第55話 おっさんが下した命令
おはようございます!
朝早くから出かけるので、超早朝更新!
「しばらくここで反省なさい」
セラネは背中を押される。
つんのめると、そのまま体勢を崩し、冷たい石畳に倒れた。
周囲を見る。
硬いベッドに、簡素な厠。
床や壁は、地下特有の湿り気を吸い、ぬめっていた。
ここはラムニラ教教院の独居房だ。
本来、1人瞑想をしたり、断食などの苦行を課したりする場所だが、聖天の教えに背いた信者を懲罰するためにも使われる。
マノルフの後ろには大きな体躯の聖天騎士が控えていた。
ラムニラ教が誇る騎士団は、信者や、邪教から守るために組織された。
私設軍隊に近い。
マノルフの表情は、いつになく不機嫌だった。
普段は、女神のような笑顔を振りまく優しげな顔も、今は悪魔が取り憑いたかのように歪んでいる。
眉間と額には、くっきりと筋が浮かんでいた。
「あなたには失望しましたよ、セラネ」
「申し訳ありません」
セラネは項垂れる。
その顔を乱暴に掴むと、マノルフは唾を吹きかけた。
唾液の塊が、少女の頬に垂れ下がる。
「どうしました? いつも言っているでしょう? それは聖天の慈悲です。感謝の言葉を述べなさい」
「……はい。ありがとうございます、マノルフ様。私は聖天ラムニラに感謝をいたします」
「しかし、あなたは聖天ラムニラの意志に背いた。あなたがやりやすいように、識天使まで使って騎士団を陽動したのですよ」
「それは――!」
「言い訳は聞きません。あなたは失敗した。聖天の導きから背いたのです」
「申し訳ありません。ですが、マノルフ様。教えて下さい。何故、聖天はムラド王を殺めようとするのですか?」
「聖天のご意志を疑うというのですか!?」
マノルフはセラネの顎を蹴り上げた。
幸い司祭は素人だ。
獣人であり、鍛えている彼女からすれば、なんのダメージもない。
ただ靴の裏がこすれ、擦り傷を作る。
その傷を、セラネはやるせない表情でさすった。
ふー、とマノルフは猫のように唸る。
「感謝は!?」
「あ、あり……ありがとうございます、マノルフ様」
「まったく! 拾ってやった恩を忘れやがって。野良猫など拾うものではなかったですね。ああ……。でも、あなたは野良猫じゃなくて、薄汚い獣人でしたか」
セラネはカッと目を開く。
瞳の周りに涙がにじみ、冷たい床に涙滴がしたたった。
「しばらく、ここで反省なさい。直に、あなたにもムラド王にも、聖天の慈悲が下るでしょう。それがあなたの善行です」
「まだ、人を殺すつもりなのですか?」
「彼は聖天への献納を断った。それよりも、この猥雑な世界の復興を優先すると、判断を下しました。看過できない聖天への叛逆です。ああいう輩には、必ずや裁きが下るでしょう。いえ――下さなければなりません」
虹彩を絞り、マノルフは半狂乱となってまくし立てた。
そこに優しきラムニラ教の大司祭の姿はない。
1匹の悪鬼が暴れ、叫んでいるようだった。
「そして、私を亡き者にしようとした輩にも……」
怨念めいた言葉で締めくくる。
翻り、マノルフは独居房を出て行った。
「ラーブ、後は頼んだぞ」
最後に声をかけ、マノルフの姿はセラネの視界から消えた。
ラーブという騎士は、重い扉を閉める。
一層闇が落ちた。
「わたし……。どうしたらいいの? どうしたら良かったの?」
蛇のような目から涙が滴る。
助けて、と救助を請う声は、空しく独居房が並ぶフロアに響き渡った。
◇◇◇◇◇
シノビ目族。
獣人と認定されていながら、体躯は人間と変わらない。
唯一違うのは、虹彩の形だ。
その蛇に似た瞳は、シノビ目といわれる。
【見る】という感覚において、どの獣人よりも優れ、深い闇夜でも移動ができる。
人間の体温はおろか物体に残った熱まで探知し、熟練となれば、残った熱から相手の状態や、時間まで推測可能という。
瞳の能力。
一見人間にしか見えない容姿。
古くからその能力は着目され、各国の暗殺部隊として暗躍してきた種族である。
だが、魔獣の台頭によって、各国の結び付きが強くなり、人類同士の戦争がなくなると、その存在は時とともに忘れられていった。
そして、自分たちもまた過去の歴史を忘れた頃、穏やかに暮らしていたセラネ・レヴィタンの里は、【灰食の熊殺し】の襲撃を受ける。
暗殺の種族といわれていたのは、過去のことだ。
里のものたちは、必死の抵抗をしたが、人間の物量の前に屈した。
