第3話 森の魔導士
静かなニカラス村が、再び騒然としていた。
大きな煙がたなびき、周辺では火の粉が舞う。
野次馬は火事ではないとわかると、心を静め、作業を見守った。
中心にいたのはヴォルフだ。
石炭を敷き詰めた炉の上に、釜が置かれている。
中に入っているのは、黄色くなるまで溶けた金属だ。
ふいごを使い、空気を送っていたヴォルフは、手を止め、慎重に鉄輪を使って釜を持ち上げる。
用意していた砂型へと流し込んだ。
「ふー」
一息つく。
口を覆っていた布を取ると真っ黒になっていた。
「ヴォルフおじさん、何をやってるの?」
村の子供が、不安半分好奇心半分といった目で尋ねてきた。
一旦手ぬぐいで顔の汗を拭う。
その顔はさらに真っ黒になり、ヴォルフが異人のように見えてしまった。
「剣を作り直しているんだよ」
「そんなことできるの?」
子供が質問すると、ヴォルフは大きく頷く。
今朝からベイウルフ戦で折れた銅の剣を作り直していた。
鍛冶仕事は慣れたものだ。
都にいた時、薬草採取のクエストが減る冬期に、内職で鍛冶場で働いていた。
冬期だけだったが、筋は良かったらしい。親方には何度も勧誘を受けたが、当時は今さら新しいことをしたいとは思わなかった。
それでも【鍛冶】のスキルはレベル2を持っている。
折れた剣を打ち直すぐらいなら造作もない。
時々、村の鋤や鍬も直している。
作業所もそのために作ったものだ。
だいぶ温度が下がったところで、型を外す。
現れたのは、まだ白っぽい刀身だ。ここから研ぎを入れると、銅らしい鮮やかな色に変わっていく。
「だけど、ヴォルフさん。わざわざ作り直すぐらいなら、行商人からもらった鋼の剣を使えばいいじゃないか」
村の人間に指摘される。
ヴォルフは癖毛を掻いた。
実は、あの後行商人から押しつけられるように鋼の剣をもらった。
助けてくれたお礼だというのだが、あんな高価なものをタダではもらえない。
だから、せめて買い取るぐらいのお金が貯まるまでは、家の角に仕舞っておくことにした。
けれど、いざとなれば鋼の剣の登板もありえる。
打ち直した金属はどうしても靱性が低い。
つまり脆いのだ。
この剣はすでに2回打ち直しを行った。
もしかしたら、早々に鋼の剣を使うことになるかもしれない。
◇◇◇◇◇
研ぎの工程も終わり、早速ヴォルフは新品のように綺麗になった銅の剣を腰に差し、ベイウルフを見つけた森へと向かった。
途中、薬草を採取しつつ、森の外縁に向かう。
崩れた塚を見つけると、ヴォルフは舌を鳴らした。
「やっぱり……。結界が壊れてる」
ベイウルフが現れた時から可能性は考えていた。
辺り一帯は結界によって、外からの魔獣の侵入を防いでいる。
結界内にもいるが、比較的弱く、無害なものがほとんどだ。
ベイウルフのようなC級魔獣は、外からやってきたとしか考えられなかった。
「弱ったな。こればっかりは俺でも直せないぞ」
剣を直せても、魔法関係はさっぱりだ。
基礎級ならある程度は使えるが、Lv1なんてその辺の主婦でも使える。蝋燭の炎程度の魔法と、一帯を守護する結界とは訳が違う。
村にいる引退した魔導士でも難しいだろう。
