第52話 おっさん、大事なものを見られる。
(概ね)ヴォルフvsセラネです。
セラネ・レヴィタンについて知っていることは少ない。
騎士団では数少ない女性団員。
その序列は下の上。
独特の歩法を使い敵を攪乱。
死角から攻撃し、相手に致命的な一撃を入れる。
速さはあるが、パワーはない。
明らかにスピード重視の騎士。
本人も自覚しているらしく、鉄の鎧は好まず、いつも皮や軽木を使った防具を装備していた。
ラムニラ教の敬虔な信者であり、その司祭マノルフとは知人。
特に彼女は、彼のことを信奉している節がある。
1度、彼女について他の団員に話を聞いた。
意外――というほどでもないのだが、まず隠れファンが多い。
一見無表情で、愛想の1つもないのだが、クールな雰囲気が、たまらないと密かに人気を集めている。
それに彼女が飯当番になった時の料理が美味いという。
裁縫が上手く、女子団員の中には破れた下着を繕ってくれて助かったというものもいた。
実直で、優しい――そうであってほしいと望むものも多い。
人目を避けているように見える彼女は、その実、団員から1番眼をかけられている。本人の知らないところで、だ。
ヴォルフが知ることといえば、これぐらいだった。
だが、おそらく目の前にいる彼女を知るものはいない。
少なくとも、ヴォルフは知らなかった。
「セラ――」
声をかけようとした瞬間、セラネは走った。
真っ直ぐヴォルフに向かってくる。
(速い……!!)
競技会で見せる速さとはまるで違う。
強さのレベルを2、3段ほど上げたような感じだ。
キュッと、袖の中から出てきたのは短いナイフだった。
それを両手に握っている。
「(双剣使いか!)」
ヴォルフは無意識に柄に手を掛けたが、すぐに手を離した。
どんな事情があれ、セラネは騎士団員だ。
傷つけるわけにはいかない。
2つの剣閃が月夜に光る。
ヴォルフは紙一重で避けた。
だが、一瞬剣が速い。
その頬に一条の血の線が引かれる。
傷は【時限回復】によって、すぐさま回復した。
セラネは一旦引く。
初撃をかわされて、怯んだのか。
何か様子を伺っていた。
一瞬の邂逅だったが、色々と合点がいく。
競技会から、不思議に思っていたのだ。
明らかに使い慣れていないショートソード。
速さは並だが、無駄のない足運び。
何よりも、癖と思われる【無音歩行】……。
武器を変え、実力をセーブし、己を偽装した高位クラスの暗殺者であるというなら、得心がいく。
わからないのは、彼女の目的だ。
どう――ひいき目に見ても、セラネはムラド王を暗殺しようとしていた。
「セラネ……。お前を傷つけたくない。今からでも遅くはない。事情を聞かせてくれ。俺に出来ることなら、なんでもするから」
「何故ですか?」
「決まってる! 仲間のお前が心配なんだ!」
客将ではあるが、ヴォルフは騎士団の1人だ。
例え彼女が新米であっても、女性であろうとも、仲間の身を案ずるのは当然と考えた。
手を開き、戦闘の意志がないことを示しながら、ヴォルフは素直に打ち明ける。
一方、セラネは少し顎を上げて、尋ねた。
「なんで毒が効かないんですか?」
絶句する。
大きく見開いた瞳で、セラネが持つナイフを見つめた。
ポタポタと滴った液体が、月明かりを受け黒光りしている。
黒い井戸に突き落とされた気分だった。
セラネは迷うことなく、ヴォルフを殺そうとしていたのだ。
ぐっと奥歯を噛んだ。
沸き上がった怒りは、目の前にいる暗殺者に向けてではない。
セラネの裏にいる黒幕。つまりは依頼者だ。
賭けてもいいが、王を誅する意志は彼女にはない。
何か特別な気持ちがある者は、何かしらの感情に強く囚われる。
あの【勇者】ですら、己の心情を制御できず、引退した冒険者の前に敗れ去った。
しかし、セラネからは心が感じられない。
まるで根野菜でも切るかのように、人を殺そうとしている。