珍しいシノビ目族の瞳は闇市場で高く売れる。
彼らの目的は、種族が持つ能力でも労働力でもない。
シノビ目だった。
まだ幼かったセラネは、難を逃れる。
だが、仲間が瞳を抜き取られていく様を、幼いシノビ目に焼き付けなければならなかった。
【灰食の熊殺し】は里を破壊し、目を抜き取った。
さらにセラネ以外の仲間を全員殺し、去って行った。
幼いセラネは途方に暮れた。
一時言葉すら話せなくなるほどだった。
だが、傷ついた少女に手を差し伸べたものがいる。
マノルフだった。
『1の善行を行えば、10の善行が返ってくる。苦難もまた善行。親を失い、友達を失い、居場所を失ったあなたには、きっと大きな善行が降りかかるでしょう』
そうして当時はしがない司祭だった男は、1本の凶剣を手に入れた。
◇◇◇◇◇
ヴォルフは目を揉んだ。
蝋燭の明かりを頼りに読んでいた資料を、机に置く。
表題には『セラネ・レヴィタンの再調査書』と書かれていた。
これはヴォルフが命じて作らせたものだ。
セラネが提出していた身分証や履歴はすべて偽造だった。
非常に巧妙であったため、身元調査で見抜けなかったのだ。
ヴォルフは彼女がシノビ目族であることを知らせた上で、再調査をさせた。
出てきたのが、何もかも失い、マノルフに拾われた不幸な少女の生涯だった。
「(マノルフは彼女を暗殺者として育てたことは間違いないな)」
それは別の資料からもわかる。
レクセニルや他国の重臣たちの不可解な死。
そのすべてが、ラムニラ教が有利になる法整備や寄進に反対する家臣や有力な議員だ。
しかも、暗殺は国だけに留まらず、身内にまで及んでいる。
レクセニル王国の前大司祭も、病死となっているが、別の検死報告書によれば、毒物の可能性も示唆されていた。
その後任として赴任したのが、マノルフだ。
過去のマノルフの着任地。
暗殺が行われた国や教院。
それらは見事に一致する。
誰も彼を首謀者だとは考えなかった。
おそらくマノルフが持つカリスマ性、そして政治力によって、うやむやにされてきたのだろう。
グラーフ閣下が直接的な証拠を持ちながら、上層部に握りつぶされたように……。
アダマンロールの頑強さ。
ルーハスの技術。
どれも恐ろしい強さを秘めていた。
しかし、このマノルフの強さは今までヴォルフが相手をしてきたものとは違う。
おそらく、今までもっとも周到で、一筋縄ではいかない魔物だろう。
それでもヴォルフは立ち上がる。
十分なのだ。
たとえ、世界から見て己の行動は正義でなくても、【剣狼】ヴォルフ・ミッドレスが動くには、十分な証拠が揃っていた。
1枚の手紙を机に置く。
「悪いな、みんな。これにて、客将ヴォルフは終わりだ」
レクセニル騎士団の騎士章を机に置く。
代わりに壁にかけていた刀を握りしめ、腰に差した。
薬を小さな道具箱に押し込める。
官舎を出た。
つとヴォルフの足が止まる。
騎士団員たちが居並んでいた。
5の5の方陣を作り、完全武装のまま直立している。
「これは……」
「どこ行くんだ、ヴォッさん」
横から声が聞こえた。
ウィラスが槍を両肩にかけたいつもの姿で立っている。
「なんだよ。別に驚くこともねぇだろ。今から夜回りに行くんだ」
「あ、ああ……。そうなのか」
「ヴォッさんもどうだい?」
「すまん。今日は用事があってな」
「それはラムニラ教教院の拝礼かい? なら、心配いらねぇよ。俺たちが向かうのも、そこなんだからよ」
「待て! 騎士団を巻き込むわけには……!!」
「ラムニラ教教院に、謎の生物が出入りしているっていう目撃証言があってな。今日の夜回りは、その確認のためさ」
「王の許可は出ているのか?」
ウィラスは槍を振るう。
一瞬にして、ヴォルフの喉元に切っ先を向けた。
速い……。
以前戦った時よりも、明らかに洗練されている。
かわす暇さえなかった。
「だったら、あんたが命令すればいい。俺たちはあんたに従う」
「しかし、俺はお前たちの信用を裏切ったんだ」
経緯はともかく官舎に女性を連れ込んだのは確かだ。
それを団員が目撃し、陰口を叩いているのも知っている。
そんな人間に、命を預けるなどできるはずがない。
「お願いです! 僕たちも連れてって下さい!!」
突然、叫んだのはエルナンスだった。
「セラネさんは僕たちの仲間です。どういう理由で教院に囚われているかは、僕は知らない。でも、彼女が望むなら、僕は力になりたい。そうでしょ。マダロー」
