい。
その2つを掛け合わせる……。
なりそこないは、おそらく失敗作だろう。
それでも2つの異なる生物を合成するエネルギーは、本物だ。
「(たぶん、賢者の石に匹敵するほどの……)」
ストラバールとエミルリアを引き離す力が賢者の石なら、なりそこないを生み出した力は、“反”賢者の石。
その効力は、2つの物質を掛け合わせるに違いない。
「見えてきたかもしれないわね……。この世界の真実が」
なりそこないのサンプルを手に取り、レミニアは目を細めた。
◇◇◇◇◇
教院の奥へと進むヴォルフ。
待っていたのは、行き止まりだった。
綺麗に積まれた石壁が、静かに佇んでいる。
一見、何の変哲もないただの壁。
だが、レミニアによって強化されたヴォルフの耳は、3つの心音を捉えていた。
「壁の奥にいるのはわかっているぞ」
すると壁を透過し、穂先が三方向から同時に突き出てくる。
次いで、槍を持った騎士がヴォルフに襲いかかった。
【カムイ】を抜く。
前方の槍を恐れず踏み込むと、あっさり間合いを侵略。相手の右脇腹から左肩に向けて薙ぐ。分厚い鎧が裂けさらに血しぶきが舞った。ヴォルフは止まらない。左足を前に出して腰を切ると、振り上げた刀をそのまま下ろす。向かって右からやってきた騎士を袈裟斬り。最後に背後から伸びてきた槍の切っ先を上半身を逸らして回避し、交錯する際に胴へと【カムイ】を叩き込んだ。
その間、わずか1拍。
一呼吸でヴォルフは3人の敵を始末した。
【剣狼】の強さは極まっている。
もはやルーハスと戦った時の不細工な己はいない。
競技会を通して成長したのは、何もウィラスや若い騎士たちだけではない。
【勇者】を討ってなお、ヴォルフも歯牙に磨きを続けてきた。
その成長曲線は、伸び盛りの新米騎士を超える。
今の騎士とて、Bクラスに相当する手練れだ。
だが、それをあっさりと屠ったということは、彼の身体的な強さはSクラスに届きつつあった。
ヴォルフは壁の向こうへと踏み出す。
その身体はあっさりと透過し、現れたのは広大な空間だった。
まず見えたのが、巨大な瓶。
そして奇妙な生物だった。
人間――男の顔だ。
短髪で、頬はこけ、虚ろな瞳をしている。
だが、人らしい部分はそこしかない。
身体は丸く、そして黒い。
スライムの肌のように艶やかにぬめり、無数の泡が漂う液体の中で浮いていた。
「これは……」
ヴォルフは反対の瓶を見る。
そこにあったのは、無数の牙を有した魔獣だった。
シザーレッドという獣系の魔獣だ。
口から飛び出るほどの複数の牙。
鳥の羽のような体毛は金属のように硬く、攻守揃ったCクラスの魔獣。
その背と一体となっているのは、またしても人間の上半身だった。
同じく男の瞳は虚ろで、瓶の中でゆらゆらと揺れている。
人間に生気は感じられない。が、魔獣の赤黒い瞳は生きていた。
ヴォルフを視認した途端、瓶の中で暴れ始める。
かなり頑丈に出来ているらしい。
魔獣の力をもってしてもびくともしない。
人間と魔獣の交配……。
同じ血が通った人間の仕業とは思えなかった。
ヴォルフは拳に怒りを込める。
最中、靴音が空間に響いた。
一定のリズムには余裕が感じられる。
ヴォルフの耳には拍手のように聞こえた。
「ようこそ。ヴォルフ・ミッドレス様」
闇の中から現れたのは、マノルフだった。
白い肌の好青年風の男。
体躯は細く、青白い部屋の魔光のおかげで、幽霊のように見える。
「よくここがわかりましたね。前に冒険者たちが踏み込んできた時は、ここのレベル8の幻覚魔法を見切ることが出来なかった。あのルーハス・セヴァットですら暴くことができなかったのですがね」
話を聞いて、ヴォルフはピンと来た。
ルーハスが革命を起こした最大の目的。
おそらくラムニラ教の教院を暴くこと。
すなわち、この現状を世間にさらすことだったのだ。
それほどラムニラ教に手を入れるというのは難しいことなのだろう。
あのルーハスすら、革命という選択肢によってしか正せなかったほどに。
【勇者】を止めた英雄が、その仕事を引き継ぐ。
なんとも皮肉な話だ。
ヴォルフは自分の耳を触った。
「俺には娘からもらった宝物があるからな」
壁の先にいる心音で壁は幻覚だと気付いた。
しかし、ヴォルフの強化された目なら、すぐに見破ることが出来ただろう。
彼の高性能な感覚は、もはやSクラスの冒険者が持つ鑑定スキルや探査魔法を超えている。
「それが【大勇者】の恩恵というわけですか。大したものです」
