第36話 【勇者】VS【伝説】
ここまで読んでくれた読者方々にただ報いる。
階下で爆発音が響いた。
黒煙が王都の東に向かってたなびく。
魔法が使えない状況であるため、誰かが火薬を使ったのだろう。
王宮の周囲は、紅々と炎が揺らめき、夜天は煙に覆われていた。
あちこちで鬨の声が響き、同時に剣を交える音が聞こえる。
漂う空気は、戦争そのものだった。
そんな中、雪の精霊のように佇む男は、ヴォルフの前に立ちはだかる。
刀を返し、 闖入した冒険者を濃い青眼で睨んだ。
「生きていたのか、ヴォルフ・ミッドレス」
「おかげさまでな。優しい勇者様が手心を加えてくれたらしい」
「ふん……。で、何をしにきた? よもや俺と戦うというのではないだろうな」
ヴォルフはレミニアを背にした状態のまま、拳を強く握り込んだ。
脳裏に敗北の瞬間がよぎる。
そう。ヴォルフは1度ルーハスに負けている。
身体的能力。技術。戦略。
刀の性能が同じでも、その他の面ですべてルーハスが上だった。
たとえ、レミニアの強化魔法が切れず、あのまま刀を振れたとしても、勝てたかどうかわからない。
それほど、五英傑【勇者】ルーハス・セヴァットの背中は遠い。
まして、今のヴォルフには強化魔法がかかっていない。
【魔封の霧】の影響で、今からレミニアに頼むのも不可能だ。
己の身1つで挑まなければならない。
はっきり言うが、自殺行為に等しい。
それでも、ヴォルフが娘の前から立ち退くことはなかった。
「そうだ。ルーハス……。俺の後ろには、娘がいる。退くことはありえない。たとえ、あんたと戦うことになってもだ」
レミニアがヴォルフの勇者になると誓った日。
父も誓った。
娘の勇者になると……。
たとえ児戯に近い古ぼけた誓約であろうと、互いが本気である以上、違えるつもりはなかった。
殺気を向ける冒険者を見て、ルーハスはため息を吐く。
「貴様はわかっているのか。俺に剣を向けるということは、冒険者の総意を否定することでもある。レクセニルは長く生き過ぎ、熟しすぎた。老朽化しようとした国を、俺たちは作り替えようとしているだけだ」
「ルーハス、俺の自慢の1つはな。娘を抱きしめたことがあっても、手を上げたことがないことだ」
「は?」
「それでもレミニアは真っ直ぐ育ってくれた」
ヴォルフはちらりと娘に振り返る。
魔法が使えずとも、君主の側にあり、戦っていたレミニアを眩しそうに見つめた。
「もちろん、娘の素養は多分にあるだろう。でも、俺は……暴力によって人を正すことはないと信じている」
「何がいいたい?」
「国も同じだということだ。ひっぱたいたところで、お互いに残るのは虚しさしかない。ルーハス、お前が流した涙以上に、お前は多くの人を泣かせているんだぞ」
「綺麗事を……」
「そう思うのだったら、汚してみるがいい。俺はただ……それを止めるだけだ」
ヴォルフは腰を切る。
刀の柄に手をかけた。
「相容れないか……」
「残念に思うなら、退いてくれ」
ヴォルフは心底願った。
だが、その願いは虚しく、ルーハスが取った構えは、自分と同じく【居合い】だった。
両者の動きは鏡をあわせたかのように揃う。
同時に地を駆った。
空気が渦巻く。
瞬間、硬い金属音が弾けた。
お互いの刀身は、お互いの刀身によって止められる。
互角――いや、吹き飛ばされたのは、やはりヴォルフだった。
だが、すぐに体勢を整える。
着地を狙おうとしたルーハスの刀を、冷静に受け止めた。
今日の勇者は好戦的だった。
1度は倒した男だ。
様子見はいらない。
全力で潰しにかかる。
この勝負、長引けば不利なのはルーハスの方だ。
【魔封の霧】は便利だが、持続時間はあまり長くない。
まごまごしていると、魔法を封じられた【大勇者】の介入を許すことになる。
いかな【勇者】とて、レミニアとまともにはぶつかりたくなかった。
だから、早めにヴォルフを仕留める。
最初から全速全開で、ルーハスは刀を振るった。
対しヴォルフは防戦一方だった。
とにかく振り下ろされた刀を捌く。
自分のリソースをすべて防御に回して、ひたすら耐えた。
戦略も戦術もへったくれもない。
ただただヴォルフは、ルーハスの剣技を見続けた。
◇◇◇◇◇
「む……。うう……」
音に気付き、昏倒していたハシリーが目を覚ます。