何せこの結界を張ったのは、【大勇者】の称号を持つレミニアなのだ。
「レミニアに頼むのもなあ……」
手紙でも書けばすっ飛んでくるだろう。
けれど、先日王都へたったばかりの娘に頼るのも気が引ける。
大人しくギルドに依頼することにした。
「レミニアは、そろそろ王都についた頃だろうか」
茂みの隙間から見える青い空にヴォルフは問いかけた。
◇◇◇◇◇
「そんなことをしても、村は見えませんよ」
ハシリーは持ってきた書類のページをめくる。
隣に座った15歳の娘は、座席の上で膝立ちになり、後ろの窓から村の方を見つめていた。
レミニアの秘書官となる女性が、そういうのも無理もない。
馬車はすでに村から2日経った街道上にある。
ニカラスの姿は影も形もなかった。
「だってぇ。パパのことが心配なんだもん」
「子供じゃあるまいし。ヴォルフ殿も大人なんですから。大丈夫ですよ」
「ちゃんとご飯食べてるかなぁ。下着も毎日、替えてるかしら」
「心配するところはそこですか。現在、ストラバールは魔獣という未知の生物の対応に困っているのですよ。明日、命を失ってもおかしくはないのに」
ハシリーは「あっ」と滑らせた口元を抑えた。
さすがに今のは言い過ぎだ。
余計心配させてしまうかもしれない。
予想に反し、レミニアの反応は乾いていた。
窓から目を離し、きちんと隣に座る。
「それは大丈夫よ、ハシリー」
自信満々にいう。
ハシリーは眉根を寄せた。
ヴォルフはDクラスの冒険者だ。
確かに村周辺の魔獣はEかFクラスだが、結界外はその限りではない。
それに敵は魔獣だけとは限らない。
野盗や冒険者崩れ。危険という例を挙げればキリがない。
「確かにパパはDクラスの冒険者よ。引退してからの方が真面目に鍛錬してるみたいだけど、劇的に強くなるなんてあり得ない。B……いいえ――同クラスのDでも、戦いや相性によっては命を落とすことになるかもしれない」
「では、その“大丈夫”という根拠はどこから来るんですか?」
「【大勇者】のわたしが、何も対策をせずにパパから離れると思う?」
レミニアはニヤリと笑う。
どこか小悪魔じみていた。
「まさか身体強化の魔法を施してきたのですか?」
レミニアは何も答えない。
でも、ハシリーの推測は正解しているのだろう。
【大勇者】が本気を出して施した強化魔法。
それを施されたDクラス冒険者。
一体どれほどの能力を持っているのだろうか。
考えるだけで、寒気がする。
「いくらあなたが手を貸したところで、戦いは能力の強さだけで決まるものではありませんよ」
「それはもっと大丈夫よ。パパが一番強いのはここだから」
レミニアは背丈の割りに大きな胸を叩いた。
◇◇◇◇◇
「貴様、ここで何をしている?」
振り返ると、黒いローブを纏った男が立っていた。
ヴォルフは思わず「わっ」と出そうになった大声を慌てて抑える。
腰砕けになりそうな体勢をなんとか踏ん張り堪えた。
声をかけられるまで気付かなかった。
おそらくかなり上位の魔導士。
特徴的な耳の形状から察するにエルフだろう。
血色の悪い顔に大きく見開いた瞳。
手には指輪らしきものがはまっている。
(あの指輪……。魔法増幅器か何かか?)
