第54話 彼女を助けたい理由
【注意】昨日、誤った53話を上げてしまいました。
現在、正しい話をあげております。
ご確認の上、もう1度54話を読んでいただければ幸いです。
セラネ・レヴィタンが、騎士団に顔を出さなくなって3日が経った。
その間、王宮内ではある噂が持ち上がっていた。
騎士団の団員が、女性団員を自室に連れ込み、乱暴したと。
特定の名前こそ挙がらなかったが、侍女や家臣たちの間で、犯人探しが始まっている。
おかげで折角取り戻した騎士団の信用も失墜した。
7日1度に行われている競技会も、人が閑散としている状況だ。
騎士団の中でも動揺が広がっていた。
マノルフが踏み込んだ現場を目撃していた団員が、件の噂の当事者がヴォルフだと喋り出す。すると、あっという間に客将に向けられた目は、冷たいものへと変わっていった。
当のヴォルフはというと、毅然とした態度で日々過ごしていた。
ラムニラ教の教院と官舎を何度も行き来し、セラネとの面会を要望した。
だが、それが叶うことはなかった。
セラネ・レヴィタンなる信者はここにはいない。
それが向こうの答えだ。
しかし、3日前にマノルフとセラネが教院に入っていったという目撃証言がある。
教院にいるのは間違いない。
結局、事態は進展せず、3日目が終わろうとしていた。
「すまないな、ウィラス。こんな事態になって……」
「何度も言わすなって。俺は何も気にしちゃいねぇよ。それよりも問題は、王を暗殺しようとしていた容疑者を、なんでラムニラ教が匿っているかってことだろう」
ウィラスの言うことはもっともだった。
これでは自分たちが黒幕だといっているようなものだ。
「やはり憲兵に事情を話すべきか……」
王の暗殺と聞けば、憲兵も重い腰を上げる。
だが、その時間違いなくセラネが疑われる。
拷問にかけられ、彼女ならたとえ死んだとしても黒幕を吐かないだろう。
セラネの獣人の目には、常にそういう強い意志が宿っていた。
出来れば、仲間を傷つけず、ヴォルフとしては事を収めたかった。
「憲兵は動かねぇよ」
ウィラスは事も無げにいった。
ヴォルフはきょとんとして、瞬きを繰り返す。
副長は説明を続けた。
「ラムニラ教はレクセニルの国教だ。いわば、不可侵の領域。いくら法務院も、王の許しなしでは踏み込めない。そして、王は――」
「敬虔な信徒……か」
ウィラスは頷いた。
王の暗殺とはいっても未遂。
しかも、ラムニラ教がやったという証拠もなく、唯一の容疑者の所在は不明。
不確かな状況では、ムラドは動かせない。
逆に、ラムニラ教へ疑いを向けたことにより、叱責を受ける可能性もある。
ただでさえ騎士団の信用が低下している状況で、ラムニラ教に踏み込むのは、藪の中の蛇をつつくようなものだった。
「実はな。昔、大将がラムニラ教に踏み込もうとしていたことがあったんだ」
「ツェヘス閣下が!?」
「ヴォッさんも聞いたことがあるだろう。ラムニラ教とラーナール教団が、裏で繋がっているんじゃないかって噂を……」
それはヴォルフが王都で働いていた時から囁かれていた噂だった。
ラーナール教団は、魔獣を神の御使いだと信じる魔獣信奉者たちだ。
彼ら曰く、天命において人間は滅びるべきであり、魔獣に対する抵抗をやめろと、狂言を繰り返していた。
2つの信教の繋がりを指摘されている理由として、ラムニラ教の教書の一節がよく引き合いに出される。
『聖天ラムニラの下では、王も奴隷も、獣族も畜生もすべて平等である』
この節の解釈として、魔獣もまたラムニラの下の平等であることから、ラムニラ教とラーナール教団は、同じ魔獣信奉者ではないかと警戒するものが多い。
事実、ラムニラ教の司祭は、ある問答の中で「魔獣もまたラムニラの下にある」と発言している。2つの信教に親和性を見出すものも少なくなかった。
しかし、ラムニラ教はともかくラーナール教団は、犯罪者集団だ。
多くの武器商人が隠れ蓑として使い、非合法の人身売買組織と手を組み、危険な人体実験を繰り返していると聞く。
