第46話 北の戦場にて……。
再開します。
新章『北の奇跡篇』をお楽しみ下さい。
「レミニア、入るぞー」
ヴォルフは断りを入れると、扉を開けた。
まずはじめに出迎えたのは、娘のとびきりの笑顔ではない。
初夏の熱気だ。
換気がされていないのだろう。
窓が閉まったままだった。
手うちわで首の辺りをパタパタと仰ぎながら、ヴォルフは中に入る。
1歩、2歩と踏み込むも、娘の姿は確認できなかった。
人の気配がない代わりにあったのは、たくさんの魔導器類だ。
いくつも並んだガラスの瓶。
細い管のようなものが、何本も並んでいる。
蒸留器を思わせるような大きな銅製の鍋からはいくつもの管が出て、部屋の隅々にまで伸びていた。
部屋の奥にあるのは、特別な実験室だろう。
強固なミスリルの壁に覆われ、さらに魔法陣が描かれている。
初めて来た時と風景が一変していた。
おそらくこれが娘が望んだ実験室なのだろうということは、推測は出来たのだが、当人の姿は影も形もない。
手に持った純結晶をテーブルに置き、自身も側にあった椅子に腰掛けた。
「レミニアはまだ北か……」
ほっと息を吐き出す。
顎を上げ、窓の外へと視線を向けた。
◇◇◇◇◇
真っ直ぐ伸びた轍を1台の馬車が進んでいた。
周りは一面草原だ。
足首程度しかない草が、地平線まで広がっている。
風が吹くと、緑色の海が白波のように光った。
野生の牛がもそもそと草を食み、野鳥が小さな水たまりを摘まんでいる。
王都では観られない自然の情景だった。
だが、胸がすくような姿だけではない。
草原にはいくつもの大穴が空いていた。
何か爆発したような跡だ。
すでに繁殖力の強い雑草が占拠していたが、周りの地形から考えても不自然さはぬぐえない。
かと思えば、白く斑点のようになっている場所もある。
草がまるで白骨化したように白くなっているのだ。
風が吹いてもそよぐことはない。
まるで呪いに見えた。
ここで戦闘があったことは、一目瞭然だった。
しかも単なる小競り合いというレベルではない。
戦争クラスの大規模な戦闘であったことの証左であろう。
やたらがっしりした木製の客車。
3つ付属された窓の1つが開く。
出てきたのは、まだ可愛らしい顔の少女だった。
初夏とは思えない肌寒い空気が、赤い髪を梳かす。
ふわりと舞い上がると、まるで馬車が燃えているように見えた。
「うーん。……レクセニルがもう見えないわ」
レミニアは目をこらす。
客車に座ったままハシリーは眉をぴくりと動かした。
「この光景を見て、出てきた言葉がそれですか」
「だってー。折角、パパがレクセニルにいるのに出張なんて……。実験器材だってようやく届いたのに」
「その出張を決めたのは、あなたじゃないですか、上司」
「そうだけどさー」
「それにヴォルフ殿と一緒にいたいなら、護衛役に彼を指名すれば良かったんです。革命によって予算を削られたとはいえ、冒険者1人の給金なら余裕で出せますよ」
「むー。……それはダメ」
レミニアは窓から首を引っ込め、座り直す。
むぅ、と頬を膨らませ、そのまま視線を外へ向けた。
すねたような上司を見て、ハシリーはため息を吐き出す。
同じやりとりは北へ向かう馬車で何度と行ってきた。
しかし、一向にレミニアは理由をはっきりさせようとはしない。
折角、父親が王都にいるのだ。
パパ大好きの【大勇者】にとって、護衛役を頼まない手はないだろう。
「(まあ、レミニアのことだから、ヴォルフさんを危険にさらしたくないとかそんな理由でしょう。……自分で化け物を作っておいて、何を心配しているのか知りませんけど)」
そのレミニアが選んだ護衛役はハシリーを除けば、1人と1匹。
1匹とは、ハシリーの上司が選んだわけではなく、推薦だ。
名をミケという。
ヴォルフが契約している幻獣リンクス。
元はあの伝説の雷獣使い――ロカロ・ヴィストと契約し、今もなお幻獣最強といわれた【雷王】である。
しかし、普段の姿を見る限りでは、単なる大きな猫だった。
今も、客車に差し込んでくる陽光の下、寝そべっている。
時々、九つに別れた尻尾を動かし、気持ちよさそうに鼻提灯を膨らませていた。
ヴォルフは自分が護衛についていけないので、娘にミケを押しつけたのだ。
「(とはいえ、レミニアには必要ないとは思いますけどね)」
ハシリーの上司はいうまでもなく【大勇者】の称号を持つ。
ポテンシャルが人とは違うのだ。
にも関わらず、レミニアは護衛役を欲した。
それがもう1人の人物だ。
