第56.5話 重なる手の平(後編)
第56話後編になります。
まだ前編をお読みでない方は、前編からお読み下さい。
セラネは瞼を持ち上げた。
どうやら寝ていたらしい。
目が腫れぼったい。頬を触ると、乾いた涙の跡があった。
夢を見ていた。
遠い昔の記憶。
里が襲撃を受け、途方に暮れる中、神様に出会った。
その人はセラネを拾い、温かいスープと場所を用意してくれた。
そして、そっと2つのものを手の平に置く。
ナイフと人を殺す技だった。
セラネは何も考えず、いわれるまま実行した。
刺殺もした。毒殺もした。絞殺もした。
神様が望むならなんだってした。
その度に、神様はセラネを誉めてくれた。
慈悲を与えた。
しかし、神様の言うことを聞く度に、自分が何かから外れていくのを感じた。
時々、自分が人ではなく獣のように思うことさえあった。
本当にこれでいいのだろうか……。
セラネの両親は人に殺された。
種族の誇りたるシノビ目も奪われた。
だが、自分も非道な人間と同じことをしている。
自分と同じ境遇をもつ子供を増やしている。
それは善行なのか、と……。
何気ない疑問を神様にしたことがある。
すると、神様は怒り、セラネを暗い部屋に閉じ込めた。
十分反省した後、やっと出てくると、神様に誉められることも、慈悲を与えられることもなくなった。
ただ黒い封筒が1通。
短い文章で託宣と書かれていた。
燃やせと記されていたが、今でもセラネは大事に持っている。
それが唯一の神様とのつながりだった。
セラネは手紙の通りに、騎士団に潜入した。
そこでヴォルフ・ミッドレスと出会った。
革命を防ぎ、王を守った英雄。
騎士団に来るなり、あっという間に荒んだ空気を変えてしまった。
セラネはこの壮年の冒険者が苦手だった。
何も知らない癖に、何故か隣に座って寄り添ってくる。
頼んでもいないのに、手を差し伸べてくる。
その手の平を見て、どうしようもなく重ねてしまうのだ。
あの時、神様が差し伸べてくれた手と……。
ヴォルフ・ミッドレストと神様は別人だ。
存在そのものが違う。
だいたい卑賤な冒険者が、神様と同格であるはずがない。
なのに、かけられた声の優しさ。
差し伸べられた手の温かさが、頭から離れない。
不用意に胸が熱くなる。
『たとえ、世界と戦うことになっても、俺はお前を信じているぞ』
あんな言葉をかけられたのは、初めてだった。
苦手といえば、騎士団の人間もそうだ。
何故か、やたらとセラネに関わろうとする。
廊下ですれ違えば、急にソワソワする。
飯が美味いと、大げさに誉める。
花を植えると、集まってくる。
本当によくわからない人間たちだった。
気持ち悪い。
客将も、副長も、先輩騎士も、新米の騎士も……。
官舎のベッドの柔らかさと清潔さすら気持ち悪かった。
「でも、どうしてだろう?」
独居房の深い闇の中で、セラネは呟いた。
慣れ親しんだ教院の中で、周りには同じ神様を崇める信者がいる。
優しくしてくれた人がいる。
命を拾ってくれた人がいる。
硬いベッドがある。
教院は、自分が唯一落ち着ける場所だ。
そう思っていた……
なんの不安もない。
そう思っていた。
なのに、何故だろう。
どうしようもなく寒い。怖い……。
冷たい床の上で膝を抱え、セラネは祈った。
聖天は何も答えない。
マノルフも、信者も、聖天の騎士たちも。
では、一体誰が自分を助けてくれるのか……。
そう想った時、孤独が歯牙を開き襲ってきた。
オネガイ……。ダレカタスケテヨ!