「大将はラムニラ教と、ラーナール教団の繋がりを示す情報を掴み、踏み込もうとした。けれど、上の方からストップがかかった」
「王か?」
「そこまではいかねぇ。汚職貴族の誰かだろう。だが、ムラド王だって、教院へ踏み込む決断を迫られたら、素直に頷いたかどうかわからねぇ」
「ツェヘス閣下は、どんな情報を?」
「さあ……。俺にも教えてくれなかった」
ヴォルフは立ち上がる。
なりふり構っていられなかった。
◇◇◇◇◇
謹慎中のグラーフ・ツェヘスの日課は、座禅だ。
東方の国ワヒト出身者の冒険者から教わった。
足を組んで座り、目をつぶり、自然と一体となる。
やがて無我の境地へと至る。
言葉でいうや易く、体で表すのは難しい。
つい色々なことを考えてしまう。
コンコン……。
不意にノックが自室に鳴り響き、グラーフの意識が引き戻される。
目を開け、「入れ」と促すと、白髪の好々爺が入ってきた。
ツェヘス家に代々仕える使用人だ。
深く頭を下げると、客人が来ているという。
グラーフは不動のまま言い放つ。
「言ったはずだ。今は、誰にも会わんと」
「それが、レクセニル騎士団客将ヴォルフ・ミッドレスと名乗っておられまして」
「ヴォルフ・ミッドレス……」
脳裏に浮かんだのは、赤髪を輝かせた少女の姿だった。
不敵に微笑んだ口元から、その名が漏れたことを思い出す。
「わかった。仕度をするからしばし待て」
腰を上げた。
◇◇◇◇◇
客間に行くと、大柄な男が座っていた。
グラーフが入ってくるのに気付くと、慌てて直立し、頭を下げる。
「お目にかかれて光栄です、閣下」
グラーフは部屋に入り、一時も男から目を離すことなく、前の椅子に座った。
どっかりと腰をかけた後も、その戦力を計る。
不思議な印象だった。
見た目こそ垢抜けない田舎男。
だが、纏う雰囲気は歴戦の戦士に劣らない。いや、それ以上だろう。
さらに男を包んでいるものがある。
それがきっと噂に聞く――あの赤髪の少女の加護であろうことは、予想がついた。
グラーフは腕をさする。
上質な絹の下で、肌が泡立っているのを感じた。
怖いのではない。むしろ逆だ。
仕合てみたい……。
座禅し、心を落ち着けたにも関わらず、腹の奥底から欲が浮き上がってくる。
グラーフが身震いするほどの相手。
ヴォルフ・ミッドレスは、武人にとって良質なご馳走だった。
「(まだまだ未熟だな)」
「閣下?」
「あ……ああ……。すまぬ。座るがよい」
ヴォルフは言葉に甘えた。
早速切り出す。
現在の騎士団の状況。
セラネという団員が、ラムニラ教に囚われていること……。
教院に踏み込む材料として、過去グラーフが掴んだラムニラ教とラーナール教団の繋がりを示す証拠を教えてほしいこと。
2、3話を聞いたら、追い返すつもりだった。
気が付けばすべてを聞き終えていた
それほどヴォルフは必死だったのだ。
客将という立場でありながら、親身に騎士団を思う男に、戦歴以上に興味が湧いた。
「どうか……。お力を貸していただきたい」
テーブルに額を擦りつけ、ヴォルフは頭を下げた。
客将のつむじを見ながら、グラーフは息を吐く。
「娘も……。貴様ほど腰が低ければ、もう少し可愛いげがあるのだがな」
「れ、レミニアを知っているのですか?」
「知らんか? 俺と貴様の娘は1度立ち合っているのだ」
「閣下とレミニアが!!」
思わず仰け反った。
「その話は置いておこう。……1つ貴様に確認しておきたい。貴様は――セラネとかいったか。何故、新米の騎士をそこまで気にかける」
愛情か。それとも友情か。
いずにしろ生半可な答えでは、グラーフは動かないと決めていた。
たかが1人の新米騎士。
その生死と引き替えに、騎士団全体を危険にさらすわけにはいかない。
もし、グラーフが今のヴォルフの立場なら斬って捨てただろう。
目の前の男は少し考えた後、こういった。
「彼女の顔が、俺に助けてくれっていってたんです」
