第57話 拳 vs 拳(前編)
流れるように今話も前後編でお送りします。
「少し気になってきてみれば……。やはり鼠がいたか」
独居房が並ぶ廊下の奥から声が聞こえる。
重い足音を響かせながら、禿頭の騎士が現れた。
樽を一掴み出来そうな大きな手で、レクセニル騎士団の団員の頭を掴んでいる。身体ごと引きずった跡には、血の線が引かれていた。
「に……げ、ろ……」
まだ息があるらしい。
譫言のように「逃げろ」を繰り返していた。
その騎士を、エルナンスたちがいる方に放り投げる。
頬の骨が潰され、片目が飛び出ていた。
生きているのが不思議なぐらい重傷だ。
ちょうど独居房から出てきたセラネは、短く悲鳴を上げる。
騎士団で見かけたベテランの騎士。
序列も一桁だったはずだ。
それをこんなに酷たらしく壊せるということは、かなりの使い手なのだろう。
ラーブ。
聖天騎士団の中で1、2を争うほどの凶暴な騎士だった。
「セラネ。貴様、どこへ行くんだ。マルノフ様の命令に逆らうのかよ?」
ラーブは咎める。
だが、その表情はどこか楽しんでいるようだった。
事実、セラネには絶大な威力を示す。
たちまち彼女は身を竦ませた。
「うっせぇ、禿げ!! こいつはうちの団員なんだ! 仲間を取り返しに来て、何が悪いんだよ。てめぇは岬で灯台でもしてろ!」
こういう時、マダローの暴言は頼もしい。
エルナンスは気を前に集中しながらも、心の中では笑ってしまった。
聞き慣れた挑発だったが、こちらも効果絶大だ。
平らな男の頭が、みるみる赤くなっていく。
「小僧……。生きて帰れると思うなよ」
「はっ! 悔しかったら、毛でも生やしてみやがれ」
「があああああああああ!!!!」
ラーブはドスドスと襲いかかってきた。
だが、その侵攻はすぐに遮られる。
飛んできた槍を反射的に受け止めた。
一瞬、動きが止まる。
顔を上げた瞬間、立っていたのはエルナンスだけだった。
「(他のヤツは!?)」
慌てて周りを探す。
廊下は1本道。入口はラーブの後ろにしかない。
逃げるにしても、横を通り過ぎなければならなかった。
不意にセラネを閉じ込めていた扉が揺れる。
「(独居房に隠れたのか。いや――)」
ラーブは目の端で何かが動くのに気づいた。
注視したのは、血痕だ。
床には自ら引きずってきたレクセニルの騎士の血がついている。
だが、明らかに血の線が増えていた。
「貴様!!」
振り返る。
気づかなかったが、騎士の下半身だけが視界にあった。
「バレたか!」
マダローは【霧隠れ】をめくる。
同様にセラネも外套を外し、肩を貸した仲間の騎士を背負い直す。
「さすがに3人を隠すのは無理があったが……。相手は馬鹿――能無しで良かったぜ」
舌を出して、挑発する。
ラーブはますます憤慨し、追いかけようとするが。
「どこを見てるんですか?」
暗い牢獄の寝具を思わせるような冷たい声が聞こえた。
背後からの殺気に気づき、反射的に身構える。
ラーブよりも背の高い騎士が、おもむろに構えを上げた。
両拳を顎まで上げ、背骨を曲げてやや前傾姿勢。
右足を相手の方に半歩踏み出した。
血が昇ったラーブの表情が、途端に冷めていく。
目を細めた。
「騎士は槍や剣しか使えぬと思っていたが、まさか拳闘をやるヤツがいるとはな」
すると、ラーブも構えた。
同じく両拳を上げる。
巨体とは思えない軽やかさで、その場でステップした。
「あなたもですか?」
「応ともよ。がっかりさせるなよ、若造」
狭い廊下の中で、両騎士の火花が散った。
◇◇◇◇◇
階上へと昇る道すがら、セラネは急に足を止めた。
一緒に先輩騎士に肩を貸していたマダローは、体勢を崩す。
抗議の声を発したが、セラネは階下の闇へと視線を落としていた。
「やっぱり戻った方がいいんじゃ……」
「エルナンス1人じゃ不安だってか。あいつなら心配ねぇよ」
「でも、あの騎士……。強そうだった」
セラネは先輩の騎士を見る。
頬骨が完全に砕け、落ちくぼんでいた。
その弾みで眼球が飛び出たのだ。
一体、どんな衝撃を加えればこんなことになるのか……。
想像も出来なかった。
序列一桁の騎士がこの有様なのだ。
最近、やっと騎士団に入れたエルナンスが勝てるとは思えなかった。
「ああ! くそ! お前、残酷だな……」
「え?」
「自分の任務に忙しかったお前には、全く興味がなかったんだろうが、エルナンスが今、序列何位か知ってんのか?」
セラネは軽く頭を振った。
対し、マダローは大きく息を吐く。
やがて怒鳴った。
「序列5位だ! あの馬鹿野郎! 俺様に勝ってから、勝ちまくってんだよ!」
「――――ッ!!」
セラネは息を呑む。
「序列5位といっても、今あいつの勢いを止めることができるのは、とんがり頭か、あの田舎大将ぐらいだ。けど、それを除外すれば、いまだに無敗なんだよ!!」
マダローと戦った直後の試合でも、エルナンスは勝った。
結局、準々決勝で敗退したが、無勝の騎士がベスト8まで残ったのだ。
快挙であることは間違いない。
エルナンスの出世街道は続く。
次の競技会では、くじ運もあってベスト4。
その次では、逆に運悪く2回戦でウィラスと当たり、早々に敗退したが、前回は再びベスト4まで勝ち上がった。
「悔しいが、あいつはつえぇ……。体格と生い立ちによって鍛え挙げられた筋肉。体格はともかくとしても、開墾作業で鍛えた筋肉は一朝一夕で磨けるものじゃねぇ」
マダローは心底悔しそうにエルナンスについて語る。
ギラついた目に、今の状況と仲間の危機は全く映っていない。
次、どうやってエルナンスに勝つか。
ただそれだけを考えているように見えた。
「それにな。あいつは、今もあの田舎大将に鍛えてもらってんだ。毎日な……。筋金入りの狼と、毛のねぇ豚。どっちが強いかなんて、猿でも答えられる」
ヴォルフが娘の強化によって、【勇者】すら斬り伏せる力を得たように。
エルナンスは、まさしくヴォルフに強化され、仲間すら戦慄するほどの高みに昇ろうとしていた。
(負けたら承知しねぇぞ、エルナンス!)
マダローもまた階下の闇へと視線を落とした。
後編もすぐに投稿します。