すると、ヴォルフは【カムイ】の切っ先をマノルフに向けた。
怒気に燃える瞳で睨む。
「マノルフ・リュンクベリ……。お前の悪行は俺がしかと目撃した。神妙にしろ」
「神妙、ね……。私を拘束する? それとも殺しますか? わかってますか。私はラムニラ教大司祭ですよ。レクセニル王国の人口の半分を占めるラムニラ教徒すべての総意の上に立つものです。そんな私に弓を引くのですか?」
「弓は引かんよ」
【カムイ】を鞘に収める。
「ただ斬るだけだ!」
剣を持った狼は吠えた。
股を広げ、構える。
闘気に濡れた瞳を光らせた。
その覇気に、マノルフの司祭服が揺れた。
一瞬気圧される。
だが、一瞬は一瞬だ。
すぐに優しい司祭の顔は歪んでいく。
馬鹿め、と罵る言葉が漏れた。
すると、突然瓶が割れる。
盛大に液体が漏れ、床を水浸しにした。
鋭い水音を立てて、奇形の生物たちが水に濡れた地面を叩く。
虚ろな瞳をそのままに、ゆっくりとヴォルフに近づいてきた。
中にはウィラスの報告にあった影の生物がいる。
「なりそこないか」
「そんな無粋な名前で呼ばないでほしいですね。彼らは識天使……。神の使いである魔獣と人間の合成生物。つまり天使ですよ、可愛いでしょ? ああ……。なんと神々しいのか。私はまた善行をなしてしまった」
「魔獣が神の使い? ラムニラ教にそんな考えはないはずだ。それはむしろラーナール教団の――」
「我々の教義にはありませんよ。私はただ事実を行っているだけです。……いえ。いつかそれは正しかったと、大主教様は証明してくれるでしょう」
「大主教?」
「さあ! やるのです! 神の尖兵たちよ!!」
マノルフは手を振った。
緩慢な動きだった識天使たちは、急にスピードを上げる。
ヴォルフからすれば、さして問題などなかった。
低く沈み込む。
その体勢から【カムイ】を抜きはなった。
【 居合い 】!!
世界一硬いといわれるアダマンロール。
その外殻を切り裂いたスキルが、横一線に閃いた。
前面に展開していた識天使は、真っ二つに切り裂かれる。
一拍遅れ、剣圧によって吹き飛ばされた。
人とは思えない黒い血が、壁面や割れた瓶に飛散する。
魔獣の硬い外殻に比べれば、生クリームをカットするようなものだった。
再びヴォルフは鞘に【カムイ】を収める。
眼光は変わらず、マノルフに向いていた。
「迷いがないですね。これでも元は人間だというのに」
「神の尖兵じゃなかったのか。……とはいえ、罪なら背負うさ。それに――」
「?」
「俺は神でもなんでもない。残念だが俺は一振りの刃に過ぎない。【剣狼】のヴォルフだ」
マノルフの揺さぶりも、まるで動じない。
それはレミニアの強化によるところではなかった。
ヴォルフ本来が持つ、強い意志だ。
残りの識天使も刀の錆となる。
いよいよ残ったのは、大司祭マノルフだった。
「これで終わりか、マノルフ。もう1度いう。神妙にしろ」
「ふん……」
「お前とラーナール教団のつながりを自白してもらうぞ。どうやら、大主教とお友達でもあるようだしな」
「不敬な。大主教様は、この世でもっとも神に近いお方。友などという低俗な言葉で呼ぶでない」
初めてマノルフは怒りを露わにする。
だが、その表情は次の瞬間には、いつもの好青年に戻っていた。
すると、何やら懐をまさぐる。
武具でも出てくるのかと思ったが、出てきたのは宝石だった。
まるで網の上で炙ったような黒く光っている。
ヴォルフは目を細めた。
マノルフは口を裂く。
取り憑かれたように醜悪な笑みを浮かべた。
「しかし……。この世でもっとも早く聖天に辿り着くのは、この私です」
「なんだ? それは……」
「学会用語でいえば【賢者の石】といったりするそうですが、これはその逆――。【愚者の石】と呼んでいたりするそうですが……」
「【愚者の石】……」
ヴォルフは少なからず驚いた。
賢者の石という名前は、知っている。
娘レミニアが研究している――ストラバールと魔獣世界エミルリアを分離するエネルギー結晶体。
だが、それは【大勇者】をもってしても、発見されていない未知の物質のはずだ。
「(しかも賢者の石の逆――)」
賢者の石が2つの世界を引き離す力であるならば、その反対とはつまり――。
「愚者などととんでもない。これは神の石……。そして私は神になる」
マノルフは口を開けた。
「よせ! そんなものを人間が飲み込んだら!!」
ヴォルフは叫ぶ。
だが、遅い。
司祭の喉が蠢く。
瞬間、身体に異変が起きた。