隈取りをしたグラーフの眉間が歪む。
「セラネの声に応えたい。それだけじゃあ理由にならないでしょうか」
「それは客将としてか? それとも【剣狼】としてか?」
「いえ……。自分でいうのもなんですが。ヴォルフ・ミッドレスという男は、そんな厄介な男なんですよ」
グラーフは膝を叩く。
すると、すっくと立ち上がった。
それ以上、尋問することもなく、加えて相手に尋問する暇も与えない。
ただ「ついてまいれ」と促した。
ヴォルフを連れてやってきたのは、グラーフが住む屋敷の地下だ。
重い鉄の扉の向こうにある部屋には、厳重に封印されているものがあった。
封印魔法を解呪し、何重にも巻かれた鎖を解き放つ。
現れたのは氷漬けにされた黒い物体だった。
「これは?」
ヴォルフが手を伸ばそうとした瞬間、氷の中で黒い物体が蠢く。
分厚い氷の中にありながら、それは生きていて、人間に対して敵意を剥き出していた。
「我々はこれをなりそこないと呼んでいる。先の魔獣戦線で発見された未知の生物だ」
「それが一体……」
「このなりそこないを、我々は魔獣戦線が起こる前に、教院地下で発見していた」
「――――ッ!!」
娘と比べれば、頭の悪いヴォルフでも、グラーフが何をいわんとしているかはわかった。
教院の地下で発見された未知の生物。
ラムニラ教と繋がりがあるラーナール教団。
魔獣信奉者……。
人体実験。
1つ――考えたくもない憶測が、頭の中を駆け回る。
「そうだ。ラムニラ教はラーナール教団と手を組み、魔獣とは違う新たな危険生物を作っていた。そして、その素体は人間だ」
ヴォルフは振り返る。
部屋を出ていこうとした瞬間、グラーフに呼び止められた。
「どこへ行く?」
「決まっています。セラネを助けに行くんです」
「ラムニラ教の信者は国内総人口の半分を占める。お前は、レクセニルにいる人間の半分を敵に回そうとしているのだぞ」
その圧力にグラーフは屈した。
人間を素体として使い、人類に仇なす生物を作る。
そんな凶状を目の当たりにしながらも、グラーフは守るべきものを優先した。
だが、【剣狼】の答えは違う。
「セラネと約束をしたんです。……たとえ、世界と戦うことになっても、俺はあいつを信じると」
ヴォルフは振り返り、グラーフに誓約した。
「あなたの騎士団には、迷惑をかけません。……失礼します」
一振りの剣は、地下の篝火の光を受けて揺らめいた。。
◇◇◇◇◇
官舎に戻る頃には、夕方になっていた。
長い影法師が入口辺りまで伸びているのを見つける。
エルナンスが花壇に水をやっていた。
いつの間に出来たのだろうか。
ヴォルフが着任した頃にはなかったものだ。
「エルナンス……。その花壇は?」
まだ花こそは咲いていなかったが、青葉が開き、雫を滴らせている。
「す、すいません。その……実は、セラネさんが」
「セラネが……」
きっかけはセラネが官舎の近くに花を植えたいという申し出から始まったらしい。
最初は、彼女だけが世話をしていたのだが、それを見たエルナンスが手を入れ、さらに団員が加わり、気がつけば当番制にして騎士団全員で管理することとなった。
参加する団員が増えるたびに、花の種類も増え、どんどん花壇が大きくなっていった、とエルナンスは説明する。
「セラネは、なんで花なんて植えようとしたんだろうな」
「大好きな人にあげたいっていってました。それを他の団員が話したら、興味をもったらしくって」
「なるほどな。自分にもらえるように花の種類を増やしたのか」
「そのようです」
思わず苦笑してしまった。
水やりを終えると、エルナンスは上司に向き直る。
「セラネ……。戻ってきますよね」
不安そうな新米騎士の肩を叩く。
安心させるようにヴォルフは笑った。
「ああ……。大丈夫だよ」
ヴォルフは官舎へと戻っていく。
横から差し込む黄昏の光が、【剣狼】の険しい表情を映し出していた。
誠に申し訳ありません。
今後このようなことがないように気をつけます。