「ちょ! なんで俺に振るんだよ! …………ま、まあ、でも、確かにあの女がいないと7日1度の飯の楽しみがなくなるし。それにまあ、結構あいつ綺麗だしよ。むさ苦しい騎士団の中で、目の保養になるというか」
「なんだ、マダロー。お前、セラネに気があるのか?」
ウィラスはにやりと笑う。
さらに騎士団の爆笑を誘った。
「ち、ちちちちげぇよ!! だ、だれがあんな田舎女!」
顔を真っ赤にしながら、マダローは縮こまる。
またそれを見て、皆が笑うと、今一度ウィラスはヴォルフに向き直った。
「エルナンスがいった通りだ。セラネは俺たちの仲間だ。そいつを救わない道理はねぇ。あんたもあいつを救おうと自分の部屋にかくまったんだろ? あんたはそういうヤツだ。みんな、理解してる」
「俺は客将のことを信じてます!」
「私も……!」
「疑ってすいませんでした!」
「一緒に連れてってください!」
「セラネを救いたいんです!!」
口々に支持を表明する。
団員の気持ちは本気だった。
セラネを助けたい。
ヴォルフとともに……。
「命令してくれよ、ヴォッさん。俺たちに……。セラネを救えって! ラムニラ教教院をぶっ壊せって!」
ヴォルフは居並ぶ騎士たちを見回した。
今から行うことは、犯罪に近い。
教院に侵犯して、何も出てこなければ、咎めを受けるのは騎士団になる。
だから、ヴォルフは1人で行くと決めた。
しかし、誰の顔にも迷いはなかった。
皆、1つの意志を決め、出会った時とは比べものにならない精悍な顔をしている。
それでもヴォルフは首を振った。
「駄目だ。お前たちを連れていくことは出来ない」
「おい! ヴォッさん。そりゃないぜ」
「お前たちを連れていくと、俺の活躍の場がなくなるだろう」
ヴォルフはニヤリと笑う。
一瞬、呆気に取られたウィラスは「かか……」と笑い始めた。
皆も失笑する。
冗談としては、いまいちだったらしい。
客将は1歩、歩み寄る。
「俺は決して教院を襲撃しろとか、仲間を救い出せとは命令しない。だが、1つだけ命令を下す」
生き残れ……!!
「全員帰還すること。……そしてみんなでセラネの料理を食べること。それが俺からの命令だ」
瞬間、騎士団は声を上げた。
槍を突き上げ、石突きで地面を叩く。
「てめぇら、浮かれるのは後にしろ! いいか! ヴォッさんの命令は絶対だ! 全員生き残るぞ!!」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
騎士団の雄叫びは、闇夜のレクセニル王都にこだました。
◇◇◇◇◇
ラムニラ教のレクセニル教院は、王都の北東にある。
貴族の屋敷がひしめく東地区から近く、冒険者の襲撃を受けた痕跡が、王都最大の建造物のそこかしこに残っていた。
少数ながら信者の中に死亡者は出たものの、教院自体の被害は少ない。
何故なら、ラムニラ教には神の使い――聖天騎士団が存在するからだ。
死をも恐れぬラムニラの騎士たちは、教院を取り囲む冒険者たちを駆逐していき、難を逃れたという。
レクセニル王国騎士団が踏み込むのは、そんな猛者が跋扈する魔境だった。
教院の正門が十字に切り裂かれる。
抜剣の勢いは凄まじく、分厚い鉄の門は吹き飛ばされた。
轟音を聞いて、信者たちが集まってくる。
月光にきらめく刃を見て、腰を抜かした。
鉄門を二振りで切り裂いた男は、刀――【カムイ】を掲げる。
何かを言いかけて、首を捻った。
「こういう場合、なんていえばいいんだ?」
「御用改めである。各々方、神妙にお縄につくがよい!」
大衆芝居の一節にありそうな台詞を、副長は伝える。
ヴォルフは肩をすくめた。
「まあ、形式はどうでもいいか……」
「犯罪者になるにしろ。英雄になるにしろ。俺たちの覚悟は決まってんだからよ」
ウィラスとヴォルフは突貫する。
その後ろに武装した騎士達が気勢を上げるのだった。
マノルフのキャラ造形に「残念」という感想をいただきました。
実は、作者も「もうちょっとうまくできたんじゃないかな」と思うところがありまして、
素直に反省しております。
書き直しをしようとすると、
全体を変えなければならなくので、控えさせていただきますが、
今後のマノルフの狂気性にも注目していただきたいということ。
また大物感のあるボスキャラについても、
今後も熟慮しながら、作っていきたいと思いますので、
暖かい目で見ていただければ幸いです。








