第47話 軍師は去らず、ただ魂を残すのみ
言い忘れたのですが、今回のレミニアパートは、
いつもより長めでお送りします。
戦地に辿り着くと、途端に空気が変化した。
それは雰囲気という意味ではなく、文字通りにおいが変わったのである。
血、そして何かが腐ったような戦場特有の匂い。
使われた火薬の量も半端なものではなかったのだろう。
硝煙の臭いが地面にまでこびり付いている。
周りを見れば、一面草原が広がっているだけなのに、そこかしこには今だ回収されていない遺体が転がり、錆びた武具が突き刺さったままだった。
その中に、移動式の大きなテントがいくつも並んでいた。
簡易の馬防柵が張り巡らされ、複数の国の旗が揺らめいている。
人類連合軍による遺体の回収部隊だろう。
魔獣戦線が終わって、すでに50日以上が経っているが、いまだに遺体の全回収は済んでいない。
本格的な夏期を迎える前にと考えているが、120万名もの遺体を回収するのは、並大抵の作業ではなかった。
レミニアが顔を出すと、司令官代理が出てきた。
遺体回収部隊の責任者だから、きっと青白い顔をした幽霊のような男だろうと想像したが、出てきたのは若い好青年だった。
一通り挨拶したところで、若い司令官はルーハスを見て、口元をほころばせた。
「ルーハス様! レクセニルで革命を起こしたとお聞きしましたが、王のお許しはもらえたのですね」
思わずルーハスの二の腕を掴み、無邪気に喜ぶ。
2人の様子を見ながら、レミニアは「知り合い?」と尋ねた。
「戦友だ。若いが頭が切れる」
「あ、ありがとうございます、ルーハス様。また同じ戦地で戦いたいものです」
「……ああ」
すると、ルーハスはくるりと背を向けた。
野営地を出て、とぼとぼと歩いて行く。
白尾のように伸びた髪が揺れるのを見ながら、司令官の眉は八の字を描いた。
「やはり、まだ……。心の整理がついておられないのか」
「それって、ルーハスの恋人のこと?」
レミニアが尋ねると、司令官は向き直って頷いた。
「はい……。ルネット殿はともかく、ルーハス殿は深く愛しておられたので」
「ふーん」
寂しそうな【勇者】の背中を、レミニアは眺めるのだった。
◇◇◇◇◇
北の肌寒い風が、ルーハスの白い髪を揺らす。
視線を落とすと、腐乱した遺体が草原に横たわっていた。
装備からして女性。しかも貴重な治療師だ。
落ちくぼんだ眼下を、灰色の空へと向けている。
雨でも降るのだろうか。
空気が湿っているように感じた。
北の戦地。
治療師というわけではなかったが、女性の冒険者。
戦地の呪われた空気は幾分緩んだにせよ、鼻腔に残った地獄の匂いは消せない。
そしてどうしても思い出す。
最愛の人のことを……。
つと何かが地を蹴ったような気がした。
恋人の足音に似た音に、ルーハスは思わず後ろを振り向く。
大きな影が【勇者】に覆い被さった。
現れたのは、獰猛な牙と顎門。
爪の付いた四つの足。
赤く光った虹彩のない瞳だった。
(デーモンドグス……!!)
ルーハスは気付く。
モンスターの種類にではない。
すでに自分がキルゾーンに踏み込んでいたことをだ。
どうして気付かなかった。
いや、違う。
身体が気付くことを拒否した……。
光霊の矢!!