仲間の心情を操り、不道徳な道へと向かわせ、自分は何も手を下さない。
そんな人間を、ヴォルフはもっとも忌み嫌った。
気を取り直す。
1度、気持ちをクリアにした。
心が乱れれば、いくらヴォルフでも負ける。
セラネはそれほどの実力者だった。
「悪いな。心配性の娘のおかげで、毒は効かないんだ」
確証はないが、レミニアによる毒耐性強化のおかげとしか考えられなかった。
「そっちがその気なら、意地になってでも、お前から事情を聞き出すぞ」
ヴォルフは構えた。
いまだ無刀だ。
それでも気迫を漲らせる。
セラネは客将を一瞥した後、あろうことかナイフを下ろした。
すると、くるりと背を向ける。
退却を始めた。
「なっ!!」
ヴォルフは慌てて追いかける。
再び月夜の逃走劇は始まった。
セラネは王宮ルドルムの城壁を越える。
王都北西にある森林地帯に逃げ込んだ。
ここは公園になっていて、誰でも入ることができる。
だが、今は戒厳令のもと、人っ子1人いない。
篝火も焚かれず、背の高い木の下は真っ暗になっていた。
行方をくらますのには絶好の場所だろう。
だが、ヴォルフはついていく。
セラネも木々を正確に見極め、最小限の動きで、森林の中を駆け抜けた。
「あいつ、この闇の中でも動けるのか?」
夜目が利くというレベルではない。
古来より森林に住み、その特徴として夜行を得意とするエルフでも、ああも見事に走ることはできない。
木の根、ちょっとした起伏を正確に捉え、地を蹴った。
ヴォルフも負けてはいない。
目の良さなら自信がある
こっちには【大勇者】の加護があるのだ。
なかなか離れない客将に、セラネは焦りを感じ始めた。
些細なミスが重なる。
ちょっとした凹凸に足を取られるだけで、ヴォルフとの距離がぐんと縮まった。
それが彼女を一層焦らせる。
あと2歩に迫った時、とうとう彼女は転回した。
素早くナイフを取り出す。再びヴォルフに襲いかかった。
先ほどとは違うナイフの軌道。
だが、スピードがいささか衰えていた。
ヴォルフは正確に見切る。
ナイフを掴む拳ごと握った。
「捕まえたぞ、じゃじゃ馬!」
ヴォルフは息を吐く。
対するセラネの顔には、汗が浮かんでいた。
表情にも感情が表れている。
【勇者】を打倒した男とわかっていても、これほどの身体能力とは想定していなかったのだろう。
ヴォルフもまた不思議に思っていた。
この闇の中で、セラネがこれほど自由に動ける理由。
それは接敵してみて、初めてわかった。
セラネの目だ。
闇の中でも赤く光る瞳。
さらに人とは明らかに虹彩の形状が違う。
どちらかといえば、蛇に近い。
ヴォルフはハッと気づいた。
「お前、獣人だったのか?」
「――――!」
特徴的な瞳が大きく見開く。
すると、彼女はヴォルフの膝を蹴った。
その反動を利用して、宙返りする。
顎に向かってきた蹴りを、ヴォルフは寸前のところでかわした。
反射的に手を離してしまい、相手に距離を取られる。
セラネは激しく動揺していた。
再び直線上に向かってくる。
単調な動きに、ヴォルフは無意識にカウンターを狙った。
そっと抱くだけで壊れてしまいそうな痩躯に、ヴォルフのボディブローが突き刺さる。
「あ。すまん……」
ヴォルフは思わず謝ったが、時すでに遅しだった。
想像以上の衝撃にセラネは意識を失う。
抵抗する意志を最後まで見せつけるかのように、ヴォルフの方へと傾いた。
◇◇◇◇◇
「王を殺しなさい、セラネ」
マノルフは穏やかに言った。
まるで子供にお使いでも頼むかのように。
それが、セラネに一層恐怖を煽った。
やがて作戦を伝える。
今日、騎士団が失踪事件の警戒のため王都の警備任務につく。
セラネもそれに参加し、適当なところで騎士団から離脱。
手薄になった王宮に潜入し、寝所に潜り込んで暗殺するというものだった。