顔を上げ、ぼんやりと視界に映る2人の男を認めた。
同じ刀をぶつけ、鍔迫り合いを演じている。
1人はルーハスだとわかったが、もう1人に驚いた。
レミニアの父ヴォルフが、【勇者】相手に互角に競っていたのだ。
「これはどういう……」
状況がさっぱり掴めない。
まだ夢を見ているとしか思えなかった。
ヴォルフは引退した身。
確かにレミニアの強化魔法で一時的とはいえ、無敵に近い力を手に入れた。
それでも【勇者】に追随できるとは思わない。
いや、そもそも【魔封の霧】は魔法の効果を打ち消すことも出来る。
ヴォルフには今、なんの強化魔法も施されていないということだ。
なのに、ルーハスと互角に戦えている。
奇跡でもなければ、ありえない。
「ハシリー、大丈夫?」
声が聞こえた。
いつの間にかレミニアが側に立っている。
その視線は父親に向けられたままだ。
「どういうことですか? ヴォルフさん、何故こんなところに? ……いや、それよりも――」
「どうして、勇者と互角に戦ってるかってこと?」
「そうです。あなた、また何かしたんですか?」
そうとしか考えられない。
だが、ハシリーの見立てからも、ヴォルフに何らかの強化魔法がかかっているようには見えない。
素で【勇者】にして、獣人のハーフであるルーハスと戦っている。
これが奇妙奇天烈といわずして、なんと言えばいいのだろうか。
「いつもいってるでしょ。わたしのパパは強いのよ」
レミニアはただ微笑を返した。
◇◇◇◇◇
おかしい……。
最初、変化に気付いたのは、ルーハスだった。
自分は獣人のハーフだ。
身体能力は、目の前の男など比べものにならないぐらい抜きん出ている。
斬撃の重さ、速さ――加えて、幾千もの戦地をくぐり抜け、学び、洗練された剣技と戦略は、確実に今目の前にいる引退した冒険者よりも、上のはずだ。
なのに、何故だ!?
何故、この男は生きている。
普通の冒険者なら、もう20度首を刎ねているはずなのに、今もなお抗っている。
歯を食いしばり、千の角度から振り下ろされる斬撃に耐えている。
不可思議だった。
瞬間、ルーハスの背筋が凍る。
ぞくりと蛇が這い回るような悪寒を感じた。
恐怖であることは明白だ。
だが、認めるわけにはいかない。
さらに勇者は速度を上げる。
一方、ヴォルフは慣れてきていた。
ルーハスの斬撃に――ではない。
あの日、ニカラスの近くの山林で、リーマットが見せた【パリィ】のスキル。
ヴォルフがやっているのは、それをトレースすることだった。
思いつきでやっているわけではない。
【灰食の熊殺し】戦でも、何度か試み、うまくいっている。他にもバルネンコの港での戦いや、複数の魔獣討伐にも使ったりしていた。
だが、ルーハスほどの高度な剣技の使い手は初めてだ。
故に最初はうまくいかなかった。
それが剣を交える内に、うまく捌けるようになってきた。
力なら向こうがうわてだ。
しかし、リーマットは強化されたヴォルフの剣を捌いていた。
つまり同じ事をやればいい。
そう結論付け、【パリィ】を選択した。
そして、ヴォルフもまた気付き始めていた。
ルーハスが焦っていることを。
初撃の頃よりも、斬撃が雑になってきている。
あらゆる角度やタイミングで打ち込んでいたのに、似た攻撃が多くなってきた。
「(来た……!)」
ヴォルフは内心で叫ぶ。
それはすでに10度に渡って、繰り出されたルーハスの斬技だった。
腰を切る。
ヴォルフはギリギリで見切ると、ルーハスの刀を初めて回避した。
【勇者】は激しく動揺する。
慌てて、手首を返し、連撃を加えようとした。
しかし、今まで食い入るようにルーハスの剣技を見続けていたヴォルフにとって、その振りはあまりにお粗末だった。
【カムイ】が空を滑る。
相手の連撃の出鼻をくじくと、上方向へと弾いた。
「――――ッ!!」
ルーハスは目を剥く。
初めて構えが崩れた。
まるで降伏でもするかのように万歳の体勢になる。
負ける……。
ルーハスはすでに自分の敗着を覚悟していた。
同時にめまぐるしく敗因を探る。
だが、どう考えてもわからなかった。
そもそも何が起こっているのかすら理解出来ていなかった。
もう【大勇者】の恩恵はない。
今、自分から勝利をもぎ取ろうとしている人物は、ただの引退した冒険者にすぎないはずだ。
なのに……。何故だ!?