ヴォルフは目を細める。
魔獣がうろつく場所で装身具とは珍しい。
「あんたこそ、こんなところで何をやっているんだ?」
男はすぐに答えなかった。
ヴォルフを値踏みするように観察する。
最後に「はっ」と小さく笑ったような気がした。
「ベイウルフを知らないか? この森に迷い込んだと思うが」
「もしかして、あんたの獲物か?」
「近隣の村を荒らしていたそうでな。ギルドから依頼があって、追跡していた」
「1匹だけか」
男は首肯する。
なるほど。
どうやら、あのベイウルフは元々弱っていたらしい。
なら、Dクラスのヴォルフが圧倒し、勝利したのも頷ける。
と――ヴォルフは1人納得した。
「俺がやったよ」
「やった? 倒したのか、お前が。見たところ、冒険者のようだが、クラスは?」
「元冒険者だ。クラスはD……」
「はあ!? Dクラスがベイウルフを倒したのか? 他にパーティーは?」
「それよりも、ここの結界が崩れてる。魔獣は近づけないから、人為的な要因かもしれない。何か知らないか?」
「それなら私だ。ベイウルフを追い込んだ時に、魔法を回避されてしまってな。その時に崩れたのだろう」
「事故なら仕方ないが、せめて直してくれ。結界はこの先にある村の生命線なんだ」
「あの程度で壊れる結界を敷いた魔導士が未熟なのだ」
悪びれる様子はない。
むしろのその態度はどんどん不遜になっていった。
どうやってレミニアの結界を潰したのか知らないが、【大勇者】級の魔導士が張ったのだと知ったら、答えは違っただろうか。
すると、男は崩れた塚を蹴り上げる。
レミニアが村の人を案じ、8歳の時に作ってくれた塚をさらに壊したのだ。
「おい、あんた……」
「なんだ? 別にもう壊れているのだからいいだろう。それよりもだ。倒したベイウルフはどうした? 素材を持って帰って、依頼料をもらわなければ」
「うちの行商人に引き取ってもらった。村ではさばけないからな」
「なんだと! 余計なことを!」
「余計なことをしたのは、お前の方だろう!!」
ヴォルフは怒鳴る。
普段は温厚な彼がここまで憤るのは珍しいことだ。
一方、男の方もまた顔を赤くしていた。
「行商人の名前をいえ。ベイウルフを取り返す」
「断る!」
「貴様――」
空気が変わる。
先ほどまで満ちていた怒気は、カードを返すように殺気へと裏返った。
ヴォルフは銅の剣に手をかけた。
先に仕掛けたのは、男の方だった。
手を掲げる。
一気に呪文を詠唱した。
「雷銃一閃!」
雷精を帯びた無数の弾が放出される。
第4階梯の雷属性魔法。
さらにレベル5相当の【詠唱破棄】スキルまで使い、不意を打つ。
ヴォルフとの距離はわずか。
四方を囲むように放たれた魔弾に、回避できる暇も隙間もない。
着弾――。
激しい破裂音が静謐な森に鳴り響く。
男は勝利を確信した。
口角を上げた瞬間、その口元は驚愕へと変化する。
薄い煙の向こうから現れたのは、ヴォルフだった。
何故か全くの無傷。
皮膚には一片の火傷も伴っていない。
強力な【属性軽減】か【属性吸収】でもかかっていたのかと思うほどに……。
「いや、そんなことよりも――」
男を驚かせたのは、強力な魔法無効スキルなどではない。
魔法を正面から受けながら、迷いなく突進してくるヴォルフそのものだった。
(こいつ、馬鹿か!!)
その馬鹿の剣が振り下ろされる。
男の肩を砕いた。
「ぐああああああ!!」
男は蹲った。
「安心しろ。本身の方で斬っていない」
刀身を見せる。
男は肩口を押さえながら、苦悶の表情で叫んだ。
「情けをかけるつもりか!」
「殺しはしないだけだ。あんただって、家族はいるだろう」
「――――ッ!」
少し経ってからヴォルフは思い出していた。
地方によって結婚をする時に、誓いの証として指輪を贈る風習があることを。
おそらく魔導士がしているのは、結婚指輪だ。
男は項垂れる。
脂汗が垂れると、涙のように見えた。
「あんた、この結界を直せるか?」
「あ、ああ……。さほど難しいものではないからな」
「じゃあ、それでこの件はチャラだ。あんたの獲物と知らずに、ベイウルフを勝手に売っぱらった俺にも非があるしな」
道具箱の中から薬を取り出す。
肩の患部を診せるように注文すると、なんと治療を始めた。
そんなヴォルフを、男は不思議なものを見るような目で見つめる。
そして尋ねた。
「貴様、名は?」
「ヴォルフ・ミッドレス」
「わかった。その名、覚えておこう」
男は頭を垂れた。
おかげさまで日間総合に入る事ができました。
引き続き投稿していきますので、
よろしければ、ブクマ・評価よろしくお願いします。