非常に困難な任務だった。
騎士団がいないとはいえ、王宮に入るのは至難の業だ。
だが、彼女は潜入任務の合間に、王宮の構造を調べていた。
王の寝所もわかっている。
最短ルートは頭に入っていた。
しかし――。
「本当にムラド王を殺してしまってもいいのでしょうか?」
王は民に慕われている。
革命を起こされるほどの失政はあったかもしれない。
だが、反省し、職務に邁進していると聞く。
約束された戦後補償の整備も着々と進んでいた。
今、ムラド王を殺すのは、この国にとって大変な損失になるかもしれない。
「聖天は何者にも平等なのです。王とは不平等の権化。聖天の下、裁かれなければなりません」
「ですが……。ムラド王は敬虔な信者で――」
マノルフは側にあった椅子を蹴っ飛ばす。
そのままセラネの足下にまで転がった。
「あの者は聖天への供物を断ったのです!」
マノルフはムラド王に、ラムニラ教の慈善事業費の予算の増額を迫った。
革命で亡くなった多くの信者を手厚く葬りたいと……。
すんなり話が通ると思っていた。
ムラドは敬虔な信者。マノルフにも心酔している。
だが、王は断った。
紛争被害者に対する補償は、別の予算で行う、と。
それどころか王は膨れ上がる国家支出を抑制するために、慈善事業費の見直しを行いたいと申し出てきた。
ムラドは断腸の思いだといった。
マノルフはその場では取り繕ったが、内心では腸が煮えくりかえっていた。
そしてすぐにセラネを呼び、暗殺を命じた。
「世界に王などいらない。必要なのは、聖天の慈悲なのです。さあ、行きなさい、セラネ。それがあなたが積める善行です」
マノルフは爪を噛みながら、くつくつと笑う。
セラネは項垂れた。
短刀を握る。
納得はしていない。
でも、やらなければならない。
セラネにとって、マノルフは神なのだから。
◇◇◇◇◇
セラネは目を覚ました。
見知らぬ天井かと思いきや、すぐ見覚えある物だと気づいた。
周りを見渡す。
味気のない白い壁。官給の調度品。自身が寝ている寝具とシーツの色まで、自分が寝泊まりしている官舎と同じものだった。
違うとすれば、においぐらいだろう。
酒と汗のにおい。
歳をとった男の匂いだ。
俗に言う加齢臭が、寝具にこびりついていた。
もっと状況を確認しようと身体を動かそうとする。
捻った瞬間、手首と足首に違和感を感じた。
寝具の四隅に縫いつけられるかのように縄で縛られていたのだ。
服は黒装束のまま。
乱暴された形跡は見当たらないが、まだ鳩尾の辺りに鈍い痛みが残っていた。
「気が付いたか?」
目と首だけを動かす。
椅子の背もたれの方をセラネの方に向けて、ヴォルフが座っていた。
ここは、と尋ねる必要はなくなる。
おそらくヴォルフの部屋なのだろう。
そして、彼が今からすることもわかっている。
自分を拷問し、何をしようとしていたのか、自白させるつもりだ。
「セラネ、頼みがある」
ほら、きた……。
セラネは横を向いた。
目を閉じ、黙秘を貫く覚悟を決める。
何があっても口を開くつもりはなかった。
しかし、客将は、意外な言葉をかける。
「よし。そのままな。そのままでいてくれ」
「(は?)」
心の底に疑問がすとんと落ちる。
薄く目を開けた。
ヴォルフが椅子からそっと立ち上がるのが見えた。
きっとこの後、自分に近づいてきて、暴行を加えながら、自白を強要するつもりなのだろう。
しかし、立ち上がった客将の姿を見て、セラネは思わず目を剥いた。
下着をはいていない。
男の一物が、その……。
ぶらっと…………。
セラネの顔がまるで活火山のようにみるみる赤くなる。
気付いたヴォルフもまた目を剥いた。
「ちょ、ちょっと! だから、こっちを見るな! 今から下着をかえるから!!」
セラネではなく、ヴォルフの悲鳴が部屋に突き刺さるのだった。
なんてひどい話だ(呆れ)。