不意に鉄錠が落ちる。
弾かれるようにセラネは顔を上げた。
入口を覆うほどの大きな影が見える。
そっと手を差し出す仕草を視認し、思わず呟いた。
「ヴォル……フ……さん?」
再び記憶が重なる。
神様と……ヴォルフ……。
しかし、現れたのは――。
「ご、ごめん。ヴォルフさんじゃなくて」
エルナンスは後頭部を押さえて謝った。
何が嬉しいのか。やや気の抜けた顔を浮かべている。
「エルナンス……さん……。なんで、こんなところに」
「も、もしかしたら、初めてセラネさんに名前を呼んでもらったかも。ちょっと嬉しいなあ。僕のことはエルナンスでいいから。僕もセラネって――痛ッ!!」
「こんなところでなにイチャついてんだよ、馬鹿!」
エルナンスの脇から顔を覗かせたのは、マダローだった。
「マダローさん……。あなたまでどうして?」
「決まってんだろ、馬鹿。お前を助けに来たんだよ」
はたとセラネは気づく。
よく耳を澄ますと、剣戟の音と鬨の声が聞こえる。
生半可な数ではない。
おそらく騎士団全員が、この教院に突入している。
王国の憲兵すら手が出せない不可侵の領域に。
1人の騎士を助けるため。
セラネは思わず叫んだ。
「馬鹿はあなたたちの方ですよ。何で助けにきたんですか? 私は、私は……。王を殺そう、とラムニラ教から派遣された暗殺者なんですよ。王宮の内偵をするために、騎士団に……」
「知ってるよ」
「え?」
顔を上げるとエルナンスの顔があった。
ぎこちない笑顔を浮かべている。
「お前になんかあることなんて、この騒ぎが起こる前からわかってんだよ」
「だよね。時々、夜練が終わった時とか、王宮の辺りをうろついているのを見かけたことがあったし」
「え……。ええ?」
「お前さ。内偵すんなら、もうちょっとうまくやれよ。もっと上手に人に溶け込むとかさ。いくらなんでも怪しすぎるだろ? ま――。でも、王の暗殺を狙ってたなんて思わなかったけどな」
「みんな、薄々わかってたんだ。セラネさんになんかあることは」
「じゃあ、みんな知らない振りを、していたって……こと……?」
「ちげーよ、馬鹿。お前がそんな悪い人間じゃないって見抜いてんだ」
「――――ッ!!」
「だって、そうだろう? お前がその気なら、俺たちの寝首を掻くことなんていつでも出来たはずだ」
「料理に毒を入れることもね」
「でも、そうしなかった。その方が楽に王を暗殺できるのによ」
「一緒に生活してればわかるよ。セラネさんは、本当は根が良い人だって」
セラネは手で顔を覆う。
そうじゃない――と頭を振った。
そういうことを聞きたいのではない。
何故、自分を助けようとする。
何故、手を差し伸べる。
友人でも、恋人でも、親類でも、同じ神を崇拝する信徒でもない。
酒を酌み交わすでもなく、一緒に享楽にふけったこともない。
60日と少しの間、同じ屋根の下で同様の鍛錬を続けてきた。
ただそれだけの薄い間柄なのだ。
なのに、どうして……。
「セラネさんは僕たちの仲間だから」
「そ、それだけ……?」
セラネは目を見開き、絶句した。
エルナンスは頷く。
「そう。それだけ……。それ以上でも、それ以下でもないよ」
「付け加えるなら、あれだな……。あの田舎者のせいだな」
「そうだね。きっとヴォルフさんなら、そういうと思うから」
「クソいまいましいことに、騎士団全員、あいつの思考に毒されちまってる」
「ヴォルフ病だね」
「お前もそうだろ、セラネ。四の五いってないで、付いてこいよ。……お前がこんな豚小屋みたいなところで、俺らよりも鼠相手に喋る方が好きなら、強制はしないけどな」
「帰ってきてよ、セラネ」
エルナンスは再び手を差し伸べる。
さらにマダローも。
今まで見た中で、もっとも大きく分厚い手だった。
しかも2つもある。
セラネは今一度涙を拭いた。
もう顔はくしゃくしゃだ。
頬は赤く腫れ上がり、拭っても拭っても涙が溢れてきた。
ようやく差し出された手を、エルナンスは掴み引き上げる。
すとんと立ち上がったセラネは、若干俯きながら、嗚咽混じりにいった。
「ありがとう、2人とも」
「感謝なんていいよ。僕たち同期じゃないか」
「帰ったら、たらふく飯を食わせてもらうからな。覚悟しろよ。騎士団全員分の飯を作ってもらうことになるんだからな」
マダローはニヤリと笑った。
セラネは少しきょとんとし、やがて満面の笑みを浮かべる。
「うん。頑張る!」
歯切れの良い言葉が、暗い地下で光のように広がった。
今後、1話当たりの文字数が多い場合、
前後編にしようと思いますので、
お読みになる際は、お気を付け下さい。
次回 「拳 vs 拳」