ルーハスの上半身が傾く刹那、視界にある1人の少女が映っていた。
炎のように広がった赤い髪の下で、薄く微笑んでいる。
そうか……。貴様か、レミニア・ミッドレス!!
◇◇◇◇◇
世界がゆっくりとスローモーションになる中、ヴォルフは走っていた。
身体が軽い。
体内の奥底から力が漲ってくる。
この感覚は、前戦のルーハス戦でも感じていた。
1点不覚があったとすれば、レミニアの強化魔法が切れたあの一瞬。
実はあまり力の減衰は感じなかった。
ただ何かふっと力が抜けた感覚が超精密度の動きを狂わせた。
結果、道が見えなくなった。
だが、今ヴォルフには見えていた。
伝説に輝く道が……。
娘に強化された時と同じく、はっきりと勝利への道が浮かんでいた。
その道をなぞるように、ヴォルフは踏み込む。
いや……。
歩む。
1歩1歩、踏みしめるように。
顔を上げる
相手が体勢を崩しながらも刀を構えるのが見えた。
同時に娘の囁く声が耳朶を打つ。
「馬鹿ね。【大勇者】がパパの成長を強化しないわけないでしょ」
ヴォルフは渾身の力を込めて刀を振る。
ルーハスを斜めに切り裂いた。
瞬間、「コオオオオオンンンン!」という金属音が響く。
激しく空を切る音が聞こえると、何かがバルコニーの硬い石床に突き刺さった。
刀の切っ先が、遠くの炎の光を受けて揺らいでいるように見える。
ルーハスの【シン・カムイ】が真っ二つに斬られていた。
本人に怪我はない。
最後に彼を守ったのは、己を拒んだ刀匠の刀だった。
ルーハスから急激に殺意が消えていく。
膝から落ち、崩れ去った。
吐き捨てるようにこういう。
「殺せ……。お前の勝ちだ」
【勇者】の敗北宣言だった。
これが仕合であったなら、手を叩き、惜しみない賛辞が送られたであろう。
しかし、英傑とそれを敗った冒険者に送られたのは、冷水が滴るような沈黙だけだった。
「断る……」
ヴォルフは【カムイ】を鞘に納めた。
何故だ、とルーハスは顔を上げる。
「娘の前で殺生はしたくない」
「そうか。なら――」
ルーハスは残った刀身を首筋に当てようとした。
だが、ヴォルフは再び刀を抜き放つと、柄を狙って弾く。
折れた【シン・カムイ】は、煌々と光る王都の方へと消えていった。
ルーハスの手がだらりと垂れる。
ただ1つ息だけを吐いた。
「最愛の人を失い、国に復讐しようとするお前の気持ちはわかる」
「……!」
「だが、そうした人間は今の時代いくらでもいる。俺もそうだ。レミニアの母親を目の前で失った」
「だから、我慢しろというのか。皆一緒だから……。この耐え難い、深い絶望を享受しろと!! お前はそう言いたいのか?」
ルーハスの表情が初めて変わる。
白い顔を赤くし、心の中に怒りを満たし、ヴォルフに食い下がった。
歳を取った冒険者は、静かに首を振る。
「死んだ人間は2度と蘇らない」
「だから、国を壊すのは無意味だと? 違う。俺はルネットのような人間を出さないために動いたのだ! この腐りきった国のおかげで、命を摘むような出来事をなくすため」
「本当にそれがルネットが望んだことなのか? 思い出せ、ルーハス。あんたが愛したルネットは最後になんといった?」
「ルネットは……」
「最愛の人だったんだろう? その人の言葉を忘れるわけないはずだ」
ルーハスは頭を抱える。
濃い青眼が湖面に浮かんだ落ち葉のように揺れた。
ああ……。
なんといったか。
ルネットは……。
彼女はあの時、なんと言い残したのか。
ルーハス、この世界をお願いね……。
レクセニル軍が退き、増援も望めぬまま戦い続け、孤立した五英傑【軍師】の最後の言葉は、世界の命運を仲間に託すことだった。
ルーハスは顔を上げる。
青眼から涙の粒が溢れた。
煙で黒く染まった空を見上げ、天に昇った冒険者に呼びかけるように吠える。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
雄々しさすら感じる泣き声は、北で散った戦友たちへと届けられた。
【お願い】
書籍の1巻目ではおそらくこのお話までたどり着けないと思います。
このカッコいいヴォルフを挿絵付きで作者は是非とも楽しみたいと思っておりますので、
何卒初巻が刊行された暁には、お手にとっていただきますよう、よろしくお願いします。