今、その彼は椅子に座り、長い足を組んでいる。
たくましい腕の先に本を広げ、濃い青眼は熱心に文字を追っていた。
柔らかく白い長髪は、馬車が轍に出来たくぼみにはまる度に揺れている。
ルーハス・セヴァット。
かつて五英傑【勇者】の称号を持ち、今は革命を主導した叛逆人として、王廷裁判の結果を待つ身だ。
王宮ルドルムの最下層にある牢獄に囚われている犯罪者である。
そんな人間をレミニアは、ヴォルフとともに王を守った功績を理由に、この出張期間のみ自分の護衛とし同行させる許可を、ムラドから直々に賜った。
むろん反発もあったが、想定していたよりも少なかった。
汚職貴族のほとんどがいなくなった今、ルーハスに同情する声は王宮内でも少なくはない。
王都からも毎日のように請願書が届けられている。
加熱するルーハスの同情論を一旦冷やす意味でも、彼を牢獄から解き放ち、任務に当たらせる意味はあると、冷静に判断するものもいた。
その1人がハシリーだ。
「(それにしても、さすがは【勇者】……。自分が政治的にどんな立場に置かれているかわかっているはずなのに、堂々としているものですね)」
改めて、ルーハスの方を見やる。
彼が今、手にしているのはレミニアの母が書いた遺稿だ。
本来、機密扱いになっているのだが、レミニア自身が閲覧する許可を出した。
「随分と熱心に読んでるけど、気に入ってくれたのかしら」
ルーハスは目線を上げた。
虫を捕まえた子供みたいに、レミニアは満面の笑みを浮かべている。
一旦、本を閉じ、表題を見ながら勇者はいった。
「興味深くはある。仮説ではあるが、現状魔獣の正体に1番近い理論だろう。この【二重世界理論】は」
二重世界理論。
人間は他人がいて、初めて観測し、その存在が証明できるように、世界もまた2つあって、初めてお互いを知覚できるのではないかというものだ。
故にレミニアの母は、魔獣がもう1つの世界の生物である、と主張している。
ストラバールとエミルリア(遺稿の中で書かれているもう1つの世界名)は、元は1つの世界だったが、ある事件をきっかけに2つの世界に割れた。分断して以降も、その境界がはっきりしないため、時々エミルリアで生まれるはずの魔獣が、ストラバールに出現するのだという。
これが魔獣がランダムに出現することのもっとも有力な仮説だといわれていた。
「でしょ!」
「お前が得意がることはないだろ? 書いたのは、お前の母だ」
「まあね。でも、わたしの考えていることはもっと凄いわ」
「この注釈とやらにあるエネルギー体のことか」
世界を二分するためには、膨大なエネルギーが必要だ。
レミニアがレクセニルに来たのも、そのエネルギーの解明、そして証明だった。
「本当にあるのか?」
「少なくともわたしは信じているわ。そもそもそうでなければ、世界は2つに割れなかった」
「二重世界理論もまだ確立されたものではないのにか?」
「そこに書いてあったと思うけど、わたしたちと魔獣の生物的な性能はほぼ同じよ。そもそも本当に別世界の生物であるなら、ストラバールの大気や水に順応できたか怪しいしね。元は同じ世界の生物だったと考える方が自然だと思うけど」
研究者は毅然と論破する。
さすがの勇者も反論できず、誤魔化すようにまた本を開いた。
レミニアの注釈には、こう書かれてある。
200年前、そのエネルギーは突如として減衰を始めた。
ストラバールとエミルリアを支えていた支柱が崩れたのだ。
脆くなった天井から瓦礫が落ち、魔獣となって我々に襲いかかってきた。
何故、力が減衰したのかは不明。
時間的なものか、もしくは外的な要因かはわからない。
1ついえることは、もしこれを放置し、柱が崩壊すれば……。
人類は間違いなく滅びるだろう。
これまで終末論はいくつかの宗教や民俗信仰で囁かれ続けてきた。
だが、これほど理路整然とした人類の滅亡を予見したものは少ない。
レミニアはこの人類の終末を、12歳の頃から提唱していた。
そして様々な幸運が重なり、今レクセニル王国の主任研究員として働くことになったのである。
「人類を救う手立ては1つ。そのエネルギー体――賢者の石を探し出すことよ」
だから、レミニアはここに来た。
北方の国――旧ラルシェン王国より、さらに北。
計120万人の命が失われた魔獣戦線。
人類にとっての因縁の地に、【大勇者】は踏み込もうとしていた。
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