力強い響きが、すぐ近くから聞こえた。
光が閃いた瞬間、赤黒い肌を持つ魔獣の身体を光の矢が貫く。
放った勢いは止まらず、そのままデーモンドグスは草原に叩きつけられ、消滅した。
「何、ボサッとしてるのよ」
赤い髪を乱し、レミニアが立っていた。
眉間に皺を寄せ、大股で近づいてくる。
「自分の任務を忘れたのかしら。護衛が助けられてどうするのよ?」
「ふん。だったら、お前の『勇者』を連れてくればいいだろ?」
レミニアは腰に手を当てる。
燃え上がるような赤い瞳で、勇者を睨み、やがて深く息を吐いた。
「そんなに恋人と死に別れた戦地はつらい?」
ルーハスの目の色が変わる。
どこか自嘲するような笑みは消え、小さな【大勇者】を睨み返した。
「そう思うのであれば、何故俺をこんなところに連れてきた」
「必要だったからよ。あなたにも、わたしにもね」
レミニアは側にあった骸に跪く。
指を組み、祝詞をあげた。
聞いたことがない言葉だ。おそらく民間信仰だろう。
すると、彼女の後ろについていた回収部隊が、慎重に遺体を袋に入れる。
2人に礼をし、野営地の方へと戻っていった。
「1度来たかったのよ。いや、来るべき場所だと思った。死者を弔う意味でも」
「墓参りのつもりか。戦士の魂を尊ぶぐらいなら、お前も参戦すれば良かったのだ、【大勇者】。そうすれば――」
「ルネットさんは死ななかった?」
「――――ッ!」
「そうかもね……」
レミニアは認める。
弾かれるようにルーハスは顔を上げた。
娘は草原の海を歩いていく。
「どこへ行く?」
「護衛なんでしょ? 黙ってついてくればいい。そうすれば、ご褒美を上げるわ」
首だけを動かし、悪戯っぽく笑う。
小さな背中にハシリーが付いていく。
さらにミケが。
九尾の猫は1度、ルーハスに振り返る。
猫の瞳はどこか哀れんでいるように見えた。
だが、本質は違う。
ミケも同じだからだ。
大切なものを失ったもの同士。何か通じるところがあるのだろう。
しかし、何も声をかけず、ミケは地を蹴る。
ぽつんと1人になったルーハスは、とうとうの1歩を踏みだした。
◇◇◇◇◇
【軍師】ルネット・リーエルフォンの最後の用兵は、自分を囮にした魔獣の殲滅作戦だった。
人材が限られている中で、彼女は1人で陽動を引き受け、魔獣を集め、他の五英傑の対軍魔法、対城スキルを使う隙を作る。
本来、彼女はギリギリで生き残る算段だった。
しかし、その用兵は失敗する。
ルネット以外の人間は生き延びたが、ルネットのみが戦死するという残念な結果に終わった。
もっと人がいれば……。
もっと強ければ……。
恋人は生きていたかもしれない。
その後悔がルーハスを革命の道へと追いやることとなった。
「ルネットさんが死んだのはこの辺りかしら」
ルーハスが立ち止まるのを見て、レミニアは尋ねた。
【勇者】は何もいわなかった。しかし、図星らしい。
一見、何の変哲もない草原。
ここで天下分け目の出来事が起こったとは思えないほど、凡庸な土地だ。
だが、よく見ると、大きく窪んだ土地の真ん中であることに気付く。
さらに、両幅には何か切り取られたような断崖の絶壁があった。
凄まじいエネルギーの放出があったことは、明らかだ。
レミニアはまた屈む。
また祈るのかと思ったが、そうではない。
キィン、と硬質な音が円状に広がっていった。
おそらく探査魔法だろう。
「嬢ちゃん、何を探してるにゃ?」
ミケが耳を掻きながら、尋ねる。
すると、レミニアは何か取り憑かれたように歩き出した。
再び屈むと、今度は地面を掘り始める。
しばらくして「あった」と叫んだ。
レミニアが掘り起こしたのは、綺麗な青い宝石だった。
「それってもしかして、魂魄石ですか?」
「さすが我が秘書ね」
にやりと笑う。
魂魄石とは、人間の魂や意志を定着させることが出来るレアアイテムだ。
だが、簡単に扱えるものではない。
肉体と魂を分離させるのにも、一定のスキルが必要になる。しかし、成功すれば未来永劫石の中に魂を定着させることが可能で、死神すらその構造を破壊できないといわれている。
本来、【乗っ取り】や【憑依】スキルが得意な【呪霊士】などが、術式の失敗で元の身体に戻れない時に、一時的に魂を保管しておくために開発されたものだ。
ルーハスはよく目を凝らした。
石の中には薄青い炎が燃えている。
息を飲んだ。
「まさか――――」
「ええ……。そうよ、ルーハス。この魂こそ、ルネット・リーエルフォンよ」
一同は言葉を失う。
ただ北の風が吹き、潮騒のような音を立てて、短い草が揺れる。
やがて、レミニアは語り始めた。
「わたしはルネットのことを知らないわ。だが、彼女がやった用兵について調べたことがある。はっきりいって、天才ね。誇って良いわ。この大天才に天才といわしめるのだから」
だから、レミニアはルネットの最後の用兵に疑問を持った。
彼女の用兵は、すべて自己犠牲が伴わないものだ。
すべての作戦において、決して命を犠牲にしない選択をしている。
むろん、戦争故に兵が命を散らす場面もあるが、彼女の場合絶対に無駄な命を落とさせるようなことはしていない。
そんなルネットが、最後の最後に自分を犠牲にした差配を振るった。
死ぬかもしれないというリスクをあえて犯したのだ。
人材の不足、窮地、そして己の命。
その極限状態の中で、自己犠牲というカードを引かなければならないという結論に至ったのかもしれない。
しかし、彼女を調べるうちに、一ファンとなったレミニアには、納得できなかった。何か違和感のようなものがあったのだ。
ようやく、ここに来て、答えを得ることができた。
ルネットは死んでいない。
この魂魄石の中で、生き続けているのだ。
「大したものね、あんたの恋人は……。最後の最後まで、生を諦めていなかった。なのに、あなたときたらどうかしら? 恋人を失う悲しみのあまり自暴自棄になって、挙げ句革命まで起こしてしまった。一定の評価が出来る後者はともかく、自分の命を軽く考えるなんて、救ってもらった人間に対する冒涜だとは思わない?」
まくし立てる。
ルーハスは聞いているのか聞いていないのかわからなかった。
ただレミニアが掲げる石をじっと見つめている。
やがて抱擁を誘うように両手を広げた。
しかし、レミニアは石をルーハスから遠ざける。
「それに、わたしが知るルネットは、絶対――今のあんたの顔を見たくないわよ」
「頼む。少しでいい。もっとよく見せてくれ!」
「……いや」
「レミニア。そんな意地悪をしないで下さい。折角の恋人同士の対面なんですよ」
ハシリーが間に入るが、レミニアは首を振った。
「恋人同士の対面というなら、こんな石っころを触るよりも、ちゃんとした人肌である方がいいじゃないの?」
「何をいっているんです。彼女の肉体は消滅してしまったんですよ」
消滅というよりは、魔獣によってボロボロに引き裂かれたという方が正しい。
ルネットの身体は、胃袋の中か、土の中にしかない。
「その身体を再生できるといったらどう?」
「おいおい、嬢ちゃん。……冗談いうなよ。死んだ人間を生き返らせるなんて」
ミケがピンと九尾を立て、反論する。
一方、レミニアは大真面目に言い放った。
「確かに……。さしもの【大勇者】ちゃんも、人を生き返らせることは出来ない。だが、器を用意することはできる」
「それって、肉体を用意できるということですか?」
「完全とはいかないけどね……。そしてここにはルネットの魂がある」
「蘇生……できるというのか。ルネットを……」
ルーハスは立ちつくしたまま呟く。
【勇者】が驚く姿を見て、レミニアは満足げに笑った。
「わたしを誰だと思ってるのよ」
大きな胸を張るのだった。
次回『北の奇跡』です。








